紙の本
刺激的だが、不穏当な雰囲気もある。
2016/10/17 19:24
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本でも引き合いに出されるジャレド・ダイアモンドも過激だが、純粋な研究心の結果としての過激さだと思われるのに対し、どうも本作の著者たちは過激さをアピールせんとしているように見受けられ、そこら辺が不穏当に感じられる。色々修飾されているが、要は「アシュケナージ系のユダヤ人のIQが遺伝的に高いとわかったけれど、どう伝えよう?」が本作の主張である。進化論が差別やエリート主義に親和性が強いのはわかっているが、「自分達はそんな差別意識は持っていないが、事実差異はあるんだから、みんなその事実を受け止めましょうよ。」という無責任さが見える。自分達の主張が差別主義者にどう使われるか、とっくに分かっているのに、理論武装ばかりで自分達のスタンスを保留するのがいやらしい。面白かったが、満点はつけられない。
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生物学は、人種の間に差はない、現生人類は進化が止まっているという学説を主流においた。著者は主流学説に反して、現在も人類は進化し続けているとする。以下印象的な箇所のレジュメ。
・植物や動物は、残したい形質を選択的に遺伝させることで、品種改良できる。品種改良は数世代で簡単に行える。品種改良は進化の一種である。つまり、進化は短期間でも起きる。
・現生人類とネアンデルタール人は、種として異なるという説が主流だが、現生人類は、絶滅前のネアンデルタール人と混血して、彼らの遺伝子を取り入れた。ネアンデルタール人の特徴を受け継いだからこそ、現生人類は繁栄することができた。
・牛乳を飲んで、栄養を摂取することを可能にする遺伝子をヨーロッパ系の人は持っている。牛の牧畜を長年してきたためである。牛乳を飲む習慣のなかったアジア系の人には、この遺伝子が少ない。
・ヨーロッパ系の人が、アフリカ、アメリカ大陸に侵略した時、彼らの持ち込んだウィルスが現地の人に感染して、大量の死者が出た。ヨーロッパ系の人は農耕牧畜生活、都市生活の歴史が長く、家畜から人へのウィルス感染、人口密集地でのウィルス感染の経験が多く、ウィルス耐性ができていた。アフリカ、アメリカ大陸の人には、ヨーロッパ系の人が持ち込んだウィルスの耐性遺伝子がなかったので、大量の死者が出た。
・文化はすぐに伝播するというが、関連する遺伝子を受け継いでいないと、すぐに馴染めない場合がある。ネイティブアメリカンの人が、欧米型の食生活になると、成人病になりやすい。
・ユダヤ人は、ヨーロッパの知識学術分野で存在感がある。ユダヤ人でノーベル賞など学術系の賞を受賞している人の比率は、ユダヤ人の人口比率に比べて高い。何故か。ヨーロッパのユダヤ人は、中世の頃から(キリスト教徒が忌み嫌っていた)金融や貿易商の仕事をしていた。金融の仕事を行うには、論理的思考能力が必要だったし、ユダヤ人は他の民族と交わらず自分たちだけで子孫を形成したので、論理的思考能力に富んだ形質が代々受け継がれた。かつ裕福で教育に取り組む余裕もあった。これが、ユダヤ人が数学、文学、音楽、芸術分野で活躍している要因である(ユダヤ人の能力平均を見ると、空間の認知構成力が弱い。それ故にか建築家で活躍しているユダヤ人は少ない)。イスラム圏で生活したユダヤ人は、人口が多かったし、金融など特定の仕事を代々行うこともなく社会に分散していたので、ヨーロッパ系ユダヤ人のような特質を発揮していない。
以上、現在主流の学説に反駁して人種差別を助長しかねない仮説が展開される。著者は、人類が今でも遺伝によって進化しているという説を受け入れないと、歴史研究に進展はないという。
著者の仮説そのものよりも、当書に描かれた人類の過去の歴史を読むことの方が面白かった。近代以前、戦争に負ければ、男は奴隷として死ぬまで過酷な肉体労働に従事させられるし、女は戦勝国の皇帝のハーレムに入れられる。今そんなことが起きれば、報道とネットで酷評されるだろうし、被害にあった個人が、告発の文章を発表するだろう。現代も随分と息苦しい時代だが、���権概念のなかった過去は悲惨だ。奴隷やハーレムの女性が毎日何を考え、経験していたのか、小説として読みたいと思った。
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20100914
一万年前ごろから文明との相乗効果で人類の進化は加速している、
というお話。
アシュケナージ・ユダヤ人の病気と引き換えの神経細胞の進化など、
驚く話も。
かなり面白い本。
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人間の進化は環境に適合することで生まれた。狩猟から農業へ、食べ物が変わり、それにより身体が変わった。移動ができることにより異なる民族が交わるようになり変化に適合する遺伝子が突然変異として生まれた。進化とは変化を繰り返すことによりうまれるものである。
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第1章 概観
第2章 ネアンデルタール人の血
第3章 農耕の開始による大きな変化
第4章 農業のもたらしたもの
第5章 遺伝子の流れ
第6章 拡散
第7章 中世の進化
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『201112 生物強化月刊』
「人類の精神の斉一性」人間の精神はどのような場所でも同じで、現生人類が約5万年前にアフリカから各地に拡散したときに、人類の進化は止まったという考え方。現在は否定されていて、人類の進化は続いているとされる。
「遺伝歴史学」では、人類の自然選択に影響を及ぼした歴史的要因を探る。
本書のテーマは、人類の進化は、ヒトの誕生以後600万年間の平均よりも約100倍も速く進んでいることを示すこと。
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現世人類の生物的進化は数万年前に終わり、固定されているという
印象を吹き飛ばしてしまう。現生人類であるホモ・サピエンスと
滅び去ったと言われているネアンデルタール人の混血が文化的飛躍
をもたらしたという話はとても興味深い。
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歴史書といえば、政治・文化・戦争などの出来事に焦点を当てることが
主流だったが、本書はそこに遺伝学を加味したアプローチを試みている。
なぜ、人工が増えたのか? なぜ、戦うようになったのか?
なぜ、階級ができたのか? それらのヒントや手がかりとなるなるだろう。
読めば読むほど、飽くなき興味がわいてくる。
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本書の内容はあくまでも学会のコンセンサスではないしファクトとして危うい部分もあるので、それらは差っ引いて読むべきだが、面白い内容ではある
政治的に正しいのか微妙な箇所もいくらか目に付くのは玉に瑕
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本書の目的は、人類の生物としての遺伝的進化が出アフリカ以来の過去数万年においてはほとんどなかったとする考え方「人類の精神の斉一性」に対して、実際にはむしろ加速をしているということ - 人類の進化は、ヒトの誕生以後600万年間の平均よりも近年において約100倍も速く進んでいること - を読者に納得してもらうことである。著者は、たった一万年やそこらでは「進化的差異」が発生するには短すぎるとする一般的な説に対して、明確に反対する。その間の遺伝的な生物学的進化によって、文化的変化も文明化も爆発的に進んだのだと主張する。生物学的進化が爆発的に進んだとする根拠のひとつは、アフリカを出て、地理的な拡散を行うにつれて激変する環境や文化的な革新は遺伝子変化に必要な選択圧を発生させることができたと考えられるからである。特に農業の開始による集団の大型化と人口密度の高まりは、遺伝子変化を加速する方向に働くこととなった。集団間の差異は集団内の個人間の差異よりも小さいとすることに疑義を挟み、人種間の差異という微妙な問題にも踏み込んでいる。遺伝学や考古人類学などに依拠する論理的な記述を進めつつ、政治的にも倫理的にも否定されている優生学の扱いに関する問題を読者にも突きつけるものになっている。
本書では出アフリカ以降に起きた人類の遺伝子変化のひとつの大きなトピックとして、ネアンデルタール人の血が現生人類に混入したのかについて議論されている。著者はまず、ヒトとネアンデルタール人が遺伝的に分離してから五十万年しか経っていないことから、交配して子孫を残すことができた可能性は高いという前提を置く。その前提のもと「侵入する集団は適応に役立つように交雑を利用できる」という理論を援用しながら、生存競争に優位な対立遺伝子が移入されて取り込まれるという現象(遺伝子の水平伝播)が発生したはずだと論じる。そして、「現生人類が、なんらかの重要な利点をもつネアンデルタール人の対立遺伝子のほとんどすべてを取り込むには、ほんのわずかな混血だけで十分だった」とし、「そうした対立遺伝子が重要な働きをし、違いを生んだのだろう」としている。
このネアンデルタール人との混血に関する議論の結論は、この本の原書が出された後に出された。2010年5月にスヴァンテ・ペーボのチームがネアンデルタール人の遺伝子解析を行い、その遺伝子が現生人類にも1~4%程度混じっているという報告を出したのだ。その経緯はスヴァンテ・ペーボ著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』に詳しい。ネアンデルタール人の遺伝子はわれわれの中にあるのかという問いの答えを得るために実験を重ねていたペーボ教授自身にとっても、実際にネアンデルタール人の遺伝子が混入しているという解析結果は大変意外で驚くべきものであった。しかし、著者はその結論が出る前に遺伝学からの論理的な推定の結論としてネアンデルタール人の遺伝子が現生人類にも残っていることを主張していたことになる。
この結果は、ある意味人種間の遺伝的平等性を主張する上では不都合な真実である。なぜなら、ネアンデルタール人との交雑は現生人類がアフリカを出た後のことであり、アフリカ人の遺伝子プールにはネアンデルタール人の遺伝子はほとんど含まれていないからである。著者は、優位な遺伝子の中には人類の精神にも影響を与えるものもあるはずだとする。さらに踏み込んで、遺伝子の水平伝播は種を急速に進化させるために有効であり、ネアンデルタール人からの複数の遺伝子の水平伝播により、文明化の革命に必要な創造力が発揮されたのではないかと主張する。アフリカを出た人類には、ヨーロッパと中央アジアに向かったルートと、インド洋からオーストラリア、ニューギニアと向かったルートがあるとして、ネアンデルタール人と出会わなかったオセアニアルートでは創造性の爆発の貢献はまったくみられなかったとまで書く。この主張自体は後にペーボ教授の研究で、ヨーロッパでもニューギニアでも同程度ネアンデルタール人が寄与したであろう遺伝子を持っているという結果が出ているため否定された形になっているのだが、しかし依然、アフリカ人はネアンデルタール人起源の遺伝子を持っていないということにより、人種間の差異の議論が出てくることは懸念される。この懸念については、ペーボ教授も『ネアンデルタール人は私たちと交配した』の中で言及しているが、ネアンデルタール人から得たDNAはアフリカ人の中でもアフリカの中で拡散して古代人類と交わることで得ることになったはずなので精神の斉一性には影響しないと書いている。これはおそらくは政治的には正しいが、そのように言い切ってよいものかどうかはわからない。著者が本書で批判の対象としているのは正にこういった姿勢なのだ。ネアンデルタール人由来の有益な遺伝子が特定された場合には、これは検証可能な仮説でもある。人類の斉一説に対するあるレベルでの揺さぶりであることは現時点で端的に否定できるものではないのではないだろうか。
続いて、著者は農耕社会が遺伝子の進化に与えた影響について論じる。農耕社会により、人類はより高い密度で集まって生活することになった。ダニエル・リーバーマンの『人体600万年史』では、農業により急速に環境が変わったために、遺伝子がついていけず多くのアンマッチ病が起きたとするのに対して、本書では逆に農業による環境変化により多くの自然選択が行われたために人類は遺伝的に適応してきたということに重点を置く。農業社会が遺伝子進化に与える影響のは、大きな集団となることで、その中で遺伝子の変異が発生する確率が当然多くなり、その変異が生存や生殖に有利な場合、その大きな集団の中で比較的急速に広まることである。農業の発達は遺伝子の進化に貢献することとなり、必ずしも遺伝子の進化により農業をするようになっただけではないのである。また人口密度が高くなることは、感染症による強い選択圧を経験することとなった。
『銃・病原菌・鉄』で、著者のジャレッド・ダイアモンドは、文明発生の要因は遺伝的要因ではなく、家畜化可能な動物の存在や栽培可能な植物種の存在や東西方向に交易可能な地理的要因から文明が発生したとする。遺伝的な違いよりも、地理的条件や動植物相などの外的条件によって文明が発生時期の違いを説明する。また集団化の結果として先に獲得した感染症耐性の遺伝的特性により、結果として耐性のない原住民に対して感染症を持ち込むことで、原住民に厄災をもたらし、中南米大陸の帝国を支���することができるようになったとする。
一方、著者は文明化における遺伝的な生物学的差異は無視できないとする立場である。それは人種差別ではなく、科学的な態度だと主張する。生存に有利な遺伝子が環境に応じてその集団に広まった例として、乳糖分解酵素を作る遺伝子やマラリヤ耐性がある鎌状赤血球やヘモグロビンEの遺伝子などの例を挙げている。精神や文明に対しても同じことが言えるのではないかというのが著者の基本的な主張だ。人種間で外見もこれだけ違っているのだから、現生人類がアフリカを出て拡散してからかなりの遺伝的変化が起こっていて、その変化が民族によって異なるコースを辿ったことは否定することができない事実と主張する。遺伝的差異の85%が集団内にあり、集団間の差異は15%にすぎないという説については、同じ基準をあれだけ品種間で外見が異なる犬に適用した場合、遺伝的差異の70%が品種内にあり、品種間の差異は30%しかないことを反証として挙げて、その論理は根拠がないこととしている。
著者が人種間の差異として事例として最後に挙げるのが、中世ドイツにその起源をもつアシュケナージ系ユダヤ人の事例である。アシュケナージ系ユダヤ人 は、集団としての平均IQが高く(平均して112~115)、また20世紀の科学と数学の世界において多大な貢献を行ってきたことが知られている。一例を挙げると、アシュケナージ系ユダヤ人が世界人口に占める割合は600分の1に過ぎないにも関わらず、科学関連のノーベル賞の4分の1以上を獲得している。また、20世紀の世界チェスチャンピオンの半数はアシュケナージ系ユダヤ人である。アインシュタイン、フォン・ノイマン、リチャード・ファインマン、ひも理論のウィッテン、ポアンカレ予想を解いたペレルマンも皆アシュケナージ系ユダヤ人である。
アシュケナージ系ユダヤ人の事例は、宗教的な迫害により、同族外の婚姻がほとんど発生しなかったことと、彼らが就くことができる職業が金融などホワイトカラーの読み書き能力を強く必要とするものに限定されたという二重の要因により発生した遺伝的現象であるという。著者はIQで計測される能力は遺伝性が高いこと、および金融などの知的職業が高いIQを持つ個人が子孫を残す上で有利に働いたことが、アシュケナージ系ユダヤ人の傑出した知的能力につながっているという。
アシュケナージ系ユダヤ人の例は、自然選択により説明可能であるし、何よりテイ・サックス病、ゴーシェ病、家族性自律神経障害、乳がん変異(BRCA1/BRCA2)のような特定の遺伝病が彼らの中で罹患率が非常に高いことによっても傍証されているという。これらの疾病の要因は、神経接続を増やす遺伝子に関係しているのではないかと言われている。著者は、これらの遺伝病と環境適応の関係を鎌状赤血球とマラリヤの関係になぞらえている。特殊な関係の上では劣性遺伝子による遺伝病のリスクよりもヘテロとして持つと有利となる遺伝子を選択圧の中で優遇されるということがありうるのである。著者も繰り返すが、アシュケナージ系以外のユダヤ人は特別な成果を生んでいるわけではないし、アシュケナージ系ユダヤ人がそういった自然選択を経る以前にそのような傑出した成果を出していたという記録もないという。この事実は逆にアシュケナージ系ユダヤ人にかかった歴史的な選択圧により、高いIQを持つ能力が遺伝子的に蓄積されたということを示しているとも言える。
このように、著者は「氏か育ちか」という議論に対して、血筋や民族の影響を無視するべきではないという立場である。現在では両方とも重要であるし、民族間の差異よりも個人間の差異の方が大きいというものが一般的には受け入れられている。ジャレッド・ダイアモンドやリチャード・ドーキンスなど多くの著名人もそう主張している。一方で、われわれは「国民性の違い」というものを簡単に使いがちである。日本人は島国で非常に閉鎖性の高い集団で育っているため、協調性は高いが積極性に欠ける、などである。
著者の主張には論理的に大きな破綻はないように思われる。現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝子の混在を確信をもって言い当てたことからも、著者の洞察の鋭さについては疑問はない。その結果として困るのは、過去約一世紀にわたって人類が何事をもってしても根絶を図ろうとしてきた民族主義や差別主義に対して何らかの材料を与えかねないという点である。著者は、「そろそろ、ヒト集団間の生物学的差異は、「うわべだけ」だとか、表面的なものにすぎないという古びた陳腐な話にしがみつくのはやめたらどうだろうか。それは真実ではないのだから。私たちはあらゆる種類の機能に遺伝的に違いが起きているのを目撃しているし、そして、そうした違いのどれもが重要で、適応度(つまり、子孫の数)をかなり増やしているのである。でなければ、わずか数千年で高頻度に達するはずがない」という。
人口密度の関係でいえば、現在もその遺伝子変化の爆発は進行中であるという。「いまこそ、人間科学の研究者たちは、進化は静止しているとか、「精神の斉一性」といったドグマの鎖から解き放たれるべきだ。ぐずぐずしている暇はない、成し遂げなければならないことが山のようにあるのだから」という言葉で締める。
著者が「私たちはイーリアスの英雄たちに(まあ、とりあえずオデュッセウスには)感情移入できるけれど、あの時代の彼らと私たちは同じではないのだ」というとき、ジュリアン・ジェインズの奇書『神々の沈黙』のことを思い出す。人類が現時点も含めて急速に進化をしているという著者の主張は、古代ギリシア以前には今われわれが持っているような「意識」を持っていなかったというジュリアン・ジェインズの主張がもしかしたらある程度は真実を含んでいるということを示しているのかもしれない。
ここで出されたテーマは、もう少し慎重に議論されるべきものを含んでいる。ヒトの遺伝子に関する解析が進み、その利活用が今後進むことがほぼ確実であることを考え合わせると、正確な知識と理解が必要とされている。個人として、人種間の差異を強調するべきではないと思う。実社会においては、出自よりもその人となりによって判断がなされるべきであると当然に思う。しかしながら、著者が挙げた進化が進んでいるというテーマについて、ポリティカル・コレクトネスということで目をそらすべきではないのではないだろうか。
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『ネアンデルタール人は私たちと交配した』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/416390204X
『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009780
『人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152095652
『人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152095660
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意欲作にして問題作。人類の進化は今まさに進んでいて、知能が自然選択で伸びたりしているという、ともするとポリティカリー・インコレクトな議論。
たしかに、見た目の違い、オリンピックの100m走、乳糖耐性、鎌状赤血球などを見れば、民族間で遺伝子レベルに由来する表現型の差異があるのは明らかだ。あとは進化論の論争によくあることだが、物は言いようというか、どれほどの程度なのか評価の問題ではないかという気がする。著者らの論証は説得力のある部分もあるが、肝心な所で細かい説明を省いていたり(2Sやユダヤ人の遺伝的ユニークさ)、チェリーピッキングをしている雰囲気もあるので、その大胆な仮説にはにわかに首肯しがたい。しかし、そのデリケートさゆえに真正面から論じられにくい分野であるので、こういう議論自体は非常に興味深い。
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8000年前頃、ヨーロッパ人の中で乳を分解するラクターゼの継続的な生産をもたらす変異が起きた。ウシの乳を飲むことによって、ウシの肉を食べるよりも5倍のカロリーが得られるため、人口が増加し、穀物農業がうまくいっていない北ヨーロッパのステップ地帯に広がっていった。インド=ヨーロッパ語族の拡散が始まったのは、BC3000年頃と考えられる。歩くことができるウシは盗みやすいため、互いに盗みあい、争うことで、戦闘的な社会になった。移動性が高く、数で勝り、栄養状態がよく、戦いに勝つことが多かったため、より好戦的になったのだろう。
明るい色の皮膚をもたらす変異は、農業開始の後に起こったらしい。ヨーロッパ人とアジア人の皮膚の色を明るくする遺伝子の変化は、全く異なっている。ヨーロッパ人の肌の色が変化したのは、5800年前。血糖を調節するインスリン遺伝子の変異体は、各地域の農業の始まりとともに現れた。ヨーロッパ人の青い目をもたらすOCA2対立遺伝子の変異は、1万~6000年前に生じた。最も多く見られるバルト海を中心とする北ヨーロッパで生じたと考えられる。スウェーデン出身と考えられるバンダル族は、ローマ帝国の末期に侵入した後、スペインからアフリカに渡り、OCA2対立遺伝子をもたらした。1500~1800年には、イスラム私掠船が地中海沿岸のヨーロッパ人を奴隷として持ち去ったことも、OCA2対立遺伝子を広める結果となった。
注意欠陥障害(ADHD)に関係しているドーパミン受容体D4(DRD4)遺伝子の7R対立遺伝子は、東アジアではほとんど存在していない。農民の支配階級は、攻撃的な人間を排除する傾向があったと考えられる。
1200年前にライン川沿いの地域に住んでいたアシュケナージ系ユダヤ人の大部分は、1100年までにキリスト教では禁じられていた金貸し業で生計を立てるようになり、数世紀の間続いた。金融業などの職業では、知能が高い人が仕事で大きな見返りを受けていたと考えられ、成功した人はかなり多くの子供を持っていた。ユダヤ人集団は非常に長い期間、同族結婚を守っていた。知能は遺伝性が強い。アシュケナージ系ユダヤ人のIQは平均112~115で、ヨーロッパの平均よりかなり高い。彼らは世界人口の600分の1にも満たないが、ノーベル賞の4分の1以上を獲得している。
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本書発刊の後ネアンデルタール人の骨から抽出したDNAの研究によって現生人類との交配(脱アフリカ後まもない中東において)を指摘する発表があったが、その結果何が起きたかについては不明である。
個人的には、本書から新しい見解や知的好奇心を得るものはなかった。アシュケナージ系ユダヤ人に天才が多い理由を考察する第7章がメイン。スフィンゴ脂質の濃度がニューロン接続を活発化するという研究結果が最も重要で、特異な疾病リスクも高まるため、単純に濃度が高ければ良いわけではない点が世の中そんなに甘くないと感じさせる。
ゲノム解析は始まったばかりで、今後も地道な作業で新たな因果関係の発見にいたる研究発表に期待したい。
あと翻訳のミスや違和感を何とかしてほしい・・・ダイヤモンド⇄ダイアモンド博士がごっちゃになってたり、歴史人物の名前や地名が変だったり、infrastructureをわざわざインフラストラクチャーって表記したり・・インフラは日本語で十分浸透しているやろって思ってしまう
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人間は今も進化している。しかも通常の100倍の速度で。
ヨーロッパ人がアメリカやオーストラリアの先住民を簡単に支配できたのも、アフリカは簡単に支配できないのも、サハラ以南のアフリカ人がなかなか近代化できないのも遺伝子が影響していた。
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遺伝歴史学だそうだ。おもしろい。環境が変化したら進化のスピードも上がります。そりゃそうだよね。旧石器時代から人間はまった進化してません、みたいなのはおかしいと思ってた。
ネアンデルタールとの混血とか農耕開始による自己家畜化とか。ユダヤ人頭いいのは中世の自然選択だろうとか。まあ怪しいところも多いとは思う。
あと翻訳の具合なのか読みにくいところがある。