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- カテゴリ:一般
- 発売日:2014/07/31
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/309p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-335991-3
紙の本
小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白
著者 山城 むつみ (著)
自ら従軍記者を志願してまで、「戦争の時」に深く食い入り、ドストエフスキーが触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に感応した小林秀雄。文学の徒として「書く」ことの切実な「実...
小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白
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商品説明
自ら従軍記者を志願してまで、「戦争の時」に深く食い入り、ドストエフスキーが触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に感応した小林秀雄。文学の徒として「書く」ことの切実な「実存」を精緻に析出させてゆく長編論考。【「TRC MARC」の商品解説】
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書店員レビュー
まさに「圧巻」の一語に尽きます。
MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店さん
「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」─── 良くも悪くも世間的にはすっかり有名になってしまった、敗戦直後の座談会における小林秀雄の「放言」の一節である。ところでこの二つの挑発的な「放言」のあいだには、少しばかりニュアンスを異にする次のような発言がはさまれていたのだが、そちらの内容に関しては、果たしてこれまでどれだけの人が注意を向けたことがあっただろうか。
「大事変が終わった時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。」 (『近代文学』1946年掲載「コメディ・リテレール」より)
「歴史の必然」などという危なっかしい表現もあって気をつけなければならないが、ここで小林の口から語られているのが、当時の日本が追い込まれていた諸々の窮状や条件の一つ一つを振りかざしつつなされる、あのよくある──だから仕方なかったのだ、他にどうしようもなかったのだ──という類の免罪論・正戦論の論理とはまるで違った位相からの問題提起であり、けっして悔し紛れなどではない真率な疑義の表明であったことを見落としてはならないだろう。
では、だとするなら、この一節において小林が頑なにこだわってみせている、「歴史」をめぐるある「恐ろしさ」の感覚とは、いったいいかなるものを指しているのか。
本書全体を通じて、著者が様々な補助線を用いながら一貫して追究し、明らかにしようとしているのは、まさにその一点であるといえよう。
従軍記者として、当初はあまり気乗りもせず「たたぶらりと」赴いた中国戦線の現場で小林が遭遇し、「自分でもはつきりしない」まま、深い部分での内的な変化を生じさせる契機となった、当地に流れる「時間」と「空気」にまつわるある不可解な「経験」の内実とはどのようなものか。戦後、その『罪と罰』論のなかで、シベリア流刑後のラスコーリニコフの心情の注釈として書き連ねられた言葉──「何もかも正しかったと彼は考える。何も彼も正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」の真意とはどこにあるのか。
生動する「歴史」の瞬間の内部に分け入り、「ここ」と「そこ」をめぐる「連続」と「断絶」の不可視の臨界点に驚くべき緻密さで肉迫する、前著『連続する問題』につづく圧巻の〈小林秀雄スタディーズ〉第二弾。