「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
創業者古田晁の急逝から5年後、事実上倒産した筑摩書房。文学全集からペーパーバックの創刊へと舵を切り、営業と物流の大改革を断行しつつ、生き残りをかけた社業を描ききる。「筑摩書房の三十年」に続く40年間のドラマ。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
永江 朗
- 略歴
- 〈永江朗〉1958年北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。書籍の輸入販売会社に勤めたのち、フリーのライターに。早稲田大学文学学術院教授。著書に「不良のための読書術」「本の現場」など。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
著者/著名人のレビュー
“筑摩書房七〇年の歴...
ジュンク堂
“筑摩書房七〇年の歴史は、そのまま日本の出版産業の縮図”と、著者永江朗は言う。全集から文庫、新書などペーパーバックへの企画の中心の推移も、「縮図」の一つだろう。だが一方で、筑摩書房の全集企画の財産が、筑摩らしい文庫のあり方を生んだのも確かだ。
「倒産」という節目を経て、企画決定の主体が、編集から営業への移っていった。そこには、何人もの社員の、「再生」に向けた、地道な努力と工夫の積み重ねがあった。その中心の一人、故・田中達治営業局長の活躍に充てられた第18章から伝わってくる、永江の個人的な思い入れには、ぼくも強く共振してしまう。
もちろん、編集も「企業性」の立てなおしに腐心つづけた。その結果、『老人力』、『もてない男』や『金持ち父さん、貧乏父さん』シリーズのようなベストセラーが生まれる。
“倒産の事実を書くのはつらかったけれども、倒産をのりこえて再生していくプロセスを振り返るのは、じつに気持ちのいいものでした。”と、永江は締め括る。それは、売れる/売れないという送り手側の論理ではなく、読者は何を読みたいと思っているのか、という受け手の気持ちに寄り添うようになっていくプロセスであった。
紙の本
社史を商業出版物にした意味
2011/06/25 08:29
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を私が読みたいと思ったのは、本屋でパラパラとページをめくって、神田小川町にある筑摩書房旧社屋の写真をそのなかに見たときだった。私は学生時代にアルバイトで、ここに何度か訪れている。洋画配給会社に勤めていて、映画の前売り券を定期的に預けに来ていたのだ。
あるとき受付あたりで、地方かららしい(その記憶は曖昧)就職希望の学生が面会に来ていたのを見た。当時、私も出版社に就職しようとしていたので今でも覚えているのかもしれない。
それから少し経って、私は運よく小さな出版社に入ることができたが、そこで同世代の仲間とともに労働組合をつくるはめになり、参考資料として出版社の労働条件等が克明に紹介されている出版労連のパンフレットを読むことになった。
そこには筑摩書房の年令別の平均月収や一時金が記載されていたが、私にとってその金額は驚くほど高いものに思えた。もちろんもっと高い給料をもらっている出版社もあったが、それらの会社は十分すぎるほど収益もあり、妥当な金額だった。
筑摩書房の労働条件は、会社の収益などを考慮すると異常なものに思えたが、本書を読んで、その疑問が氷解した。それだけでも、たんに従業員や関係者だけではない、より開かれた読者に向けて書かれた本書の意義はあるように思う。
当時の労働組合側の証言によれば、賃金体系がめちゃめちゃだったのを是正させたり、人事異動事前協議制の要求をのがれたいあまり賃上げの上積みをのんだりと企業体質に問題があった。賃金を上積みされると、組合側がなんとなく妥協してしまうという証言も体験的に納得できる。
また暑く寒く汚く臭いボロボロの倉庫の状態を辛辣に描いた当時の新入社員の回想の言葉が《そして給料だけは高かった》という言葉で終わっているように、経営にいびつなところがあったのは否めない。だが倉庫がそんな状態であっても筑摩書房の出版物はきわめて高い水準にあったと思う。
ともあれ当時はあまりにも高額の給料が不可解だったが、その意味において1978年7月の会社更生法申請のニュースはありうることとして受けとった。
この時期、私にとって興味のある1冊の本の刊行が遅れた。蓮實重彦の外国映画作家論集、『映像の詩学』である。あとがきには、78年6月の日付のもののあとに79年1月付けの短い文章が付されていて、そこにこう書かれている。《しばらく中断されていた筑摩書房の出版活動が再開され、校正刷の段階で眠っていた『映像の詩学』が幻の書物になりそびれたことを、率直に喜びたいと思う。》
この本のあとがきには、編集担当者として淡谷淳一、そして装丁・中島かほるの名がある。本書を読んで後者が筑摩書房の従業員であることを知った。また前者は《筑摩書房のフランス文学関係を一手に引き受けていた》と紹介されている。
本書にはよく知られた松田哲夫をはじめ、さまざまな企画を推進させた多様な編集者たちだけでなく、とりわけ「倒産」以後の筑摩書房という出版社をそれあらしめている個々の職種、原価計算を重要ファクターとする製作、本を売る営業、そして管理(倉庫)まで広く取材し、光をあてているところに意義があるだろう。
さらにバブル絶頂期に旧社屋と土地を売ることで、今までの返済のめどがついた経緯が語られているが、たとえば著者(永江朗)の筆は創業以来の《一万数千点にのぼった》膨大な書籍を新社屋に移すために整理する資料室の担当者、河野徳子の姿を点描するのを忘れていない。
前出の組合側の証言者はのちに重役になっている岸宣夫だが、彼は校正者として中途入社で入ったことにふれている。
また営業改革の中心人物で重役となり、今世紀死去した田中達治は《書店向け新刊案内の「蔵前新刊どすこい」のなかで、すでに引用したように、倉庫に配属された新入社員時の状態をユーモラスな筆致で描きこんでいる。
そうした登場する従業員全体に、本書では細かい字で生年(と没年)を、再登場の場合にも分かりやすくカッコで入れていて、歴史的経緯、時代の流れ、世代の移り変わりを人物の描写とともに巧みに描きえている。
ところで本書は、もともと非売品だった和田芳恵『筑摩書房の三十年』(1970年)の一般書籍としての刊行にあわせ、その後の社史を外部の著者に依頼し、自社で刊行したものである。企業の自分史といえる社史を非売品ではなく刊行することに批判があるが、私はそうした批判の意味が分からない。
むしろ本書には、通常は非売品として関係者にくばられる出版社の社史にはない、無味乾燥性というか畏まった記録主義を脱した商業出版としての面白さがあると思う。それというのも「倒産」という大きな体験があったからであり、それからの再生がこの本の中心的テーマになっている。
高校生のときに図書館で橙色の表紙の「世界文学大系」のお世話になって以来、数え切れないほど筑摩書房の本を読んでいる。今度はその世界文学全集にふれているだろう和田芳恵『筑摩書房の三十年』を読んでみよう。
紙の本
筑摩書房
2019/04/27 00:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
筑摩書房の40年の歩みが紹介されているのですが……うーん、単なる社史ですかね。ここ、というアピール点に欠けるような……