紙の本
不気味なのに、美しい。
2007/08/24 01:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:求羅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公の少年・デイヴィが住んでいる町に、一人の少年が越してきた。スティーヴンと名乗るその少年は、父親が死に母親も病気で入院したため、遠縁の叔母の家に身を寄せることになったのだ。デイヴィは、気味の悪いスティーヴンに誘われるまま、粘土で作った人形に命を与える儀式を手伝うことになる。そして、その人形が動き出して・・・。
『肩胛骨は翼のなごり』からデイヴィッド・アーモンドの作品を読んできたが、本書は、これまでの中で最も不気味な作品である。死や暴力といったものが色濃く現れ、メッセージ性も強い。
あとがきで金原瑞人さんが、「アーモンドの作品は、はずれがない」と書いているが、それはちょっと褒めすぎだろう。『秘密の心臓』は、私には完全に「はずれ」だった。
だが、この作品は良い。アーモンド作品の魅力は、現実世界の中に、ありえないような不思議な現象がすっと溶け込んでいるところにあると思う。
本書では、お酒やタバコをくすねたり、悪態をついたりケンカをしたり、異性を気にしたりといった、子供から大人に変化する年代の少年の姿が生き生きと描かれる。一方で、粘土の人形が動き出したり、人が突然消えたりといった現実には考えられない出来事も起こる。異質な要素が入ることで、登場人物たちの心理がより浮き彫りにされる、というのは、アーモンド作品の特徴なのかもしれない。
前半は、少年たちの日常が穏やかに綴られるが、“クレイ”と名づけられたモンスターの誕生で闇の世界が侵食してくるところから、一気に読ませる。ごく普通の少年・デイヴィが、不遇な家庭環境で歪んでしまったスティーヴンの邪悪な行為に加担し、罪悪感に追いつめられていく様子が、重苦しいほどの緊迫感を持って迫ってきて、鳥肌が立つ。
この、今にも崩れ落ちてしまいそうな危うい状況をどう収束させるのだろうと思っていると、ラストは何事もなかったかのように穏やかに幕を閉じる。謎めいた部分は残されているが、この物語はこういう形でしか終われないのだろう。
ダークな作品なのに不思議と希望を感じるのは、クレイジー・メアリーの存在が大きいと思う。信仰深く風変わりなために周囲からクレイジー(きちがい)扱いされているおばあさんだが、もしかすると彼女が本書の中で一番純粋な精神の持ち主なのかもしれない。適度に善良で適度に邪悪な人が多く存在する世界では、あまりに純粋な人間は浮いてしまう。
悪の象徴のようなスティーヴンの登場で始まる物語が、クレイジー・メアリーの場面で終わることに、作者の肯定的なメッセージを感じるのだ。そしてそれが、「神様はいるの?」というデイヴィの問いかけに対する答えにもなっているのだろう。
ただ、翻訳で難を挙げると、少年たちの会話によく出てくる「あいよ」という言葉づかいが、妙に気になった。「ああ」という意味合いの言葉をこの土地のなまりで訳したのだろうが、他の言葉は標準語なのに、なぜここだけ古くさい言葉を使うのか分からない。あとがきで説明がほしいところだ。
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タイトル、装丁というかイラストに、やられて読みましたのパターンです。
ですがこのデイヴィッド・アーモンドさん、よくお見かけする名前なんですよね。
お話の方は、もちろんおもしかったです。
ファンタスティックな中にあって、タイトルにクレイとあるけれど、読んでいてフと、泥水と草の混じった匂いがどこからともなく漂ってきた感覚になりました。
ヘルマン・ヘッセのデミアンの前半部分と、なぜか私の中でリンクしている作品。
二人の少年のやりとりは、自分もいつかの誰かとした会話のような、体験したことのあるような。
いつかの誰かって、もしかして自分だったのではないだろうかと思ってしまうような。
一度ではなく、また読み返しておかなければいけない作品です。私の中で。
おもしろかったから、もう一回読もう、ではなくて、読まなければいけない。
彼に、そうさせられているような気もします。
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この作者のほかの話もたいていそうですが、地味に始まりじわじわときて、最後でぐぐっと引き込まれます。
人間の被造物である「クレイ」の存在感がすごい。邪悪でもあるが美しくもあり、創造者である少年にとっても嫌悪しながら魅かれる存在、というところがうまいと思いました。
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優等生タイプの男の子が、突然やってきた奇妙な転校生に悪の化身を作り上げる手伝いをさせられる。
主人公は転校生によって、自身の清廉潔白さから選ばれたのだった。
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主人公の少年デイヴィは、日頃は教会のお手伝いをするような良い子(?)ですが、近所に引っ越してきたスティーヴンと関わりを持ったばかりに、邪悪なものに引き摺り込まれていきます。
スティーヴンも、かつては聖職者になるために寄宿学校で学んでいた少年なのですが、不遇な環境で育ったために、彼の中で何かが歪んでしまったようなのです。
取り返しのつかないことをしてしまったら、たとえそれが不可抗力であったとしても、その瞬間から時は動くことをやめてしまいます。罪悪感にさいなまれながらも、一歩踏み出してしまったデイヴィ。善と悪の狭間で揺れ動きながら、もう後戻りできなくなって・・・・・・
クレイ(粘土でできた人形)は命の象徴であるとともに、罪の象徴でもあるような気がします。生きることは罪・・・なのでしょうか?そこに救いはあるのでしょうか?
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嫌いな話ではないけれど、こういう選ばれた主人公って、たまにイラッとしてしまう。色がついてないフラットなところが魅力なのかなあ。たしかに善良、ではある。宗教や地域的な背景の匂わせ方は上手だと思う。
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とっても不思議なお話
現実にはありえない。
実際にあったら大事件に発展するんだろうなってお話です
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現代板フランケンシュタインかな。やはり暗くてもの悲しい。スティーヴンはどこに行ってしまったのだろう、彼が救われないのが寂しい。
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デイヴィッド・アーモンドの「狭間」で揺れる子供の描き方が堪らなく好きである。大人と子供、狂気と正気、神と人間・・・。ある日、主人公デイヴィの近所のいかれたおばさんの家にいかれた少年スティーヴンがやってきて粘土で作られた人間に魂を込める。二人で命を吹き込んだ「クレイ」動き出し、対立していた青年が死ぬ・・・、現実か、幻想か。神は人間を見放したのか?
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転校生に影響され、悪いほうへずるずると引き込まれる主人公のデイヴィ。その気持ちに読者までもがひっぱられぐいぐいと物語に入っていってしまう。
そして粘土の人形を造り、魂を込めようとする二人…
粘土の感触が感じ取れそうな描写もすごい。
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町にやってきたスティーヴン・ローズ、
主人公であるディヴィッドは粘土で作ったものに生命を吹き込むことができるというスティーヴンと付き合うようになる。
ある日ディヴィッドに「キリストの血と体を盗んでこい」という。
そして粘土男に生命を与える儀式が行われ・・
スティーヴンの狂気に惑わされていく主人公、
じわじわと怖いですね。
何度も告解に行っていて、その語る話の変化も興味深い。
ラストの情景は美しいですね。
短い章でわけられているので、読みやすく、
新たな『フランケンシュタイン』な物語です。
翻訳の金原さん、この作家の作品を気に入っているようで、他の作家の翻訳のあとがきでも、ちらっとデイヴィッド・アーモンドという名前が出てきたりします。
その通り、他の作品もとても面白い。
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〜感想の前にどうしても叫びたい〜
ぬおお! たぶんこれいい作品なんだと思うんだよ! 思うんだけどね!! 「あいよ」の連呼がね! 「あいよ」が出てくるたびにわたしゲンナリするんだよね!!!!!
原文は知らんけどさ! 金原さーん! なんで「あいよ」にしたん!? 主人公の口癖かと思ったら結構みんな言うし! なに!? あいつら全員江戸前寿司職人なのーーーーー!?
〜ココロの叫び・終了〜
というわけで、「あいよ」と、「もち」(=もちろん)以外はいい作品だったしいい翻訳だった。ふるくさっ。三十がらみのわたしでも言わんて。変に若者言葉を取り入れようとせずに、文部省認定みたいなきれいな日本語で書いたほうが作品の寿命が伸びるんじゃないかと思うんだけど……。
金原さんを最初知ったときは新進気鋭の若手翻訳家っていうイメージだったのに、若干さびしい気持ちになってしまった。
ディヴィッド・アーモンドは『肩甲骨は翼のなごり』につづいて二作目なんだけど、YAにしてはけっこう難しい部類の人だと思った。ちょっとモヤっとした書き方。粘土男クレイを作り出すデイヴィとスティーヴンの描写は、現実なのか空想なのか曖昧で、しばらく疑いながら読んでた。信じるか、信じないかは、読む人次第ってことかもね。こないだ読んだ『ぼくはお城の王様だ』も、どれだけ子どもを信じてあげられるか、っていう問いを投げかけてた気がするんだけど、この作品もそうなんだと思う。少なくとも、年を取ったわたしたちにとっては。
そういえばスティーヴン・ローズの真の望みは、果たしてあんな暴力的なことだったのだろうか。
「信じるよ」
この言葉があれば、本当は十分だったんじゃないかな。
あと、「わたしたちは幸せだ、神様に感謝しなくちゃ」的な言葉が何度か出てきたけど、この言葉、いやだな。他人を不幸と決め付けて、ひそかに安心して、優越感にひたってるみたいに思える。
五体満足で健康に生まれたことに感謝しましょうっていう大人が、昔からいやだったのを思い出したわ。
原題:Clay
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そのころ僕と親友のジョーディは、敵対する少年グループのリーダー・モウルディへの対応に苦慮していた。モウルディはまだ16歳なのに体がでかくて、大人と同じように酒を飲み、そして恐ろしく凶暴だった。
彼がフェリングにやってきたのは、くっきりと晴れた凍てつくような2月の朝だった。
名前はスティーヴン。神父になるための学校を放校になり、父親が急死し、精神を病んだ母親が入院し、この町に住む叔母クレイジー・メアリーの下へ身を寄せたのだ。
スティーヴンは粘土で動物や人間を作り、それに命を吹き込んで動かすことができるという不思議な力を持っていた。
スティーブンは僕にも同じ力があると囁く。
そして、僕は彼と秘密の場所で一体のモンスターを作り上げてしまった。
名前は「クレイ(粘土)」。
…それほど昔のことじゃない。けれど、今とはもう違う時代の話だ――。
寂れた田舎町に不思議な力と暗い過去を持った少年がやってくることではじまる死と暴力と狂気が、善と悪の狭間、暗闇の淵で惑う主人公デイヴィの回想で綴られてゆきます。
苦しいほどに闇を感じるストーリーですが、最後の最後は胸の詰まるような優しい場面で締め括られます。既刊『星を数えて』『ヘヴン・アイズ』を書いた、いかにもアーモンドらしい美しい情景です。
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粘土から命あるものを作り出す。
モンスターを。
スティーブンキングのホラーものっぽいなあっと思いつつ読む、が、結局のところ、これといって(人は死ぬけど)なんか、あっまり盛り上がりのある話ではなかった。
けど、ひしひしと不安感がつのっていくお話でした。
特に、主人公が心の中で止めてほしい、気づいて欲しいと
思っていても、結局誰も気づかないし、誰も助けに来てはくれなかったところが、
なんとゆーか、そーだよなーって感じ。
それでも、デイヴィは向こう側に行ききることはなく、
マリアってゆう救いも得て、よかったのう、っとほっとする。
どーも気になったのが
「あいよ」
訳し方、これしかなかったのだろーか?
うーんなんとなくニュアンスがあるんだろうが、
どーも違和感
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純粋で感化されやすいけど根は善良な主人公(デイヴィ)と、狂気的で自分は無と闇から生まれたと信じているスティーヴン。少年2人が粘土でモンスターを造ったという話。
神様が人間を無から造った。そしてそれを真似るようにして少年達はクレイを造った。クレイがひたすら主人公に「命令をください。ご主人さま」と縋るけど、デイヴィは「何もしてほしくない。消えてほしい」と願う。このあたりは神様も実は祈りを捧げてくる人間たちに「死んでくれ」と思っているのかも・・と思わせる描写に感じた。結局クレイは何も有益な命令をされず、寂しく土に還る。このあたりはどんなに神に祈っても救われない報われない人間のように感じられて切なかった。
主人公デイヴィはスティーヴンにクレイを無慈悲に殺したことや友人の死を願ったことを責め立てられ、闇にのまれかけるけど、ガールフレンドのマリアがひたむきに話を聞いて傍にいてくれたおかげで、深い憂鬱から逃れることができた。
スティーヴンにもそんな話を聞いてくれる人が1人でもいたら、闇にのまれることはなかったんだろうなと思う。周りから「悪魔だ」と言われ、信じ込むようになっただけで、生まれた時から悪ではないのではとも思う。友人や自分の父親を殺したというのは、どこまで現実なんだろう。
読み終わってみるとモンスターは人を殺さなかったし、暴力的な描写など激しい表現はないけど。心に残る作品だった。