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紙の本
北八ツ彷徨 随想八ケ岳 (平凡社ライブラリー)
著者 山口 耀久 (著)
八ヶ岳をめぐる若き日の思索と彷徨。【「BOOK」データベースの商品解説】天につきあげる岩の頂稜には荒々しい情熱と迫力があり、高嶺の花はゆたかに咲く−。みずみずしい詩人の心...
北八ツ彷徨 随想八ケ岳 (平凡社ライブラリー)
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商品説明
八ヶ岳をめぐる若き日の思索と彷徨。【「BOOK」データベースの商品解説】
天につきあげる岩の頂稜には荒々しい情熱と迫力があり、高嶺の花はゆたかに咲く−。みずみずしい詩人の心をもって八ケ岳を彷徨い歩き、深い思索と作品の彫琢により、うるわしき山の文学の世界を築き上げる。〔「定本北八ツ彷徨」(2001年刊)の改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
山口 耀久
- 略歴
- 〈山口耀久〉1926年東京都生まれ。山の文芸誌『アルプ』の編集に参加し、串田孫一らと300号の終刊まで委員を務めた。著書に「山頂への道」「八ケ岳挽歌」「烟霞淡泊」など。
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紙の本
詩心をもって山を歩くこと
2023/04/17 12:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポラーノの広場 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山口耀久さんの代表作です。山を愛する著者は八ヶ岳、それも北八ヶ岳がことの外お好きだといいます。「南八ヶ岳を動的な山だとすれば、北八ヶ岳は静的な山である。前者を情熱的な山だといえば、後者は瞑想的な山だといえよう」と山口さんは書いておられます。それは詩情に通じる雰囲気があるとも。本書を読めば誰もが北八ッに行きたくなります。けれども、そうして皆が北八ッに押しかければ、山口さんが本書で書かれた北八ッは失われてしまいます。静かな山を愛し、静かな山を大切にするにはどうしたら良いのか、本書の読者一人ひとりが考えなければならないと思いました。
紙の本
のんびり登山の勧め
2008/04/16 04:16
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、昭和三十年代、北八ヶ岳をこよなく愛した著者の随筆である。手記と日記から構成されている。
私も八ヶ岳に登山した事が一度ある。私が登山したのは、赤岳、横岳、硫黄岳等、八ヶ岳の主峰が連なる八ヶ岳南部である。八ヶ岳南部は、大同心・小同心のような岩稜に象徴されるようにダイナミックな登山が楽しめる。しかし、著者は、そういう南八ヶ岳よりも静かな森に囲まれた「山歩き」と呼ぶに相応しい北八ツに、大きな魅力を感じている。
登山と言う行為は、エベレストから裏山まで、純粋に個人的な行為である。登山の志向も、人それぞれである。しかし、登山と言う行為の各人の底流を流れる思考は、共通のものがあるはずである。この「底流の思考」を本書は、ちゃんと語っている。「山登りというものは、人間がふだん忘れている、いちばんたいせつな、いちばんつつましい幸福の条件というものを、よろこんで教えてくれるものだからだ。」登山を愛する者が山に登る理由を明確に語っていると思う。
著者が、何故、北八ヶを愛するのか?その明確な答えも本書で語っている。「北八ヶでは、何時までにあの峠に着いて、何時にあの頂を出発しなければならないというような、時間にしばられた歩き方はしない。いいところがあれば、ねころんで煙草を吸って、いろんな空想をあたためたり、ヒガラやメボソのきれいな声に耳を傾けたり、気がすむまで腰をあげない。」これが、著者の登山の嗜好なのである。登山は、ヒマラヤが高級で、裏山は、低俗という定義は、一切成り立たない。全ての登山が、個人の意志として為される時、それは、高級な純人間的行為なのである。
本書は、のんびり山歩きという登山スタイルの真髄を語った著者の「ひとりごと」だったと思った。