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岡本綺堂随筆集 (岩波文庫)
『半七捕物帳』の岡本綺堂(1872‐1939)は、明治5年に東京・芝高輪に生まれた。父は元御家人で母は武家奉公をした町娘。時代は明治から大正。江戸の風情の残る東京の町と庶...
岡本綺堂随筆集 (岩波文庫)
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商品説明
『半七捕物帳』の岡本綺堂(1872‐1939)は、明治5年に東京・芝高輪に生まれた。父は元御家人で母は武家奉公をした町娘。時代は明治から大正。江戸の風情の残る東京の町と庶民の日常生活、旅の先々で出会った人々、自作の裏話—穏やかな人柄と豊かな学殖を思わせる、情感あふれる随筆集。著者はいい時代に生まれたらしい。【「BOOK」データベースの商品解説】
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『江戸から東京へ』は確か矢田 挿雲の本ですが(未読)、本当はこのほんにこそ捧げたいタイトル。哀しくも、切なくも、いとおしくもある江戸・・・
2008/05/22 19:28
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
岡本綺堂といえば『修善寺物語』とは、好きものの常識ではあっても、私には縁のないおはなし。では私にとっての綺堂は、といえば『半七捕物帳』なんです。で、この本、どちらにも言及があります。ま、比重的には『修善寺』が『半七』より上なんですが、それは編者の見方もあるのでしょう。
でも、そういう有名なお話はほんの少し。殆どが私など知ることもなかった明治、大正の東京に生きた人たちのことに筆が裂かれます。旅行についての記述が少ないのは編者ゆえでしょうか、それとも綺堂自体が旅行のことを書くことを肯じえなかったのか、彼の随筆をすべて読めば分かるでしょうが知りたいところではあります。
収められた文章は45編ですが、どの話も印象的。中でも、とあげれば以下のものでしょうか。
1(自選随筆集『五色筆』大正6年11月 より)では、麹町界隈のことが描かれる「時雨ふる頃」、身辺のことが細々と記される「二階から」、品川の台場にかけた幕府の思いが伝わる「一日一筆」。
2(自選随筆集『十番随筆』大正13年4月 より)では、修善寺についての『秋の修善寺』『春の修善寺』、綺堂が海外に行っていたことを教える大正時代の倫敦紀行『栗の花』、そして『ランス紀行』。亡くなった甥への想い『叔父と甥』。
3(自選随筆集『猫やなぎ』昭和9年4月刊行 より)では、震災の体験が中心で湯屋のことを書いた『風呂を買うまで』、被災した自宅を離れての暮らしから市内と郊外の生活を比較する「郊外生活の一年」、麹町近辺の過去と現在を比べる「薬前薬後」。当時の読書事情が面白い「読書雑感」。
4(自選随筆集『思ひ出草』昭和12年10月 より)では、綺堂のユニークな好みが伝わる「我が家の園芸」、昭和12年と書き始められるものの末尾に( )書きで大正十二年十二月二十日とあるのが不思議な「十番雑記」(理由は、見つけた古い文章を写しているから)、綺堂が見た円朝の話芸「寄席と芝居と(抄)」。
5(単行本未収録の随筆)では、罪を犯し証人も沢山いる、それでも己の罪を認めない男と奉行所の悩み「拷問の話」、やはり綺堂といえば「半七捕物帳の思い出」、綺堂も沢山書いている怪談、彼我の違いを語る「妖怪漫談」でしょうか。
江戸から明治への大きな流れの中で、苦悩する元武士たちの話は当然ですが、現在ほどの速度ではなくとも流行り廃りもあります。評判だった店が、いつのまにか客足が遠のき、ひっそり消えていく、美しかった女性が老いる、その寂しさを嘆くことなく淡々と描いていきます。
底本となった4冊の随筆集の性格がはっきりしているため、章ごとにテーマが違っていて飽きることがありません。選集ゆえに出来不出来のばらつきもない。流石、綺堂です。
最後にデータ篇。カバー表のことばは、
『半七捕物帳』の岡本綺堂(1872-1939)は、
明治5年に東京・芝高輪に生まれた。
父は元御家人で母は武家奉公をした町娘。時
代は明治から大正。江戸風情の残る東京の
町と庶民の日常生活、旅の先々で会った人
々、自作の裏話──穏やかな人柄と豊かな学
殖を思わせる、情感あふれる随筆集。著者は
いい時代に生まれたらしい。
1(自選随筆集『五色筆』より)
2(自選随筆集『十番随筆』より)
3(自選随筆集『猫やなぎ』より)
4(自選随筆集『思ひ出草』より)
5(単行本未収録の随筆)
解説(千葉俊二)
カバーデザインについての記載がないのはドーシタことか?