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内田樹氏の本を読み終えると、不思議なことに『読まねばならない本』が増えている。
日本人の多くが趣味欄に「読書」と書くが、その実、どのような本をどれくらい読んでいるのかは人によってまちまちだろう。
僕が読む本の著者はだいたい生きている。
著者が生きているのでいつのまにか新刊が出る。
すでにこの世にいない作家の本はこれ以上出ることがない。
しかし長い年月読まれた本はいろんな人の中を通り、それぞれの解釈が蓄積されていくように感じる。
『読まねばならない本』が増えていくのは、僕にとって内田樹というフィルターを通して夏目漱石であったりレヴィナスを見ることが心地よいからだ。
そういう存在を「先生」と呼ぶ。
そしてその先生は「先生」であるのと同時に「おじさん」である。
・・・と無理やりタイトルにつなげてみたものの、全然レビューになってないですね。すみません。
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第1−3章は、自身のHPに発表されたエッセイや日記から編集したテクスト、そして第4章「『大人』になることー漱石の場合」は晶文社のwebに連載されたもの。
わたし自身の思考のデフォルトがおじさんなのか、違和感なく共感できる内容多し。時事的話題が多いけれど、一昔ふた昔ぐらいでは古びていないものばかり。
江戸と断絶して新しいロールモデルを必要とした明治において、漱石が近代日本最初の大人となったという第四章、小説に登場する青年たちの分析から、「内面のない青年」こそ漱石が明治の青年に文学的虚構を通じて示そうとした理想の青年像だというのも、なるほどな、と楽しい視点だった。
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内田樹の「おじさん」的思考を読みました。10年前に内田樹が自分の意見をまとめたエッセイ集でした。学校で学ぶべきことは、知識ではなく、学ぶためのみちすじである。自分の中にピュアな自分自身が存在するというのは幻想であり、いろいろな弊害をもたらしている。破局が起きている中では、平常心の人を信じるな。学校に信頼や畏敬を持っていない親たちがイタい子供達を生み出している。というような主張が述べられています。マスコミや政府が主張していることで、何となく変だなあ、おかしいような気がするなあ、と感じていることを一刀両断で解説しているので、読んでいてすっきりします。後半は夏目漱石の小説の解釈になっていますが、漱石の小説を読んだのはずいぶん昔なので、もう一度読み直してみようかなあ、と思いました
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久しぶりに内田樹を読んだけど、やはり同じことを言っている。同じことを言っているのに読んでしまうのは、同じことを言っているからである。僕は大人になりたいんだと思う。
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「インテリジェンスとは「おのれの不能を言語化する力」の別名であり、「礼節」と「敬意」の別名でもある。それが学校教育において習得すべき基本である」、「師とは弟子のポジションに身を置いたものだけがリアルに感知できるような種類の幻想」。
という事を踏まえた上で教師としてどうあるべきか。生徒に「何か自分にはよくわからない世界がある」と感じさせるような存在でいる。そのためには、やはり知的であろうと努力することでしょうな。
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内容はちょっと難しいので、阿呆な私には理解不能な部分もあったが、四章は面白かった。漱石の小説をこんなふうに解釈する事が出来るのかと、内田樹氏の思考に舌を巻いた。読む方々にとって内田樹氏の存在は、「私」に対する「先生」そのものだと思った。
またじっくり読みたい一冊。
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これは今まで読んだウチダ本の中で一番好きかもしれない。幸福についてのこと、結婚する娘に向けての言葉など、人間味の溢れる話が多かった。最後の夏目漱石の分析はもうまさに!という感じで、「こころ」はもともと好きだったが、「虞美人草」も読みたいと思った。「師匠と弟子の関係」「人間としての成熟」という点が、最近自分が考えていることに共鳴していて、読んで良かったです。
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MBSラジオ「朝からてんコモリ」に季節ごとに登場される内田 樹氏。
いつもとてもいい話が聞ける。
その内田氏の本を本屋さんで見つけたので即購入。
その「「おじさん」的思考」を読みました。
内田氏の生き方、考え方について書かれたとても面白い本でした。
特に第一章の「「おじさん」の正しい思想的態度」では教育やエロスについて、第4章の「「大人」になることー漱石の場合」では人間として大人とは?について、とても興味深く書かれていました。
この本は一つの生き方のテキストとして、手元において何度も読みた本です。
内田氏の他の本と夏目漱石の「虞美人草」、「こころ」も見つけて読みたいと思います。
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教師のセクハラの話が面白い。
学校とはもともと「エロティックな場」であることを
人間は他者の欲望に欲望する、
というコジェーヴのヘーゲル解釈やソクラテスを引用し解説している。
「隣の芝は青く見える」というやつだな。
「性愛の局面において私が快感を得るのは、
相手が私から快感を得ていると感じるからであり、
相手が私から快感を得るのは、
私が相手から快感を得ていると感じるからである。」
というのと同じように、
教師が持つ「知への欲望」を生徒が「欲望する」ことによって、
学びが賦活されているのである。
そういう前提が教師にないから、
セクハラを個人の欲望や嗜好に回収しようとしまうのである。
BLという現象が生まれた理由も、
こうした男性間の教育的な構造がエロスの構造と似ているからかもしれない。
ファミレスの店長はバイトの女の子にモテる、
という話を聞いたことがあるが、
これもまたこの話に通じているような気がする。
それから、
夏目漱石の話が面白かった。
わたしはてっきり漱石は「こころ」の先生のような、
どうしようもない子供っぽい人物なのだと思っていたけれど、
これを読んで180度見方が変わった。
「こころ」は師弟の話だけれど、
まさに「学ぶ仕方を学ぶ」という教化的な物語だったのだなぁ。
明治初めての「大人」ねえ。
なるへそ。
そういえば、
もう何冊目になるだらうか。
内田先生の本。
なんつうかわたしの中で、
行きつけの店(ないけど)で「いつものアレ」を楽しむ、
「そうそうコレ」感のために読んでいる気がする。
各本毎に、
旬なモノや変わり種を出してくれる感じも、
行きつけの店(ないけど)的である。
たぶん好きな作家ってそういうもんだと思うよ。
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ウェブサイトに書いたものを中心に編集者が選出した合作本的な体裁!?個人的な感想として、全体的には☆☆☆だが、100%同意できる☆☆☆☆☆のエッセイもあった。人それぞれ一編くらいは同意し、楽しめるものが見つかるかもかもしれませんね。
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在日コリアンが日本で戸籍名(日本人的な名前じゃないほうですね)を名乗ることを「誇り高いこと」と称える新聞記事が、「多様性」を尊重しているように見えて、実は骨の髄まで「均質化」されている論理的矛盾をつく小論の他、「教育とエロス」、「大学全入時代に向けて」など、教育業(「業」?)に関わる方々に読んでほしい「知的訓練参考テキスト」です。
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内田さんの二冊目のエッセイ集。
タイトルにしても内容にしても、初期のものだけあって、とにかく書きたいものを書きまくりましたって感じ。
良くも悪くも、内田さんらしさがすごく出てる。
p.168より
一七歳のある日私はいきなり「世界」を一望できるような包括的な視座に立ちたいという強烈な欲望に襲われたのである。
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大好きな内田樹先生の一冊。
10年程前のブログからの抜粋+α。
その+αの「夏目漱石」話が秀逸です。
欲望の無い(かのような)人に欲望する。
「これだったのかっ」っと、思いました。
夏目漱石を読んでない無知者なので、
読まねば・・・と焦りました。
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(以下引用)
生物学者が種の多様性の根拠を「生命システムでは、似たような機能を果たすファクターや性質や行動にはある程度なばらつきがあったほうが、システムダウンのリスクを回避する可能性が高い」という事実のうちに見ている。同じ話を国際社会に当てはめてみよう。なぜ、全世界的な規模のグローバリゼーションの圧力にもかかわらず、これほど多くの国民国家や種族や宗教共同体が地球上にはあふれかえり、それぞれの差異を言い立てているのか。それは「エコロジカル・ニッチの多様性」が人類の存続に必須である、ということを人々がどこか身体の深いところで直観しているからである。(P.10)
どれほど合理的で厳密な規定であろうとも、「戦争をするためのクリアーすべき条件」を定めた法律は「戦争をしないための法律」ではなく「戦争をするための法律」である。たとえば刑法199条は「殺人罪」を「人を殺したる者は死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処す」と規定しているが「人を殺してもよい条件」は規定していない。改憲論者のロジックは「自衛のため又は公共の福祉に適する場合を除き」という限定条件を刑法199条に書き加えろと言っているのと同じである。(P.24)
憲法九条と自衛隊が矛盾した存在であるのは、「矛盾していること」こそがそもそもはじめから両者に託された政治的機能だからである。平和憲法と軍隊を同時に日本に与えることによって、日本が国際政治的に固有の機能を果たすことをアメリカに期待した。(P.30)
従属はしたくないが、孤独ではいたくない、というのは「腹一杯にご飯を食べたいが、やせたい」というのと同類の不可能な願望である。「自由に暮らすこと」」と「他人と暮らすこと」は両立しない。自由に暮らしたいものは一人で暮らすべきだし、他人と暮らすことを選んだものは、しばしば自由を断念しなければならない。それが世の常識というものである。(P.107)
明治の世に江戸の「異物」が豊かに混在していたことを物語の水準で活写したのは、おそらく山田風太郎をもって嚆矢とする。(P.194)
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内田樹の本は、いつも自分に新たな視点を与えてくれる。会社の後輩に何か面白い本はないですか?と聞かれて紹介したのだが、読んでないと様にならないので、すぐに買ってみた。自分としては紹介して正解だったと思う。世の中で、常識・当たり前・一般論と言われているものに切り込んでいき、全く違う世界を示す。知的刺激を求めるのに格好のテキストだ。