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「プライバシー」の哲学 (SB新書)
著者 仲正 昌樹 (著)
もはや単一の定義を与えることすら難しい、カタカナ語の「プライバシー」。実はこのことが、現代社会を悩ませる多種多様な「プライバシー」問題の根っこにあった! 「プライバシー」...
「プライバシー」の哲学 (SB新書)
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商品説明
もはや単一の定義を与えることすら難しい、カタカナ語の「プライバシー」。実はこのことが、現代社会を悩ませる多種多様な「プライバシー」問題の根っこにあった! 「プライバシー」を「哲学」するための入門書。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
仲正 昌樹
- 略歴
- 〈仲正昌樹〉1963年広島生まれ。東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。金沢大学法学部教授。著書に「ポスト・モダンの左旋回」「「不自由」論」「お金に「正しさ」はあるのか」など。
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プライバシーの迷路を行くための地図
2008/01/03 13:50
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ほどほどの自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私事だが、数年前に評者のもとへカード会社から500円の金券が送られてきたことがある。ちょうど、企業からの個人情報漏れ事件が相次いでいた頃で、評者の情報も漏れたことのお詫びだったのだが、評者は「500円というのは安いのか、高いのか?」と考え込んでしまった。この「お詫び」が来なければ、評者は自分が「被害者」だとはついぞ知らなかったであろうことにも、困惑した。この「困惑」の意味を知るヒントを与えてくれるのが、本書である。
著者はまず、英語の"privacy"とカタカナ語の「プライバシー」の微妙な意味のずれを、語源にまで遡って検討し、次に「公/私」の別についてアーレントとハーバーマスを引きつつ考察する。そして、ウォーレンとブランダイスの提唱した古典的プライバシーから、現代的な「自己情報コントロール権」・個人情報保護法制に至るまでの「プライバシー権」の変遷を概観した上で、「性的自己決定権」「監視社会」「個人情報保護vs表現の自由」「宗教的プライバシー」といった問題におけるアクチュアルな対立の様相を点描する。そして終章では、「他者のまなざしからの一時的解放」という視点を設定し、そこからプライバシー権をめぐる錯綜した問題を切り分けてゆく。ここでの著者の手つきは鮮やかで、まるで周到に伏線を張り巡らせた推理小説の謎解きを読むようなカタルシスを与えてくれる。
ただし、本書はプライバシーの「正しい定義」や「正しい取り扱い方」を教えてくれるわけではない。プライバシーについて考えるための道筋(の手がかり)を示してくれる、いわば「地図」である。評者がこの地図から得た手がかりは、「プライバシーについてはアイロニカルに考えた方が、うまくいきそうだ」ということである。言ってしまえば、「プライバシー(私的事項)」とは、相対的に「公共的でない」という意味しかない、ということだ。そしてこの「公共」がどんなレベルのどういう性質のものかで、「プライバシー」の内容も決まる。ということは、何を「プライバシー」と考えるかで、各自がどんな「公共」空間を構築し維持しようとしているのかも、わかってくるのである。「プライバシーをめぐる抗争」とは、それぞれの陣営が考える「公共」空間の姿が食い違っていることの反映に他ならない。そうだとすれば、われわれのなすべきことは、「公共」空間を共有するための合意を形成すべく話し合うことしかないのではなかろうか。
また、ネット上の表現をめぐるさまざまな問題も、誰もが共有できるネット上の「公共性」がいまだに確立されていないことの証と見ることもできよう。「学校裏サイト」も、現実の学校における「リアル」な平穏を維持するため、ネット空間に「いじめ」や罵詈雑言などのどろどろしたものを封じ込めて「プライバシー」化したものと言えるかもしれない。(こう考えれば、「ネットいじめ」が教師に把握されにくいのも当然である。)
もうひとつ、「プライバシー」は「自己決定」のアイロニーでもある。「公共的でない」からこそ、自分(たち)だけの独断で決めることが可能なのだ。ここから、評者がカード会社からの「お詫び」に困惑した理由につながる。すなわち、評者が自分自身の受けた「被害」を知らず、その程度について了解し自己評価する間もなく、カード会社が(勝手に)被害を算定してお詫びしてきたことに困惑したのである。多分、カフェ等で注文しようとすると「先にお席をお取り下さい」と店員に言われてむかつくのと、同じなのだろう。「それぐらいこっちの勝手にさせろ!」というわけだ。
法学畑の人には、衒学的な混ぜっ返しにしか見えないかもしれない。しかし、評者には有意義かつ示唆に富む1冊であった。