紙の本
「我思う ゆえに 我あり」という意味とは?
2008/03/30 20:54
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文系の僕にして 一気に読まされた。非常に楽しかった。
本書を読んで勉強になった点は二点ある。
一点目。
ゲームの理論は「人間が完全に合理的に判断する」という点を出発点としている。その前提で組み立てる理論は読んでいて楽しいが 一方 現実の人間は時として不合理な判断をする。
経済学でも 合理的な世界を前提として組み立てながら 現実との違いをどう解釈するかという面もある。
その意味で「そもそも人間は時として合理的ではない」という認識が得られたのだと思う。このゲームの理論で「合理的人間」を描いたことで かえって「人間は時に合理的ではない」という点が くっきりと浮かび上がった。これは 人間を理解する上で 極めて重要な発見の一つだと僕は思う。
二点目。
ゲームの理論が 進化論、物理学に援用出来るという説明には目からウロコが落ちる思いだった。
上記の通り 僕はゲームの理論は 要するに「人間の考えること」を扱うと考えてきたが その理論が 人間以外の いわば「知性を持たない組織」にも通用するという点に驚いた。これはひっくりかえすと「人間の知性」とは 特権的なものではなく 人間だけのオリジナルではないということにもなる。若しくは 「人間の考えること」とは 周りの世界での現象の一つの縮図とも思えてくる。これは かつて 「我思うゆえに我あり」と看破してきた人間として まったく新しい次元の認識につながるのではないかと いささか興奮を覚えるほどだ。
ゲームの理論とは まだ新しいツールである。その理論が僕らに何を齎してくれるのかは今後の楽しみだ。但し 直感としては 従来のばらばらと孤立してきた各種の学問に強烈な横串を刺すような理論になるような気がする。今後も ゆっくりと ゲームの理論関係を読んで行こうと強く思わされた。
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ゲーム理論について、その歴史から現在の多岐に渡る学問への成果までが述べられている。
数学を極力排除したわかりやすい文章。ここ重要。
とは言え、心理歴史学・神経経済学・統計力学・量子力学などの学問とゲーム理論の相関や、そこから人間社会においてゲーム理論の果たす役割を述べるので、ボリュームはある。量子ゲーム理論なんてものが出てくるほど。
ゲーム理論が何たるかを説明する、というよりは歴史的な意義を解説する。
ゲーム理論は偉大な学問だと思わせる本。
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ゲーム理論と生物学、物理学、経済学、統計学などの学問の接点を描いている。それぞれが章立てしてあって、独立した内容になっているので、とっつきやすい章から入るのが良いと思う。ゲーム理論とは言っても、この本では数式をほとんど使っていないので、読み物として読める。ゲーム理論の歴史やストーリーを知るには良い一冊。個人的には第六章の最後通牒ゲームの文化比較の話を知らなくて、目からウロコだった。
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原題の「A Beautiful Math」は映画「ビューティフル・マインド」を思わせる。この映画はゲーム理論でノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュの伝記的作品だが、統合失調症に苦しみながら生きていく姿が中心であり、肝心のゲーム理論の中身についてはほとんどわからなかった。これに対し本書はゲーム理論を紹介するためのもので、ジョン・ナッシュは一部にしか出てこない。むしろ、アイザック・アシモフの小説に登場するハリ・セルダンの方が主役に近い扱いだ。
実は本書もまた、ゲーム理論の中身を詳説しているわけではない。それをやろうと思ったら数学の専門家以外にはとても理解できない学術書になってしまうからだ。本書では、ゲーム理論が考案された経緯とか目的、応用分野、他の理論との関連性、今後の発展の可能性などを紹介するに留めている。
著者は科学紹介記事を得意とするジャーナリストとのことで、各章の終わりが次章への導入になっているなど、読者を引き込むツボを心得た書き手の文という印象を受けた。
ただ、著者自身がゲーム理論の熱烈な信奉者らしく、その未来や可能性については客観的な予想と言うより希望的観測あるいは願望に近いものがあり、先走りすぎの感は否めない。遠い将来、政治も経済も人間性もみんなゲーム理論で説明できてしまうと言わんばかりなのだ。
それでも、読み物としては面白かったので、お勧めしたい本ではある。
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ゲーム理論については囚人のジレンマの知識しかありませんでしたが、これはスラスラと読めました。
歴代の様々は学者が取り上げられていて、ゲーム理論はなんて幅が広いんだと驚きました。
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正直、何が書いてあったか思い出せない。ゲーム理論そのものというよりは、これまで発展とこれからの展開のようなことが書いてあったかな。ゲーム理論がますます盛んに研究され、多くの分野に波及していくと思われると。ゲーム理論帝国主義とでもいうべきか。しかし、それほど美しいとは思わない。もっともだなんて言語道断だ。
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ゲーム理論がどういった背景で始まり、どういった分野に応用されていったかがわかりやすく書かれていた。
ゲーム理論がどういったところで活用されているのかを知りたい方にお勧めの一冊。
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この本の目的は、ゲーム理論が広範な科学の分野に応用多様な形でされているかを紹介すること。
特に、ゲーム理論を活用して人間性や人間の行動を細かいところまで解明しようとし試みている分野にスポットを当てている。
最初の目的通り、広範な科学の分野に応用されていることを紹介している本でした。
ただ、それぞれの分野でのテクニカルタームが難しい。
しょうがないことではあるが、予備知識が多少でもないと難しいかなぁと感じた。
ゲーム理論こそが、真の「万有の理論」をひもとくための鍵だと言うことは十分納得できました。
第一章 アダム・スミスの「手」 経済と科学の融合
第二章 フォン・ノイマンの「ゲーム」 ゲーム理論の誕生
第三章 ジョン・ナッシュの「均衡」 ゲーム理論の基礎
第四章 メイナード・スミスの「戦略」 生物学とゲーム理論
第五章 ジークムント・フロイトの「夢」 脳神経学とゲーム理論
第六章 ハリ・セルダンの「解」 人類学とゲーム理論
第七章 ケトレーの「統計」、マクスウェルの「分子」 社会物理学の誕生
第八章 ケヴィン・ベーコンの「つながり」 ネットワークとゲーム理論
第九章 アイザック・アシモフの「ヴィジョン」 社会物理学とゲーム理論
第十章 デイヴィッド・マイヤーの「コイン」 量子力学とゲーム理論
第十一章 ブレーズ・パスカルの「賭け」 確率論、統計力学とゲーム理論
エピローグ
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ゲーム理論の概要と発展の歴史、それからどのような分野に応用されているのかなど、ゲーム理論を俯瞰する本。
アシモフのSF小説に出てくる心理歴史学のように、ゲーム理論がすべての科学を統合できるのでは、「自然の法典」を解き明かすきっかけになるのではと期待。
一章ではアダムスミスの経済学をもう一度読み解き、スミスがただ個人は利己的で市場にすべてを委ねるべしと唱えたわけではないことを説明。それからダーウィンの『種の起源』がニュートン、スミスによる著作に続く、世界を科学的に要約した三部作の一つとして紹介。
二章ではゲーム理論と経済学について。効用の数値化と熱力学の類似性、「純粋戦略」と「混合戦略」の違いなんかについて。
三章はナッシュ均衡について。化学反応での平衡状態にたとえて説明。戦術を変える人が誰もいなくなった状態。
四章は生物学とゲーム理論。アヒルに餌を撒く実験とか、タカ・ハトゲーム、血縁関係や利他行為、オウム返し作戦とか。
五章は神経経済学。脳が効用をドーパミンで測ってるらしいこと、「転換者」と「固執者」の脳の違い、ゲームをしながらMRIで脳のスキャンができるようになったことなど。
六章は人類学とゲーム理論。
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感想はこちら → http://mdef.blog29.fc2.com/blog-entry-86.html
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生物学にゲーム理論を用いて解説した「利己的な遺伝子」からさらに他の学問へゲーム理論を応用しようとした本。様々な分野への言及が為されているが、分野を絞り深堀した方がおもしろかったかも。
第1章 アダム・スミスの「手」—経済と科学の融合
第2章 フォン・ノイマンの「ゲーム」—ゲーム理論の誕生
第3章 ジョン・ナッシュの「均衡」—ゲーム理論の基礎
第4章 メイナード・スミスの「戦略」—生物学とゲーム理論
第5章 ジークムント・フロイトの「夢」—脳神経学とゲーム理論
第6章 ハリ・セルダンの「解」—人類学とゲーム理論
第7章 ケトレーの「統計」、マクスウェルの「分子」—社会物理学の誕生
第8章 ケヴィン・ベーコンの「つながり」—ネットワークとゲーム理論
第9章 アイザック・アシモフの「ヴィジョン」—社会物理学とゲーム理論
第10章 デイヴィッド・マイヤーの「コイン」—量子力学とゲーム理論
第11章 ブレーズ・パスカルの「賭け」—確率論、統計力学とゲーム理論
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ゲーム理論、特にビューティフル・マインドのジョン・ナッシュによるナッシュ均衡とその応用について書かれている。ナッシュ均衡自体については「難しい」と、ほとんど説明がなされていないが、巻末の補遺をみると、戦略別に確率を与え、期待値を最大にするということのようだ。文中にはアヒルの例が出ており、池の両端でアヒルに餌を投げる時、片方でパンを2切れずつ、もう片方は1切れずつにすると、最初のうちは右往左往するアヒルが、片方に2、片方に1の割合で集まるようになる、というのがナッシュ均衡らしい。どのような場合でも、各エージェントにとって戦略を変えると不利益になるため、それ以上変化しなくなるナッシュ均衡が最低一つは存在するが、これはほとんどの場合、複数の戦略を組み合わせた混合戦略で、唯一の戦略で立ち向かう純粋戦略が解となることはほとんどないという。経済学や神経科学、ネットワーク理論や物理学など、各分野へのゲーム理論の応用についてはやや表面的な印象。フォン・ノイマンが言うように、予測される側は、予測されたという事実に影響されるという非線形性をモデルに組み込むということがナッシュ均衡の本質のようであるが、これをしてしまうと扱いが難しくなりすぎるため、個々の動作について一つずつ解析することは無理で、統計力学で処理することになるということらしい。「脳は効用を金でなくドーパミンで測っている」とか、なるほどと思う表現も多かった。
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ゲーム理論がさまざまな縛りと引き替えに、数学の持つ厳密な信頼性を獲得している
「温度の低い」プレイヤーは計算コストを度外視して、とにかく最良の戦略を見つけることに集中する。これに対して「温度の高い」プレイヤーは計算コストが高いとみると、すぐにもっと他の可能性を探ろうとするのだ。
純粋に合理的で、常に最善のことをしようとする人は「冷たい人だ」というのは、文字通りに真実なんだ-そういう人たちは、まさに凍っている。一方、ありとあらゆるところであらゆることをしてみる人、あれこれ可能性を探って試す人たちは、文字通り「熱い」。これは数学から得られることであって、比喩でもなんでもない、実際に考慮すべきものなんだ
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2008年刊行。著者は「ネイチャー」「サイエンス」等に寄稿し、また元「ダラス・モーニング・ニューズ」紙の科学部門編集者。フォン・ノイマンが生み出したゲーム理論は、数多くの領域で利用されるに至っているが、その形成経緯と各方面への展開の実情を明らかにする。量子力学や統計科学、あるいは生物学や脳神経学といった理工系学問のみならず、社会事象の将来予測にまで領域を拡大している様を本書は検討していく。なお、いわゆる複雑系との関わりも興味深いところ。
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「ゲーム理論」というのは、ものすごく魅力的な学問だと思う。
優れた学問というのは必ず、机上だけの理論に終わらず、現実世界の問題を考える上でとても便利なツールになる。その意味で、これほどに様々な事象に適用出来る、面白いセオリーはめったにないだろう。
ゲーム理論は、それが発表された当時は、現実的な問題にあてはめるには向かない内容と思われていたものが、その後、年を追うごとに重要性が再認識されていって、今や、生物学や経済学、社会学など様々な分野で必要不可欠な存在にまでなっている。
そうなるまでの間に、フォン・ノイマンや、ジョン・ナッシュなど、数々の偉大な数学者が、ゲーム理論の魅力にとりつかれて飛躍的な革命を起こしてきたというドラマチックさも面白い。
もし、人間の行動をある程度の精度で予測することが出来れば、それは経済にも政治にも大きな手助けになる。しかし、お互いに利害関係にあるような二人の行動を予測することは、かなり難しい。
それが三人、四人と増えていくと、もうとても予測不可能なぐらいの難しさになる。ゲーム理論というものの面白さは、その人数が膨大になれば、逆に、簡単に予測が出来る、としたところだ。人間一人一人の行動は予想がつかないけれども、ある程度の人数が集まった後の行動というのは統計的に予想が出来る。
この本の中で特に面白かったのは、「神経経済学」という新しい学問分野についての説明だった。
人間にとっての価値は「貨幣」の交換によって表されるというのが経済学での考え方だけれども、すべての人間がお金だけを求めて行動しているわけではない。
この、神経経済学では、ドーパミンという神経内の快楽物質を、生物全般に共通する通貨とすることで、より広い範囲の人間の行動を説明するのだという。こういう、共通貨幣さえ定義出来れば、「進化」や「戦争」など、世の中の多くの事象はゲーム理論が分析する対象となりえる。
もう一つ、面白かったのは、「均衡点は普通、混合戦略になる」ということで、このことは、これほど多様な生物や、色々な性格の人々がこの世に存在する理由を、とても見事に説明していた。
この本は、現在までのゲーム理論の発展や歴史をとても詳細に、しかも関わった人物について物語的に楽しく紹介をしている。ゲーム理論について、ここまで興味を惹く形で書かれた本は他にないのではないかと思う。難しい数式もまったく出てこなくて、非常にわかりやすく、素晴らしい解説書だった。
ゲーム理論は、すべての科学の統一言語になる可能性がある。ゲーム理論は、すでに社会科学を制覇して、生物学にまで入り込んでいる。そして今や、数人の先駆者たちの成果から見て、物理学とも強力に結びつこうとしているようなのだ。(p.17)
「知的な」設計に基づいて作れるものは、せいぜい人間にも簡単に理解できるありきたりで単純なシステムに限られる。科学者たちが途方に暮れるような複雑なシステム、たとえば体や脳や社会といったものは、ただ設計どおりに作られたのではなく、細胞や人間など、己のために動くエージェントが相互に作用しあうことによって生まれて���た。そして、このような競争による相互作用を扱う学問はといえば、ゲーム理論ということになる。(p.19)
19世紀後半に発表されたダーウィンの「種の起源」は、世界を科学的に理解し要約した三部作の、最後の一冊といえるかもしれない。17世紀には、ニュートンが物理世界を手なずけ、18世紀にはスミスが経済学を体系化し、19世紀にはチャールズ・ダーウィンが生物界を体系化した。スミスがニュートンの足跡をたどったように、ダーウィンはスミスの足跡をたどった。(p.48)
進化は、あらゆる生命が参加するゲームなのだ。すべての動物が、そして植物も、さらにはバクテリアも、このゲームに参加している。生命体に、理性や推論の力があると考える必要はない。彼らの戦略は、彼らの性質や傾向の総和にすぎないのだから。低い木になるのと高い木になるのと、どちらがよい戦略か。ひじょうにスピードの出る四本脚歩行と、ゆっくりしているがきびきびとした二本脚とでは、どちらがよい戦略か?動物たちが戦略を選んでいるのではなく、それぞれの動物自体が、戦略そのものなのだ。(p.128)
見物する側にまわるほうが生き残る上で有利なのは一目瞭然だ。戦うよりも見物しているほうが、殺される可能性は低い。とはいえ、戦いの危険を避けるだけなら、別に見物する必要はない。できる限り戦いの場から遠ざかればすむことだ。それならなぜ見物するのか。ゲーム理論を使うと、ごく自然にその答えが得られる。やがていつの日か、どうしても戦わざるをえなくなったとして、そのときに、相手の戦歴を知っているほうが役に立つのだ。(p.133)
ジャングルでは評判がものをいう。観客のいる前で鳩のようにふるまってしまえば、次の戦いで相手が攻撃的に出ることは必至だ。一方、自分は残忍な鷹だということをみんなに見せつけておけば、次の相手は、こちらの姿を見ただけで一目散、ということになる。というわけで、見物人がいるからこそ暴力がエスカレートする。しかも、明日戦うことになるかもしれない見物人にとっては、今日暴力を見ておいたほうが有利になる。いいかえれば、見物という個人にとってはプラスになる行為、リスクの高い衝突を避けるのに役立つ行為が、逆に社会全体を、リスクの高い衝突が増える方向に推し進めていくことになるのだ。(p.135)
実際、脳は効用を、金ではなくドーパミンで測っているらしい。(p.157)
「人間の行動は・・実は決して食い違うことがない。たとえどれほど気まぐれに見えようと、普遍的な秩序に従う膨大なシステムの一部をなしているのだ」(ヘンリー・トーマス・バックル)(p.202)
ネットワークに新たなノードが加わってネットワークが成長する場合、新たなリンクはでたらめに形作られるわけではない、と考えた。むしろ新しいノードはすべて、すでにたくさんのリンクを持っているノードとつながりたがる。いいかえれば、富めるものはますます富む。そうやって成長した結果、ひじょうに豊かなハブを持つスケールフリーなネットワークが生まれるのだ。(p.248)
脳の力に限界があって、参加しなければならないゲームがたくさんある場合には、純粋かつ理想的なゲーム理論に基づいてどのような選択肢が望ましいかを算出するよりも、一般的な行動の指針���適用するほうが「合理的な」行動となる。(p.282)
量子力学とゲームには、少なくとも確率分布という明らかな類似点がある。ゲームにおける混合戦略にも、量子力学における現実の重なり合いにも、確率が絡んでいるのだ。どうやら生命と物理学はすっかり混じり合っているらしい。(p.307)