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複数の専門家による多角的な視点からウィキリークスを分析した一冊。ジャーナリズム、メディア、技術、外交、公益、政治など、様々な角度からの論考は、いずれも簡単に結論が出るようなものではないが、ウィキリークスによってもたらされる時代がいかなるものかを、明解に解き明かしている。
◆本書の目次
第1章:ウィキリークスとは何か<塚越健司>
第2章:ウィキリークス時代のジャーナリズム<小林恭子>
第3章:「ウィキリークス以後」のメディアの10年に向けて<津田大介>
第4章:ウィキリークスを支えた技術と思想<八田真行>
第5章:米公電暴露の衝撃と外交<孫崎亨>
第6章:「正義はなされよ、世界は滅びよ」<浜野喬士>
第7章:主権の溶解の時代へ<白井聡>
本書では、ウィキリークスの特徴をあらわす、いくつかのキーワードが提示されている。
1.科学的ジャーナリズム
「ニュース記事をクリックし、元となった文書を見ることができる。記事の内容が真実かどうかを自分で判断して、ジャーナリストが正確に報道したかを確かめることができる。」こと。つまり、情報の受け手の進化によって、一次情報への注目が集まり、プロセスも可視化されていく、新しいジャーナリズム空間が形成されつつある。
2.無国籍のネットメディア
ウィキリークスには特定の本拠地が設定されておらず、仮に本拠があったとしても、一時的なものにすぎない。それは、無国籍のウィキリークスが、特定の国の「国益を度外視して情報を公表できる」存在であるということを意味する。
3.純粋公益
従来型の公益は、何が正義で、何が公益なのか、ということがはっきりしていた。しかし、ウィキリークスに見られるようなハイポリティックスに関するリークの場合、何が正義で何が公益なのかは明確ではない。そこで、まず行為ありき、それから正義や公益がついてくるという新しいタイプの公益の構造が生み出されつつある。
そして、これらの特徴を持つウィキリークスは、高レベルの情報源秘匿技術を元にした安全なリークツールと、信頼性を確保するための既存メディアとの協働を武器に、新しい社会へと導いていったのである。
ただし、ウィキリークスによってもたらされている新しい時代が、通過点に過ぎないというのも事実であろう。リークを待つというスタンスでは、全ての機密を覆うことはできず、一つのモジュールにしかすぎない。また、ウィキリークスの存在によって、機密文書のあり方も、ハイコンテクスト化が進むなどの防御策が講じられ、”いたちごっこ”が当分続ていくことであろう。
しかし、ソーシャルメディアの普及に見られる「実名による社会の透明化」と時を同じくして、「匿名による社会の透明化」が起こっているのは、偶然の一致とも思えない。社会は確実に、透明な方向へと大きく動き始めているのだ。
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ウィキリークスという社会事象について、複数の専門家が各分野の視点から考察した1冊。世界を騒がせる事象がこれだけ多様で本質的な疑問を投げかけてるのか、驚きながら読んだ。
ウィキリークスについての特性と論点は以下。
<特性>
・国家や組織に対して相対的に弱い立場にある個人の力を強化することができるという思想
・既存メディアを効果的に利用
・高レベルの情報源秘匿技術をもとに安全な「リークツール」を「発明」
・無国籍
・フラットな組織(アサンジが退場しても壊滅することはできないだろう)
・真実か検証して出している
・公開内容は選択している(人命に危険が及び情報公開には慎重
・米政府の政策の方向性に反発する情報公開が多い
<論点>
・ジャーナリズムとは何か
・今後のメディア・ジャーナリストのあり方は
・機密情報とは何か
・国益とは何か
・民主主義とは何か
自分の言葉で考えを言うのは簡単ではないが、
無国籍な組織(いや社会現象)である以上、国益に叶っているかの議論はその国内でしかできない。国を股がった正義、というものがあるならば、それは地球が他の星と対立したときに初めて地球益、というものができるはずで、理論上の無国籍な正義に近いのではと感じた。
メディアやジャーナリストの今後のあり方、
・情報を検証する
はコアコンピタンスか。日頃よく既存メディアの価値について議論されているが、検証の信頼性か。
ソーシャルメディアとリーク技術の発達により、リーク情報と一次情報(に近い現場からの情報)をネットから拾い、それをメディアあるいはネットの不特性多数が編集し、その情報を信頼性のあるメディアが検証する、という流れか。編集行為自体には信頼性はいらないのかも。
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これでも情報工学畑にいるので、4章の話は面白かった。
暗号のスペシャリストなら、「そりゃそうだろ」とでも言いそうな気もする(要は私の浅い知識)
1~3章までが、インターネットとウィキリークス、情報とジャーナリズムと絡めた話が中心で、5,6章は面白くなさそうだったので読んでない。
いずれにせよ、4章までの話が、今後のネット社会と一般市民に深く関わっていく、関わっていかなければならない当面の課題だろうか。
ただ、課題と呼ぶべきかは怪しい。
少なくとも日本がインターネットを遮断でもしない限り、デジタルネイティブが今後の人口を占めていくに従って、当たり前のように定着していくのではないだろうか。
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新聞広告によると
《この情報の流れはもう止まらない! 新たな内部告発と情報流出の時代に、外交は、ジャーナリズムは、正義はどうなるか?気鋭の論者が読み解く!》
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よかった!
ネットでの匿名性なども仕組み/これからのネット社会も
キレイに切り込みをいれた感があって
楽しく読めた。
再読する!
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│第4章│ウィキリークスを支えた技術と思想 〈八田真行〉
ウィキリークスの匿名性を確保するための技術について分かり易く解説されている。
さらにインターネットそのものとの共通性からアサンジ・ウィキリークスの思想を読み解く。
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偏向されていないウィキリークスの情報を知りたく思い。
日本じゃ善悪二元論で論じられることが多いけれど、もうそんなものは越えたお話のようで。これからのメディアは「ウィキリークス前」と「ウィキリークス後」と分けられ全く別の物になる、と。それに気付いているメディア人はどれだけいるんでしょうか。気付いているかいないかでメディアの質は大分変わるんでしょうが。
本書の中でも言ってるけど、やっぱりアサンジさんの目的がわからない分余計に気になるし脅威なんでしょうね。結局何がしたいんだこの人って世界が大注目で。
カント先生まで出てきましたか。ウィキリークスはカント先生の意向に沿っているようで。でも「正義は為されよ 世界は滅びよ」かぁ…。
結局はなにもかも知りたいと思うか知らない方が良いこともあると思うか、ってことかもしれない。「明らかに正しい」世界に住みたいと思うか?怖すぎるよそれは。自分を正義だと思ってる奴は大抵やりすぎるし。
話は変わるけど、テロリストに敵対するものはそれ自身がテロリストに近づいていく、っていう話が面白いと思った。面白いじゃすまないけどねアメリカさん…。
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ウィキリークスに関する色々な専門家の分析。特に第五章は目からうろこ。世界的に実名でのソーシャル化が進む一方で、匿名による社会の透明化もあるという観点で読んでも面白い。
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ウィキリークスについて書かれた本です。正直、内部の人間が書かれたものではないのでアサンジ氏の思惑を推測するものでしかないのが残念です。
幾つかの執筆者の主張は以下の通り。
・ウィキリークス以後のジャーナリズムのありかたについて
・国益≠公益でない以上、リークは有益であるという考え方について
・そもそも公益性が低い危険な情報も公開されて点をどう考えるか
・アナーキストとの違いは?
・ウィキリークスの匿名性を支える技術について
・アサンジ氏のイデオロギーは?
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9.11の頃だっただろうか、
原理主義、という言葉がネガティブイメージを持つようになったのは。
プロテスタントだって原理主義からくるものなのに やたらとイスラームの原理主義だけ悪く言われていたイメージを持っていた。
ウィキリークスの理念、行動を知るにつけ、原理主義という言葉が浮かんだ。
「今まで、公にされていなかった密約や政府の行動。これを主権がある国民は知る権利がある。
それこそ民主主義である。」
そんな思想が垣間見える。
今の民主主義は、国家という枠組みのなかで、法律をベースに適応されている。
しかし、ITが発達し、ネットワークが全世界を駆け巡る現代、国家という枠組みをすでに超えた存在に対してまだうまく統制がとれていない。
まさに、国民国家の枠組み超えたパワーを持つこのウィキリークスに対して、ネガティブなイメージを持つ人がいるのも分からなくはない。
そもそも、原理主義、原理原則に則り、その決め事(法律とか)を遵守する、という姿勢はちょっと日本人にはなじみがないかなと思う。
ウツロイや曖昧なものに美意識を持つ日本人が、0か1かというデジタルな世界観になじまないからIT後進国なのかな、と言い訳めいたことも浮かんだ。
だからこそ、ウィキリークスに対してあまり反応をとっていないように思える日本だけれど、ウィキリークスという絶大な存在をもっと真剣に考えていいと思う。
その手助けになる本だと思います。
えらそうになってしまいましたが、私自身もITの知識はほぼなし。。。勉強しなくちゃなぁ。。
個人的には、ウィキリークスの姿勢は 少しラディカルな部分は気になるにせよ ポジティブに捉えています。
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昨日、投稿に失敗した(やり方がわからず、書き途中状態で流出した。。。w)ので、もいっぺんトライ。
ウィキリークス問題は、国家とジャーナリズム(メディア)のそれとして論じられることが多いが(本書の論者たちもそこにアプローチしているが)、僕はむしろ「ブランド論」として考えたときに示唆するところが大きい気がする。
ウィキリークスが扱う国家シークレットみたいなデカイネタだけでなく、京大・早大の入試問題であれ、アカデミー賞の式次第であれ、いまの世の中では日々様々な重要情報が流出してる。つまり美しい嘘がつきにくい。そんな時代の「ブランド」はどうあるべきなのだろう?
筆者の一人、浜野喬士氏が、ミシェル・フーコーの「パレーシア」(公益のために包み隠さず話すこと。そう話す許しを得ること)というアイデアを援用して興味深い論考をしていた。ここにヒントがありそうな気がする。「公益のために」などと言うからおカタい印象だが、別にそれはエンタテインメントだっていいはず。多少強引に解釈すれば、それは“面白がらせよう精神”に行ってもいい。
もちろん、こんな読み方をする人は少数派かもしれないが、本書はウィキリークスの入門書として面白く読める。すごいセキュリティなんですね! アサンジがウィキリークス上に仕込んだという謎の暗号も気になりまくり(それは何ギガもあるという。彼の身に何かがあったら解読のためのパスワードが公開される説あり)。いったい何が書いてあるんだっ!?
いずれにせよ、ウィキリークスが時代の申し子であること(それはたぶんオバマとセットで出てきた)、僕たちがウィキリークス的なものと無縁ではいられない時代に生きていることがよくわかった。
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八田氏が書かれた章が気になって手にとってみたが、中々どうして他の章も読み応えがあった。特に内部告発と公益性の議論にもとづいた論考は結論は無いにせよとてもエキサイティングだった。また、2、3章におけるジャーナリズム論、メディア論も馴染みのない私にとっては良いまとめになっており参考になった。(佐々木氏の言葉のようだが『「モジュール化」するジャーナリズム』というフレーズは気に入った。)
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ウィキリークスの入門書。これ一冊で概要がつかめます。
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/3853390.html
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何となく,ウィキリークスについて理解できたような出来ないような・・・。
各章において共著の7人がそれぞれの分野からウィキリークスについて
解説している。
著者により,いろんな視点から述べているので,勉強になったような気がする。
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ウィキリークスの活動方針は、『あらゆる地域の政府、企業の非論理的な行為を暴こうと望め人々の役に立つこと』及び、『出版活動により透明性が増し、この透明性が全ての人々にとってより良い社会を創造する。より精密な調査が不正を減らし、政府や企業その他団体を含む全ての社会的組織における民主主義を強化する。
これは、既存のマスメディアという存在が立法、行政、司法という権力を監視検証する存在にも関わらず、自らは特権的立場に置かれ、監視検証される
機会がすくない。
ウィキリークスは、小さきものの共感にもとずいた、革命だ。