紙の本
音楽小説の心地よさを味わう
2008/06/25 17:08
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
第23回(2007年)太宰治賞受賞作「mit Tuba」と
書き下ろし2編を収録。
いずれも物語の根底はロマンチックさが隠れています。
純粋で、一途で、幸福な偶然が描かれます。
物語から顔を上げると、そのピュアさに赤面したくなりますが
読んでいるときはたゆたうように、その世界が心地よい。
ところが筆致は冷静で、自己批判的。
卑下しながら、それでもその情熱に従って生きる人を描いています。
「チューバはうたう mit Tuba」
チューバ吹きの若い女性が主人公。
ひとりでチューバを吹いてきた彼女が仲間を得、
世界のチューバ吹きと出会う物語。
音楽シーンの描写の見事さでグイグイと引き込まれます。
「飛天の瞳」
東南アジアを放浪している男は
旅の最後で南の島を訪れる。
それらの土地は戦前、祖父が渡り歩いた土地でもある。
そこですばらしいバンドと出会い、彼らが日本の古い曲を演奏する。
予定調和的だが、このバンドが魅力的。
「チューバはうたう」もそうだが、瀬川深の描くバンドは
人を惹きつけるツボを心得ています。
「百万の星の孤独」
北東北の小さな町にプラネタリウムがやってくる。
たったひとりで百万の星を映してみせる、曲芸のような夜空。
そこを訪れる若者、蜂飼いの男と家出娘、高校生カップル、
アルツハイマー患者とその家政婦、ひとつの家族、
大学生グループを描く、一種の群像劇だが、
まるで詩のよう。
誰の頭上にも星は常に瞬いていることを
改めて気づかせてくれる物語。
投稿元:
レビューを見る
200805読了!
2007年度太宰賞受賞作。
チラチラ気にしていたけれどようやく本になったようで、さっそく読んでみた。
表題作は中編。短い。
最初から、終盤ギリギリまで、「だから、何?」的な文章が続いていく。
うん、わかった。状況も、熱意も、経緯も、わかった。
うん、うん、だから?だから何!?
あーつまらん。じぶんのこと、語ってるだけ・・・だよね?
とくにドラマティックなこともない人生、どれだけチューバがすきかってこと、訥々と。
あ、しっぱいしたかな?と思いながら読み進めていく。
と、ダラダラ読んでいたら、最後の最後ですごいトリハダ展開来た!!!!!
あまりのいきなりさにド肝を抜かれた・・・
ななななな、なんだこれ。
行間から、聴いたこともないはずのバルカンの音楽たちがすごい勢いで飛び出してきた。
あんなふうに音楽って文字にできるのか!!
ひとつ文句を言えば、彼女がチューバにであってからたった15年目で、運命の瞬間が訪れるのは早いと思う。
ラジオで聴いてからはさらにたった10年だ。
神的瞬間にであうのはもうちょっと熟してからのほうが好み。(わたしの好みでは!)
残りの2編はまあ、可もなく不可もなく。
題材はいいんだけど、文章が好みではなかった・・・。
わたしは、文章萌えする性質なので、こればかりはしょうがない。ごめんなさい。
でも、表題作のすごさに敬意をあらわして、ほしよっつ。★★★★
投稿元:
レビューを見る
表題を含む短編3作。
表題の『チューバはうたう』しか読まなかった(読めなかった)。
文章が中途半端に理屈っぽく、言いたいことが伝わりにくく、まどろっこしさを感じ、
なかなか先に進まなかった。
と言うわけで挫折。
投稿元:
レビューを見る
元チューバ吹きなので迷わず買いました。
「私はチューバを吹くだろう。この男のクラリネットがいくら歌っても、それを支える大地は必要だ。クラリネットが歌を歌うとき、私は横たわる黒土となるのだ。」うわ、わかるわかる、そうそう、と思いながら読みました。彼女は何故チューバを吹くのか?これを読めばはっきりとわかると思います。
チューバを吹くという行為を通して、音楽観、幸福観を描いた小説でもあると思います。音楽観については徹底して「様式」を、ロックやジャズやヒップホップすらも、排除しているので反感を抱かれる方もいるかもしれませんが、これがなかなか堂に入っていて小気味よく感じました。「彼女はなぜチューバを吹くのか?」、幸福観については全てこの問いにかかっているものと思います。
全体としては独白が長すぎてリズムが崩れかけた箇所がありましたが、最後の開放感で全て帳消しになります。気持ち良かった。
余談ですが気になる言い回しがありました。108ページの「さらには木琴や鉄琴、つまりはマリンバやシロフォン」、なじみのある呼び方ならば「さらにはマリンバやシロフォン、つまりは木琴や鉄琴」です。しかし音楽経験者としてはありの表現です。
投稿元:
レビューを見る
中高なんかで吹奏楽部に所属していたチューバ吹きにとっては、誰しも実感を持てる箇所がどこかしらある作品だと思います。
自分もその一人です。
「チューバって、吹いてて楽しいんですか?」
という問いに、答えることの難しさ、説明することの煩わしさみたいなのって、チューバ吹きの誰しもが経験しているところでしょう。
チューバと共に過ごした青春期の回想。
吹奏楽やオケでチューバを吹くことへの違和感、というか束縛感。
チューバという楽器を吹く上での驚くべきジャンルの狭さ。
吹奏楽やオケというものにのめりこめず、それでもチューバを吹きたいと思った私としては、主人公の気持ちや置かれている状況は十二分に判りました。
そのため、私は(作中でも名前だけが出てくる)ディキシーランドジャズへと、その道を求めたのだけれど。
自分の吹きたい音楽をジャンルに縛られず自由に吹く姿には憧れさえも覚える。
彼女は、割と稀であろう幸せなチューバ吹きの一人だと私は思います。
惰性で読んだ、表題作以外の2作品も意外と面白かった。
投稿元:
レビューを見る
音楽の前に楽器がある。
特にtubaはそうなのかもしれない。
ベースラインを弾くことは旋律に比べ正直単調だけれど、
響きの美しさとか大きな曲の流れだとか、ものすごく奥が深くて楽しい。
一歩はなれたパートだし、いい吹き手だからこそ全体が良く見えているのかもしれない。
文中で「本当に不幸なことだと思う。」と彼女は言った。
ある意味で正しくて、ある意味で正しくないと自分は思う。
音楽は薄く軽くもあり、深く重くもある。
確かに重さ、深さを知らないことは不幸だと思う。
しかしそれを知らない人間を哀れに思うのは違う。
誰だって最初は知らないし、深さを知るには時間がいる。
深いところに行き着くには何よりも他者が必要だ。
それが彼女の周りには無かったのかもしれない。
曲が生まれた土地の原風景を見ることができたらそれは幸せなことだと思う。
中央アジアの平原に立ってみたい、ちょっとそう思った。
三話目の星の話。
見えないものに感動できることってすばらしい。
むしろ大事なことは目に見えないのかもしれない。
そして大事なことは誰かに伝えたい。
投稿元:
レビューを見る
表題に惹かれて読んでみた。
短編が三作。
文章を詰め込みすぎて、しんどい。
中で良かったのは表題の「チューバはうたう」。
26歳の会社員の女性が中学でふとしたきっかけ(背が高い)でチューバと出会い、
それを自分なりに続けている。
好きなことを好きだ!と言う妥協しないスタンスは良いな。
投稿元:
レビューを見る
チューバ吹きでなくても音楽をやっている人間なら共感できるのでは。一文が少々長いが、筆者がお医者さんと知って驚き。太宰治賞受賞作の表題作と、移動プラネタリウムの話「百万の星の孤独」がよかった
投稿元:
レビューを見る
怒涛のように読み終わった。
実は、最初から入っていけない本だなと感じて、何度読んでも頭に浮かぶもの感じるものが無く、これっきりだと評価してた。
ところが、引きこもった狭い空間で、逃げ道が無くうずくまってた
時、たまたま傍らにあった積みあがった本の中からこれを見て、することが無かった為これで最後と思い読み始めたら、なんと、するするとこの本にはまってしまった。
楽器のことなど無頓着の私が、こんなに読みやすいカタカナの羅列を難なく追いかけ、仕舞には音さえイメージが浮かんできた。
何てこと無いはずの、普通のストーリーだ。
いや、いや、今の私には、衝撃な文の集合だった。
目立たなく、底の方で支えている存在で、自分の幸せの意味を知るのか?たくさんの人に賞賛されてなんぼの競争社会にあっても、自分の満足がどこにあるか冷静に立ち戻った。何度も何度も繰り返し忘れなれないことに、戻るのだ。
人の評価なんて、一時で、私を満足にさせることに満たない。
これを読んで、本当の自分がどの辺にいるのか、その場所に戻ってみたくなった。
私も少々鬱が入っていて、凝り固まってたけど、なんだか心が開けた。
投稿元:
レビューを見る
一種独特のひねくれ方と、そういう自分をびっくりするくらいきちんと受け止めている感じが気持ちいい。りりしいなと思う。
表題作がそうだ。チューバという楽器を一人で吹くのはしんどいと思う。しょうじきいってあんまり楽しくなさそうだなとも思う。でも、僕も感じるようなそういう気分を「ちゃんと」使って、大事な何かを書こうとしてる。
誰がなんといおうと私は私…
そのかっこよさにしびれてしまう。もちろん、本人から観れば全然かっこよくないのだろうし、僕の隣に実際そういう人がいても、たぶん見逃してしまいそうな自分がいる。
だけど、そういうかっこよさ、大事だ。忘れたくないものを、どしっと目の前に置いてくれた作者に感謝。
2008/5/21
投稿元:
レビューを見る
昔チューバを吹いていたことがあるので、タイトルに惹かれ借りてきました。
チューバに対する愛、音楽に対する愛が詰まった一冊。
チューバ吹きには共感するお話だと思うけど、他の楽器の人はちょっと理解できない部分もありそう…
投稿元:
レビューを見る
私はチューバを吹く。しかしこの気持ちを誰も理解してくれない。
休日は何よりもチューバを優先し、我樂多樂團で活動している。
ある日理解を得られていない恋人から仲直りにと
私の憧れのMuzicanti auriiのライブに誘われたのだった。
「チューバはうたう―mit Tuba」
特養に入った祖父が昔いたという南の島を訪れ
打楽器だらけのバンドに遭遇する「飛天の瞳」
町のお祭りで行われた個人プラネタリウムにやってきたのは
痴呆老人と家政婦、バックパッカー、家出少女と養蜂家など
「百万の星の孤独」
カバー装画:衿沢世衣子 装丁:間村俊一
好きなものは好きで理由など説明できない、という話。
数ある楽器の中でなぜチューバを吹くのか。
asta2009.8で西加奈子が『船に乗れ!』の書評で
「音楽が聞こえてくる」というのは褒め言葉ではなく、
言葉を重ねて音楽への思いに酔わせているというべきだと
言っているのにも共感します。音楽を読ませられました。
「音楽が好きであるということとチューバが好きであるということとは、
等価のようでいて、実はまるで違う階層にあることなのだ。
ドッグショーとホエール・ウォッチングとをまとめて
哺乳類の観察というぐらいに、実質から遠い物言いである。」
「私は、何かのジャンルの中に所属して耽溺するのではなく、
そうである前にチューバを吹きたいのだ。
かなうならば、ジャズを、ロックを、パンクを、プログレを、
メタルを、スカを、サルサを、レゲエを、タンゴを、
アイリッシュ・トラッドを、沖縄民謡を、フォルクローレを、
フィリピン・ポップスを、ポンチャックを、チューバで、
いつ何時でも響かせたいと願うのだ。」
投稿元:
レビューを見る
「チューバはうたう -mit Tuba-」瀬川深
サウンドオブサイレンス文学。白磁色。
短中編3編の純文学作品。著者は小児科医で医学博士だそうです。
表題作は”インディペンデントな“チューバ吹き女子の一人称で語られる、
音楽に対する根源的な情、というか、「何故チューバなのかと問われたら、確固たる答えは見つけられないだろう。−しかし、私はチューバを吹くのだ。その事実を変えることはできない」的な。
淡々静謐な文章ながら、比較的ライトな純文学で、熱くポジティブな意志も感じる。通奏低音イイですね。
平たく言えば、入試問題に出そうな小説。
他2編、放浪孫・ミーツ・ジイさんの話と、プロプラネタリウムメイカーの話。興味が湧いた人は読んでみてください。オススメです。(4)
投稿元:
レビューを見る
中学のブラバンではじゃんけんで楽器決めてました。負け続けていくうちにチビの私をみかねて背の高い女の子がチューバをすすんで選んでくれました。チューバのきっかけってそういうの多そうです。オケのチューバすごく好きだけどな。むしろブラバンのコントラバスのほうが楽しいのか聞きたい。お話は嫌いじゃないけど読みにくいかも。
投稿元:
レビューを見る
「何かにこだわること」に、理由なんていらないんだ。ただ、「好きだから」それだけでいい。表題作「チューバはうたう」では中学から26歳までひたすらチューバと共にある女性が描かれる。彼女は自分自身チューバを吹くことにあれこれと理屈を捏ね回してなかなか今いる場所から動けないのだけれど、理由も意味もなくていいただ好きだから、と吹っ切った瞬間の潔さが心地いい。他2編も遠回りしながらも少しずつ自分の求めるものへと近づいていく人々が優しい目で描かれていて読後とっても幸せな気持になれる。特にラスト「百万の星の孤独」の中でロンゲの兄ちゃんが言う、「見えないもんまで、人間、見てんだよ。」に素直に感動。