紙の本
打ち込めることを見つけることが、生きる力になった。
2009/12/28 00:05
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
図書館の児童書の新刊書架で、
表紙に惹かれてたまたま手に取った本書だが、
見返しにこんな言葉が書かれていた。
夜寝るときにママが読んでくれる絵本は、
どれも大好きだった。
ページの下にあった、くねくねした黒いものを
気にとめたことはなかったけれど。
それが、自分で本を読むときになってはじめて、
くねくねしたものこそが大事だと気づいたのだった。
字が読めないコンプレックスや両親の不仲のために、
ケイトは心をかたく閉ざしていた。
だが、ある老人との出会いをきっかけに、
植物を育てる楽しさに気づく。
荒れた庭を再生し、ケイトは、
庭仕事をとおして自分なりの生き方を模索していく・・・。
タイトルでは、わからなかったのだが、
本書は、英国のディスレクシアの少女を主人公とする物語だったのである。
障害をテーマとしている本を探している者の立場だと、
そのテーマであることがタイトルからわかるようになっていると探すのが楽ではある。
だが、タイトルにそれがないからこそ、
意識せずに普通に手にとって読んでくれる人が多くなるので、それでよいと思う。
「グリーンフィンガー」とは、庭仕事が上手な人の手のことだ。
ケイトに庭仕事を教えることになる
ウォルターじいさんの手がグリーンフィンガーで、
やがてはケイトもその手を持つ者へとなっていく。
「つづけていると、そのうちわしの手みたいになるぞ」
ウォルターは両方の手のひらを見せていった。
日に焼けて、ごつごつした手だ。
手のしわは、木を彫ったすじのように見える。
「グリーンフィンガーっていうんだ。
おまえさんもいつかそうなるだろう。
よかったら苗をやろうか? こっちにおいで」
最初は牛も怖いし、花の名前もわからなかったケイトだが、
次第に庭仕事に魅せられていく。
ケイトは、ロンドンで通っていた学校では、
過去に何度も問題を起こして、転校を余儀なくされていた。
読み書きがうまく行かないこと、
そして、教師の理解がないことで、
教室でキレで暴れてしまっていたのである。
この郊外の新しい家、新しい学校に来たときも、
半ばあきらめの気持ちだったのである。
両親は、不仲で、父はこの郊外の家を改築して、
在宅のコンピュータの仕事でなんとか生計を立てていこうとしているが、
母はロンドンで仕事を続けたいと考えており、
何かとチグハグなのである。
母はとうとう平日に仕事でロンドンに行き、
週末に帰ってくるのではなく、
しばらくずっとロンドンにいるという選択をする。
ケイトは友達のルイーズや妹と庭で遊んでいたり、
庭仕事を続けたりするうちに、イメージができる文字に出会っていく。
その文字を見たとたん、
あるイメージがすっと心にうかんだのだ―ルイーズの顔だ。
ケイトはエミリーが遊んでいるあいだ、
太陽の下でじっとそのことを考えてみた。
ほかにも同じような言葉がある。
それは対象とするイメージと感情が思い浮かぶ言葉だ。
それが、文字を読めるかもしれないという自信につながっていく。
不思議なことに、ときどきケイトは人がいったとおりに
言葉を思い出すことがある。
好奇心からつづきを見てみた。
(中略)
ケイトはそこで読むのをやめた。
心臓がドキドキしている。
書いてある言葉の意味がわかるなんて。
ケイトは文字を読めたのだ。
ある日、コスモスの袋に書いてあった指示がきちんと読めたのだ。
また、弟が、パソコン上で、
入力したテキストの間違いをチェックしてくれる
「スペルチェック」というソフトを紹介してくれて、
その力を借りて、レポートも自分で作成できるようになっていく。
庭仕事に打ち込んでその方面で自信を持つことが、
読み書きの力をつけることにつながったのだ。
ケイトの住む家は、かつてはウォルターじいさんの家だった。
妻を亡くし、体力気力が衰え、
また子どもたちの代も庭を手入れしなかったために、
荒れ放題になってしまったのだ。
その庭をケイトは、
ウォルターじいさんのノートを基に再現することを決意する。
庭を持つことはケイトの母の夢でもあったので、
庭を作れば母が帰ってくると思ったのだ。
また、文字を学びつつあったケイトは、
自らの手でウォルターじいさんのようなノート、
<ガーデン・ブック>を作成しようとする。
ディスレクシア、両親の不仲、高齢者の介護など、
児童文学の中に描かれる教育的福祉的課題の数々。
すべてが少女文学的な解決を見るわけではなかったからこその
リアリティーがあった。
また、英国のディスレクシアへのサポートの進んでいるところと
課題なども見えてきた。
ヒロインが元気で魅力的で、読ませるパワーもあった。
偶然だが出会えてよかったと思った1冊である。
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字が読めないコンプレックスのために、ケイトは学校が大嫌い。田舎に越してきたものの、荒れ果てた庭、崩れかけた家、両親の不仲と、なにひとついいことがない。だが、植物を育てるのが上手な老人と出会い、自分にも植物が育てられる事を知ったケイトは、庭の修復にとりかかる。ここが美しい庭になったら、母が帰ってくると信じて。
ケイト自身はもちろん、まわりの大人たちが人間臭くて魅力的。ケイトを応援しながら、大人たちにもエールを送りたくなる物語。
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ケイトのママが理解できない。子供の多感な時期に仕事優先って。まあそれがあるからケイトもがんばれるようになったわけだけど。同じ身勝手ならパパのほうがいいかな。なんかラストもすっきりしない。
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勧めてくれる人の多い本だったので購入し長らく積読だったのだけどようやく読めた。LDの子どもの気持ちと学校の様子、両親の不仲に気を使う子どもたち、失われた庭の復活などこの一冊にこめられたテーマはもりだくさんだ。
作中ケイトの年齢に触れられていないが、内容や字体などから考えて小学生でも十分に読めるし共感もできそうである。
出来上がっていく庭についてやLDを克服しようとする主人公とそのきょうだいや友人についてなどすがすがしく感動できる部分もあるが、母親の態度などについて腑に落ちないと部分もあるかな。
ただし、ラストが変に出来過ぎていないところがとてもよいとおもった。
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イギリスが続いているな。
現代版秘密の花園とも言うべきストーリー。
学習障害を抱え、両親の離婚におびえる少女が土をいじりの中自分の活路を見出す物語。
突破口が見つかるのは日常の些細な出来事からなんですね。
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図書館の児童書の新刊書架で、
表紙に惹かれてたまたま手に取った本書だが、
見返しにこんな言葉が書かれていた。
夜寝るときにママが読んでくれる絵本は、
どれも大好きだった。
ページの下にあった、くねくねした黒いものを
気にとめたことはなかったけれど。
それが、自分で本を読むときになってはじめて、
くねくねしたものこそが大事だと気づいたのだった。
字が読めないコンプレックスや両親の不仲のために、
ケイトは心をかたく閉ざしていた。
だが、ある老人との出会いをきっかけに、
植物を育てる楽しさに気づく。
荒れた庭を再生し、ケイトは、
庭仕事をとおして自分なりの生き方を模索していく・・・。
タイトルでは、わからなかったのだが、
本書は、英国のディスレクシアの少女を主人公とする物語だったのである。
障害をテーマとしている本を探している者の立場だと、
そのテーマであることがタイトルからわかるようになっていると探すのが楽ではある。
だが、タイトルにそれがないからこそ、
意識せずに普通に手にとって読んでくれる人が多くなるので、それでよいと思う。
「グリーンフィンガー」とは、庭仕事が上手な人の手のことだ。
ケイトに庭仕事を教えることになる
ウォルターじいさんの手がグリーンフィンガーで、
やがてはケイトもその手を持つ者へとなっていく。
「つづけていると、そのうちわしの手みたいになるぞ」
ウォルターは両方の手のひらを見せていった。
日に焼けて、ごつごつした手だ。
手のしわは、木を彫ったすじのように見える。
「グリーンフィンガーっていうんだ。
おまえさんもいつかそうなるだろう。
よかったら苗をやろうか? こっちにおいで」
最初は牛も怖いし、花の名前もわからなかったケイトだが、
次第に庭仕事に魅せられていく。
ケイトは、ロンドンで通っていた学校では、
過去に何度も問題を起こして、転校を余儀なくされていた。
読み書きがうまく行かないこと、
そして、教師の理解がないことで、
教室でキレで暴れてしまっていたのである。
この郊外の新しい家、新しい学校に来たときも、
半ばあきらめの気持ちだったのである。
両親は、不仲で、父はこの郊外の家を改築して、
在宅のコンピュータの仕事でなんとか生計を立てていこうとしているが、
母はロンドンで仕事を続けたいと考えており、
何かとチグハグなのである。
母はとうとう平日に仕事でロンドンに行き、
週末に帰ってくるのではなく、
しばらくずっとロンドンにいるという選択をする。
ケイトは友達のルイーズや妹と庭で遊んでいたり、
庭仕事を続けたりするうちに、イメージができる文字に出会っていく。
その文字を見たとたん、
あるイメージがすっと心にうかんだのだ―ルイーズの顔だ。
ケイトはエミリーが遊んでいるあいだ、
太陽の下でじっとそのことを考えてみた。
ほかにも同じような言葉がある。
それは対象とするイメージと感情が思い浮かぶ言葉だ。
それが、文字を読めるかもしれないという自信につながっていく。
不思議なことに、ときどきケイトは人がいったとおりに
言葉を思い出すことがある。
好奇心からつづきを見てみた。
(中略)
ケイトはそこで読むのをやめた。
心臓がドキドキしている。
書いてある言葉の意味がわかるなんて。
ケイトは文字を読めたのだ。
ある日、コスモスの袋に書いてあった指示がきちんと読めたのだ。
また、弟が、パソコン上で、
入力したテキストの間違いをチェックしてくれる
「スペルチェック」というソフトを紹介してくれて、
その力を借りて、レポートも自分で作成できるようになっていく。
庭仕事に打ち込んでその方面で自信を持つことが、
読み書きの力をつけることにつながったのだ。
ケイトの住む家は、かつてはウォルターじいさんの家だった。
妻を亡くし、体力気力が衰え、
また子どもたちの代も庭を手入れしなかったために、
荒れ放題になってしまったのだ。
その庭をケイトは、
ウォルターじいさんのノートを基に再現することを決意する。
庭を持つことはケイトの母の夢でもあったので、
庭を作れば母が帰ってくると思ったのだ。
また、文字を学びつつあったケイトは、
自らの手でウォルターじいさんのようなノート、
<ガーデン・ブック>を作成しようとする。
ディスレクシア、両親の不仲、高齢者の介護など、
児童文学の中に描かれる教育的福祉的課題の数々。
すべてが少女文学的な解決を見るわけではなかったからこその
リアリティーがあった。
また、英国のディスレクシアへのサポートの進んでいるところと
課題なども見えてきた。
ヒロインが元気で魅力的で、読ませるパワーもあった。
偶然だが出会えてよかったと思った1冊である。
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グリーンフィンガーとは緑の指…。学習障害をもつ少女ケイトが夢中になって庭の土を掘り返し、耕して植物の種を植える。頑固者だと思われた老人ウォルターに教えられてのことだった。古い家を作り直し、人が住める居心地のよい空間にしたのはケイトの父。庭作りには、友達のルイーズや弟のマイクとその友達も手伝ってくれた。家と庭の再生とともにケイトの両親の不仲も解けていくようで、妹エミリーの誕生日にウォルター老人が訪れる場面は何とも言えずよかった。庭を作ることによって、障害を克服し、心身ともに成長をとげた少女の姿には感涙もの。
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ケイトは、字が読めないので学校が大嫌いだった。田舎に越してきたものの、荒れ果てた庭や家、両親の不仲と、なにひとついいことがない。だが、植物を育てるのが上手な老人と出会い、ケイトは庭の修復にとりかかる。ここが美しい庭になったら、母が帰ってくると信じて。
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『秘密の花園』ははるか昔に読んで「おもしろかった」ということしか覚えていないけれど、おそらくはその系譜につらなる作品。イギリス人は、庭や植物と向き合うことに、とても大きな信頼を置いているのだと感じられる。
ウォルターおじいさんをのぞいて、出てくる大人がみんな子どもっぽいほどに未熟なのが現代的といえば現代的。両親の溝が深まっていくようすはリアルで胸がいたいほどだし、学校の先生はビョーキじゃないかというくらいにひどい。これはちょっといくらなんでもあんまりかなあ。でも、「ありえん」と切りすてられないのがまたこわいというか。
ちょっと残念なのは、父親にせよ、両親の仲にせよ、重要な変化の部分がわりとあっさり描かれていてどうしてそうなったのかがいまひとつはっきりしないところ。でも、子どもの視点から見たら、大人というのはそういうふうに見えるものなのかもしれない。ケイトを学校の横暴から守ってくれるパパの姿はとても頼もしかったので、それでいいかとも思える。
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ロンドンから、田舎のチャーチファームへと引っ越してきたケイトたち。家は300年も建っていてボロボロ。パパは自分で修理するって。でもママはロンドンでの仕事があるから週末だけやってくることに。パパとママの間は上手くいっていない・・
ケイトは文字がうまく読めないから心を閉ざして学校生活も馴染めない。この田舎に引っ越してきたのも、そんな理由がある。
しかし、老人ウォルターと出会い、植物にふれて、少しずつ考え方も変わってきて。
チャーチファームの荒れた庭を復活させ、ママに戻ってきてもらおうと、庭仕事に精を出すようになる。
庭のこと、文字のこと、懸命に努力するケイトの心の動きや、家族の問題が描かれていて、引き込まれます。
もともとあった庭を取り戻すために、作業していて、埋まっていたものがあらわれてくる姿、「秘密の花園」が思い浮かびました。映像で見たいですね。
感動しました。
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どんどん引き込まれてあっという間に読んでしまった。
学校になじめないケイト、ロンドンから田舎へと引っ越しをして新しい生活をスタート。
両親の不仲、学校に馴染めない日々。そんな中荒れ果てた庭を復活させようと奮闘するケイトのお話。
庭造りを通して自分で成長していくケイトや周りの大人たち。学校の先生は本当にイヤな先生で引き込まれてる分苛立ちもなかなかでした(笑)
物語として最後はえ?って終わり方だったけど、それが現実的なんだろうなぁ。
ケイトが復活させたお庭、実際に見ていたい^^
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主人公のケイトは、文字の読み書きが出来ないというコンプレックスを抱えていた。そのため周りとうまく付き合えないのだが、引っ越し先で、ある老人に出会い植物を育てる楽しさに目覚める。緑の指を持つ主人公が、植物を通して自分に出来ることは何か模索していく成長物語。
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緑を育てることで、疲れ果てた心や、システム的に進めていこうとするやり方に馴染まない心が、やがて、癒されていく。
言葉をうまく読んだり書いたりできない(識字障害)ケイトも、学校に馴染まないせいで、ロンドンから田舎に家族で引越し、隣家の老人ウォルターと知り合い、小さな芽に心を動かされ、荒れ果ててしまった庭を再生することで、自分自身も再生させていく。学校ではなし得なかった文字の読み書きも、自分で学んでいく(妹と弟の助けも借りながら)。
でも、年老いたウォルターは庭が子どもたちの手で美しく再生されたのを見届けて、その庭で微笑みながら息を引き取ってしまう…。
「あたしがかかわると、ろくなことにならないんだ」
「なにもかも」
物語の終わり、絶望して泣き崩れるケイトの言葉を、ウォルターの孫、友人ルイーゼが否定する。
ウォルターは寂しがっていた。それをケイトが来るまでわからなかった。それなのに、美しくなった愛する庭で、微笑みながら亡くなることができた。
癒しのきっかけなど、どこにあるか、わからない。それは人ぞれぞれだ。
病院で癒される人もあるかもしれない。学校で学ぶ人もあるかもしれない。それ以外の場所で、庭であったとしても、何もおかしいことはない。育っていく植物には、明らかに癒しの力が潜んでいるのだから。
これからも、ケイトは庭の世話を続けるだろう。グリーンフィンガー(緑のゆび)の持ち手として。
…それにしても、学校の教師はひどい。学校自体もひどい。管理教育って、あんな感じか。人として向き合うことがない。こんな学校では、子どもはのびのびとは育つまい。
何気に、弟のマイクが賢こくて(思慮深く、全体の判断力もある)良かった。
追記:
ちなみに、これ、タイトルが違ったら、もっと読まれるのではないだろうか、と、ちょっと思った。「グリーンフィンガー」が伝わりにくい。
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作者はイギリスでの教諭経験があり,思春期の少女の生活を現実感を持って描写.主人公の少女は読字障害を持って居るのだけれど,五感(畑の匂い,土の手触りなど)と農作物への興味から,字を読むことへ努力する.LDなんての主人公の属性の一つに過ぎない感じで強調されていない.
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主人公は目には見えない障害を抱えています。
それがゆえに彼女は学校生活に
なかなかなじむことはできませんでした。
だけれどもよく読んでいると彼女は自分の意見を
しっかり言える少女なんですよね。
ただその1つの生涯が足かせになっていたわけ。
そして彼女の家庭にも問題があって
誰にもその思いを伝えることはできなかったんだろうな。
たぶんこの本は相応の年代の子が読んでも
あまり面白いとは感じないと思うの。
ただ、親御さんはこの本を読んで
不思議そうな顔をしていたらフォローしてあげて
欲しいなとは思うのね。
世の中はうまくは回らないけど
彼女が過ごして汗を流して手入れをした庭は
手入れをすればするだけ輝いてくれる。
裏切らないということ。