紙の本
真実を見極める
2021/01/29 10:10
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
裏表紙の見返しに内容紹介として次のように記されている。
『ワールドクラスの大学は「ヒト・モノ・カネ」をグローバルに調達する競争と評価を繰り広げている。水をあけられた日本は国をあげて世界大学ランキングの上位をめざし始めた。だが、イギリスの内部事情を知る著者によれば、ランキングの目的は英米が外貨を獲得するためであり、日本はまんまとその「罠」にはまっているのだという。日本の大学改革は正しいのか?真にめざすべき道は何か?彼我の違いを探り、我らの強みを分析する。』
ジャレットダイアモンドが著書の中で、ジョセフ・ヘンリッツらの指摘を引用している。人間の心理に関する認識の大半は、WEIRDの頭文字で表現される被験者、つまり西洋的(W)で教育が普及していて(E)産業化されていて(I)富める(R)民主的な(D)社会に住む被験者を対象にした研究をもとに形成されている。そもそも欧米中心の学問世界だということらしい。
大学の事に限らず、知らず知らずのうちに欧米中心の考え方や枠組みに支配されているようだ。環境問題ではSDGsランキングなるものがドイツのベルテルスマン財団が毎年公表しているが、トップクラスは全て欧州の国々である。これもなんだか妙な気もする。欧米、とりわけ欧州の価値観が政治、経済、文化、環境などあらゆる面で席巻し、それによって利得が欧州に還っていくようだ。すべてを疑えとはマルクスの言葉だが、そのうえで自らの思考能力を使って行動していかなくてはいけないのだろう。
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大学ランキングというものの本質が、
著者が言うように欧米の一部の有名大学による「外貨獲得」を目的にした、
留学生獲得(主に中国、韓国、東南アジアの裕福な学生)にあるのなら、
いったい、日本の大学が行っているグローバル化とは何なのだろうか。
世界の有名大学と肩を並べる大学になる必要性があるのか?
ランキングのルールや評価基準を制定しているのがイギリスなら、
圧倒的にイギリスの大学や英語が母国語に所属している国の大学が有利だろう。
そのランキングの上位に入りたいがために、行う改革とは、
果たして、有効なのだろうか?日本の大学のグローバル化は、
①国際ランキング(欧米の価値基準で)100位以内に10校をランクインさせる。
②英語による授業、卒業までに半数の学生を留学させる。
③外国人留学生を2割上限にする。
これって、グローバル化なんだろうか。
日本人の英語力のなさは、折り紙つきだし、
今更、英語力つけようとすることに何か意味があるのだろうか。
世界大学ランキングを上げることが非常に重要と思い、
様々な改革を行うが、ランキング自体に公平性はない。
初めから、欧米の大学が勝つように仕組まれているゲームだと思う。
あるのは、絶対的不利。
関係者は、そのことを薄々知っているが、改革を断行するしか道はないと思う。
まさに「なんとなく、そういう空気がある」で決めている。
本当に馬鹿げていると思う。結果は予想するより明らかであろう。
ランキングも上がらないし、さらなる大学の教育の荒廃を招くだけである。
教職員はさらに疲弊し、学生はさらに、学習を拒否するようになるだろう。
今の大学のグローバル化は、ほぼ確実に負けるとわかっているのに、
わざわざ莫大なコストをかけて行っている。
本当に理解不能である。
最後に、著者は、非常に丁寧な警告をしているが(本当のエリート的行為だと思う)、
元東大教授で、日本での生活が約束され、それでもイギリスの名門大に渡ってまで(競争がもっと激しい場所)、
日本の大学へ警鐘を鳴らさなければならないほど、日本の状態は危機的なのだろう。
日本は大学のみならず、急速に社会全体が衰退していっている。
その中で猫も杓子も「グローバル化」に活路を見出すのは、安易すぎる。
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苅谷先生らしく、データを駆使して、この国の高等教育改革の「中身の薄さ」について警鐘を鳴らしている。アクティブラーニングはよいけれど、受講すべき授業が多すぎるとのご指摘はそのとおりです。
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本の内容に統一感がないと感じていたが、末尾を読んで納得した。書き下ろしではなく、これまでの寄稿を再編集したものである。最終章の欠如理論のみ参考になった。
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日本の大学のグローバル化が叫ばれ、英語による授業などが叫ばれているが、オックスフォードや欧米の主要大学は、そもそも外国人の優秀な学生が多く集まり、今ではそれが院ではなく、学部に及んできているという。オックスブリッジ、米国の主要大学が国家の成立前から存在し、国家人材を育ててきたという歴史の前に、明治から国策で大学を作ってきた日本との歴史の違いを感じる。英国の大学でなんと1.4兆円の外貨を毎年稼いでいる。それが、EU離脱によりどのように展開していくのか、英国の衝撃の大きさが分かる。本当の意味でのグローバル化は、外国から優秀者を集めるべく、世界の有名大学と競い合うことなのだけど!を痛感する。世界大学ランキングは欧米(特に英国)の外貨稼ぎのマーケティング戦略によるところが大きく、それに振り回される日本の愚。それが、「日本の欠如理論」によるものとの指摘は極めて説得性があった。
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本書は既出の原稿をとりまとめたものだった。無理に各章のつながりを求めなくてもよい気がする。表題ありきの書籍編集側の商業的アイディアだろうか。とはいえ、読み手側で重要な知見と考えられるエッセンスは十分に抽出可能である。いかにいくつか引用した。それらは著者にしか指摘できない点が多い。また、SGUという和製英語の奇妙さを指摘した解説はやや赤面ものだった。ただより重要なのは、大学のランキング評価の結果から、大学の社活動の国際的な「遅れ」を導出し、一般の産業と同様に「追いつき型近代化」(p.202)を主たる問題解決の方法にしてしまっているという指摘である。
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スーパーグローバル大学を切り口にした大学改革政策の批判と、イギリスにおける高等教育政策の対比が描かれる。最終的にはグローバル化ではなく、内部の参照点を重視した地道な大学の改善政策が望ましいとの指摘。 それこそ、中教審の将来構想部会とか苅谷先生にメンバーとして参画してもらいたいところ。
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アメリカやイギリスの大学ランキングには日本の大学がほとんど入っていないので、頑張らない世界から取り残される、という話から始まるが、最後は、ランキングに振り回されずきちんと将来を見据えて改革していって欲しい、という話で終わる。
グローバル化や多様性は必要なのか?4年生が行わなければならない就職活動、横並びの就職、そして企業の側の意識など、様々な視点から、日本の大学のあり方に警鐘を鳴らしている。
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日本語という特殊言語に守られている日本の労働市場、大学。日本にしかできない付加価値研究を、のくだりでニッサン現代日本研究所が名前だけ出てきた。もう少しその辺を知りたいと思ったので、次はこの研究所や近大とかについての本を読むぞ。
企業やOBの寄付をもっと募って産官学で頑張るのが良さそう。
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うん、ただ単に英語で授業すれば、グローバルなんじゃあないんだな。日本の強みを生かさないとね。とはいえ、英語で論文書かないと誰も認めてくれないからなあ。
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リンガフランカである英語を母国語として教育を行う国は、常にグローバルな競争に晒される。その一方日本では「日本語」という障壁のため、人や資金や情報の国境を超えた行き来が遥かに少ない。そこでいう「グローバルな競争」は「リアル」なもの(実感できるもの)ではない。現実味がないから、「グローバル化戦略」もインセンティブに欠け、改革も形式的で実らないのである。
グローバル化は、新自由主義経済と不可分の関係にあるが、それは「英国病」脱却のため、1979年に就任したサッチャー首相からスタートした。高等教育のグローバル化もその延長線上で、英語という言語資本を利用できる国々が、資金や人材を集めるためグローバル競争をしかけ、市場での優位を確保し、知識生産・伝達のヘゲモニーを握ろうとしているのである。
高等教育のグローバル化は、1999年のイギリスで、外貨獲得手段(輸出産業)として、留学生受入れ拡大を加速させる。その予想以上の成功から2006年にはさらに上方修正。この背景には、中国において富裕層が増大し、その子女がより良い就職の機会を得るため「海外の評価の高い大学」への進学を目指したことにある。この際に、イギリスの大学に目を向けさせるマーケティング戦略の一助となったのが、2004年にスタートしたイギリス発の世界大学ランキング(THE、QS)である(州政府からの財政支援が削減されているアメリカの州立大学、特に研究志向が強い大学も恩恵を受けている)。このように、教育のグローバル化競争は、外貨獲得というビジネスや財政の観点から語られるのである。
その競争に日本の大学が巻き込まれた。日本の行政・大学は必死にもがく。そこには、根強い「欠如理論」があったからだ。西洋の歴史的体験や社会構造を過度に「普遍的」なものと捉え、西洋の大学に特徴的な点を「賞賛」し、明治以降の日本の教育の特徴を「後進性」と決めつける。この「欠如理論」に特徴的な思考様式は、大学内部に確固たる参照点(見識)を持たず、外部の参照点(世論)に無反省に飛びつくことにある。こうして、英米をモデルにしつつ高等教育「市場」という経済的視点に大学教育が振り回されてしまっているのである。
このようにして、昨今の「グローバル人材の育成」などの大学改革は、学術文化の交流・活性化という視点ではなく、経済界の視点から語られる。しかし一方で、経済界は大学生の学びを重視していない。そのうえ、就職活動の早期化と長期化、インターンシップと銘打った早期面接などにより、大学教育を妨げている。「教育界」と「経済界」の間に信頼と連携がない限り、大学の教育改革・教育の質向上は絵に描いた餅となる。
結局、「現行の」世界大学ランキングの基準では、特に人文社会学系において日本の大学が置かれた環境を考えると、勝ち目はない。このことに自覚的であるべきだ。そして、むやみに英語で授業を行うことも賢明ではない。大学教育の目的のひとつが、問題発見・解決能力を学術的思考援用して身につけることで、そこでは母語で深く考える力がこそ不可欠だということ���重要。
また、人文社会科学系の研究においては、日本発であることを強みとする視点と論理構成を採ることが必要だ。近代化以前の日本の経験を含め、先進国に仲間入りするまでの間に日本の社会が蓄積してきた「知」や「経験」を強みとして発信していく研究は、非西欧圏で西欧モデル以外の多様性を求める国々にとって、貴重な「知」となり得るからだ。つまり「知の多様化」に貢献できる。表面的で、勝ち目のない大学ランキング競争に右往左往するよりは、よっぽど日本の大学の国際貢献、プレゼンスのアピールに繋がるのではないだろうか。日本の大学の人文社会学分野における著者の指摘は、現実的で非常に見識に溢れているように思う。
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2017年刊。著者はオックスフォード大学社会学科・現代日本研究所教授。セント・アントニーズ・カレッジ・フェロー。
2014~17年にかけ、日本の大学のグローバル化・英語化に競争(狂騒)する様を著者が批判的に論じた各種寄稿を集積した書である。端的な印象としては、相変わらず「流石の切れ味」だなぁというもの。
なかなか纏めるのは難しいが、まず①日本の大学において、質を落とさずに英語で講義を展開することは非現実的とする。なぜなら、教授他に英語を自在に操れる人材が僅少だから、という挑発的とも取れる現実を開陳。
ただ、この点は文科省も織り込み済みで、A内閣の暴走気味な非現実的政策を現実的な地点に落とし込む爆弾は仕掛けているという指摘が実に振るっている。
そして、②理系学部は数学、実験という世界共通言語の下で研究・教育を続け、世界に冠たる大学との競争も経験済みであるので、英語での発信力(授業ではないよう)を益々つけていくことの重要性を説く一方、③いわゆる文系学部に関しても、やはり英語での発信力の重要性を指摘する。
これには研究=論文の質の高さの目利きと、これを発信する語学力を備えたコーディネーター役が不可欠と指摘。
全くふむふむである。
その上で③文系学部の強みは、英語圏にいない点、つまり非英語圏で長期間の研究の蓄積を成し遂げたニッチの強み、付加価値の追求をなすべきだという。
この点はやや具体性に欠けるが、世界に先駆け少子高齢化が先行する中での経済政策学、高度循環社会を構築した江戸時代を総体として研究する歴史・文化人類学研究(J・ダイヤモンドの指摘もあったか)等を外に向け発信することが想定できそう。
一方で、④教育機会の不平等、⑤英、特にOxの人材育成方法(大量の文献読破を前提とした討論を基軸)の辺りは著者らしい。
そして結論としては、英国在だから見える、日本の大学のグローバル化追求、その政策形成での奇異さが肝だろうか。⑥エビデンスに基づかない日本の教育政策における討論と形成過程。⑦国策=大学を外貨獲得の手段と構成した英国と、その国策実現のため英国自らが作らせている大学海外ランキングの欺瞞性の中、この点を日本の政策形成では全然想到しない不可思議。⑧グローバル化とは、実はアジア諸国(印を含むが、特に中国、ないし華僑が多数派)からの人材流出が齎した特異現象に過ぎない点。
と、鋭いが身も蓋もない指摘が満載である。
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大学ランキングで、なぜ評価されないのか? 文系学部廃止論争はなぜ不毛なのか? 世界最高峰、イギリスの伝統大学から見えるもの。
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教育社会学的な分析は影をひそめ、エッセイ風になっている。引用された箇所は、オックスフォードでの学習における論文を多く読んでからの討論で、何もなしからのアクティブラーニングでは何にもならないという批判の部分である。
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小熊英二からの続きという感覚で読む。以前に読んだこの著者の本はもっと面白かった気がするのだが。。。雑誌への寄稿の寄せ集めだから冗長になってしまったのもあるか。
世界の(主にイギリスの)グローバルの大学の様子と、日本の空回りする大学グローバル化を対比して嘆く。日本の文系学部にも独自の道があると説くが、なかなかイメージできないなあ。
Anywhere(どこでも行ける)とSomewhere(どこかに留まる)の対比は響く。非英語圏では高学歴でもSomewhereなのだ
大学のグローバル化を引き起こしている需要側の要因は中国からの大量の留学生