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商品説明
日本国憲法の下で展開されてきた憲法訴訟の全容を体系的に整理して描き、そこに認められる問題や課題にも言及した概説書。憲法価値の具体的実現について考察する。行政事件訴訟法等の変革に対応し、判例を加えた第2版。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 第Ⅰ編 憲法訴訟の制度論
- 第1章 憲法訴訟の制度論・総説
- 第2章 司法権と裁判所
- 第3章 司法審査制
- 第Ⅱ編 憲法訴訟の手続論
- 第4章 憲法訴訟の手続論・総説
- 第5章 訴え提起の要件
- 第6章 裁判過程における要件
- 第7章 憲法訴訟提起の方法
- 第Ⅲ編 憲法訴訟の実体論
著者紹介
戸松 秀典
- 略歴
- 〈戸松秀典〉東京大学大学院博士課程修了(法学博士)。学習院大学法科大学院教授。著書に「プレップ憲法」「平等原則と司法審査」「立法裁量論」など。
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紙の本
憲法の使用法
2008/10/31 03:06
17人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
憲法には訴訟手続法がない。故に、解釈に占める部分が大きい。本書は米国の制度にも触れつつ、憲法訴訟について詳論する。有益なのは以下の点である。
まず、憲法訴訟が実際問題になるのは適用違憲の場合が多い。なにしろ法令違憲は数えるほどしかない。大体、LRAを用いたともてもての猿払事件一審でさえ、結局法令違憲にはしていないのだからほとんど望みはない。でも、どう争うかは形式が難しい。本書で得られる一つのヒントは、要するに、ある法律は憲法によるとこう解釈すべきなのに国は・・と解釈適用した。だから私にこの法律を適用するのは違憲だ。この部分は要するに、プラカード事件と同じなのだが、他にも示唆的な部分が多い。
他方、本書にも万全とはいえない部分がある。それは主張適格の問題である。考えてみれば、青少年保護条例事件も、店主が青少年の表現の自由など当然に主張できるわけではないはずである。が、あまり問題になっていない。第三者所有物没収事件ではあんなに問題になっているのに。考えてみると、この点は憲法の大問題の一つであると思う。
ここら辺は実務的にも、憲法を実際に使うという意味では必須の話である。学生はともすれば法令違憲の話に偏りがちである。しかし、その解釈論を実際に使うのは、具体的事例の下において適用違憲の話になることが非常に多いし、有益といえる。適用違憲の話でなければ当事者の具体的事情は基本的には一切使えない。ここを勘違いすると、憲法は瓦解する。
あと、米国の制度なんか関係ない。たっぷり紹介しているが、学者本の悪いところである。百選の判例もドイツがどうしたとか、フォイエルバッハがどうこうとかいい加減うんざりである。日本には日本の法解釈が存在する。法解釈に他国の法律を参照するのも程度問題であり、せいぜい全記述の1%以下にとどめるべきだろう。
紙の本
わかりやすい
2015/09/12 13:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:となりのとまと - この投稿者のレビュー一覧を見る
他の基本書にはあまり多く書かれていない分野について、これほどまでに詳細に記述している本はないと思います。
紙の本
「憲法訴訟」論の二つの体系書
2017/12/22 14:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年日本の憲法訴訟論の泰斗であった故芦部信喜氏の薫陶を受けた高橋和之氏が「体系憲法訴訟」(岩波書店、以下「高橋」)を上梓された。このレビューも書いてみたいが、同書に先駆けて「憲法訴訟論」を著したのが、同じく芦部門下の戸松秀典氏である。改定第2版「憲法訴訟」(以下「戸松」)があり、今回あらためて読んでみた。「憲法訴訟」について一人の著者が体系的に著したものは、この二冊ぐらいだと思うが、両書を比較してみると、それぞれに特徴がある。いずれにせよ、現在の日本の憲法訴訟論の最高水準を示すものには違いない。
二つの著書の共通点は、憲法価値の実現・憲法保障のために、憲法訴訟を提訴する場合、どのようにすればいいのか、ということを時間軸で整理していることである。「憲法訴訟法」なる法律がない中で、民事・刑事・行政各訴訟手続法、また、過去の判例・裁判例から、訴訟手続論を体系的に整理することは、相当な労力と知識を要する分析作業である。また、両書とも日本の判例・裁判例を基本にしており、米国連邦最高裁判所や独憲法裁判所の判例などをあまり参照にしていなことも特徴。日本国憲法下の憲法訴訟の姿を抽出して実務に貢献すること、またあるべき姿を模索するものと言える。
戸松改定版は2008年出版。高橋出版までの10年間に最高裁の憲法訴訟への取り組みに変化があり、違憲判決も増えてきている。戸松はこの成果を反映できなかったから、各所で今後の判例の積み重ねを待つ、という形での議論が多いが、やむを得ないところ。一方で、憲法訴訟の最初からその終結まで、高橋以上に細かく局面を分け、論点を整理しているところは、将来の憲法判例のチェックをしやすいともいえる。また、憲法訴訟といえば、「違憲審査基準」が主要な論点の一つ。高橋は、意外にあっさりと整理しているが、戸松は丁寧に解説している。
興味深かったのは、「憲法裁判の方法」論。単に判決・決定を視野に入れるのではなく、憲法価値の実現・憲法保証を達成するためのいわば「戦術」論。この辺りは、三権の一翼を担う裁判官が他の権力との関係を見ながら、上手に立ち回る方法として参考になるのではないか。
戸松の「新たな憲法裁判の方法」として2017年参考となるTV映像媒体提出裁判があった。
このケースでは、博多駅事件をはじめいくつかの判例がある。2017年案件は、国家賠償請求訴訟で損害賠償を求めた原告市民からの提出申し立てを認めなかった原審決定に対し、最高裁に特別抗告したもの。最高裁は7月25日特別抗告を形式的理由で棄却したが、その結果原審が示した提出命令による報道・取材の自由への影響、また、映像媒体に映っている個人の肖像権・プライバシー保護と原告市民の権利保障を比較衡量し、報道・取材の自由を重視した理由づけは残り、最高裁もそれを認めた言うこともできる。判断枠組みは博多事件と同じであるが、衡量すべき要素とそのウェイト付けは異なる。精神的自由の保護に大きなウェイトをかけているのである。形式的に抗告棄却とすることで、憲法判断を回避したともいえるが、新たな憲法価値・人権の序列を認めたともいえる。特別抗告は最高裁判所の違憲審査権を保障しようとするものであり,原審に憲法解釈上の誤りがあること,その他憲法違背のある場合にかぎって許されるものであるから、本件は形式的には憲法問題はない、また、憲法解釈上の誤りはない、ということもできる。過去の先例との整合性等多くの論点の検討することなく新たな判断を示したものといえるが、もしこのような意図が最高裁にあったとしたら、「新たな憲法裁判の方法」ということになろう。