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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.11
  • 出版社: 朝日新聞出版
  • サイズ:19cm/282,11p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-02-250666-5

紙の本

転移

著者 中島 梓 (著)

2009年5月26日、ガンのため56歳の生涯を閉じた中島梓=栗本薫。作家であり、主婦であり、母であった彼女が、2008年9月から2009年5月17日、意識を失う直前まで書...

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商品説明

2009年5月26日、ガンのため56歳の生涯を閉じた中島梓=栗本薫。作家であり、主婦であり、母であった彼女が、2008年9月から2009年5月17日、意識を失う直前まで書き続けた闘病日記。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

中島 梓

略歴
〈中島梓〉1953〜2009年。東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。執筆活動、舞台プロデュース、ジャズピアニストなどさまざまな分野で活動。「文学の輪郭」で群像新人文学賞評論部門を受賞。

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評価内訳

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紙の本

中島梓/栗本薫の最期を知りたくて

2010/02/20 18:59

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る

2009年にショックだったことの1つが栗本薫/中島梓の死だった。
ネットのニュースで彼女の死を知った時にはしばらく茫然というか、いわゆる何も手に付かない状態だった。何がどうというわけでなく、ただただショックだったのを今でも覚えている。
もちろん彼女がガンだったというのは知っていたし、『ガン病棟のピーターラビット』の最後で転移について触れられていたので、いずれはこういうことはあるとは思っていたが、それにしてもこんなに早かったとはとしか言いようがない。
ネットのニュースでは中島が亡くなったことと彼女の業績について触れられていたが、彼女の最期がどんなだったかについてはあまり触れられていなかった。でも、ファンとしてはそこを知りたかった。
そう思っていたところ出版されたのがこの本だった。
もっともこの本の「プロローグ」は2008年4月28日付で、当初はエッセイ風のものを意図していたようだ。ところがこの「プロローグ」の後ろに「著者註」として、
「ここまでは「転移」というタイトルで、肝臓への転移が判明した4月から、「ガン病棟のピーターラビット」と同じようなスタイルで書き始めてみたものですが、長い時間かけて書いてゆくにはこのような書き方よりも日記スタイルのほうがふさわしいと思い、10月に、9月の分を起こしてそこから「転移日記」というスタイルにあらためて、そののちいまにいたるまで書きついでいるものです。予定としては、私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもりです」
と2009年2月12日付で書かれており、日記の体裁として書かれるようになった。
日記としては充実したものとは言い難い。もちろんガンを患う身であり、その治療としての化学療法の副作用でかなり体調は悪かったようで、日々の記述は体の痛みの軽重やその対策であったり、どんなものが食べられて何が食べられなかったかということが繰り返し綴られている。それでもその合間に次の小説の進行の程度やライブを行ったことが綴られているのが中島らしいと言えばらしいのかもしれない。
日記という体裁にしたせいだからか、上記のような記述の間に時に中島らしさをうかがわせる記述もあった。
「もう、次の「あらたな年」があるかどうか、それはわからないが、それももう何も考えない」(2008年12月28日)
「ときどき、音をたてて「生きる意欲」が萎えてゆくのがわかる気がすることがある」(2009年1月15日)
「奇妙なことに、私はひどい運命が目の前にやってきたときのほうが闘志がわいて勇気が出てくる」(2009年3月13日)
「そう、世の中は「淡交」でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい」(2009年4月9日)
このような生き方をしてきた人が作り上げたものだから、私はずっと広範囲かつ多量にわたる作品を読み続けてきたのだと思うし、それを改めて確認すればするほどまた悲しくなる。
そしてこの本の巻末に、ノートに書かれた5月15日、16日の日記の写真と、5月17日にパソコンで書こうとしたであろう最期の日記がリターン・キーの記号がいくつも並んでいるのを見ると、悲しみは一層深くなる。

巻末に栗本薫/中島梓 全仕事リストが収められているが、その種類、数を見ると彼女がいかに多彩な作家であったかがわかるが、その最期にこの本が並ぶのかと思うと、これもまた悲しくなってくる。

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紙の本

私も(誰もがそうだが)やがて死にゆく存在であること、そして日記をつけていること、その二つのことから本書を読む。

2010/02/23 23:23

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者は12歳のときから日記を続けてきたと、このなかで書いている。《私はとてつもない記録魔だ。毎日毎日、行動録から食べたもの、そのカロリー、体重に血圧に基礎代謝に読んだもの、書いた小説の量までことごとく記録しておかないと気が済まない。》《記録がなくなったら大変だからパソコンに移してからもバックアップはおびただしく確保してある。》
 だがこうした記録(この日記に反映されるのはそれらの一部である)をつける気力、体力がなくなりそうな病症に抗うかのように著者は必死でこの日記をつけ続ける。
 中島梓にとって重要な時の単位は「月」であるのだろうか。日記の始まる2008年9月を別とすれば、10月から翌09年5月まで、彼女は月の初めの日の日記を欠かさない。それは後になるにしたがって、その月を生き抜き、翌月にたどりつこうとする意志の気配を高めていくかのようだ。
 この日記に、ガンの転移という重大な病気とその治療からくる痛みの記述が多いのは当然だとしても、食べることの記述が大きなスペースを占めていることにも気づかされる。だがそれは食通が美味しいものを食べる悦びの表現ではない。
 病いの進行のために食べものを受けつけられず十分にカロリーがとれないだけでなく、著者が以前から摂食障害だったことが、事態をさらに複雑にしている。
 私は著者の書く長大なエンターテインメント小説をまったく読んでいないが、この日記のなかで少しふれている、かつて一部を書き、その続きの執筆を編集者から勧められた自分の母とのことを内容とした「純文学」には、なんとなく興味がある。
 4月11日の日記に著者の子供時代からいたお手伝いさんが著者の食生活に与えた影響が詳しく記されている。家には寝たきりの弟がいて、著者の母親はそのためにお手伝いさんを必要としたのだが、著者は老いた母親との齟齬を今でもかかえている。
 だが結局、著者は「純文学」を書くのをやめ、何種ものシリーズ小説に自分の進む道を定めた。この日記にも著者の読者へのサービス・配慮はあるような気がする。
 あるいはかつて書いた自伝的な「純文学」に著者が思い描いた評価がなされなかったためもあるのかもしれない。

 この日記を読みながら、もし私がこのような死期の迫った病気にかかったとき日記を書き続けるだろうかと自問した。
 もちろん人気作家である著者は自分の書きつつあるものが、死後公表されていることを意識しており、その点で私を含め多くの日記をつけている人とは異なる境遇にある。だが私が考えたのは、「死」から見ると、その差(死後公表されるかどうか)は小さいことではないか、ということだった。
 著者はまた日記のなかでもしばしば記しているように、旺盛な筆力をもって『グイン・サーガ』他の著作を書き続けており、それは病気の著者を最も深いところで支えているだろうと推測できる。
 ここで私が考えたのは、たとえば著者はそうした書く仕事と、目の前の痛みそしてその痛みがなくなり痛みをかかえた自身もなくなる死とを秤にかけたことがあっただろうかということである。
 たとえばこの日記のなかには、自分の作品と死を直接秤にかけるような言葉(たとえば、もし痛みや死からまぬがれえるなら作品はいらない、少なくともこれからの作品はいらないというような)は見当たらない。
 だが著者が「もうこんなに辛いならいっそ早く死んだほうが楽かな」と書くとき、そこには、これから書くもの・これから書くことを、痛みそして死と、ある意味で秤にかけている。とはいえ、さらに突っ込んで痛みや痛みのなくなる死を作品(書くことや著作)と秤にかける言葉を記すことはない。
 それを記さないことに読者へのメッセージを私は読む。それはこの日記が公表されることを意識しているからではないか。
 この作品はいらない・この痛みが消えるならば、と著者は繰り返し自問をしていただろうか。それは分からないし、それを知ることも虚しい。ただそうしたことをわずかに想像させる言葉をふと洩らす程度にとどめたところに著者の姿勢があり、前述したが読者へのメッセージがあったのだと思う。

 死と作品について口はばったいことを語りえないことを自覚しつつも、ある時期に感じていたことを私は思い出す。
 それは日記についてあれこれを考え・書き続けていたときだが、休みの日に決まって大型トラックが通る道路を自転車で図書館に向かいながら、こうしたところで事故を起こして死んだら今まで書いたものがまとめられなくて残念、といった気持ちである。私にはそのとき、転移日記を書いていた当時の著者のような迫る死や我慢しがたい痛みはなかったので、そもそも比較が妥当ではない。
 とはいえ出版できたその日記論の本には、死や痛みと日記を関連させた二つの章がある。死を前にした多くの日記を読み、それらについて書いたのである。

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2009/12/16 00:13

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2010/01/13 16:53

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2010/02/15 00:23

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2010/03/29 23:22

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2010/05/16 16:37

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