紙の本
振り返る日本の経済
2015/10/23 17:50
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投稿者:やまだ - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後経済を著者個人的な出来事とからめて語る本でした。特に1940年体制の話は初めて聞いたのでかなり楽しめました。
紙の本
著者の集大成
2016/10/14 21:57
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投稿者:くまごろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦時総力戦体制はGHQによって全て清算されてはおらず、現在も残っていて、それが日本経済の障害になっているという「1940年体制史観」で著者の人生と共に戦後史を振返る。
著者は東大工学部から大蔵省に入省するが、元々は別の道を行く筈だった。故に典型的な大蔵官僚とは違うタイプで、米への留学もあって常に一歩退いた所で日本を見れている。
筆致も非常に読み易いので中高生にも勧めたい。
ただ、「豊かになるには真面目に働くこと」というのは日本経済の処方箋としてはちょっと…。
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自分が知らない、そして他書では白黒で描かれている事象が見事にハイビジョンで見せてくれるのが本書
40年体制から脱却できるのか?その先にはどんな世界が現れるのか?
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活字の海で元官僚の目に映る戦後70年 変わらない体制
2015/7/26付日本経済新聞 朝刊
戦後70年の軌跡を追う様々な著作が書店の店頭を飾っている。経済の関連では、戦後、急成長を遂げた日本経済がバブル崩壊後に急減速した背景に迫ろうとする本が目立つ。
大蔵省(現財務省)出身の野口悠紀雄氏の近著『戦後経済史』(東洋経済新報社)は著者の個人史を交え、戦時期の国家総動員体制(1940年体制)が戦後も続いたとみる歴史観をもとに戦後を振り返る。その中心を占めてきたのが中央官庁の官僚たち。官僚組織の実態を理解していなかった占領軍のすきを突いて組織を温存し、経済政策を主導したと分析している。
著者によると、40年体制のもとで、50~60年代の資源・資金不足の局面では戦略的な産業部門に資源を優先して配分し、70年代の石油ショックも克服できた。その結果、過大な評価が生まれ、すでに役割を終えていた80年代後半以降も体制は変わらず、90年代以降の長期停滞を引き起こしているという。同じく大蔵省出身の榊原英資氏の近著『戦後70年、日本はこのまま没落するのか』(朝日新聞出版)は占領時につくられた憲法や農地法などの体制(占領レジーム)が続き、成熟段階に入った日本経済に適した政策を打ち出せなくなったと主張する。その一方で、日本の官僚制度は「富と権力の分離」を実現してきたと評価している。
「欧米を目標にするキャッチアップ型経済の時期に官僚組織はよく機能したが、90年代以降は従来の制度や慣行を維持しようとして停滞を招いている」と語るのは経済企画庁(現内閣府)出身の八代尚宏氏。80年代末までの繁栄と、90年代以降の停滞の背景を探る『日本経済論・入門』(有斐閣、2013年)で、90年代の大規模な公共投資などを失敗例として挙げ、「内外の経済環境の大きな変化にもかかわらず、必要な改革を先送りする政府の『政策の不作為』が経済成長率の低下をもたらした」と批判する。元官僚の3人が「変わっていない」とみる官僚組織は安倍晋三政権のもとで新時代に対応できているのだろうか。
(編集委員 前田裕之)
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戦後の経済史を著者の人生と一緒に振り返っている。
経済政策において安倍内閣が行おうとしているのは「戦後レジームからの脱却」ではなく、「戦時戦後体制への復帰」
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著者が生きた時代である戦後当初からの経済史観が描かれている。
バブルの時の世相への想いとそして今安倍政権に至ったこの時代に対する危機感が強く表現されている。
思考停止の政治と社会が怖い。
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海外から日本を見ていると、近年の衰弱ぶりがひどいと感じます。著書を読んで感じますが1980年代が分岐点だったのでは。一度頂点に達すると凋落するのはアッと言う間ですね
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戦後の知っている経済事象を内部の目から見たお話です。
ちょっと斜めから見た感じはしますがなるほど感満載です。
おもしろかったです。
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お金をばらまいたり公共事業をしたりの、いわゆる景気刺激策では、これからの私たちは豊かにはなれないんですね。ではどうすればいいのでしょうか。
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東京大学や一橋大学の教授で経済学者である著者が戦後約70年の経済史の流れを自身の経験を踏まえて解説し、これからの日本の進むべき道を提言した一冊。
著者が指摘する1940年体制が高度経済成長期やバブル期にどのように影響したのか、また昨今の中国の急成長を中心とするITが経済の中心となるなかで1940年体制下の日本はどのように向き合っていけばいいのかを知ることができ、非常に勉強になりました。
また、著者が在籍した旧大蔵省での体験はなかなか知ることのできないものであり、刺激的でした。
著者のエピソードの中でも戦時中の壮絶な体験や70年代の日本とアメリカの豊かさの違いなどは実体験をもとに書かれているので、リアリティとともに深い知識を得ることができました。
1940年体制など歴史的に認識されている事実とは違う部分や歴史的に重大な出来事について些細な出来事であったりなどを指摘されていて新しい視点を得ることもできました。
本書を読んで失われた20年と言われている日本の経済が回復できない一因を知る一助になったと感じました。
終身雇用制度が崩壊しつつあるいまの日本で新しい制度をつくるべくパラダイムシフトを起こさないといけないということも強く感じた一冊でした。
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戦後の経済成長の原動力は、戦争を始めるためにあたり築かれた国家総動員体制にあった。
直接金融から間接金融へ、源泉徴収制度の導入、
電力事業、自動車産業の許可制、労働組合など。
これらの体制を当書では1940年体制と呼び、
戦後の経済成長と衰退を1940年体制を通してみている。
なぜ、戦後の経済成長がスムーズに行えたのか、
そして、なぜ景気が回復しないのか。
かねがねの疑問が晴れて整理ができた。
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経済学の例題を実例をもとに解答解説されているようで、内容がとてもよく腑に落ちる。個人的なエピソードもバランスよく配置されており、読んでいて退屈しない。
山一証券が破綻寸前、優秀な社員の能力が損失隠蔽という誤った目的のために使われていたことを嘆いておられるが、新しい産業の育成より現状維持・既得権益の確保に躍起になっている日本社会全体に当てはまるのではないか。
新しいことを始めるには新しい知識が必要だが、若年層の割合が低下している以上、この際大学卒業資格に有効期限を設定してしまうというのがよいと思う。MOOCの普及で学習に対する年齢制限はなくなりつつあるし。
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丁度私が結婚した頃(1995)に、本書の著者である野口氏が書かれた「1940年体制」という本が出され、それを読んだ私は衝撃を受けたのを覚えています。
戦争が終わってかなり経過した(当時で50年です)のに、まだ戦時体制において決められたものが多く残っているということです。戦争中に決められたものは、すべてGHQを始めとする占領下において無くなったと思っていた私には衝撃的でした。あれから15年、その本の増補版が発行されていることを最近知って、それを読み始めました。
まだその本は読みかけなのですが、野口氏が最近(2015.6)に、「戦後経済史」というタイトルで、戦後の歴史(戦後から現在まで)を経済の観点からみた本を出していることを知り、それを先に読みました。戦後にとった日本の戦略(一部戦時体制を残す)が、冷戦時代までは最適に合って発展した半面、それ以降の時代の流れに合わせなかった日本が現在に至ることが詳細に解説されています。
成功している時点で、やり方を変えることは難しく、最高の成績を残したときから凋落が始まっているのは、多くの企業が経験してきていますが、果たして日本のその一例なのでしょうか、また日本は甦ることは可能なのでしょうか。
この本には書かれていませんが、個人的には元号の変わる数年後、東京五輪が終わったあたりから日本のシステムが根底から変わっていく予感があります。その時、私は社会人の終盤戦、その時にどのような立場に立たされているのか、自分はどうあるべきかを考えさせられた本でした。
以下は気になったポイントです。
・1942年に食糧管理法を制定し、小作人は地主にでなく、国に米を供出し、地主にはその代金の一部を小作料として払うことになった、これにより物納性であった小作料が金納制に転換した、こうして江戸時代から変わらなった日本の農村が変貌した(p10、11)
・1936年に、日本の自動車生産はビック3に支配されていたが、この状態を変えるために、自動車製造事業法を制定、自動車関税を引き上げて、自動車製造を許可制とした(p12)
・戦後日本の大企業の多くは戦時中に政府の手で作られたり、軍需で急成長した企業、純粋な戦後生まれの企業は、ソニーとホンダのみ(p13)
・1945年8月に日本の政治・経済・社会体制に大きな断絶があったのではなく、本当の断絶は1940年頃にあった(p15)
・商工省は占領下でほとんど無傷で存続できた、名称を通商産業省と改めて、民間企業に対して勢威をふるうことになる(p24)
・占領軍は、日本で使うための軍票を日本本土で使うのをあきらめ、それを積んだ船は沖縄に向かった、1952年に本土占領が終わった後も、法定通貨となったB円は58年にドルに切り替わるまで使われる(p25)
・内務省は、建設省・労働省・地方自治庁・国家公安委員会に分割されたが、警察側の抵抗により、自治体警察を統括する警察庁が中央官庁として残った(p25)
・1946年の「第二次農地改革法」は、農地調整法改正と、自作農創設特別措置法として実行に移された、これにより、不在地主の全ての貸付地および在村地主の貸付地のうち���一定面積を越える農地を政府が強制的に買い上げ、小作人に売り渡す内容であった、これにより大地主たちは土地を失った(p32)
・1937年の臨時資金調整法、40年の銀行等資金運用令、42年の金融統制団体令等により、直接金融から間接金融へと転換した、38年の国家総動員令で、株主配当も制限した、このため株価は低迷して、企業の資金調達は銀行に頼らざるを得なくなった(p33)
・戦前の日本でも労働組合は産業別であったが、戦後生まれのものは、企業別である。38年にできた「産業報国連盟」40年に全国団体として、大日本産業報国会が結成、これは労使の懇談と福利厚生を目的として、事業所別に作られ、労使双方が参加、内務省の指導により急速に普及した。会社と運命共同体で協調して企業を成長させるためのもの(p34、35)
・間接金融中心のシステムと、政府による金融機関融資統制システムを全国に活用することで、戦後になって対象を、軍需産業から基幹産業に変えて利用した(p41、73)
・傾斜生産方式は、インフレを引き起こした、そのため新円に切り替えざるを得なくなった、高率インフレは多額の金融資産・不動産を所有する地主、富裕層に大きな被害を与えた(p43)
・農地改革、借地法・借家法の改正(地主は一方的に賃料改定できない、契約の解約も正当事由が無い限り不可)、インフレ、財産税により、日本の地主階級と富裕層は没落した(p44)
・40年4月の税制改正では、給与所得の源泉徴収制度が導入された、このときに法人税が独立の税となり、所得税・法人税という二つの直接税を中心とした税体系となった、地方は独自に徴税する形から、補助金・交付金により補填する形になった、今も続いている(p50)
・青色申告制度は、零細自営業者について、実態は個人業者であっても法人と同じような税制上の扱いを認めるもの、これは零細事業者の不満を和らげるために導入された(p51)
・道路の整備において一般道である国道と地方税は一般会計が行うが、有料道路は財政投融資でおこなう、こうして財投との絶妙な組み合わせにより、国債発行にたよらない小さな政府ができた(p113)
・各国のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)が異なれば為替レートが変動するのは当然、ユーロは異なったファンダメンタルズを持った国々の通貨を一つに統合してしまった(p166)
・世界経済が成長して、必要とされる通貨量が増えていったのにもかかわらず通貨価値の指標とされた金はわずかしか流通しない、ドルと金との兌換が停止されて、金本位制が崩壊した真の原因はここにある(p167)
・高度利用を阻んでいる制度(借地法、借家法による借地権や借家権・固定資産税や相続税が低い、土地評価額が時価に比べて低い)が、地価を高騰させている原因(p225)
・総量規制は出されたが、大手銀行の子会社である住専は対象外だったので、地価の上昇は続いた(p235)
・長銀、日債銀の後処理は合計で40兆円の公的資金が投入されたが、一般会計で処理されず、預金保険制度を運用する預金保険機構を用いたので、公的資金投入時には、そのうちどれだけが国民負担になるかわからないので、強烈な拒否反応は生じなかった。5年後の2003年になって、40兆円のうち10兆円が返済不能で国民負担となった、と判明したが、多くの人は忘れていた、それ以外に銀行自ら損失計上した、92‐06年までで97兆円(p251、253)
・日本銀行が購入している国債が値下がりした場合は、損失額は国民負担となるが、そのことは問題として議論されていない(p256)
・中国政府は、1979年に、深圳・珠海・スワトウ・アモイに経済特区、84年に、上海・天津・広州・大連等に経済技術開発区を設置した(p276)
・福島第一原発事故の際、原子炉に注水するために、「大キリン」という巨大クレーンが登場した、中国建機メーカ「三一重工」の製品であった、日本では作れないものが中国で生産されている、これは報道されていない(p279)
・80年代において日本のPC市場は国内メーカの生産で占められていた、これは垂直統合方式であったが、水平分業が広がると対応できず、短期間のうちにシェアを落とした(p282)
・先進国がめざすべき道は、労働コストで決まる製造過程でコスト引き下げ競争を行うことではなく、開発・研究という付加価値が高い分野に特化して中国企業とすみ分けること(p284)
・製造業に危機が及んだので、メーカから政府に対してあからさまな補助要請が行われた、エコカー制度・地上波デジタル放送の強制移行、雇用調整助成金の支給額引き上げ(p303)
2017年11月19日作成
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戦後経済史 単行本 – 2015/5/29
経済政策に関する限り安倍晋三はアカ、社会主義者である
2015年6月7日記述
野口悠紀雄氏の著作。
今回は戦後経済史と銘打っている通り経済史の本である。
本書に登場する1940年体制という概念は戦時経済体制のことである。
著者の1940年体制という書籍を合わせて読めば理解が深まるだろう。
これまでの野口悠紀雄氏の著作をいくつか読んでいた身としてはまず本書の語りかける文章に驚いた。
ただ野口氏の個人的な当時の出来事とからめて経済史が語られるという本書のつくりではむしろその方が適切であると途中から実感。
著者自身の東京大空襲を生き延びた話、子供のころ、大蔵省に入るきっかけ
大蔵省での仕事、留学時の話など大変興味深かった。
当時の生活がリアルに見えてくるようでもあった。
敗戦後の日本を統治したGHQが日本の経済については実は無知でシャウプやドッジは日本の官僚が自分たちの政策を実施するための神輿だったという指摘には意外な思いがしました。
ただ日本の予算制度などを詳しく知らない人がいきなりきて膨大な予算案をつくれるはずはないという指摘は正しいでしょう。
紹介したい点が数多くあります。(ただ細かい点は本書を読んでいただくことにして)
戦時体制をつくる為に準備された1940年体制は戦後の復興、農地改革、高度経済成長、石油ショックの克服など1970年代までは有効に機能していた。
しかしIT革命、社会主義国の崩壊並びに資本主義国への変貌、中国の工業化などによって日本経済にとっては逆風とも言える経済構造に世界が変化した。
その変化に対応しきれていない為、日本は停滞し失われた20年となった。
1980年代後半からのバブル経済は明らかに異常だった。
人はボブルの渦中にいるとき、それがバブルであることを認識できないバブルが進行している最中にそれをバブルだと認めることは、非情に難しい。
バブルだと指摘することは、もっと難しい。
それは誰も理解してくれない、孤独な戦いです。
自分の国に誇りを持てるのは大変重要。
しかしそれは客観的な事物や事実に裏付けられている場合である。
裏付けなく誇りだけが独走するのは危険。
それは攘夷と異質排除に繋がり、進歩に対する最大の障壁になる場合が多い。
著者の違和感の正体は「働く必要がある」という原則が成立しないこと。
日本人が使える資源の総量が増大しない好景気は間違いなくおかしい。
誰かが豊かになっても他の人が貧しくなる状態は長続きしない。
介護問題や財政危機など今後の日本のために必要なのは高生産性産業。
竹ヤリとバケツで超高齢化社会には立ち向かえない。
現在の安倍晋三内閣の進める経済政策は企業の賃金決定過程に介入するなど市場の役割を否定している。
日銀の独立性に否定的立場である。
それは統制型経済、1940年体制、戦後レジームへの執着に他ならない。
野口悠紀雄氏の論説が人気が無いのは内容が悪いからではない。
理解できない人or理解したくない人が多いからである。
それはバブル景気の時も今の異次元金融緩和も同様である。
今こそ著者の真摯なる日本経済への指摘に耳を傾けよう。