紙の本
寺院巡りを楽しむ
2008/11/12 11:04
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イム十一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
奈良県内にある十ヶ寺の寺院巡りをしつつ、それぞれの寺院の由来・歴史・風景を著者自身の考え・思いを通して語られた本です。
「第三番・薬師寺」 創建当初のままで残る東塔と、再建され間もない西塔から、それぞれの塔に刻まれた外見だけでは判断できない歴史を、著者独特の視点で書かれていました。
「第四番・唐招提寺」 鑑真の渡航来日に懸ける深い思いや、そこから著者の考える「故郷」について非常に興味深く書かれていました。
「第六番・法隆寺」 法隆寺元管長の「千日聞き流しせよ」という言葉から、理論だけでは言い表せない情熱や心の大切さがその言葉の裏に隠されているのではないか、と著者は読み解いていました。
著者の視点を通して、それぞれの寺院に刻まれた深い歴史やその当時の人々の思い・願いを味わえる本ではないかと思います。
紙の本
ガイドブックだったかも知れない巡礼記の読み比べ。
2008/11/16 21:31
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋の店頭で本書を見つけた。このところ、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』と続けて60年以上も前に書かれた古寺の巡礼記を読んでみた。どちらも大和の著名な古寺を訪ねた際の所感を綴ったものである。ほぼ同じ寺寺を回っているのだが、今から60年以上も前の戦前であったり、戦中であったりする。この2冊を読んでいて、その時間的な違いの比較や当時の同じ寺の有様が目に浮かんできた。
作家の五木寛之氏がテレビ番組の取材で日本の百寺を巡礼する機会があり、それをまとめたものが本書である。奈良編なので、大和の古寺を十ヶ寺回っている。室生寺、長谷寺、薬師寺、唐招提寺、秋篠寺、法隆寺、中宮寺、飛鳥寺、当麻寺、東大寺である。大寺の中では興福寺、西大寺などが抜けている。
テレビの番組だから、絵にならない寺は落とさざるを得なかったのかもしれない。この寺回りの記録の意味を見出すことは、案外難しいと思う。和辻の場合はまだ少壮の頃の習作というほどのものだが、そこには将来の器を感じさせる記述があった。亀井はむしろ宗教的な意味を見出そうという意志が感じられた。
それでは本編の五木寛之はどうであったか? 難解な表現はなく、きわめて読み易い記録であった。これなら自分の書いてみようかと思う気にさせるような平易な感想文である。和辻から70年、亀井から60年を経た現代に生きる五木ならではの、巡礼記になっている。
絵にならない寺は落ちると言ったが、それでは絵になる寺とはどのような寺であろうか。本書に出てくる寺の内、和辻や亀井に出てこなかった寺として、秋篠寺、室生寺、長谷寺などが挙げられる。絵になるというよりは、今人気の寺といっても良いかもしれない。
この辺りも時代の違いが出ているのだろう。奈良の中心からは外れているが、いずれも民の関心の高い寺寺である。伎芸天、小ぶりな五重塔と女人高野、牡丹と真言宗豊山派総本山という特徴はあるが、比較的人気のある寺院である。
五木の巡礼記は、巡礼記というにはあまりにも大袈裟である。誰もがふと散歩に訪れて、そのときに思いついた感想を書き留めたものと受け取るのが適切である。勿論、訪れた寺の歴史やそこに滞在した歴史に名を残す著名な人々に思いを馳せることはあっても、現代人の見方になっているので分かりやすいのである。
あまりに難解な所感を記してもむしろ時代錯誤になってしまうおそれもある。将に五木自身がテレビでの番組の中で解説をし、それを聞いている気分であろうか。それくらい気楽に読むことができる巡礼記である。むしろ、これを読んでその寺を訪れたくなる書でもある。それならば、ガイドブックと呼んでも良さそうであるが、ガイドブックと呼ぶにしては内容が落ち着いている。
しかし、和辻や亀井の巡礼記も当時の人々はガイドブックのようにして読んでいたのかも知れない。それほどの時代の差があると思ってもよいと考えた。
電子書籍
修学旅行のやり直し
2021/09/21 00:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
確かテレビ番組にもなっていた著者の
お寺巡り企画の書籍版です。
本書はその第一冊で、
奈良のお寺が取り上げられています。
学術的な薀蓄を詰め込むよりも、
中身を軽くして読みやすい文章に
仕上げたあたりに、如何にも著者の
手になる読み物という感じがします。
和辻哲郎の「古寺巡礼」と本書とを
読み比べるという楽しみ方はアリですね。
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押し付けがましくなく柔らかで、衒いなく素直に古寺への感動が書かれていて好感が持てる。
淡々と書かれてるんだけれど読んでいると、まるでお寺にいるようなリアリティがある。
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お寺に参る前に読むと行きたくなり、参った後に読めばまた行きたくなる、という本です。おかげでお寺巡りが趣味になりそうです。
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日差しは変わらず夏の強さも木陰の風は秋の気配を運ぶ彼岸の中日。
そんな日に読むこの本の、なんとまあ清冽で凛とした佇まいに溢れていることか。
仏の掌の上で慈しまれるように仏像を愛で、未訪の寺はもとより既知の場所でも改めて訪れたくなる描写と薀蓄。
人情溢れるひっそりとした山里で凛と立つ室生寺。
花の寺の俗っぽさに現代の巡礼を見る長谷寺。
大衆の志や信心に支えられ立つ二つの塔が時を超えた景色を見せる薬師寺。
命を投げだしても遂行された鑑真の遺徳を偲ぶ唐招提寺。
一瞬一瞬の天候に応じ変化する苔の海に伎芸天のおわす秋篠寺。
聖徳太子から親鸞へ受け継がれた平等思想に思いを馳せる法隆寺。
日本人の心の渇きを癒す斑鳩の里にある中宮寺。
仏教伝来というカルチャーショックの中心地の飛鳥寺。
二上山の彼方に浄土への思いを募らす當麻寺。
日本が日本たるに必要であった大仏をいただく東大寺。
ただ寺を巡礼した紀行文にあらず、話題はそこから白秋や堀辰雄に飛び、またあるいは怨霊信仰や浄土信仰に及び、思想や学問に大事なこと、インターナショナルということ、和魂洋才、渡来人や女性について、などなど縦横に語られる。
あと9巻続くのでこれはとても楽しみ。☆一つは今後のために取っておく。
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五木寛之さんの同名のテレビシリーズを書籍化したものです。
五木さんは知識が豊富で,感性がするどいので,とても楽しんで読み進めることができます。そして,そのお寺を是非訪れたくなるのです。
五木さんの文章を読んでいると,石段一つにも,参道のちょっとした風景にも,心を揺さぶられていることがわかります。私なんかが有名な寺院などを訪れたときには,はやくめあての本堂へ…としか思いません。でも本書を読んで,もっとじっくりと古寺を回ろうと思いました。
このシリーズの姉妹品に「写真ガイド」も出ています。こちらは,写真が豊富で,お寺の地図もあります。あわせて揃えられることをお薦めします。
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奈良の主要寺院を巡り、各寺院について著者が語るといった流れの「百寺巡礼」シリーズ。
著者は熱心な浄土真宗信徒ですが、他宗の寺院についても深く詳しい知識を披露してくれており、偏りのない内容となっています。
まず、「鎧坂」という言葉が出てきました。
人の名前にもなっているこの言葉、鎧の「さね」の傾斜に似ている坂という由来だと知りました。
仏教伝来寺、物部氏と蘇我氏が真っ向から対立しましたが、物部氏は古くからの名門だったため、日本古来の神道推進派であり、蘇我氏は新興勢力だったため、渡来人と親密で仏教支持派だったということも説明されていました。
薬師寺、興福寺が大本山である法相宗は、馴染みのない宗派で、信じているという人の話も聞いたことが無いと不思議に思っていたところ、法相宗は学問として仏教研究をする宗派で、檀家という形で大衆生活に密着したものではないということもわかりました。
エッセイ調にまとめられているため、寺院や仏教とは直接関係のないエピソードも多々盛り込まれています。
仏足石から発展した話として、へんぺい足は、近代医学では病気扱いされてきたようですが、日本の農村では激しい労働で足の裏の筋肉が発達した「わらじ足」として、働き者の代名詞とされているというのも意外でした。
また、1960年代のパリはほこりや車の排気ガスですすけた真っ黒な街。だったのが、ド・ゴール政権下のアンドレ・マルロー文化大臣の指令で、市内の建物が洗浄され、真っ白に戻ったという、黒から白い世界への劇的な変化があったことも、この本で知りました。
なにより衝撃だったのは、「ヒノキは千年もつが、コンクリートは三百年しかもたない」ということです。
一見コンクリの方がはるかに頑丈に思えますが、それでも千三百年余の間風雪に耐え抜いた木造大伽藍を見ると、たしかにその耐久度の強さに驚かされます。
ただ、最近の木は、気候の関係で、昔よりも脆弱になってきているとのことで、残念です。
足掛け2年で百寺を巡礼しつくしたという著者。まだ京都・奈良編しか読んでいませんが、私も訪れた寺に合わせて、ほかの地域のものも読み進めていきたいと思います。
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お寺にまつわる言い伝えなどが解りやすく書かれていて、さすが作家さんだなあと思いました。
室生寺や唐招提寺、東大寺のお話がとても印象的で行ってみたくなりました。
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仏像は「見てから知るべき」という言葉になるほど~と思いながらも、奈良旅行に行く前に読めば良かったと激しく後悔。。。
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五木寛之の文章、小学生の時ぶりくらいに読んだけれど、伸び伸びとしていて、子どもみたいな新鮮な瞳でものを見る人だ。とても信頼してしまって、完全に自分を委ねながら読んでしまった。朝鮮引き揚げ者としてのアイデンティティから、自分の故郷を奈良の古刹に見る、というのが胸に刺さった。
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ジャンルとしては何と呼んでいいのかわからないけれど、こういう紀行文的なエッセイが、「るるぶ」のようなガイドブックに比べて良いところは、詳しい写真がほとんどないところだ。
訪れる寺や、仏像の写真を先に見てしまうと、その印象が強く残り過ぎて、現地を訪れた時には、それを「確認」する作業になってしまう。
この本の中にも引用されている言葉に、柳宗悦の「見て 知りそ 知りて な見そ」という言葉がある。まず最初には、情報ばかりを入れずに、実際に見て感じることが重要なのだろうと思う。
かといって、何の情報も知識もない状態では、そもそもどこに行っていいかもわからない。だから、こういう、文章によってその魅力を表現している本の存在というのは、とてもありがたい。
薬師寺にしても、東大寺にしても、法隆寺にしても、当時は学問の府だった。これらの寺では、南都六宗のすべてが研究されていたという。いまで言えば、仏教総合大学みたいなものだろう。そのなかで、薬師寺でもっとも大事にされていたのが法相宗だった。法相宗とは、仏教のなかで非常に奥深くて複雑な「唯識」という思想を研究する学派である。薬師寺は、その唯識という学問を究める寺として知られていた。(p.72)「薬師寺」
「千日聞き流しせよ」
この言葉で、佐伯定胤師はこんなふうなことを言われたのではないか、と私は想像する。仏教とは知識ではない。それは人間から人間は、大事なことは毛穴からしみこんで伝わるものだ。だから、わからなくても、じっと自分の話を聞くがよい、と。(p.161)「法隆寺」
唐が大帝国として東アジアを制覇していく時代、そのなかでの日本は、朝鮮半島の百済と同じような運命をたどって、唐の属国にされるおそれがあった。
飛鳥時代に、その際どいところで、日本という国のアイデンティティを確立しようとしたのが聖徳太子だった。彼は独立国家としての日本を考えて、さまざまな改革をおこなった。
日本の律令政府はかつれ例を見ないような大仏を作り、大仏殿や七重塔を建てた。そこには、日本という国は唐の属国ではない、と声明する強い意志があったのではあるまいか。(p.260)「東大寺」
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寺を巡ってゆくエッセイとなれば、和辻哲郎「古寺巡礼」が有名だが、鬱々としたそれと比べて本シリーズはあっけらかんとかなり明るい。前書きを見れば、編集者と一緒に「モノローグをつづけ、語り、文章を書いた。そのすべてを記録し、肉声も、メモも、原稿も、まるごと集録して一冊の本が生まれた」とある。2年間で百寺を巡る企画なので、そういう形になったのだろう(あとで知ったが、もともとはテレビ番組で、これはその書籍化らしい)。旅ガイドにもなっているし、時々自分の人生も振り返っている。当然、京都で修行した仏教知識は全開である。旅の前後のお供本としては丁度良いものだろう。
私は全く別の感想を持った。
潤沢な資金を持たない一般人の我々ならば、こういう本を作るならば何年必要だろうか。例えば、「百の古墳巡礼」という企画ならば、昨今のブームを受けて成立するのではないか?(全国の古墳数は16万基なので、それでもほんの一部になる)マイナーな古墳にスポットを当てて、古墳の新たな面を照射する企画である。
書く人ならば、いないことはない。
もう30年以上、おそらく万は越していると思われる古墳巡りをしている方を知っている。平家蟹さんという方で「古墳のお部屋」というページを開設していて、道なき山の、痕跡しかないような古墳の全てを、一人で歩き通して写真を撮り、経度、緯度の座標を記入してきた人である。2度ほど古墳巡りを一緒にさせて貰ったことがあるが、これがどれほど凄く、全国の古墳ファンの役に立っているかは計り知れない(約99%の古墳はweb地図に記載など無いから)。平家蟹さんは一度訪れた古墳はほぼ真っ直ぐ迷いなく行くことができる。行って何をしているかというと、石室に入れるところは入ってしばらく恍惚に浸るのだそうだ。五木寛之のような「蘊蓄」は一つも語らないが、当然古墳に対する知識は半端ない。
何度か、本にしたらどうですか?と勧めたことはあるけれども、全然その気はなかった。
私が書くならば「百弥生遺跡巡礼」か‥‥。
全然売れそうもないな‥‥。
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以下、2008年12月に読み終えて、当時別サイトに寄せていたレビューです。
文庫になったのを見つけ、本日購入した。
先ほどまでCAFEで読みふけり、たまらずレビューを寄せている。
まず、冒頭の「百寺巡礼の旅のはじめに」から、私は強く引き込まれた。
人生を4つの時期に分けるという古いインドの考えに触れているのだが、
読んでいて心休まり、その冒頭部分は、
まるで寺院へ向かう参道のような役割を果たしているかのように思われた。
本書は決して本格的な仏教本ではなく、
純粋に寺や仏像を好きである私達のような普通の人間に、手にとりやすいものとなっている。
読むほどに寺の美しさが伝わり、仏像との出会いに憧れを持たせてくれる。
仏像の拝観にあたり、作者は、
「ただその前に立ち、ああ、ありがたいな、という気持ちで拝むことが一番だろう。
いま、この仏様に会えてよかった、・・・・・と素直に思えることのほうが大事なのではないだろうか。」と書いている。
それを読んで私も、「あぁ、私のような拝観の仕方でもいいんだ」と安心した。
私は寺という空間そのものが好きであり、仏像を前に感動するが、
仏学には疎いし、美術的な批判も全くの個人的好みでしてきたからだ。
長くなったが、兎に角、
本書は寺院を身近なものにさせ、私達の目線でその建築の美しさを教えてくれる。
そして、すぐにでもその寺を訪れたくなる一冊である。
そうそう。
個人的には第5章にもある、秋篠寺がお薦めの寺だ。
ここの伎芸天は女性らしい肢体と、優しい表情が実に美しい。
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著者が、日本全国にある百の寺を訪れたエッセイ集の第一巻です。
和辻哲郎の『古寺巡礼』(岩波文庫)や、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』(新潮文庫)などの先蹤はありますが、格調の高いそれらはもちろん、もっと新しい辻井喬の『古寺巡礼』(ハルキ文庫)とくらべても、格段に読みやすい文章で書かれているのが特徴です。
著者は、「寺にも、仏像にも、建築にも、ほとんど無智のまま私は旅に出た。なにかを学ぶためではない、何かを感じるだけでいいのだ、と思ったからである」と語っていますが、著者は親鸞や蓮如について多くの本を刊行しており、けっして仏教にかんする知識をもちあわせていないわけではありません。ただ、著者独自のフィルターを通した「他力」の解釈に見られるように、いかめしい仏教の教理の角がとれて、だれにも親しむことのできるような内容に昇華させているところに、著者の仏教にかんするエッセイの特徴があるように思います。本書でも、そうした著者の強みが生かされており、肩の力を抜いて読むことのできるエッセイになっています。