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商品説明
歌の中で出会う和泉式部は、大江雅致女がプロデュースした歌人であって、彼女そのものではない。どのようにして彼女は稀代の大歌人となり得たのか。31文字の中に宇宙を内包した奥深い和泉式部歌の魅力を綴った一書。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
素顔の和泉式部
2011/09/21 05:29
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐吉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき
とどめおきて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり
冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月
狂おしいまでの恋の哀歓や、この世の無常、あるいは己が内なる心の闇を直截に詠んだ和泉式部の歌は、千年の時を経てなお読む者の魂を激しく揺さぶる。現代においても彼女の歌に惹かれる人は決して少なくない。稀代の大歌人、いや、日本文学史上最高と云っていいだろうこの歌人について、松岡正剛はこんなふうに語っている。
『こんな歌人はざらにはいない。わかりやすく一言でいえば、与謝野晶子は和泉式部なのだ。(中略)晶子ばかりではない。樋口一葉も山川登美子も、生方たつゑも円地文子も馬場あき子も、和泉式部だった。きっと岡本かの子も瀬戸内寂聴も俵万智も、ユーミンも中島みゆきも椎名林檎も、“その後の和泉式部”なのである。恋を歌った日本人の女性で和泉式部を詠嘆できない者がいるとはぼくには思えない。(「松岡正剛の千夜千冊」より)』
和泉式部は、『平安朝の女性の中でも格段に、我が身に固執し、我が身を詠じた(本書より)』歌人である。それゆえ彼女の歌に触れることは、必然的に彼女自身の生き方に思いを馳せることにつながる。しかし、というか、だからというか、和泉式部という人物には、古来さまざまなイメージがつきまとってきた。『口に任せ(「紫式部日記」より)』て歌を詠んだ天才肌の歌人、派手な男性遍歴を重ねた魔性の女、数奇な運命に翻弄され波乱の生涯を送った悲劇のヒロイン。そうしたイメージが幾重にも重なり、彼女の人物像は、一度つかんだと思ってもすぐにまた姿を変えてしまう。
そうした中、本書は、和泉式部自身の作品をはじめ当時のさまざまな文献から、彼女の生涯を真摯に追い、後世の人間によって作られた諸々の先入観にとらわれることなく、その人物像を浮き彫りにする。天賦の才に恵まれた即興歌人というイメージで捉えられがちな和泉式部が、その初期には百首歌という手法によって、万葉以降のさまざまな先行歌から地道に作歌手法を学んでいたこと。帥宮(そちのみや)との交際によって鋭敏な時間意識を養っていったこと。あるいは帥宮没後の悲嘆の中で、彼女が和歌の力や自らの歌人としての目を自覚していった過程など、少なくとも評者の持っていた和泉式部に対する旧来のイメージを払拭する記述も少なくなかった。
文中で紹介されている歌や引用された古典文献には、すべて現代語訳が付されている。付録の系図、作品案内、年譜も親切でわかりやすい。和泉式部については過去にも多くの評伝が書かれているが、本書は和泉式部の入門書として恰好の一冊と云えるだろう。
なお、本書は 『近藤みゆき訳注 和泉式部日記』を底本にしている。近藤の新解釈による現代口語訳は実に新鮮でわかりやすく、それこそユーミンや中島みゆきや椎名林檎の曲を聴くような感覚で、それぞれの歌に触れることができる。合わせて読めば、古典は苦手という方でも、きっと和泉式部の思いに共感できるに違いない。