紙の本
中島梓/栗本薫の最期を知りたくて
2010/02/20 18:59
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
2009年にショックだったことの1つが栗本薫/中島梓の死だった。
ネットのニュースで彼女の死を知った時にはしばらく茫然というか、いわゆる何も手に付かない状態だった。何がどうというわけでなく、ただただショックだったのを今でも覚えている。
もちろん彼女がガンだったというのは知っていたし、『ガン病棟のピーターラビット』の最後で転移について触れられていたので、いずれはこういうことはあるとは思っていたが、それにしてもこんなに早かったとはとしか言いようがない。
ネットのニュースでは中島が亡くなったことと彼女の業績について触れられていたが、彼女の最期がどんなだったかについてはあまり触れられていなかった。でも、ファンとしてはそこを知りたかった。
そう思っていたところ出版されたのがこの本だった。
もっともこの本の「プロローグ」は2008年4月28日付で、当初はエッセイ風のものを意図していたようだ。ところがこの「プロローグ」の後ろに「著者註」として、
「ここまでは「転移」というタイトルで、肝臓への転移が判明した4月から、「ガン病棟のピーターラビット」と同じようなスタイルで書き始めてみたものですが、長い時間かけて書いてゆくにはこのような書き方よりも日記スタイルのほうがふさわしいと思い、10月に、9月の分を起こしてそこから「転移日記」というスタイルにあらためて、そののちいまにいたるまで書きついでいるものです。予定としては、私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもりです」
と2009年2月12日付で書かれており、日記の体裁として書かれるようになった。
日記としては充実したものとは言い難い。もちろんガンを患う身であり、その治療としての化学療法の副作用でかなり体調は悪かったようで、日々の記述は体の痛みの軽重やその対策であったり、どんなものが食べられて何が食べられなかったかということが繰り返し綴られている。それでもその合間に次の小説の進行の程度やライブを行ったことが綴られているのが中島らしいと言えばらしいのかもしれない。
日記という体裁にしたせいだからか、上記のような記述の間に時に中島らしさをうかがわせる記述もあった。
「もう、次の「あらたな年」があるかどうか、それはわからないが、それももう何も考えない」(2008年12月28日)
「ときどき、音をたてて「生きる意欲」が萎えてゆくのがわかる気がすることがある」(2009年1月15日)
「奇妙なことに、私はひどい運命が目の前にやってきたときのほうが闘志がわいて勇気が出てくる」(2009年3月13日)
「そう、世の中は「淡交」でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい」(2009年4月9日)
このような生き方をしてきた人が作り上げたものだから、私はずっと広範囲かつ多量にわたる作品を読み続けてきたのだと思うし、それを改めて確認すればするほどまた悲しくなる。
そしてこの本の巻末に、ノートに書かれた5月15日、16日の日記の写真と、5月17日にパソコンで書こうとしたであろう最期の日記がリターン・キーの記号がいくつも並んでいるのを見ると、悲しみは一層深くなる。
巻末に栗本薫/中島梓 全仕事リストが収められているが、その種類、数を見ると彼女がいかに多彩な作家であったかがわかるが、その最期にこの本が並ぶのかと思うと、これもまた悲しくなってくる。
紙の本
私も(誰もがそうだが)やがて死にゆく存在であること、そして日記をつけていること、その二つのことから本書を読む。
2010/02/23 23:23
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は12歳のときから日記を続けてきたと、このなかで書いている。《私はとてつもない記録魔だ。毎日毎日、行動録から食べたもの、そのカロリー、体重に血圧に基礎代謝に読んだもの、書いた小説の量までことごとく記録しておかないと気が済まない。》《記録がなくなったら大変だからパソコンに移してからもバックアップはおびただしく確保してある。》
だがこうした記録(この日記に反映されるのはそれらの一部である)をつける気力、体力がなくなりそうな病症に抗うかのように著者は必死でこの日記をつけ続ける。
中島梓にとって重要な時の単位は「月」であるのだろうか。日記の始まる2008年9月を別とすれば、10月から翌09年5月まで、彼女は月の初めの日の日記を欠かさない。それは後になるにしたがって、その月を生き抜き、翌月にたどりつこうとする意志の気配を高めていくかのようだ。
この日記に、ガンの転移という重大な病気とその治療からくる痛みの記述が多いのは当然だとしても、食べることの記述が大きなスペースを占めていることにも気づかされる。だがそれは食通が美味しいものを食べる悦びの表現ではない。
病いの進行のために食べものを受けつけられず十分にカロリーがとれないだけでなく、著者が以前から摂食障害だったことが、事態をさらに複雑にしている。
私は著者の書く長大なエンターテインメント小説をまったく読んでいないが、この日記のなかで少しふれている、かつて一部を書き、その続きの執筆を編集者から勧められた自分の母とのことを内容とした「純文学」には、なんとなく興味がある。
4月11日の日記に著者の子供時代からいたお手伝いさんが著者の食生活に与えた影響が詳しく記されている。家には寝たきりの弟がいて、著者の母親はそのためにお手伝いさんを必要としたのだが、著者は老いた母親との齟齬を今でもかかえている。
だが結局、著者は「純文学」を書くのをやめ、何種ものシリーズ小説に自分の進む道を定めた。この日記にも著者の読者へのサービス・配慮はあるような気がする。
あるいはかつて書いた自伝的な「純文学」に著者が思い描いた評価がなされなかったためもあるのかもしれない。
この日記を読みながら、もし私がこのような死期の迫った病気にかかったとき日記を書き続けるだろうかと自問した。
もちろん人気作家である著者は自分の書きつつあるものが、死後公表されていることを意識しており、その点で私を含め多くの日記をつけている人とは異なる境遇にある。だが私が考えたのは、「死」から見ると、その差(死後公表されるかどうか)は小さいことではないか、ということだった。
著者はまた日記のなかでもしばしば記しているように、旺盛な筆力をもって『グイン・サーガ』他の著作を書き続けており、それは病気の著者を最も深いところで支えているだろうと推測できる。
ここで私が考えたのは、たとえば著者はそうした書く仕事と、目の前の痛みそしてその痛みがなくなり痛みをかかえた自身もなくなる死とを秤にかけたことがあっただろうかということである。
たとえばこの日記のなかには、自分の作品と死を直接秤にかけるような言葉(たとえば、もし痛みや死からまぬがれえるなら作品はいらない、少なくともこれからの作品はいらないというような)は見当たらない。
だが著者が「もうこんなに辛いならいっそ早く死んだほうが楽かな」と書くとき、そこには、これから書くもの・これから書くことを、痛みそして死と、ある意味で秤にかけている。とはいえ、さらに突っ込んで痛みや痛みのなくなる死を作品(書くことや著作)と秤にかける言葉を記すことはない。
それを記さないことに読者へのメッセージを私は読む。それはこの日記が公表されることを意識しているからではないか。
この作品はいらない・この痛みが消えるならば、と著者は繰り返し自問をしていただろうか。それは分からないし、それを知ることも虚しい。ただそうしたことをわずかに想像させる言葉をふと洩らす程度にとどめたところに著者の姿勢があり、前述したが読者へのメッセージがあったのだと思う。
死と作品について口はばったいことを語りえないことを自覚しつつも、ある時期に感じていたことを私は思い出す。
それは日記についてあれこれを考え・書き続けていたときだが、休みの日に決まって大型トラックが通る道路を自転車で図書館に向かいながら、こうしたところで事故を起こして死んだら今まで書いたものがまとめられなくて残念、といった気持ちである。私にはそのとき、転移日記を書いていた当時の著者のような迫る死や我慢しがたい痛みはなかったので、そもそも比較が妥当ではない。
とはいえ出版できたその日記論の本には、死や痛みと日記を関連させた二つの章がある。死を前にした多くの日記を読み、それらについて書いたのである。
投稿元:
レビューを見る
中島梓さん、栗本薫さんが亡くなられて、半年ほど経ちました。先週、最後の『グインサーガ』が刊行されました。私は127巻から読めなくなってしまいました。読んでしまうと、決定的に先が読めないから。この本は、中島さんの最期の日記です。
食べることがこんなに大変なのかと思い、最期の最期まで書き続けて生きていたかったであろう彼女の戦いを見ました。
ここ数年、身内が相次いで4人逝ってしまい、相次いで親しい方やファンだった方が逝ってしまってとても寂しいです。
投稿元:
レビューを見る
ライトノベルの印象が強い中島さん。
中島さんといえば「魔界水滸伝」のイメージ。
死を意識したときから昏睡に陥るまでの日常。
正岡子規の「仰臥漫碌」を思わせられた。
投稿元:
レビューを見る
癌とは亡くなる直前まで、食べて考えて歩けるんだなと。
しかし、お金がある人にもない人にも、癌とは人間の最後には苦痛を与えるものなのだと。
投稿元:
レビューを見る
本当に書かずにはいられない人だったんでしょうね。書いているあいだは死なないというような執念を感じました。
投稿元:
レビューを見る
昨年の5月に亡くなった中島梓(=栗本薫)の「転移日記」。「私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもり」という記録である。そして、亡くなる10日前に昏睡状態に陥るまで、記録は続けられた。
平安寿子の小説がどちらかといえば「母もの」だったのと似て、中島梓のこの記録にも「母」がたびたび登場する。たまたま続けて読んだからかもしれないが、「母」が書かれると、それを書いているアスコやアズサは「娘」だなあと強く思う。
巻末に「栗本薫/中島梓 全仕事」というリストがある。本だけでも、膨大なものだが、舞台やライブもあり、そういう方面の活動を全く知らなかった私は、ただただ(ものすごい仕事量やなア)と圧倒される。
投稿元:
レビューを見る
毎日、中島梓さんと同じご病気の方たちと接する者として読みました。
にこやかだったりすぐれない表情だったり、一人ひとりそしてその時々で、様々にお話をしてくれる患者さんの心のうちを知りたかったので。
中島さんは、外に向けてはライブをしたり執筆活動やインタビューなどもこなし、家庭では食事を作ったり、植物やペットの世話をし、好きな着物を着て素敵に充実した毎日を過ごされている方だったんですね。
病状と亡くなった日を照らし合わせて、さぞかしお体は辛かったことと思います。
そんな状態でそんな無茶を…、と読み始めた当初は思いました。
けれど、それらを取り上げてしまったら、それこそ“生ける屍”になってしまったことでしょう。
だらだら過ごすことに強く罪悪感を感じ、常に何か生産的なことをしなくては、頑張らなくては、という思いが、痛々しく思える反面、その気持ちがあったからこそ、病と向き合いあきらめることなく過ごせたのでしょう。
なかなかここまでアクティブな患者さんにお会いしたことがなかったので、とても勉強になりました。
いつまでも、自分の好きなこと・好きなものを追い求める気持ちって大切ですね。
終わりの方の、入院してからの記録が辛かった。
手書きの2ページと改行のページが……。
うすれゆく意識の中で、何を思ったのでしょうか。
ただ気になるのが、緩和ケアやホスピス、医療用麻薬についての誤解が見受けられたところです。
免疫療法やかかりつけの医院があったようですし、親しい方からマッサージを受けるなどされていましたが、もっと積極的に症状緩和の治療を受けられていれば、より多くのことができたのではないかと、少し残念に思いました。
投稿元:
レビューを見る
読んでみようと思ったのは、中島さんのエッセイは好きだから。
「息子に夢中」は今でも大事に持っていて、よく読み返します。
いろんな日々考えていることの他に、その時の仕事の進捗状況に食事のメニュー。
何が楽しいのかと思うと、何なんだろうと思うけれど、やっぱり読んでいると楽しいのです。
そんな中島さんのエッセイであり、しかも最後の言葉なら、これはやっぱり読んでおくべきだろうなと思ったのがきっかけでした。
そして、思っていた以上に衝撃を受けました。
闘病記は読むのにそれなりの覚悟が要ります。
今まで読んだ本は少なくともそうでした。
で、そんな気負いはこの本にはありません。
あるのは、病気に向き合うことと、その中で自噴の生き方をみつけること、そして病気と折り合っていく日々のような気がします。
戦っていない、病気とは。
だからと言って辛くないのかというと、そんなことはなく、文章は淡々としているものの、こんなすごい症状で、小説を書き、家族の食事を作り、日々過ごしている彼女の生き方に、すごく驚きました。
戦っていたら、きっとこれは出来ないのではないか。お互いに譲歩するところは譲歩して共存しているからこその、この頑張りなのかな、と思ったり。
もう終わりに近づいてきたのに、読み切ってしまうのが怖くてだらだら読んでいます。
最後のページは我慢できずに見てしまったのですが、これの校正をしていた編集者さんたちは、泣いたんじゃないのかな、と思ってしまうような最期でした。
これを読み終わった時、本当の意味で彼女にお別れを言って、冥福を祈れる。
そんな気がします。
で、読み終わりました。
何というか…感想を書く言葉が見つからない感じです。
リアルに中島さんをそこに感じた、そんな本でした。
心から、彼女の冥福をお祈りいたします。
私たちに貴女の生きざまを見せてくれてありがとう。
そう思いながら。
投稿元:
レビューを見る
言葉を大切に、人に伝えたいと、それだけを願っていたように思う。最後まで、小説家栗本薫、生き様見せてもらいました。ありがとうございます。
投稿元:
レビューを見る
中島梓(小説家としては栗本薫)の最後のガン闘病日記。日1日と病状が悪化する中で、自分自身を客観的に俯瞰して記録したその言葉は重い。
また、大好きな着物や食べ物の話も意識を失う直前まで頻繁に触れられていて、それだけでも著者の人となりが想像できるというものである。
これを読むと今「生かされている」ことがいかに貴重なのか、あらためてずっしりと思い知らされる。
投稿元:
レビューを見る
こんなに才能ある人をなくしてしまったのが残念です。
でも、そんな人がこのような体験をしてそれを残してくれたことは貴重、読むことができ、ありがたいです。
投稿元:
レビューを見る
これも母がガンで急逝したことをきっかけに読み始めました。これを読んで「癌という病気にだけはなりたくない」、「癌という病気でだけは死にたくない」と骨身に染みて思いました。
この上ないキツイ治療の連続にもかかわらず、治るどころか着々と蝕まれていく肉体、刻一刻と迫り来る死への恐怖に心まで追いつめられてゆく。どんな我慢も努力も苦労も報われない、そんなガンの恐ろしさを「ガン病棟のピーターラビット」とともにこれでもかというほど思い知らされました。
母が亡くなるときもそうだったけど、癌という病気はまるでエイリアンのようです。誰がどこから見ても死ぬとは思えない、本人でさえ死ぬなんて絶対に思えないほど、気力だけは活き活きと満ち溢れた状態のまま、癌という訳のわからぬものに体を侵略され、もっともっと生きていたいと叫びながら殺されていく・・・。
とにかく「無念」・・・その言葉に尽きます。「転移」の最後の手書きノート、パソコンの「ま」→改行の印字、何もかもが「まだまだ生きたい!!生きてやりたいことがいっぱいあるのに!!」という無念の叫びが伝わってきます。
◆追記◆
一度読み終わったあともう一度何気なくパラパラと読んでみたら、最初に読んだときより不思議と面白く読むことが出来ました。気付けば中島梓という作家に惹き込まれ始めていました。
普段自分は小説というものを読まない人種なのですが、ここにきて初めて「さすがはベテランベストセラー作家だなぁ」としみじみ感じとることが出来ました。
なんていうか面白いというか上手いんですよね書き方が。ひとつひとつの言葉の流れや言い回しがまるで「あずさ節」のように耳に心地よく響いてきます。
末期ガンという暗い内容であるのに、彼女独特の節回しがかかるとたちまち躍動感にあふれ彼女の世界がどんどん広がってゆきます。
自分が小説とかを読まない理由がほとんどの場合「長い」イコール「めんどくさい」からですが、しかし彼女の作品はちっとも長さを感じない。いくらでも読んでいられるし読んでいたいと思わせる。そこがベストセラー作家の実力なのでしょう。きっと自分は今までつまらない作品ばかりに出会っていたのだろうなぁと思います。
この本の最後は彼女の最期と重なっており、この本自体もまさに絶筆となっていますが、有名なグインサーガとともに彼女の死は非常に残念なことであったと心から思います。
投稿元:
レビューを見る
闘病記で、ただ暗く悲しくなく、思わず読んでしまったものは、これともう一冊だけ。『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 』(文春新書)頼藤 和寛さんのご本だけである。それ以外に私が手にした闘病記といえば「ありがとう、愛!」安井かずみさんくらいか。
最近周囲の親しい友人が、癌ではないが病気にまつわるあれこれを相談してくる事が多く、私自身はどういうわけか、明るい普通の本を受け付けなくなってしまって、もう聞くのは一杯のはずが、逆に闘病記を選んでしまった。私自身はグイン・サーガのファンで、栗本薫さん名義のご著書も大好きだったから、彼女が亡くなられてからこの本だけはつらくて読まなかったのだけど…。
読後の感想は悪くない。見事な生き方をなさったな…とこころから思う。ご家族や周囲の支え、良いドクターに恵まれてのことであろうけれど、それにしても見事。ぎりぎりまで美しく装うことや、暮らすことを愛し、何より書くことを愛していらした。
グイン・サーガの最後の方で、レビューに「早く続きを書け」といった趣旨のものがあって、とても腹が立ったが、やっぱり思う。人間案外ギリギリまで色々できるが、これまでかとなってきたなら、出来ない事も厳然としてあるのだ。こんな見事な「人に読ませる事のできる本」を残していったのに、何が早く書け、だろうと。
この日記も見ていると、亡くなられたことをこっちが知っているからかもしれないけれど、ある時期の記述を境に、がくっと苦しくなっていて、ああ、と思う。ここからこのひとは死に向かって行ったのだなと。ずっと一冊読んでいると、同じような記述なのに明らかに色合いが変わるところがあり、そのくせプロの筆力でもって淡々と同じ色合いのように感じさせて先を読ませる。
その隙間から零れ落ちる重さ、苦さ。どうにもならなさに、先を読んでははっとする。
「死ぬ時に馬鹿な冗談を言って死にたい。」という私の家族の言葉に、「そんなものいよいよとなったら苦しくて、言葉も出ないよ。やめてくれ。」と、いつも切実に頼んでいるが、ふとそのやり取りを思い出した。
私はいつまで生きて。
いや
いつ死ぬのだろう。
苦しくないわけがない。わかっている。
でもいつまで、私として生きるだろう。
せめて少しでも、人らしく苦しまず
揺すぶられずいられたらいいのだが。
いま、独りでいたくない。
だけど誰にも言葉をかけられなのが悲しい。
自分の思う人と、誰にも責められず
思う通りの言葉を交わしたい。
それはいつまで、私に許されるだろう。
中島さん、知りたいですよね…その答え…。
投稿元:
レビューを見る
「アマゾネスのように」「ガン病棟のピーターラビット」に続く中島梓(栗本薫)3冊目の闘病記です。
「ガン病棟のピーターラビット」の最後でガンが肝臓に転移したことが触れられ、その後から亡くなるまでの記録です。
この3冊目は日記として書かれています。
前2冊と異なり、この本では状況がとても切迫していきます。まぁ亡くなる直前までの日記なので、当然と言えば当然かもしれません。
しかしやはり彼女は凄い人です。本当に小説に命を捧げた人なのですね。
2009年5月17日に昏睡状態に陥り、26日に亡くなります。しかしその直前まで日記は記録されます。
15日と16日の日記はパソコンではなく手書きで書かれています。かなり字が乱れていて読み取れない文字もあるようです。そして17日にはパソコンで1文字だけ。ここまで来るともう執念ですね。
この本はかなり前に購入していたのですが、彼女が亡くなってもう7年。やっと読めました。あらためてご冥福をお祈りいたします。