紙の本
米国の元チャンピオンたちの姿が米国社会を映し出している
2010/09/21 12:27
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
ボクシングは誰もが知る世界共通のルールをもった競技だ。しかし、その社会的背景とともに理解しようとするとまるで違った姿を現す。
日本ではストイックなスポーツという見方をされることが多いが、本書を読み終えてボクシング観が変わってしまった。本書は、アメリカのボクシング事情を描き出した力作である。逆に言えば、ボクシングを通してアメリカという国が見えてくる。
著者は、アメリカにおいては「マイノリティ」には社会的弱者という意味も含まれるという。だから、マイノリティは貧困にあえぎ、ドラッグや暴力にすさんだ生活を余儀なくされる。身を立てようにも教育の機会すら、なかなか得られない。
そんな状況から抜け出し、栄光をつかみ取るにはボクシングという選択肢しかなかった男たちの人生を著者は追う。みな黒人ボクサーだ。しかも、マイク・タイソンをはじめとして世界チャンピオンの座をつかみ取ったすぐれたボクサーたちである。
世界チャンピオンをたくさん輩出するボクシング大国、アメリカ。それゆえ、世界チャンピオンになったからといって、その後の人生が何も約束されはしない。この事実は、冷然としてある。
日本でも引退後の人生は自分で切り開いていかなくてはならない。しかし、アメリカにおけるそれは想像を超える。
複数のベルトを巻いたチャンピオンであっても、プロモーターに搾取され、必ずしも富を築けないのだ。40歳代になってもリングにあがり、糊口をしのがなくてはならないケースには言葉を失いそうになる。さすがにこれは厳しくはないか、いくら競争社会だからといって。
そのあくどいプロモーターのひとりはドン・キングなのであるが、ファイトマネーを毎回50%以上、ひどいときには90%もピンハネするというのだから、あきれるしかない。訴訟を起こそうにも、嫌がらせや脅迫を受ける。それにもめげずに訴訟に踏み切れば、ビッグマッチはあきらめざるを得ない。何しろ相手はマッチメイクの実力者なのだから。ただ、120万ドルの和解金をあっという間に使ってしまう元チャンピオンの行動も悲しい。
王座をつかんだあと、きちんと自分のポジションを確保できるケースも、すべてを失うケースも、最終的には本人の自覚と行動による。だが、一度底辺に落ちてしまうと這い上がるのが困難な社会の姿には切なさを覚える。今でこそ、富裕層と貧困層の落差の実態が知られた米国だが、こんな風にしてルポルタージュされると、やはり一定の衝撃は受けてしまう。日本も少しずつ彼方の方へ近づきつつあるような昨今を思えばなおさらだ。
著者は実は渡米して10年を超える日本人なのだが、ここまで米国社会に深く分け入った力量には脱帽せざるを得ない。ここまで人生の機微を、ライターに対して、詳細に語って聞かせるものではないはずだから。著者もまたボクシングに人生を捧げているもうひとりのボクサーといってもいいかもしれない。
読み応えありの一冊だ。
紙の本
その拳は、硬いよ
2006/11/02 19:02
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:青砥の愛煙家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて、世界タイトルマッチの観戦記にあったくだり。
日本のスター選手が敗北を喫した控え室での光景の描写。
ボクサーは自らの敗北を「ざまあ見ろ」と書いてくれと言う。
言われた筆者は、だらしなく泣き崩れて
「このアホなジャーナリストを笑ってくれ」と記していた。
確かに、あなたはアホだよ。読みながら、そう思った。
「ジャーナリスト」って言うな、とも。
この本は、「一瞬の夏」と「感情的ボクシング論」の亡霊を
振り払うことのできた、はじめてのボクシング書かもしれない。
過剰なまでに、しゃしゃり出る「私」。
浪花節的な要素が強いあまり、文中で本当に泣いてしまう「私」。
ボクサーとの親密な関係をアピールすることに血道を上げる「私」。
そういうのは、もうたくさんだよ。
専門誌が売れないのも、閉じた世界のなかで
そんなことばっかりやっているからだ。
一方で「報道」として押さえるべき点を外しまくるのだから、呆れる。
取材対象に深く入り込めた者が、すべきことは何か。
より多くのファクトを、より適切な形で届けることではないのか。
贅肉を削ぎ落としたソリッドなボクシング・ノンフィクションが、
ようやく登場した。
注:テレビ番組でテリー伊藤にキレて、何ぞ投げつけた「スポーツライター」がいましたが、あの人はそもそも評価の対象外です。
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最初に断っておくが私はスポーツ観戦が好きじゃない、よって、ボクシングにもまったく興味が無い、唯一格闘技で見るものと言えば、須藤元気の動きとテコンドーくらいだ、それもたまたま写ってれば見るくらいの感じで、率先して見るわけではない、つまり私にとってスポーツとはあってもなくてもどうでもいい存在くらいになる、じゃあスポーツを題材にした映画は見ないのか?と言われるとそんな事はなく、一番見ているスポーツ映画はボクシングを主題にした映画なのである、そして主題はボクシングじゃないが、映画の中でボクシングをするシーンがある作品もたくさん見てきた『ロッキー』シリーズ『レイジング・ブル』『ミリオンダラーベイビー』『ガール・ファイト』『キッズ・リターン』『どついたるねん』『パルプ・フィクション』『ブロークン・アロー』『スネーク・アイズ』『GO』今パッと思いついただけでもこれだけ出てくる、ボクシング映画というのはかなり特殊な部類に入るのではないかと思っている、『ロッキー』はアメリカンドリームを体現したかのような作品だから別にしても、私が好きな『レイジングブル』は一度チャンピオンを極めた男がこれでもかと堕ちていく話であるし、近年の傑作『ミリオンダラーベイビー』もボクシングが出来なくなり、生き甲斐を無くした女の話である、映画の中においてボクシングというのは栄光と影がハッキリしたスポーツであり、生きる為、喰っていくためにボクシングをするという人が現実に多い事から、映画の主題にもなりやすいのだろう。
『マイノリティーの拳』はそんなボクシングの栄光と影を鋭くえぐった作品である、ノンフィクションであるから、ここに登場するボクサーの話は本当の話だ、対話式の文章ではなく、ボクサーの生い立ちから、チャンピオンになって堕ちていくまでを見事な構成と筆力で書いている、ボクシングを知らない様な人でも興味がわくように書かれているし、実際この本には読み手をぐいぐい引っ張って行くパワーがある、作者がアメリカに渡って10年間取材したものが詰まってるから、その選手の心情なども細かく書かれており、ボクシングで生きてる人すべての魂が宿っている様にも感じた、作者とこのボクサー達の信頼関係があってこその本だと思うが、“黒人ボクサーの栄光と影”という着眼点だけではなかなかここまでの作品にならないだろう「アメリカにはこういうボクサーがいる、この人達をどうにか世間に知らしめたい」という想いや、そのボクサーを好きになったからこその文章、これが飛び抜けてるので、そこに金の匂いや仕事という意識があまり感じないのもこの作品が勝利した要因のようにも思える。
何故黒人ボクサーが強く、何故黒人ボクサーだけが堕ちて行くのか?というのにすごく興味があったので、それがちゃんと書かれているのも素晴らしかった、つまりアメリカ社会の底辺にしがみついてる人種、生きて行く為に男たちはグローブをはめ、そしてその事しか知らない男たちは、いいように利用され、捨てられていく、そしてその後も生きる為に男達は戦い続けなければならない…もちろん心温まるエピソードも多数あるが、基本的にはすごく現実がある本だった、私はハッピーエンドが嫌いで���その理由として、「現実にハッピーエンドなんて片手で数えるくらいしかないから」なのだが、この「現実を突きつけられた感(バッドエンドではない)」はよほど念入りに取材し、自分の中で完璧に昇華して、文章にしないと出来ない芸当だろう、それ故にこの作品は刺さり、圧倒的な迫力に満ちている。
すこし重く、考えさせられるが、かなりの力作である、男ならば読まなくてはならない本だろう、栄光や金をその拳で掴んだと思ったら掴み損ねていた男たちの魂がここにある。
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世界チャンピオン、その言葉の響きは何よりもすばらしいものに見える。しかしその実際はそこに至るまでも、絶頂の時も、そしてその後の人生でも決して平たんな道を歩めるとは限らなかった。チャンピオンベルトをオークションに出して、裸電球1個の部屋の生活費にあてたり、日本という豊かな国でフィクションでしか想像できないような現実も生の声と共に伝えてくれるノンフィクション本です。苦しくとも人としてまっすぐに。その歩いてきた道のりからの教訓は計り知れないものがあります。それこそ彼らがチャンピオンたる由縁なのではないでしょうか。以前からチャンピオンたちと数々の取材を通じて直に話していく中で深い友好関係を築いていた林壮一氏だからこそ最深部まで話してくれた貴重なチャンピオンたちの生声人生訓集とも言える1冊。着飾った言葉やドラマなどの作りごとではない、完全なる現実がここにあります。
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すべてのスポ-ツの中でボクシングが一番好きですが、この本を読んでさらに深く愛するようになりました。一瞬の光が強ければ強いほど影もまた深い。絶頂期を過ぎたボクサ-の生々しい姿を通して、生きること、生き続けること、考えさせられました。
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プロボクサー 世界チャンピオン 黒人
劣悪な環境 アメリカンドリーム 一瞬の栄華
才能と努力でつかみ取った王座。それにも関らず安定した生活を得られない現実。現在のアメリカの一面。
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メジャー団体の元チャンピオンが、とことんマイノリティなのに驚きました。
最後のフォァマンは、特に印象的でした。
余談ですが、アリと比べると、あまりに対象的ですね。
個人の資質もあるだろけど、時代の少しの差が大きい。
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読みやすい文章で、プロボクサーの悲惨な末路の数々が書かれている。日本とは比べ物にならない人種差別や貧困のレベルにも驚かされるが本人に実力があっても良いプロモーターやコーチがつかないと悲惨な目にあったりして、なんとも恐ろしい世界だ…。
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ふだんの報道ではもちろん「光」ばかりが注目されるが、ボクシング界は広く深い「闇」をかかえた世界である。
世界チャンピオンとして「光」の中に上り詰めたはずのボクサーの、その後の人生を取材したノンフィクション。アメリカに渡り、ボクシングを取材し続けて10年の著者は、その年月を行間ににじませるように、読者のボディへ重たいパンチをたんねんにたたきつける。
著者自身が、かつてプロボクサーのライセンスを取得したにもかかわらず、ケガでその道を挫折した経験を持っている。自分自身の「STRUGGLE」があったからこそ、地の底でもがいている元チャンピオンたちへの友情が育めたのだろう。
各章はすべて、撮影中の映画『ロッキー・バルボア(ロッキー6)』の撮影風景から始まっている。もちろん、元チャンピオンたちの過酷な「その後」と、対比するためである。スクリーンには映らない彼らの「STRUGGLE」は、スポーツ・ノンフィクションという枠を越え、この本を「人生で貴重なものは何か」という物語に昇華させている。
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一度はチャンピオンに上り詰めたことのある黒人ボクサーたちへの取材を元に書かれたノンフィクションです。
プロモーターに食い物にされ、一階級制したくらいでは成功者になれないどころか元の貧困生活に逆戻りする者もいるといいます。
国内のチャンピオンも皆一堂に夢見ていると言うラスベガスでのビッグマッチですが、夢の果てにあるのは果たして本当に選手が報われる世界なのか、心配になりました。
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ボクシングの世界を描くノンフィクションはいつも少し「切ない」感じがする。それはボクシングというスポーツが本質的には「殴り/殴られる」というスポーツであるということもあるし、おそらくボクサーのほとんどがまさしく「拳一つ」で這い上がってきたということもあるし、何より勝利と敗北だけでは動かない世界だというのがあると思う。例えば、テニスだった言ってみれば「ラケット一つ」で成りあがっていく世界なわけだが、それでもボクシングのような悲愴な感じを醸し出すような作品に出合ったことはない。
本書は米国のヘビー級を中心に、元黒人チャンピオンが引退後にどのような生活を送っているかを追ったノンフィクションである。日本でも今では「世界チャンピオンになっただけでは成功ではない」世界になってしまったが、層が厚い米国ではそれはもっと劇的な形で表れていて、元世界チャンピオンであってもスラムと大して変わらない世界で暮らしている人間もいる。
もちろんそういう状況になってしまう理由は本人も含めていろいろあるのだが、それでもファイトマネーという形で一瞬で大金が入ってきて(プロモーターにかなりとられてしまうのだが)、それをうまく扱うことができなくて、やがて堕ちていくというはなんとも切ない。
本書に出てくるボクサーは日本のボクサーたちよりもはるかに多くのマッチ数を戦っている(90戦近いボクサーもいる)。そうしてまで試合に出るのはまさしく「お金のために戦っている」から。
本書には繰り返しプロモーターの話が出てくるが、ボクシングは現代になっても剣闘士とマッチメイカーの世界なんだと強く感じざるをえない。華やかなのは剣闘士でも、最後に儲かるのはマッチメイカー(胴元)たち。それでも、そこには這い上がるための夢がある世界なんだ、というのもまた真実なのだと痛感させられるのが本書である。
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アメリカでのビジネスとしてのボクシングを実感。豊かな才能、過酷なトレーニング全てが、必ずしも豊かさに繋がらない厳しい現実を実感しました。
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「ボクシングは金持ちに務まる職業じゃない。命懸けの危険な
ビジネスだからね。裕福な人間がグローブを嵌めるなんてのは
ジョークさ」
貧困と差別に晒され、犯罪と隣り合わせという環境で育った
黒人の少年たちは拳ひとつでのし上がれるボクシングの
世界で頂点に君臨することを目指した。
世界ヘビー級王者。最重量級の頂点を極めた王者であって
も、アメリカン・ドリームを手にした後には厳しい現実と直面
せざるを得なかった。
本書は自身もプロテストに合格し、しかし、故障からプロボクシ
ングの世界を断念した著者がアメリカに渡って元チャンピオン
たちと交流しながら10年の歳月をかけて書き上げた、5人の王
者の「その後」の姿だ。
モハメド・アリとのキンシャサでの対戦から20年後。45歳で
世界王者に返り咲いたジョージ・フォアマン。何故、伝道師と
なったフォアマンが45歳で復帰しなければならなかったのか。
彼の背負ったもの、自分の使命と考えることの懐の深さは
自身の生い立ちから来るものだった。
同じ指導者の元で育ったマイク・タイソンとホセ・トーレス。
タイソンにこそ取材が取材が出来ていないが、現役の頃
から引退後を考えて文筆修行をし始めたトーレスとタイソン
の人生の対比と、弟弟子であるタイソンに対するトーレス
の想いの深さにじんわりと来る。
何かと問題の多いプロモーター、ドン・キングを相手に訴訟
を起こしたティム・ウェザースプーン。シングル・ファーザー
として5人の子供を育てる為にリングに上がり続けた彼は、
ボクサーであるより父であることに重きを置いていた。
ライアン・バークレーはチャンピオンになりながらも、サウス
ブロンクスの狭い集合住宅で暮らし、45歳になっても生活
の為にリングに上がり続ける。
チャンピオンになったからと言って、その後の生活が保障される
訳ではない。フォアマンやトーレスのように「セカンド・チャンス」
を手に入れられる者の方が稀なのだろう。
厳しい現実に直面しながらも、彼らは必死に生きている。
そんな元チャンピオンに向ける著者の視線は、限りなく
温かい。そうして、ボクシングという競技に対する愛情も
溢れている。
いいノンフィクションを読ませてもらった。著者にお礼を言いたい。
尚、私は単行本を買ったまま積んでおいたのだが先日、文庫
で刊行されていた。