紙の本
小説の世界?
2016/05/25 13:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み進めているうちにドキッとする。現政権に対する警戒感から書いたのかもしれないと深読みしてしまう。
それにしてもタイトルの「A」がなんとも皮肉で面白い。
投稿元:
レビューを見る
「宰相A」とは、アドルフ・ヒトラーのAであり、また安倍晋三のAであると、著者本人の口から既に説明されている(朝日新聞3月24日夕刊)。ちなみに、著者の住む下関市は、安倍晋三の選挙区「山口4区」にある。
戦後、アメリカ人が支配し、日本人が差別・抑圧される「もう一つの日本」。公用語は英語、国民は制服着用、出生時から番号で管理され、芸術活動は認可制の全体主義社会。首相は日本人から選ばれるが実権はなく、「戦争主義的世界的平和主義」を掲げて、アメリカとともに世界中で戦争を続けている。おかしな言葉使いが安倍政権の「積極的平和主義」等々を想起させるが、現実政治への単なる批判や嘲笑では終わらない。
このパラレルワールドに迷い込んだ主人公Tは小説家で、不条理な展開、不自由な状況下でも自らの物語を書こうとする。小説では作家の想像や思考が言葉になり、世界を創る。では、このおかしな世界は誰が想像したものか、と問う。
作家の想像力は現実世界に対峙できているか。状況に流されない言葉の力を保持しているか。文学論としても切っ先鋭く、特に終盤は、読者もまた挑発される。笙野頼子による文学の定義を思い出す。「極私的言語の戦闘的保持」。
来年の本屋大賞には、この作品を推したい。
投稿元:
レビューを見る
田中慎弥の作品はやはり、苦手だなと痛感。最初は良かったのだが、途中から意味がわからなくなってきてそのまま理解不能に。田中慎弥の作品は難しい。それを改めて痛感した。
投稿元:
レビューを見る
田中慎弥初読。初読するには一番偏りのある作品を手にとってしまったかもしれないが、それなりに楽しく読み、作家の力量は理解出来た。後付きに山口県出身というのもあり、首相嫌いは生来札付きのものでもあるのだなと。
何事も実質的な価値を持ち得ぬ紙と鉛筆。何事意味を持ち得ぬからこその意味があるのだというのを風刺しきる純文としての価値を同時代性とともに描いた秀作。
投稿元:
レビューを見る
石原元都知事に喧嘩売った芥川賞作家の新作。ストーリーはSFじみているが、そこは純文学作家でもあり、
どこが現実との境かわからん描写が続く。
ラスト前の拷問のシーンが秀逸。オチは今一つかと。だから星4つで。
投稿元:
レビューを見る
”日本国民に出生と同時に発行される「ナショナル・パス(N・P)」に記載の「ナショナル・ナンバー(N・N)」が、生活していく上で必要である”という説明のあたりは、まもなく私たちにも割り当てられるマイナンバーみたいなものなのかな−と興味を持ち、「面白くなりそう」と期待。でもダメだった・・・
後半はわかるようなわかんないような状態に陥ってしまったので、かなり大胆に読み飛ばしちゃった。とっつきにくい文章だったなぁ。
投稿元:
レビューを見る
これは意欲的な作品だ。別の戦後を歩んだもう一つの日本が舞台。そこは戦争主義的世界的平和主義を唱える完全な民主主義国家らしい。ストーリーの骨格はパラレルワールドだけど、そこで語られる国民と国家の描写がすごい。決断できない国民の行く末が語られたりして、まるで今の日本の問題点を抽出したかのよう。タイトルも安部首相から取られているようだ。そしてルドビコ療法としか言えない処置による主人公の変節。左翼の学生運動家が親米保守に転向したみたい。怖い話だ。
投稿元:
レビューを見る
著者とは近くて遠い宰相A。幾分世間とはずれているような不思議な昂揚に日頃から微妙な違和感を抱いていた。その解の一つが見事に著されている。現状維持の宿痾を放置しておくのは、日本政府としては断じて許されない。今こそ日本は全き日本となるべき。曖昧や陰影、朦朧、余白、枯淡、物の哀れ、それに伴う未成熟な情緒、これら旧日本の病理を完全に超克し、暗部を除去し、隅々まで明るく寺師出された、一点の曇りも一抹の不安もない、世界に向かって胸を張れる超一流の国家となるべき。服を突き破らんばかりに膨らんでいるのに、柔らかく掴みどころがない陰茎。血の通ってないふぬけた陰茎に違和感の正体が凝縮されている。
投稿元:
レビューを見る
書き出しは完全に私小説なのに、マジックリアリズムみたいに非現実がぬるりと忍び寄ってきて、いつの間にか完全にSFの世界に迷い込んでしまっている。
私小説の方法論で書かれたSF、とでも言うべきか。
SFの姿をした私小説、とでもいうべきか。
言及されていないけれど、『城』だけでなく、オーウェルの『一九八四年』も物語の根底にあるのだろう。結末に至る展開がよく似ているし。
1948年のヨーロッパで、「今のこの政治体制がずっと続いたとしたら世界はこうなるかもしれない」という仮定のもとに描かれたのが『一九八四年』であるのなら、
2015年の日本で書かれたこれは、もしかしたら『二〇五一年』の世界の姿を暗示しているのかもしれない。
「戦後世界の別の姿」という意味では、PKDの『高い城の男』を思い浮かべたりもした。
まあ分類なんてどうでもいいことなんだけど、とにかくいろんな意味で「野心的」という言葉がぴったりだと思う。著者一人の系譜から見ても、文学の系譜から見ても。
この著者がこれからどんな小説を書くようになるんだろうと、とても楽しみになってくる作品でした。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦後、欧米諸国による日本の占領が、我々の現実のようには行われなかった、パラレルワールドでの話。
我々の現実世界から、宰相Aの世界に紛れ込んだ小説家Tの目を通して、Aの世界を描く。
アングロサクソン系の日本人の中に、ひとり象徴として存在する宰相A。そして、我々日本人は旧日本人として、人権をもたない存在となる。
支配者の力、差別されている集団内部の暴力。
民主主義、自由、積極的平和主義のもつ意味を再度考えさせられる。
投稿元:
レビューを見る
タイトルは現在の日本の首相を連想させるし、最後の演説部分はまさしく彼の口調そのままのようで、戦争主義的世界的平和主義なんて、上手いこと言うと思った。だけど、「ゴッドファーザー」と「城」あと三島にオーバーラップさせた本筋の物語は、言葉を弄んでいるだけで読むに意味がない感じだった。
投稿元:
レビューを見る
クセのある読みにくい文体には馴染めないが、オーエルの1984を思い出しながら読んだ。
アメリカの植民地、旧日本人、日本人、どちらでもある日本人、ものがたりにするとこんな感じ、ぐちゃぐちゃになるのかな?
投稿元:
レビューを見る
下関に住み、いやS市に住みちまちまと?小説を書いている主人公がスランプになり長年行っていなかった母の墓参りに出かけた事で、別の日本に到着するというSF調の小説。
その日本はアメリカに占領され、アメリカ人が日本人で日本人が旧日本人という差別された世界。
そこの総理大臣が宰相A容貌や風体の表現から、今の日本のA首相とそっくりな年寄りの首相。
その首相は、アメリカの言う事をそのまま代弁し、旧日本人たちをこの世界の日本で押さえ込む政策に荷担している。
この物語の中で演説する宰相Aの言葉がいまのAとオーバーラップする(^^;)
「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。戦争を通じてのみ平和を構築出来るのであります。平和を掻き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。これこそが至高の方法なのであります。最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」
まさに現日本のAが言いそうな言葉で、思想で、これを揶揄したこの反骨精神の作家のパロディなのだと思います。
主人公はこちらの日本では、いつかこの日本を救いに来ると言われた伝説の英雄とうり二つで、旧日本人達から一緒にこの日本を我々の日本に戻しましょうと祭り上げられるのですが・・・
さて、最後は?という事で今の時代のパロディとして読めば、それなりに笑えるかも知れません。
ただ、この人の小説にはあちらこちらに棘があるように思え、前回の芥川賞受賞の共食いと同じ空気感を感じました。どちらかというと苦手なのかな?私は。
という事で評価は★三つです。
投稿元:
レビューを見る
墓参りに行く電車の中、夢の中で聞いた母の声。
気が付くと、いつの間にか作家は「現在の日本」ではない「日本」に迷い込んでいる。
虚構と現実を自在に行き来する、作家の「お話」は読むのが辛くなるほどリアルで息苦しい。
「お話を現実に現実をお話に書き換える」ことのできる作家だからこそ
現実に戻ってきてこれを書いたのか?或いは?
「逃げながらでもいいから、お話を作り続けなさい」母は励まし続けることしかできないけれど。
投稿元:
レビューを見る
パラレルワールドに迷いこんだ小説家のはなしで戦争と独裁者に対する筆者の批判なのであろうとは思ったが面白みが見つけられず挫折。