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- カテゴリ:一般
- 発売日:2007/09/01
- 出版社: 名古屋大学出版会
- サイズ:30cm/533p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-8158-0567-8
- 国内送料無料
紙の本
フィルム・アート 映画芸術入門
著者 デイヴィッド・ボードウェル (著),クリスティン・トンプソン (著),藤木 秀朗 (監訳),飯岡 詩朗 (ほか訳)
初期から近年までの世界中の映画を視野におさめ、映画の技法・スタイルを中心に、製作・興行、形式・ジャンル、批評・歴史にわたる映画芸術のすべてを、多数の図版とともに体系的に解...
フィルム・アート 映画芸術入門
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商品説明
初期から近年までの世界中の映画を視野におさめ、映画の技法・スタイルを中心に、製作・興行、形式・ジャンル、批評・歴史にわたる映画芸術のすべてを、多数の図版とともに体系的に解説した映画入門書。【「TRC MARC」の商品解説】
この1冊で、きっと映画の見かたが変わる!――初期から近年までの世界中の映画を視野におさめ、映画の技法・スタイルを中心に、製作・興行、形式・ジャンル、批評・歴史にわたる映画芸術のすべてを、多数の図版とともに体系的に解説したアメリカで最も定評ある映画入門、待望の邦訳。【商品解説】
目次
- はじめに
- 第I部 映画製作、配給、興行
- 第1章 映画製作、配給、興行
- 1 映画のメカニズム
- 2 映画を観客にもたらす
- コラム:独立系の製作と主流のハリウッド――グッド・マシーンの場合
- 3 映画を作る――映画製作
- 4 製作形態
著者紹介
デイヴィッド・ボードウェル
- 略歴
- 〈デイヴィッド・ボードウェル〉1947年生まれ。ウィスコンシン大学名誉教授。
〈クリスティン・トンプソン〉1950年生まれ。ウィスコンシン大学マディソン校名誉研究員。
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紙の本
抱きしめて眠りたいが、寝ながらでは読みにくい本
2009/04/23 18:38
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は原書の第1版が1979年に出版されて以来、何度も改訂を重ね、読まれ続けている幸福な書物である。小説ならいざしらず、研究書の場合、どんなに精密にチェックしたと思っても、書き足りなかったことや大小のミス、そして時代を経るにしたがって直したり増やしたりしたいことが出てくる。
しかもこの本は、著者が自身のウェブサイトで、差し替えた旧版の作品論や最新版の間違いの訂正を載せており、まさに進化し続けている。その意味でも、今の時代だから可能な幸福な本だと思う。
圧倒するような見事なかたちで邦訳された本書は、原書7版(2004年)を元にしたものだが、翻訳進行中の2006年に第8版が出てしまい、躊躇したようだが、7版訳で続行、出版した経緯は「訳者あとがき」に記されている。
原著者のウェブサイトには第8版の第1章、全51ページ分がサンプルとして読めるようになっているが、これをざっと見てみるだけで、訳を新版に差し替えた場合の手間が分かり、大幅に邦訳出版の時期が遅れただろうと推測できる。
2年というこれまでで最短かもしれない新版の刊行は、急激な映画受容の変化と関係があるのだろうか。というのは本邦訳では、《VHSよりもDVDで多く発売される作品もある》といったもはや時代遅れの説明がまじっているからで、8版の第1章冒頭には、もう映画を自宅どころか移動の途中でも見る時代になった事態にふれている。
だが著者たちと同じ世代である私が思うのは、本を読むように映画を見る、などというのは考えもつかなかったころの「体験としての映画」(とでもいうべきもの)へのいざないが、この1・6キロもある本にはつまっている、ということなのだ。
つまり近年の受容のかたちの変化それ自体も含む、表現としての映画の歴史とその魅惑が、スチル写真ではなく1000枚近い画面そのものの引用を実現させた本書には溢れている。
映画というものの基礎的な研究に、このような引用は欠かせない。たとえばヒッチコック『鳥』のフレームを引用したページでは、ティッピ・ヘドレンのクロースアップ・ショットと彼女の見た目のショットが交互にレイアウトされているため、美しい図形を見ている気分になる。対応する本文では各ショットが何フレームあるか(つまりどのくらいのタイムなのか)の表示もあり、ヒロインがショット内で頭を動かしていないという指摘も忘れない。著者たちは《このシークエンスを印刷物の上で再現することが不可能になっている》と指摘しているが、映画の体験への印刷物上での可能なかぎりの接近を見る思いがする。
また大部分が《配給フィルムから直接フレームを引き伸ばしたものを使っている》というこの本は、フィルムのフレーム自体が映写される画面と違う場合があることも教えてくれる。《現代の映画の多くは、映写の際にマスキングされることを見込んでフルフレーム(すなわち1.33対1から1.17対1の間)で撮影されている》ことの指摘だ。
例として引用された、縦1対横1.18ほどの比率の(つまり四角に近い)『レイジング・ブル』のフィルムからとられたフレームの上部には見えてはいけないマイクが写っている。映写の際に上下をマスクするため、これは観客には決して見えず、スコセッシの映画は、監督が意図した1.85対1の比率の画面となることが具体的に説明される。
その他、四角に近いフレームが引用された現代の映画として、『ボディガード』『カイロの紫のバラ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ザ・エージェント』『ドゥ・ザ・ライト・シング』、さらには『ゴッドファーザー』などが引用例のなかで目に付いた。また現代の映画ではないが、『街の灯』終幕の極端に四角に近いフレームは、テレビで録画した作品で確認してみると、なるほど上下がカットされているのが分かる。そのラストシーンにはいつも泣かずにいられない、おまけつき確認だったが。
ただマイクが写っている『レイジング・ブル』の引用フレームは四角に近い比率なのに対し、分析例としてこの映画が批評の対象にされている数ページでは、すべてのフレームが1.33対1になっているのは何故なのだろう。
また『L.A.コンフィデンシャル』の分析ページでは、シネマスコープ・サイズのフレーム比率が、2フレームだけ他と違って、縦が短い。
とはいえ、こうしたミス(?)は、この恐るべき書物において些事に過ぎない。私がこの邦訳本を見事だと思うのは、分析の文章と、それが指示する引用の画面とを可能なかぎり同じ見開きページにおいた苦心の編集レイアウトである。また原書のレイアウト・パターンを生かしながら、1段の上下幅はぎりぎりに伸ばしたのも妥当な措置だ。細かいことだが、原書第1章最後にある、『大いなる幻影』の製作スチルとフレームの比較に際し、原書は同じ太いスミ線囲いなのに(ウェブサイトの8版で確認)、邦訳ではスミ線囲いはフレームのみと差をつけているところにも感心した。
日本版『フィルム・アート』が原著と同じような長い生命を保つことを祈るが、この本が品切れになって入手できなくなることもあるかもしれない。映画を何よりも好きな人がこの本のページを日々めくることができないという不幸を避ける最高の安全策は、今、現在、この本を購入することしかないだろう。