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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.9
- 出版社: 早川書房
- サイズ:20cm/174p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-15-208733-1
紙の本
どちらでもいい
夫が死に至るまでの、信じられないような顛末を語る妻の姿が滑稽な「斧」。廃駅にて、もはや来ることのない列車を待ち続ける老人の物語「北部行きの列車」。まだ見ぬ家族から、初めて...
どちらでもいい
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商品説明
夫が死に至るまでの、信じられないような顛末を語る妻の姿が滑稽な「斧」。廃駅にて、もはや来ることのない列車を待ち続ける老人の物語「北部行きの列車」。まだ見ぬ家族から、初めて手紙をもらった孤児の落胆を描く「郵便受け」。見知らぬ女と会う約束をした男が待ち合わせ場所で経験する悲劇「間違い電話」。さらには、まるで著者自身の無関心を表わすかのような表題作「どちらでもいい」など、アゴタ・クリストフが長年にわたって書きためた全25篇を収録。祖国を離れ、“敵語”で物語を紡ぐ著者の喪失と絶望が色濃く刻まれた異色の短篇集。【「BOOK」データベースの商品解説】
夫が死に至るまでの信じられないような顚末を語る妻の姿が滑稽な「斧」、著者自身の無関心を表わすかのような表題作など、全25篇を収録。祖国を離れ「敵語」で物語を紡ぐ著者の喪失と絶望が色濃く刻まれた異色の短篇集。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
斧 | 7-12 | |
---|---|---|
北部行きの列車 | 13-18 | |
我が家 | 19-22 |
著者紹介
アゴタ・クリストフ
- 略歴
- 〈アゴタ・クリストフ〉1935年ハンガリー生まれ。ハンガリー動乱の折りにスイスに亡命。86年「悪童日記」でデビュー。「ふたりの証拠」「第三の噓」で3部作を完結させる。
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紙の本
悪童三部作の凄みを経てきた者にのみ、この「かけら」を集めたような拾遺集は一定の角度から、かすかな色や輝きを合図のように送ってくる。
2006/10/05 17:52
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「どちらでもいい」——選択を避け、判断を停止するかのように響くこの言葉は、欧米の人びとにとっては自己の意思を尊重せず「個人」のプライドを放棄することと同一、それはある意味、生きることの放棄に等しいものであろう。しかし、私たち日本人にとってこの言葉は、相手ともたれ合い、最終責任のありどころを曖昧にしながら「うまく立ち回ってやり過ごす」ために便利な言葉である。相手とのもたれ合いは、そう悪いものでもなかろう。民族の均質性に支えられた集団のなかで、「分かり合えているはず」という信頼の幻想が形勢してきた身の処し方だと思えるからである。
モンゴルあたりの遊牧騎馬民族をルーツとする「フン(Hun)族」が作ったと言われる国・ハンガリーには、「フン族のルーツが日本だとも考えられるから」ということで親日家が多いようである。この国を祖国とするアゴタ・クリストフが使った「どちらでもいい」は、果たして「意思」や「生」の放棄、すなわち「絶望」という一方向だけに向かっていく言葉なのであろうか。それとも、他者に何かを期待するニュアンスが含まれていようか。
訳者・堀茂樹氏は、文脈によってはとことん「絶望的な」表現だと言う。この本に収録されたテクストのほとんどが、絶望の心境や状態を語っており、作家の老いとともに、絶望の影のほうが濃くなってきていることは否定すべくもないと指摘する。この作者の作品を深く知る訳者による指摘なのだから素直に受け止めておけば良い。
しかし、それでも私は、「絶望」と「希望」のどちらとも表現し切れない判断停止の上に築き上げられてきたものが、この作家の営為なのではなかったのかと問いたい気もする。それは絶望の果てに「死」が選択されていないからである。とりあえず明日も生き長らえる状態に自己を置くことは、希望がまったくのゼロではないと解釈したい。収容所や戦場、戦火のなかにあってもユーモアのセンスで日々を生き延びてきたあの人びとやあの人びとの歴史——アゴタ・クリストフともあろう人がそれらに無頓着なはずはない。絶望と自覚する状況であっても、何かを書く、書いて残すということが大いなる証明であるからだ。たとえ書かれた内容が絶望的なものであっても、「いつか誰かが分かってくれるであろう」と人類へ託された希望。彼女が書くものには、その姿勢が含まれているように思う。
それにしても…。事情は仕方ないと分かるにせよ、何とも物足りなさばかりが残る作品集である。習作と呼ぶにもどうかと思えるものもある。大きなタブローを制作する仕事を常とする画家が、新聞の折込み広告の裏に、手すさびでハガキ大の落書きをしたような感じがする。
1970年代から1990年代前半頃までのノートや書き付けのなかから編集者が拾い出した、文字通りの「拾遺集」ということである。物語として形を成しているものもあるが、多くは「物語未満」の素材なのである。「彼女らしくない」と思えるものもあり、それは、「アゴタ・クリストフがこの程度の着地で妥協するとは許せん」という読者のエゴなのでもあろうが、それでも、幾つかの言葉の切れ味に納得しながら、中途半端な詩篇を味わうようなつもりで臨まなくてはならない。
やはりアゴタ・クリストフという作家の凄みを知るには「悪童三部作」しかなく、読み手はいつまでも「新作を、新作を」と呆けたように求めるのではなく、再読に継ぐ再読で、より深い世界への到達、新たな発見をすべきなのだとも思わせられる。入口は「悪童三部作」であり、ゆめゆめ本作を入口としてはならず、ただ、彼女の凄みを経てきた者にのみ、この「かけら」を集めたような拾遺集は一定の角度から、かすかな色や輝きを合図のように送ってくるのである。
紙の本
乾いた印象の
2017/06/22 14:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
ショート・ショートから短編小説が並んでいた。 暗い話が多いが読みやすい。 ただ、これが日本でまで出版されるのはやはり「悪童日記」の作者だからかな、と思った。それだけすごいのだろうけれど。