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紙の本
1941年12月の国語学
2007/05/22 01:55
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は日米開戦のその月に、刊行された。その執筆作業はその四年前から、長い京城帝大での教育活動・植民地朝鮮での言語政策関与の中で行われたはずだ。そして本書で示された「言語過程説」はよしもとばなな氏の父吉本隆明氏、三浦つとむ氏など、戦後思想を語る上で欠かせない人物に強い影響を与えた。「(監督)にとって(映画作り)とは何ですか」、今でもたまに使われるありふれた言い回しだが、これは本書の強い影響の下で吉本隆明氏が執筆した「言語にとって美とは何か」という書物(非常に難解というか…)が一部の文学・思想青年の「教典」になったあたりから流行った言い回しらしい。
1943年には橋本進吉氏の後を次いで東大教授となり、定年(1961年)まで勤めているから学界の傍流というわけではなかったろう。現在では「言語過程説」に基づく個別研究の多くは否定的な結果に終わったものが多かったらしく、本書も長らく絶版であった。
しかし書物としての本書は、門外漢の無茶読みにも耐えるスリリングなものだ。まず冒頭の「総論」で行われるの執拗なまでのソシュール批判である。ソシュールに代表される言語学者たちは言語を、人間から切り離して、なおかつバラバラに切り刻む「原子論的世界観」だというのだ。それに対して、彼が対置するのが「言語過程説」である。乱暴にまとめると、主体(人間)・素材・場面(関係・環境)の三要素の交わる流動的な過程のなかで、主体の内面を中心に国語を考えていこう、あるいは国語=日本語はそうやって考えるしかない本質を持っていると立論している。そして明治以前の歌学者・国学者の営みと「現在」の国語学を統合を計っている。
本論は「リズム」で始まり「国語美学」で終わる。中でも多くのページが割かれているのが「敬語論」である。主体(の内面表現)と場面=関係の重視がこの構成からもうかがえる。
読後、吉本隆明氏とその影響を受けた思想家の方々の言語と人間観、言語感覚の原点の一つはやはり本書の著者にあるという思いを、さらに深くした。
現代の国語学学界にとってはもうアナクロな書物なのかもしれない。しかし、戦中・戦後に不思議な魔力を持ち続けた本書は昭和思想を深く考えたい方には、そして表現(とくに詩・和歌・俳句)を試みる方々にはいまだ有用であるように思える。
紙の本
「時枝国語学」及び「時枝文法」の醍醐味が味わえる一冊です!
2020/05/03 10:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、明治以前の国語学史の検討から欧州言語学への批判研究を進め、言語過程説と呼ばれる独自の学説を構築し、近代国語学の分野に新たな展開をもたらしたと言われる時枝生起誠記氏による作品です。時枝氏のこうした成果に基づいて構築された国語学は「時枝国語学」と呼ばれ、これに基づいた文法理論は「時枝文法」として知られています。そのような大御所による同書は、「旧い国語研究の伝統」と「西洋言語学説の流れ」を見据え、国語学の新たな基礎づけを試みた画期的な一冊となっています。内容構成は、「言語研究の態度」、「言語研究の対象」、「対象の把握と解釈作業」、「言語に対する主体的立場と観察的立場」、「言語の存在条件としての主体」、「場面及び素材」、「音声論」、「文字論」、「文法論」などのテーマで論が進んでいきます。