紙の本
内容紹介&目次
2007/12/13 10:51
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投稿者:紀伊国屋書店 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ついにジジェクが書いた!
現代思想界の奇才による、最良のラカン入門
死後25年経った今もなお現代思想の最前線で参照され続けるラカン――本書は、現代を代表する知性のひとりジジェクによるラカン入門。映画や文学、現代政治のエピソードから誰もが出会う日常的な体験まで縦横無尽に論じながら、具体的な事象を「ラカンとともに読む」語り口は、まさにジジェクの面目躍如。難解なラカン思想を軽やかに解きほぐす一冊である。
スラヴォイ・ジジェク:1949年、スロヴェニアのリュブリアナ生まれ。哲学者・精神分析学者。ロンドン大学バークベック・コレッジ人文科学高等研究センターの国際ディレクター。著書に『斜めから見る』(青土社)、『イデオロギーの崇高な対象』(河出書房新社)、『否定的なもののもとへの滞留』(ちくま学芸文庫)、『人権と国家』(集英社新書)など多数。
【目次】
死の前に生はあるか――日本語版への序文
はじめに
1 空疎な身ぶりと遂行文――CIAの陰謀に立ち向かうラカン
2 相互受動的な主体――マニ車を回すラカン
3 〈汝何を欲するか〉から幻想へ――『アイズ・ワイド・シャット』を観るラカン
4 〈現実界〉をめぐる厄介な問題――『エイリアン』を観るラカン
5 自我理想と超自我――『カサブランカ』を観るラカン
6 「神は死んだが、死んだことを知らない」――ボボークと遊ぶラカン
7 政治のひねくれた主体――モハンマド・ボウイェリを読むラカン
原註
訳註
年譜
読書ガイド
訳者あとがき
索引
紙の本
ジジェクによるラカンの解説書であるだけに、少し意地悪な読み方をしてみよう。
2009/04/19 03:07
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一通り読んでみれば、本書が「ラカンの入門書」ではなく、「ラカンの解説書」でもないことに皆気づくことだろう。
適切なことばを選ぶとすれば、やはり本書は「ジジェク思想への入門書」といって差し支えない。それほどに、ジジェクらしく徹底して自らの執筆スタイルを一切曲げていないところが、なんともユニークである。
・・・こんな感じで本書の書評を進めて終えても、何ら問題は無いと思うのだが、そこはせっかくなので、私の余計なコメントを少しばかり書かせて頂く事にする。
ジジェクは本書において、自らが日頃使用している「ラカンの用語」については、比較的たとえ話を出したりして解りやすく説明されていると思うが、難解と言われる「ラカンの用語」の重要ないくつかは慎重に説明を避けている。これをどう判断するかが重要なところであると思う。
ラカンを理解することは、「ラカンの用語」を理解することと等価であると、私は考えているので、その意味で数多ののラカン解説書や入門書の、私にとっての「良し悪し」は比較的すぐに結論がでる。
では、本書はどうか。ジジェクの上記の理由から、つまり「ラカンの用語」説明が不十分であることから、「悪し」という結論になってしまう。
だが、ことはそう単純ではない。ジジェクほどの学者がなぜそういった中途半端な行為に走ったのだろうかということだ。
これを延々とここに書き連ねていくわけにもいかないので、結論を書くことにするが、ジジェクにも「ラカンの用語」の「重要ないくつか」は説明できなかったのだろう。それは非常に有名な「シニフィアン」でもそうだ。
ちなみに、ミレールにもこの有名な用語は説明できないということであるから、ジジェクに説明できないのは、いたって自然なことだ。
そういう意味では、ジジェクは非常に正直な学者であるということが、期せずしてわかった。
けっきょくはラカン自身の著作やセミネールに当たる以外に、ラカンを理解する方法など無いのだが、ジジェクが意図的か、たまたまかは判別がつかないのだが、ジジェクが不自然にスルーしていたりする「ラカンの用語」が曲者だということだけは、頭に入れて読んでいけば、他のラカンやラカン関係の本を読む時に役立つことと思われる。
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ラカンはこう読めと言われてもラカンって誰?という状態で読むのだから可笑しな話ではあるけれど、この本を読んで幾つか腑に落ちたことがある。
一つは、自分では冗談のつもりで喩えた話が真に受け止められる一方で、真面目に説明している事実が伝わらないという全く持って自分の人生では非常にしばしば起こる出来事に対する何らかのカラクリが見えたこと。敢えて口にする言葉には裏があるだろうという心理が現代思想的にはそんな風に説明されるのかということを知って、ちょっと納得。要するに人は言葉を信じているようで言葉そのものの意味の裏側のニュアンスの方により感心があって、事実を並べられると何故そんな解っていることを説明するのかと返って懐疑的になるってことだね。解るような気がする。
それともう一つなるほどと思ったのは、神が居なければ全てが許されるという訳ではなく、逆に何も許されない、という話。倒錯という概念の説明でこの話が出てきた時、ハンナ・アーレントの「責任と判断」を思い出したのだけれど、まさにそのことだった。自分の感じていたコンプライアンスだからと言って何かにつけて自分の価値観を押し付けてくる人たちに感じる違和感を、きちんと言葉にしてくれる見方を考えてくれる人が居るんだなあと解ったら少し気分がよくなった。この話の延長には近年の原理主義者による活動があって、自分自身は神の命に従って行動しているので悪くはないとする理屈が成立する過程や、その点に関して言えば洋の東西を問わないというか彼我の差はないという説明にも素直に納得。
それにしても人間って本当に自分の自由意志なんてものを持っているのかという疑問についてはますます懐疑的にならざるを得ない。ジジェクの言っていることを反対側から考えたら、天邪鬼すなわち正直者ってことなんじゃないの? まあ自分としてはおおっぴらに天邪鬼を公言するときに、そういう逆説的な意味を狙っていない訳ではないけれど。
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テーマはラカンで、複雑な理論だが、身近な例や、ハリウッド映画、文学作品などの引用が多く、分かりやすい。原著はイギリスで出版されているからか、シェイクスピアへの言及が多い点が、興味深い。
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ラカンに興味があって読んだわけではなかったのだが、著者の他の作品の書評を読んで興味を持った。ラカンの洞察が素晴らしいのか、その解説をする著者が素晴らしいのかは分からないが、行動の裏側が見える状況の裏側を見透かすような言説とか、一端えって迷うような考え方がおもしろかった。(最後まで迷ってしまったが。)もう少し著者の本を読んでみたいと思う。
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ラカン理論の概念を説明しているところを注意深く読み、他は斜め読みした。
他のジジェクの本と比べて分かりやすいように思った。
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ジジェクが書いたラカンの入門書。よくある入門書のように概念の説明をするのではなく、さまざまなテクストをラカン的に読むことで理解をうながす。
とりあえず雰囲気をつかむには良い本でした。
自分の制作活動(仕事、趣味、生活)に生かすために読んだ。理論の勉強? そんなことは知らない。
個人的教訓は2つ
①現実ではなく〈現実界〉を突きつけろ
「現実に耐えられない人のために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ」p101
〈現実界〉は幻想として現れる。ナレーションや過激な演出で、鑑賞者を現実に引き戻す手法はラカン的にみれば否定されるべきものだ。幻想へ過剰に同一化する(=倒錯的?)シュルレアリスムのような表現こそ参考になる。
②意識的に病もう
ジジェクは精神分析のすすめ的にこんなことを書いている。
「今日われわれは、ありとあらゆる方向からひっきりなしに、さまざまな形での「楽しめ!」という命令を受けている。(・・・・・・)こうした状況において、精神分析は、楽しまないことを許されるような唯一の言説である。楽しむのを禁じられるのではなく、楽しまなくてはならないという圧力から解放されるのだ」p177
この本を読むとわかるように、確かに嫌がらせのようなロジックばかりで楽しめない感があるのだが、一方でがんじがらめから解放されるような快楽もある。なぜか。
無意識には独自の文法がある。精神分析の手にかかれば万人が異常。文法を学ぶことで、意識的に精神病者になれる。会社や学校、家族との関係は嫌なこともあるけれども、健全な世の中から自分の心は別の存在になれる。
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諧謔、皮肉、反語、逆説、そういうもののオンパレードで、例えばあるフレーズに納得して傍線を引こうとすると「ということではなくて」と続くようなレトリックに、文体じたいが思想であるとこんどは納得させられ、これは哄笑につながる納得です。(実際何度もゲラゲラ)
映画や文学や政治現象をラカンならこう読むという演習でラカンを消化するというスタンスは平易なものではないが、ラカンの中核、「自主的に楽しむことの強要が現代の病因である」、つまりちょうどフロイトの〈文化への不満〉をひっくり返した分析(ラカン理論とはひっくり返しの理論である)の理解がよく深まるという、これは優れた入門書です。
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「この厳密な意味で、憂鬱症(すべての実体的・経験的対象に失望し、何物も自分の欲望を満足させてくれない状態)は哲学の起源である。生まれてからずっと、ある特定の町に住み慣れてきた人が、もしどこか別の場所に引っ越さなければならなくなったら、当然、新しい環境に投げ出されることを考えて、悲しくなるだろう。だが、いったい何が彼を悲しませるのか。それは長年住み慣れた場所を去ることそれ自体ではなく、その場所への愛着を失うという、もっとずっと小さな不安である。私を悲しませるのは、自分は遅かれ早かれ、自分でも気づかないうちに新しい環境に適応し、現在は自分にとってとても大事な場所を忘れ、その場所から忘れられるという、忍び寄ってくる意識である。要するに、私を悲しませるのは、私は現在の家に対する欲望を失うだろうという意識である」(pp. 119-120)
あの時とても悲しかったのはこういうことなのか。。。
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あの時の苦悩は、葛藤は、怒りは、悲しみは…こういうことだったのかも知れない。と反省しながら読めていろいろと楽しめた。
しかも、寛容な現代社会においては禁止こそが抑圧されていて、あらゆる楽しみが無意識的に妨げられているそうなんで、無理して楽しむことはないんだと気が楽になった。
ソクラテスさんが言われるように「汝を知れ!」を実践してみたいと思う人は読んだらいいと思う。
それにしても、現代人の信じる能力の欠如が様々の苦悩や混乱を招いているのだという指摘はためになった。
Mahalo
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わが家の近辺の「チカンに注意」の看板が一新され、凝った字体を採用したせいか「チ」がまるで「ラ」のように見えるものになった。このような看板を目にして気にならないような人は恐らく本書を手に取ることもあるまいから、心配はなかろうが、「ラカンて何?」という水準にいる人にはちと難しいラカン入門であろう、いくら訳者が「これまでに出た最良のラカン入門書であると断言してもよかろう」と述べているとしても。
「〈大文字の他者(A)〉って何?」、「対象aって何?」という疑問で連日眠れない夜を過ごしている方には大いにお勧めである。本書を読めば疑問が氷解、したような気になれる。しかし、もう一度考えてみるとやはりよくわからない、それでいいのである。How to Read Lacanという書名に『ラカンはこう読め!』という邦題を与えた訳者のセンスは素晴らしい。まさにジジェクが猥褻な超自我となってわれわれにラカンの理解を強要しているかのようだ。
当然、解説者はジジェクだから、説明のための喩え話が面白い。私もジジェクはいくつか拾い読みした程度だからよくは知らないが、他書で使ったネタの使い回しはあるのではないかと思う。それが一書にまとまっているのはそれで価値があろう。
例えば〈大文字の他者〉の説明に、難破してシンディ・クロフォードと無人島に漂着した田舎男のジョークが用いられるとか、非常に卑近なところに話を持っていくので妙に納得しやすいのである。また、『ヒッチコックによるラカン』の著者だけに、映画をダシに使っての解説も多い。それとともに現代の政治状況、あるいは政治家たちの言説を持ち出すのにも興味は尽きない。
本書は臨床家のためのラカン入門ではない。ラカン的に考えることの例題集のようなもので、ありとあらゆる常識をラカン的に転倒させてみるところが骨子である。われわれが現実とか真実とか思っていることが、いかに上っ面ばかりであるか示したうえ、その上っ面をめくってみせる。まさに痴漢である。そしてこの痴漢、めくったスカートの下に何もないことまで曝いてしまうのだ。
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ラカンは難しいと聞いていたので、とっつきにくいイメージがありました。初学者にはとっつきやすい書籍だと思います。
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ラカン入門書というより、ジジェク論という感じ。サバサバと言い切っていくスタイルは痛快だけど、ラカン入門には不適切。
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読了。ラカン、精神分析理論のラカンを、なぜか哲学のほうから捉えなおした書物。
論に出てくる文化を例にとった説明が、サブカル臭のするヤツだったのが印象深い。半端に古くて、半端にサブカルなんで、知らない読者は現物に当たって検証するってことが難しい。
学位論文で今どきのサブカルを例に引こうとしたら、
「シェイクスピアとかにしておきなさい。普遍性がある」
と言ってくれた批評担当(指導とは別に、査読とも別に、そいうい先生が居た)教官の言葉を思い出す。
翻訳者が頑張ったのか、原文がちょっと理解しやすかったのかはさておき、内容は理解できた。
「で?それで?この言葉で、今どき20や40やそこらの大学入りたてな若者に、良く理解させることができるかい?」
という感想しかない。
評者にとって、『市井の人にまっすぐ届きにくい言葉は、お遊びに過ぎない』。
この手の『象牙の塔の中だけで可能なレベルの、サブカル背景知識必須な言葉遊び』で、世の中を動かせたり、動かせる人達に何かを届け、人間理解を深めさせることはできないという理解は、まことに残念ではあるが、イラッとする真実である。
もちろん『文化という盛大な遊び』は知的生活に必須だ。
人々よ、他にも良い本はあるから本を読もう。ゲームをしよう。動画を見て短歌を詠もう。
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ジャック=アラン・ミレールのもとで精神分析を学んだシジェクによるラカン入門書。ラカンについて知ろうと思った際に一番最初にこれを手にとったのだが、その際は基本となる概念がわからずにひとまず読むのをやめた。ブルースフィンクによる「ラカン派精神分析入門」を読んでからこの本に戻ってきたのだが、基本的な概念がわかると本書の例えは理解を深めてくれる。一つのテーマに対し、様々な例え話をしてくれるので全ては理解できなくとも各章一つくらいは腑に落ちる物がある。逆にすべてを理解しようとすると、ヘーゲルやマルクスを知っていないと難しい箇所がある。後半に行くにつれてどんどんおもしろくなってゆくような感覚のある本で、サディズムや、倒錯についての分析を楽しみながら読んだ。話題が跳躍し、それについて行くのにはかなりの知識量が必要ではあるが、語り口が面白く惹きつけられる。わからないところはわからないと割り切って読み進め、あとから気になる部分を調べるというような読み方が良いのではないかと感じた。