紙の本
「真実というのは我々が憧れているものだ。こうでありたいと願うものなのだ」
2008/08/20 13:45
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:成瀬 洋一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大きな戦争というものは、それだけで社会構造を変革してしまいます。
それは通常社会の担い手とされている成人男性の多くが戦場へ赴くことになり、工場や公共交通機関など、それによって欠員が生じたシステムをそれまで員数外扱いされていた人々が埋めることになるからです。こうして「男女平等」「マイノリティの権利向上」といった方面に波及するわけですが、ソ連の場合、国土が戦場となった第2次世界大戦においては、100万人以上の女性が兵士として戦場にいました。
アメリカやイギリスなどでも女性ばかりの部隊はありましたが、通信員であり、輸送員であり、前線に出るということはありませんでした。しかし、ソ連の場合は前線に投入されることも多く、女性による航空機部隊の存在などは有名でしたが、今までその具体的な姿についてはあまり知られていませんでした。
この本は、著者がおこなってきたインタビューの記録が、ペレストロイカからソ連崩壊、そしてロシア誕生という流れの中で刊行できるようになったもので、検閲官によって削除されたものや、著者自身の判断によって一度は削除されたものまで含めて完成させたものです。
面談の対象となった女性たちの職種は、運転手、看護婦、給食係といった非戦闘要員から、狙撃手、戦車兵、高射砲部隊といった実戦部隊までさまざまです。全体的には医療や通信関係の職種が目立ちますが、戦闘員としても男性と肩を並べて戦っていた様子がうかがい知れます。
けれども、社会主義国といえども男性社会であったのですね。
男と同じように志願し戦い、敵を殺し、仲間や恋人の死を看取った彼女たちも、戦後はむしろ不遇であったようです。アメリカのように女性の社会進出が進んだのとはむしろ逆に、旧態依然の家族制度の中に押し込めようとするか、あるいは「男だらけの世界に潜り込んだふしだらな女」「人殺し」として排斥されることも少なくなかったとインタビューから知ることができます。
「女性が見た最前線」という視点の証言は貴重であり、たいへん興味深く読むことができました。
投稿元:
レビューを見る
日野図書館で借りた。
重かった…
ロシアとドイツの話だからまだ冷静に読めたが
日本と朝鮮・中国・東南アジアの話だったら
しんどすぎて読めなかったかも…
この著者の他の本も読みたい
投稿元:
レビューを見る
嘗て大祖国戦争に従軍した女性将兵達へのインタビュー集。1人1人の証言は短めですが、どれも重く心に突き刺さるような話ばかりです。どの証言も断片的なものなので、大祖国戦争の背景や経過を予め頭に入れておくと良いかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
「ヴ」の音、いわゆるウ濁抜きで訳したという『チェルノブイリの祈り』ではスベトラーナ・アレクシエービッチだった名が、こちらはウ濁名になっている。
この本は、アレクシエーヴィチ自身がもっとも大切に感じている本だという。
訳者あとがきによると、ソ連では第二次大戦で百万人を超える女性が従軍し、その女性たちは他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員でもあった。だが、戦争が終わって、従軍した女性たちは、「男の中で何をしてきたやら」と侮辱されもし、自らの戦争経験を隠さなければならなかった。
女たちの戦争は知られないままになっていた。アレクシエーヴィチは、その女たちのものがたり、戦争の物語を書こうとした。1978年から女性たちを訪ねはじめ、20年以上をかけて話を聞いてまわっている。
執筆日誌の「はじめてのメモ」には、回顧についてこう書かれている。
▼回顧とは、おきたことを、そしてあとかたもなく消えた現実を冷静に語り直すということではなく、時間を戻して、過去を新たに産み直すこと。語る人たちは、同時に創造し、自分の人生を「書いて」いる。「書き加え」たり「書き直し」たりもする。そこを注意しなければならない。(p.15)
祖国への愛に燃え、自分たちも何か貢献したいと徴兵司令部へ乗り込んで従軍を希望し、前線へと向かった女性たち。私たちだって役に立ちたい、役に立てるというその思いの強さは、日本にもあったのだろうと思う。
人を殺した経験も語られる。「敵と言ったって人間だわ」と一瞬ひらめいて、でも引き金を引いたという女性。初めてのときは怖かった、私と関係のない人を殺したんだ!この人のことを全く何も知らないのに殺しちゃった、と泣いてしまったけれど、しばらくしてそういう気持ちはなくなったと語る女性。
軍曹(高射砲指揮官)だった女性はこう語る。
▼…私たちは18歳から20歳で前線に出て行って、家に戻ったときは20歳から24歳。初めは喜び、そのあとは恐ろしいことになった。軍隊以外の社会で何ができるっていうの? 平和な日常への不安……同級生たちは大学を終えていた。私たちの時間はどこへ消えてしまったんだろう? 何の技術もないし、何の専門もない。知っているのは戦争だけ、できるのは戦争だけ。(pp.148-149)
二等兵(土木工事担当)だった女性はこう語る。
▼…戦争では橋が真っ先に壊されます。…いつも思ったものです。これをまた新たに建造するのにどれだけの年月がかかるだろう、と。戦争は人が持っている時間を潰してしまいます、貴重な時間を。父はどの橋の建設にも何年もかかっていたのを私は憶えていました。何日も夜遅くまで図面とにらめっこして、休みも返上でした。戦争で何よりもったいなかったのは時間です…父が費やした時間… (p.213)
戦場でさまざまな役割を担った女性たちが、それぞれの経験した出来事をとおして「戦争」を語る。
ソ連は、大祖国戦争(1941-1945、ドイツ側では東部戦線とよばれる)でヒットラーのナチスドイツと戦い、勝利のために4年間で2千万人の犠牲を払った。そんなことも、私は知らなかったな��思った。
(9/9了)
投稿元:
レビューを見る
女性の狙撃兵とか戦闘機乗りとかがいたのはなにかで読んでたけど、ハイティーンの女の子たちが志願して前線に行っていたとは知らなかったし驚いた。男でもそうだろうけど、多感な時期をそんなところでそんなことをして過ごしていたら、そりゃあその後日常生活に戻るのは苦労するだろうなあと想像に難くないし、実際戦後彼女たちがかつての同僚である男性のみならず、戦場にはいなかった女性たちからも蔑視されていたは、なんともやるせない。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦 ソ連では、たくさんの女性(10代~)が戦場に出ていた事を知りました。
自ら進んで、親の反対を押し切ってまで。
戦勝は、その人たちにとってよかった事もあれば、悪いこともあった。
独軍に捕虜にされたり、西側を見た人たちは、ソ連の強制収容所にいったり、裏切り者扱いされたりする。
以前は、この本も許されなかったのに、ここまでまとめた作者はすごい。
投稿元:
レビューを見る
読んでいる途中で何度も本を閉じる。怖くて。怖さって色々な種類があるって思った。涙も同じ。悲しみだけじゃない涙もあるってこと。この本はもうすぐ岩波現代文庫になる。みんなが読まないといけない本だと思う。綺麗な小説ばかり読んでいたら駄目だ。世界は涙や死者や血の上に出来ている。
投稿元:
レビューを見る
途中で読むのをやめてしまった。
ノーベル文学賞受賞後に近くの図書館に配架されていたので借りた。「戦場にいた時はまだ若かった。背が伸びたくらい。」など印象的な言い回しはあるものの、基本的には従軍兵士の証言集なので、あまり起伏がない。そういうものであるということでしかないんだが、自分には合わなかった。
投稿元:
レビューを見る
第二次大戦時、ソ連では100万を超える女性たちが従軍した。それに加えて、パルチザン部隊や非合法の抵抗運動に参加した女性もいた。看護師や医師のほかにも、戦闘員として戦ったものも少なくなかった。その多くは、戦地では男性と変わらぬ任務に就き、同じように傷を負った。それもこれも「祖国のため」「大義のため」だった。けれど、戦後は「男ばかりの戦地で何をしていたのか」と侮辱の目に晒され、あるいは結婚することを諦め、あるいは勲章をしまい込み、あるいは従軍経験をひた隠しにして生きていた。
男性が証言した戦争の記録は少なくない。しかし、女性の、しかも戦争従事者としての証言は非常に珍しいのではないか。多くの女性が従軍したというソ連の特殊な事情もあるだろうが、著者、アレクシエーヴィチの丹念で粘り強い聞き取りがなければ、こうした証言が日の目を見ることはなかっただろう。
本作を最初に構想した1978年、アレクシエーヴィチは30歳代だった。証言者らは著者の母や祖母の年代になる。彼女らは、娘に、孫に語るように、戦争のナマの姿を語る。
それは戦略や兵站の話ではない。生身の人間が戦闘に参加するとはどういうことか、肌感覚の話である。
戦争は女の顔をしていない。女もまた、戦争に行くことを想定して育てられてきてはいなかった。そのためかどうか、彼女らは、日常のふとした小さな出来事に目を留めるかのように、繊細なまなざしで、戦場の過酷な現実を記憶する。
血で固まり、手が切れるほど硬くごわついた衣服。
死にゆく前に決まって天井を見つめる重傷者。
泥だらけで死んでしまった仲間の娘たち。
殺さなければ殺される白兵戦のすさまじさ。
飢饉に見舞われ、満足に食べるものもない地でのパルチザン活動。
1つ1つ、1人1人の証言が重い。
歴史の教科書には残らないような、些細な部分。誰も聞かなかった細部。証言者が最も隠したかった、同時に最も語りたかったエピソード。
そうしたそっと触らなければ痛みを伴うところに、アレクシエーヴィチは迫っていくのだ。
それは人間の「人間らしさ」を形作る部分なのかもしれない。
ある女性は、ある村で、無残にいたぶられた多くのパルチザンの遺体を目撃する。死体が転がる傍らで、馬が草を喰む。
「生き物の見ている前で何という恐ろしいことをしたんだろう」
平時ならばありえない風景は怖ろしいまでの絶望を誘う。それはまさに地獄なのだ。
戦闘員は完全な被害者とは言えない。だが同時に、彼らは完全な加害者とも言えなかったのではないか。
戦争は終わった。スターリンの時代も過去だ。
もう何を語ってもよいはずだ。
けれど、恐怖は残る。彼女たちは沈黙し、あるいは名字を伏せるように請う。自分のためというよりも、子どもたちに害が及ばぬように。
おそらくはもう、これらの証言者たちの多くはこの世にはいない。
けれど、著者がすくい上げたこれらの証言は残る。
彼女たちが、娘のために、孫のために、いや、もしかしたら、戦争に出かける前の自分自身に伝えたかったであろう、切実な慟哭がずしりと残る。
投稿元:
レビューを見る
ロシアで戦争に行った女性を取材したものであった。すすんで戦争に行った人やパルチザンになった人の説明であった。単なる記録ではなく、その人がどのような考えで現在送っているかというところまで聞いたところがほかの歴史のインタビューと異なっている。
日本でもこうした記録を取るには遅すぎたのであろうか。ただ、本文の文字が小さく説明があるところでは読みづらかった。
すぐ読めると思っていたが意外と時間がかかった。
投稿元:
レビューを見る
戦争についての本。
第2次世界大戦の時に従軍したロシアの女性たちの記録、
100分で名著で取り上げられて、でも読むのは辛くて、辛いなんてもんじゃないだろうけど、目を背けたくなるような内容。
前線に行くことを望んだり、多分平和に暮らしている私たちからは想像はできないし文章にしても違うだろうけど。
人種の違いで憎み合ったり、従軍した女が戦争から戻ると同じ女から蔑めれたり、自律神経をやられたり、赤にアレルギー反応を示したり。
だけどほんとが書いてあるんだなと思った。
読書会の課題本に取り上げられたおかげで読了できた。
幾度となく読むのをやめてた。
本文中に動物が出てくる。うまやヤギのことも。ひどい寒さや飢え。
投稿元:
レビューを見る
"戦争はもう何千とあった、小さなもの、大きなもの、有名無名のもの。それについて書いたものはさらに多い。しかし、書いていたのは男たちだ。私たちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。
女たちが話すことは別のことだった。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。
その戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを。"
"人間は戦争の大きさを越えている。"
戦争はなんでも真っ黒よ。血だけが別の色……血だけが赤いの……
一九四一年の乙女たち……まず、訊いてみたいのは、ああいう娘たちはどこから現れたのかということ。ああいう行動をした乙女たちがなぜあんなにたくさんいたのか? どうして男たちとともに銃をとろうと決断をしたのか? 銃を撃ち、地雷をしかけ、爆破し、爆撃する……つまり殺すという選択を……
私、父、兄弟とも森のパルチザンの仲間になったんです。だれかに誘われたわけではなく、自分からそうしたんです。母と一緒に残ったのは 雌牛だけ……
戦争の本って嫌い……。英雄たちが出てくる本……。私たちはみな病人だった。咳をしていて、寝不足で、汚れきっていて、みずぼらしい身なり。たいていは飢えていて……。それでも勝利者なの!
想像できます? 身重の女が地雷を運ぶ……赤ん坊がもうできていたんですよ……。愛していた、生きていたかった。もちろん怖がっていました。それでも運んでいた……。スターリンのために行ったのではありません。私たちの子供たちのためです。子供たちの未来のためなんです。跪いて生きていたくなかったんです。
退却のとき、恐ろしかった。もう泥だらけであちこちで煙があがっていた。それなのになぜかハイヒールが買いたくなった。昨日のことのようにはっきり憶えているわ。
「幸せって何か」と訊かれるんですか? 私はこう答えるの。殺された人ばっかりが横たわっている中に生きている人が見つかること……
死というものがどんなにありふれたことで、しかも分かりにくいものだということをまだ知らなかった。死にお願いしたり、言いきかせても無駄。
"ここでも戦争は終わっていない、決して終わらないのだ。"
"この人たちがなぜやはり話すことにしたのか、今はわかる……"
あの人たちが死ぬときの顔……何という目で見ていたことか……あの目……
私は思いました、おかあさんは私のことを結婚には若すぎるけど、戦争には若すぎないって思ったのね、と。私の大好きなおかあさん
負傷者が叫んでいるのはものすごく恐ろしいけれど、撃たれた馬の悲鳴のいななきはもっと恐ろしいんです。馬はまったく罪がないのに。
憶えています……あの感覚を。雪の中では血の匂いがことさら強かったのを、はっきり憶えています
何でも燃えるんだ、とそのとき分かったの。血液だって燃えるって
晩秋に渡り鳥が飛んで来るでしょ? その列がとても長く伸びているの。味方の大砲もドイツ軍も撃っている。でも、小鳥たちは飛んで来る。どうや���て知らせたらいいの?『こちらに来たら危ないよ。ここは撃ち合っているんだから』って。どうすれば?! 小鳥たちは落ちてくる、地面に落ちてくる……
今、すべてを思い返して、あれは自分じゃなかった、だれか他の女の子だったんだという気がします
"彼女たちと話していると、小さなことが大きなことに勝っていて、時にそれは歴史全体より勝ることもあった。"
ただひとつだけ恐れていたのは死んだあと醜い姿をさらすこと。女としての恐怖だわ。砲弾で肉の断片にされたくなかったんです。そういうのを自分の目で見ていたし、その肉片を集めもしたから
今でも思い出すと泣きたくなります。おしろいの匂い、螺鈿の蓋、ちいちゃな女の赤ちゃん、何かとても家庭的な、本当に女らしい生活……
戦争中どんなに美しい朝があったかご存知? 戦闘が始まる前……これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も……太陽も……
"私たちはいつも同じことを話すことになる……結局のところ話はそこに戻っていく……"
「地雷除去の工兵は人生で何回間違えることがあるか?」
「工兵はただ一度間違えるだけです」
戦争は私の一番いい時期だったの、だってあの時は恋をして、幸せだったんですもの
戦争はなんでも速い。生きていることも、死ぬことも。あの二―三年で一生を生きてしまった気がする。誰にも分ってもらえないけど、時間の速さが違うの……
スターリングラードには人間の血が染み込んでいない地面は一グラムだってなかった。ロシア人とドイツ人の血だよ
ねえ、あんた、一つは憎しみのための心、もう一つは愛情のための心ってことはありえないんだよ。人間には心が一つしかない、自分の心をどうやって救うかって、いつもそのことを考えてきたよ
"何千と起こってきた、小さく、大きな、有名無名の幾多の戦争。それについて書いたものはさらに多いが、書いていたのは男たち。私たちが知る戦争は全て「男の言葉」で語られてきた。同じ戦争でも、女たちが話すことは別のこと。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭い、光、気持ちが入っていた。"
拾いきれないほどの女たちの戦争体験。テキストとなり本となり、それを読んで彼女たちの戦争を追体験する時、あの戦争あの時代あの国の事をどんなに理解するのが難しいか、わたしたちは思い知るのだ。
投稿元:
レビューを見る
戦争は男達だけが戦地に行くのではなく、女も志願してる事実を、この本で知る。内容は、戦争を知るには大切で充実してはいるが、レポート的な作風が馴染めず途中で挫折
投稿元:
レビューを見る
「同士少女よ武器を取れ」を読んで、本書を知った。「独ソ戦」の影響からか、読書前の想像では戦争犯罪被害者の女性の物語だと思っていたが、独ソ戦に従軍した女性兵士のインタビューであった。
弓や刀での白兵戦と違い、銃や大砲などの近代兵器の時代では女性も兵士として戦えることは理解できるが、やはり精神的には相当キツイものがある。特に子供を産み、育てる役割を与えられている女性が、人を殺したトラウマに侵されると、復員後の養育に大きな影響があるだろう。社会も安定しないだろう。
それにしても、肉親や知り合いを殺されたとはいえ、本書に登場する女性のほとんどは熱意を持って従軍を希望したことは、当時はそれを是とする風潮を感じさせる。社会の大きな流れ、洗脳の恐ろしさを感じた。
とはいえ、インタビュー記事の内容は、こんなに熱意を持って私は志願しました → 戦場でも勇敢に戦いました → しかし、戦後はトラウマになりました。というパターンが多く、読み進むうちに著者や登場人物には悪いが、飽きを感じさせた。
たぶん、嘘は言っていないとは思うが、一定のバイアスに沿って言わされている感がある。なぜ、もっと本心を言わないのか、というもどかしさが本書に対する飽きを感じさせるのだ。
悪い本ではないが、最後まで読み進もうと思わなかった。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦時のソ連対ドイツで戦ってきた女性達から作者が話を聞き、書籍にまとめたもの。これを読んでいて、その感情を持つ人がまだ生きていて、あるいは数世代しか経っていないのに戦争がなんでおこなわれてしまうのかと思ってしまう…
男性向けの勝ったこと戦術やそこに向かう話ではなく、それぞれの女性の日常と辛さと当たり前とギャップがある。何を信じていてその先に何があると思っていたのか…
重たくて読み進めるのがつらくなるけどそれが現実だとするならば、平和な世界のありがたさをしっかり認識していたい