「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
紙の本
ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)
著者 杉浦 由美子 (著)
ベストセラー上位を占めたケータイ小説。既成の文壇からヒステリックに否定されるこの新文芸は、いかなる構造をもつのか。80年代の文化にまで遡り、その内実を歴史的に描きだす。【...
ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
ベストセラー上位を占めたケータイ小説。既成の文壇からヒステリックに否定されるこの新文芸は、いかなる構造をもつのか。80年代の文化にまで遡り、その内実を歴史的に描きだす。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
杉浦 由美子
- 略歴
- 〈杉浦由美子〉1970年生まれ。大学卒業後、フリーランス記者となる。『婦人公論』、Web等で取材・執筆を行う。著書に「オタク女子研究」「腐女子化する世界」「かくれオタク9割」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
美しいものです。「書く消費」
2008/06/26 23:14
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
理解しがたいものだけど、気になるものとして「ケータイ小説」がある。店頭で、ネットでケータイ小説と言われるものを手に取ったり、アクセスしたが、一冊だって読み進むことができなかった。その癖、社会現象としてケイータイに関する記事、批評が面白い。『なぜケータイ小説は売れるのか』とか、『ケータイ小説的。』とか、時代を語るキーワードとして格好の資料なのでしょうか。
そのような批評・評論本が面白いのに、何故、原資料たるケータイ小説が面白くないどころか、とても読み進むことができないのか、その謎は依然氷結しないのですが、杉浦さんの本書を読んだら、とても腑に落ちることが多々ありました。
自費表現ビジネスが活況を呈し、あまりにも急成長だったので、失速をしてしまった某共同出版社がありましたが、要は「読み手が書き手になった」ビジネスモデルを立ち上げたのでしょう。「読む消費」から「書く消費」ですよ。共同出版では百万円以上の投資をしないと巷の本屋さんに置いてもらえない。(少なくともそういう営業の仕方をしていたのでしょう)
だけど「ケータイ小説」では、そもそもそのようなハイリスクは投資が要求されない。ネット投稿って無料でしょう。書籍化される場合もケータイ作家が営業したり、共同出版のように自腹を切るわけではない。
例外はあるだろうけれど、ネットで「自己表現」すると言った強度の想いであって、それによってプロの作家になるとか、印税を稼ぐとか、そんな作戦があったわけではない。結果としてそうなった。どうやら、そんな感じですねぇ。
だからこそ、匿名性を大事にするのであろうし、ただ、もちろん、前年度対比売上げ減があたりまえの出版市場で、そのような成功物語に飛びついて意識的に出版企画を行う戦略が当然、あちらこちらと起きて、いわばプロ参入という状況になっているだろうけれど、基本は「プロの作家になるつもりはない、ただ書きたいだけ」の「書くことが生きること」なんでしょう。
著者はアマとしてかってネットでも公開していた書評投稿雑誌「レコレコ」の常連書評投稿者であったから、かような「ケータイ作家」の日々書きつづけるといったナイーブな「書く消費」を共感を持って接することが出来るのだと思う。
ある書店員の言葉を引用して、そんな発信を「美しい」と語らせる。
《「個人的には『ケータイ小説』は読みたいものではない。でも『ケータイ小説』のあり方は正しいと思う。『私の書いたものを読んで下さい』というのが出版の原点のはずだから」/どんなに上から優性思想をおしつけようと、若者たちはそれをするりと通り抜けて、新しい価値観で新しい文化を作っていくのだろう。》
純文学のメインストリートでは、常に新しい文学・文化がテーマであろうが、文学史という教養が自明として刷り込まれていることが結果として優性思想の押し付けにになるやもしれぬが、そもそも歴史・伝統なりは優性思想と完全に無縁ではない。だけど、ヤンキー文化にもそれなりの歴史がある。都心だけに文化があるのではなく、郊外のコンビニの自販の前にも文化がある。都心のネットカフェだってあるだろう。
著者の目線は目一杯、低く降りたって「ケータイ小説」、「ケータイ小説」書籍について語る。肌理の細かい取材が根っ子にあるのです。「ケータイ小説」を書きつづける作家、そしてそれを「読み続ける」ケータイを持たない地方の中高生の少女達、ケータイで読んでいながら書籍になった「ケータイ小説」を買ってしまう二十代の女性たち、そんな作家や読者たちを暖かい目で見ている著者だからこそ、バランスの良い批評感度が充満したかような好著を生んだんだと思う。品のある文体なのです。
団塊ジュニアがよく使う「美しい」という言葉は自発的にみんなで何かをやることを「美しい」と表現するのだと著者は言う。まさに、ネットに書評投稿するのは「美しい行為」なのでしょう。しかし、改めて本書で確認したのですが、2006年第4四半期は投稿数で日本語ブログが最多だったと知ると「読む消費」を圧倒する「書く消費」のエネルギーに圧倒される。実に世界のブログ投稿数の37%が日本語ですからねぇ。
美しき「書く消費」のような行動パターンがこれからの若者の欲望ならそりゃあ、上から仕掛ける需要喚起、供給には引いてしまうでしょうねぇ。何かクルマ、ブランドものに興味のない若者が増えたといわれるのもわかる。でも、こういう傾向は「美しいもの」として肯定したい気分が僕の中にありますよ。でも、やっぱ「ケータイ小説」が読めないのです。
歩行と記憶
紙の本
よくわかるケータイ小説の舞台裏
2008/06/25 15:37
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
杉浦由美子さんは、フリーのライターさんであるという。フリーライターの、「よい仕事good-job」というのは、例えばこんなものだろという、お手本のようなものとして、本書をお薦めすることができる。それはもちろん、「ケータイ小説」についても、フェアな視点から、じつにさまざまのことがわかるということだ。
本書は、「ケータイ小説」について、それが議論される時にたいていついてまわる先入観をまっさらにしたところから出発する。目の前にあるのは、「ケータイ小説」がよく書かれ、よく読まれ、よく売れているという、その事実である。もちろん、そうした「ケータイ小説」現象に対する、さまざまな評価や批判も、事実として付け加えられる。杉浦さんは、そうした現実、とはいえその具体的な内実よりはイメージが先行する現実を、徹底した「取材」によって1つ1つクリアにしていく。「取材」の対象は、書店員であったり、出版関係者であったり、いわば、商品としての「ケータイ小説」を実際に扱っている人たちだ。そこから、「ケータイ小説」の現在が、鮮やかに浮かび上がってくる。(それは、冒頭の、活字ばなれ論に対する批判に、すでに鮮やかに予告されている)
また、「ケータイ小説」と関連づけられた世間で受け取られている、『電車男』やブログや携帯サイトとの関連などについても、ていねいな解説とともに、その違いを説明してくれる。そうした「取材」に基づく杉浦さんの考察で重要なことの1つは、「ケータイ小説」に関わる現代社会の特徴として「読む消費」から「書く消費」が生み出されたという指摘である。たいへん説得的なこの指摘は、多くの現代文化を考える際にも重要なヒントとなるだろう。また、タイトルに冠された「リアル」についての議論もまた興味深い。『恋空』とその実際の読者層、実際の感想をもとに展開される議論では、「ケータイ小説」の「リアル」の独特の様態が解き明かされる。それは、いわゆる現実世界との近似性の高さに基づく「リアル」ではなく、性的な人生経験の少ない若年層読者にとっての「妄想の中のリアル」だというのだ。こうしたしなやかな分析を可能にしたのは、杉浦さんの徹底した「取材」であると同時に、「ケータイ小説」へのフェアなまざなしであることはいうまでもない。
紙の本
粘り強い取材・分析によって、「ケータイ小説」の実像を解き明かした良著
2008/11/12 07:24
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いえぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ケータイ」という、これまでの小説とは全く別のフィールドに基盤を置き、小説家としてのキャリアをほとんど積んでこなかった作家たちの作品が、小説売上の上位を独占する。しかも、携帯電話用サイトで無料公開されていたものが、有料書籍化されたという形であるにも関わらず、書き下ろしの作品群よりも遥かに売れ行きを示していく……
そんな様相を見せた「ケータイ小説」ブームは、明らかに従来の出版常識の枠外に位置するもので、様々な人々に批評されていくことになりました。特に、「ケータイ」を基盤にした、アマチュア的背景によって書かれた作品が驚異的なベストセラーになったということもあり、作品の内容やジャンルに対する批判的な評価も、非常に多数寄せられることになりました。
しかし、本書は、「ケータイ小説」を感情的に評価することはなく、ブームの生まれた背景から作品の特性、傾向の変遷から、読者や販売サイドの感情に至るまで、極めて多くの要素について、分析を加えています。その結果、「援助交際と性暴力」に代表される、過激な表現は、今や影を潜めており、パッケージから内容まで、少女漫画の王道に沿った作品が多くなっていることや、意外にも、携帯電話があまり普及していない地方で「ケータイ小説」が売れていることを明らかにしています。
本書が、他の「ケータイ小説」評論本と一線を画しているのは、綿密な分析を、分析だけで終わらせることなく、数多くの取材によって、様々な層の生の声を記しているところです。読者、製作者、販売者等々の「肉声」が、しっかりした理論・分析の基礎部分をより明確なものにし、重層的な「ケータイ小説論」を展開していると言えます。
ケータイ小説を取り巻く状況を、全般的に評しているだけに、専門的なマーケティング論や作品論については、他の類書に譲るところはありますが、本書のリアルな空気は、綿密かつ丹念な分析と取材によって生み出されているものであり、「いい仕事」がなされている証明と言えるものです。ケータイ小説の現状が知りたいという方はもちろん、詳細なデータを下敷きに「想像力」を補完する一助にもなる好著と言えるでしょう。
紙の本
著者コメント
2008/05/09 13:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:杉浦 由美子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ケータイ小説は小説ではない」と言う人もいますが、本書では「ケータイ小説」を新しい文芸として捉えています。「ケータイ小説」の書籍は売れ続けており、映像作品の原作としても注目を集め、現在、最も勢いがある文芸ジャンルと言えましょう。今まで、メディアでは「携帯電話でケータイ小説を読んだ人が、バイブルとしてケータイ小説の書籍を買う」と報道されてきました。しかし、コンテンツ取材を続けているノンフィクションライターの私がちゃんと取材をしてみると「ケータイ小説」書籍のメイン読者は地方の中学生である判明しました。つまり、イコール携帯電話を所有しない層なのです。メディアで報じられてきた「ケータイ小説」ブームと、実際には大きな食い違いがあり、そこには「携帯電話」という新しいメディアへの幻想があるように感じてなりません。10代の携帯電話市場の実際、フィルタリングの波紋についても言及しました。また、後半では少し文芸批評的な視点も加えて、志賀直哉から「ギャルズライフ」、恋愛シュミレーションゲーム、夢小説などの古今のコンテンツとの比較しながら「ケータイ小説」書籍が売れる真の理由も解明しております。