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歎異抄 大文字版 (ちくま学芸文庫)
歎異抄
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読むのは興味深いところがあるが…。
2009/05/19 21:39
9人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「よきひとのおおせをかぶりて」の4頁によると「本願寺派の末寺の長男として生まれて」とあるから服部之総と同じだが、「親鸞の子孫を「生き仏」として仰ぐ教団が今に至るまで存続する」といった無意識な本願寺中心主義的なものが伺えるのも同志スターリンが「生き神様」で「プロレタリアートの祖国・ソ同盟」が地上の楽園!視したはずの服部之総の「親鸞ノート」に似ている。高田派や佛光寺派といった親鸞の子孫を法主としていない真宗教団は、どこかへ行ってしまったようだ。
「教祖の絶対性は、その血筋につながる子孫にも受け継がれる」(97頁)とか「こうした現象の背景には天皇制につながる、日本社会の根強い血筋信仰」(98頁)といった言葉があるが、江戸末期の天理教以降の新宗教ならともかく、本願寺派や大谷派、木辺派といった宗祖「親鸞の子孫を「生き仏」として仰ぐ教団」は近世以前では浄土真宗特有では?特に覚如上人が親鸞聖人の曾孫である本人が中心になって教団を組織しようとしたり、蓮如上人が自分の連枝を各地に派遣した、といった事はもとより、そもそも息子の善鸞を東向したのは親鸞聖人本人ではないのか。「血筋信仰」というならば親鸞聖人自身が日野家の傍流で本願寺が巨大になった時代が日野家本家をはじめとする一門が隆盛を誇った時代と重なっているのでは?
著者は「親鸞の子孫」をはじめ、真宗十派等の当主を「生き仏」として崇める教団を批判するが、「よきひとのおおせをかぶりて」の中に引用されている訓覇信雄師の「同朋社会の顕現」差別事件をどう思っているのか、知りたいものだ。これは部落差別や反戦運動に対する批判が問題になっているが、職業を持つ女性に対する差別も含まれている。京大とNHKの後輩の訓覇師の孫である訓覇圭プロデューサーの奥さんは石田ひかりさんだけど。案外、見えないものだが、重要なものだ。
「一つの教団は一九六〇年代から始まる信仰復興運動の中で、「生き仏」の存在を制度的に否定する事に成功した」(100頁)とあるが、大谷派にしても門首制度までは否定していないし、「よきひとのおおせをかぶりて」4,307頁には同朋会運動自体が敵である大谷家の一部や保守派が宗門から出て行ってから「急速に反動化」とあるので。