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商品説明
子どものために教育は何ができるのか。学校現場には、素直で純真な子どもたちと、子どものことを大事にする親と教員たちが、まだまだたくさんいる。現実を正確にとらえ、「いますぐできること」からはじめるための一冊。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
夏木 智
- 略歴
- 〈夏木智〉茨城県生まれ。東京大学理学部数学科卒業、筑波大学数学科研究課程中退。茨城県立高等学校教諭。著書に「誰が学校を殺したか」「不思議の学校のアリス」など。
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紙の本
プラスだけでマイナスのない教育改革などは存在しない。
2006/08/15 13:49
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
刺激的なタイトルの本であるが、ここから短絡的に内容を予想すると間違える。「教育は死んだ。その真犯人は誰か?」というような俗受けする書物を予想する人は読まない方がいい。著者の答はこうである。「教育は本当に死んだのだろうか? 誰がそれを見たというのだろうか? 誰も見てはいないのである。」(242ページ)
現代では誰もが教育を受ける。しかし100パーセント満足のいく教育を受けたと実感できる恵まれた人はごく限られているから、いきおい、制度や教師などに不満が残ってしまう。しかしそれが単純な「こうすれば教育はうまくいく」という言説になって流通すると、混乱が生じる。「ゆとり教育」などはその典型で、文科省の官僚に(すら、と言うべきか、だから、と言うべきか)教育の本質が見えなくなった事態を見事なまでに浮かび上がらせた愚策であった。
前置きが長くなったが、この本は高校の数学教員が、現場での経験をもとに、昨今流行している「教育改革」に疑問を呈したものである。
著者は言う。「改革は少なければ少ないほどいい」と。なぜだろうか。改革はコストを伴うからである。昨日は右にあったものを左に置き換えましょう、というような簡単な話ではない。新しい科目を設ければ教員の再研修が必要だし、学校の名前を変えれば印刷物や校歌などそれに付随して変えなければならないものが多数出てくる。
そればかりではない。「改革」が大きければ大きいほど、予期せぬマイナスが生じる可能性が高くなる。良く知られた例が都立高校の学校群制度であろう。平等主義を実現しようとしたこの改革は、実際には優秀な生徒が私立高校に流れて都立高校全体のレベルが低下するという最悪の結果に終わった。
著者は、「現実の学校はそこそこうまくやっている」のだから、もしそれを「改革」しようとするなら、あくまで現場を十分に観察し、結果を予測し、お金をかけ、プラスの方がマイナスを上回ることを確認した上で行うべきだ、と主張する。ちなみにプラスだけでマイナスがない改革など存在しない、と著者は冷徹に書いてもいる。
この本には学校現場で体験する色々な実例が挙げられていて参考になるが、惜しむらくは、学校言説の実例があまり多くないことだ。学校外から寄せられる無責任な言説が現場に悪影響を与えていると著者は述べているので、できればそうした例も豊富に出してほしかった。全然ないわけではなく、例えば社会学者・橋爪大三郎の提唱した「高校学力検定」について、著者はそれがいかに生徒の能力差を無視しているかを指摘している。橋爪の言うような易しい検定では、優秀な生徒は中学でパスしてしまうが、最下層の生徒は高校を何年やっても通らず、また有力大学は優秀な学生を確保するために入試をやめることはないだろうから存在理由がない、というのである。大学教授より現場の教師の方がよく物事を知っている一例と言えるであろう。
昔、学校が悪い、教師が悪い、制度が悪い、文科省が悪い、というような教育言説が垂れ流しにされていた。現場を知らない無責任なマスコミが言いたい放題言って、それが無知な官僚に影響してかえって学校を混乱させるという悪循環も存在した。それが変わってきたのは、80年代も後半になってからである。本書の著者は由紀草一と共著で『学校の現在』を出し、現場の教師として教育の場で何が起こっているのかを語り始めたのだった。それが「プロ教師の会」の河上亮一や諏訪哲二らの仕事と相まって、単純な教育言説がいかに無効であるかを明らかにした。けれどもまだまだ教育現場の複雑な実態は知られていない。本書をひもといてその一端に是非目を開いていただきたい。