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就職氷河期よ、自己肯定感を取り戻せ!
2020/01/25 14:26
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
対談相手の雨宮は、ほぼ私と同世代で、ロスジェネと言われる人々をよく分析していると思う。そして団塊の世代のひとりとして上野千鶴子の分析は、おそらく親世代は知りたくもないし、今となっては聞く耳持ちたくないものであろう。
就職氷河期世代を雇用する人事担当者に読んでほしい。
声を上げることなく自死してしまった人のためにも、今引きこもりや鬱等精神を患って座敷牢のようなこの世に生きている人たちにも、自己肯定感を取り戻すために読んで欲しいと思う。
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雨宮処凛がフェミニズムのことをほとんど知らなかったのが意外だった。前に北原みのりとyoutubeで番組をやっているのをちょっと見たことがあったから。
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なるほど、と思わされてしまう。身近な言葉で表現してくれてる。世代の隔たりを表現するのに、この二人は最適。全部とは言えないが、だいぶ多くを納得してしまう。
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前半は、なんとも噛み合わない。お互いに理解しようとしているんだけど、根本のところでは理解し合えていないと感じてしまった。
団塊の世代の上野さんは、偉そうな同世代の男性を批判し、嫌悪してるけど、雨宮さんに対して上から目線で偉そうなところが垣間見えてしまうと感じた。そして、結局は「謝るしかない」って、ごめんなさいで済まないんだよ〜ってモヤモヤした。
上野さんと雨宮さんは、団塊と団塊ジュニアではあるけれど、お互いの階層も違うので、それで少し噛み合わないところもあったのかもしれない。
言葉が通じない、の壁を超えなきゃならないんだと思う。最後の章は、お互い同じ明るい方を向いているようなお話だったのでよかった。やっぱり政治なんだよね。お金の使い方が日々、決められているんだもの。地方政治も若くて、真摯な人がたくさん入ってくれるといいなと思う。自治体の首長なんて、面白くてたまらないと思う。
知らないこともたくさんあり、特に上野さんの語るフェミニズムの話、最後の章に出て来た日本会議の話などはもっと知りたいと思った。
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団塊世代と団塊ジュニア世代の対話。時代が地位や収入を上げたのに頑張りの価値観から抜け出せず、子世代を抑圧してしまった。自己責任社会となり弱さ嫌悪。フェミニズムは継承されず。
親世代と子世代なのに、親と子としては決して話されなかったこと。そこにある分断を、垣間見せてくれたように感じました。
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「親が死んだらホームレス…」 長寿・未婚・介護……想定外の家族リスクが襲い掛かるこの時代を心豊かに生き抜くために
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最近流行らない「左」な視点から今の社会を語った本。
そして、団塊ジュニアから団塊へ、フラットに質問をするスタイルで、自由とは、弱者とは、幸せとは、を語っています。
年代的には、母親と、こども。
でも、著者のお二人は、血縁関係も、師弟関係もない、ただその「世代」の一人。
親子の甘えを取り払った冷静な視点から、お互いの生きた時代と立場、考え方を振り返ることができます。
上野先生の分析はいつも鋭いのですが、なぜか、小林よしのりさんの著書につての視点は、やや曇っているようにも感じます。小林さんは、社会運動をする学生を「純粋まっすぐ正義くん」と揶揄したわけではなく、社会問題に運動で一矢報いたあと、運動それ自体が目的になる危うさを嘆いただけなのに、と。
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高度経済成長とともに年を重ねた「団塊世代」と、就職氷河期のため安定した雇用に恵まれなかった「団塊ジュニア」を襲う未婚・長寿・介護などの家族リスク。両世代を代表する2人が、社会・経済的な現実とその対策を論じ合う。
質問に対しての回答がかみ合わないというか・・・。
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酒井順子の「バブルコンプレックス」で紹介されていた。団塊世代の上野千鶴子と団塊ジュニアにしてロスジェネの雨宮処凛の対談。60代と40代、団塊も団塊ジュニアもそれぞれ年を取った。世代内格差も男女格差もある中で、フェミニズムも社会運動も世代承継されなかった。それぞれの世代が依って立つ価値観、社会的規範、政治姿勢などが展開される。
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4年前の対談。この3年で日本が表面的に変わった感もある。もう少し企業へのホワイト圧力が強くなり、いちおうの「派遣無期雇用」という低賃金正規職が生まれた。団塊の世代が75になって雇用延長終わり、人手不足となったし、介護要員も必要に。
それとも私の職場が変わってわたしの目から見えなくなっているだけ?
雨宮さんの言う政治に対するシニシズム、子どもの頃の空気感は36歳のわたしでも思い出せる。雨宮さんの私の10個上だけど、ともだちのお姉ちゃんやお兄ちゃん、地域の荒れた中学のこと、私たちの世代の生徒会とかそういうことに対する白けたムード。貧困やロスジェネ、自己差別、右傾化については私が大学の頃2004-2011年あたりですごく感じていたことでもある。2chとか、小林よしのりとか。
上野さんはやはり共感できる。
「差別が1番辛いのは、他人から差別されることより、自分自身をないがしろにすることだと思う。自己評価が低くて、自尊感情が持てません。「しょねん」や、「どうせ」がしみついている子たちに前向きな気持ちを持たせるにはまずはマイナスを埋めなくてはいけない。(中略)セルフネグレスト そう言う状態に放置して手を差し伸べず、生きる力を奪い続けておきながら社会は頑張れという。やってられないと思われても仕方ありません」p84
「どんな時代の若者も「信じられる価値観」に飢えている。「信じられる価値観」とはどんなものも洗脳装置だ。(中略)「信じられる価値観」はないかもしれないが「信じられる人」はいるだろうし、いないよりいるほうがよい。(中略)わたしの前にそんな「信じられる人」たちが歩いているので、とりあえずわたしも生きてみようかと思う。(中略)自分の前に連なるひとびとの群れと、自分の後に連なるひとびとの群れとに気づく時、わたしたちには責任が生まれる。それに気づくのに、40代はじゅうぶんな年齢だろう。」p248
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そういうとこがよくないと言われるだろうけど、昔より今のほうがよくなってるし、そんな悲観しなくても今がそんなに悪いとは思わないけどな。
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第一次ベビーブームで団塊世代が形成され、第二次
に団塊ジュニアが生まれたのにも関わらず、第三次が未遂となったという興味深い問題。女性高学歴、晩婚、貧困問題などで単純に説明がつくことでないと論考する上野はさすがに学者です。
「負けたって思いましたよ。だって右翼の集会に行くと髪の毛が黒いけどフェミニズムや左翼の集会に行ったら白髪だらけ。日本会議は世代交代に成功し、わたしたちは失敗したかも」と上野が述懐するほどに、目前の闘争に終始し将来構想に欠けている後者の救いのなさ。刊行当時(2017年)話題作りになったSEALDsも今は?地方政治が世の中を変える、という期待も右寄りの維新の会が叶えている。
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「まえがき」(雨宮処凛さん) と
「あとがき」(上野千鶴子さん) が
素晴しい
きちんと 現実を見て
きちんと 言葉にして
きちんと 考えること
それが
生きていく ための 基本だ
を 考えさせてくれる一冊
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『私だけの問題だと思っていたら、
世代共通の問題だったのか!』
と驚愕した団塊ジュニアの私です。
私自身の問題であると捉える自己責任の考え方自体が団塊ジュニア世代の特徴であるという
二重の納得まで得てしまった。
「人に迷惑かけるな」と呪いのように言われて育った世代ですから
と団塊ジュニアのことを雨宮さんが言っていて、
『え!うちの母親だけじゃなかったのか!』と驚愕し、
「生きてると迷惑かけるから死にます」と言って自殺していった雨宮さんの友人たちの話にもすごく共感してしまった。
私も鬱状態になったとき、自分の存在自体が迷惑だから死にたいと母に言って母を泣かせたりした。
一時期母を責めたりもしたけれど、
母自体も団塊世代特有の価値観の中で
苦しんでいたんだよなと
なんだか俯瞰してみるキッカケをくれた本でした。
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ェミニズムの本。
団塊世代の上野さんと団塊ジュニアの雨宮さんが意見を交わしあう。
私は団塊ジュニアよりも十年ほどずれている世代。親世代も同じく団塊世代より十年ずれている。それでも団塊ジュニアの話には頷ける点があった。
第一章 余はいかにして右翼になりにしけり
雨宮さんが若いころ右翼に入っていた話。まえがき……で、頷いたのにいきなり引き離された感がすごかった。
団塊ジュニアは中学高校生の頃にバブルなのか。物心ついたころにはそんなものははじけ飛んでいた私の世代。私の家は浪人しても大学に入るなんて……そんなこと口が裂けても言えないどころか、『女に学問は要らない』という無言の圧があった。もうこの辺りで、いろいろと違うなぁと。
浪人して東京に出て、そこで右翼はサブカル感覚の中の一つだったというのが、よくわからない。
私が政治的活動に興味がなかったせいで身近ではなかっただけなのかもしれない……政治のせの字もサブカルの中で見かけたことがないどころか、『政治・宗教の話は禁止』というサークルに入っていた。もめごとになりやすい政治宗教は話すこと自体がダメという空気しか感じたことがない。
だったらまだ、オウム真理教などのようなカルト集団のほうが身近にあるなと思う。そこに近づこうとは思わないけど、趣味として参加した場所が実は宗教系というのはいくつかあった。これは東京でも地元でも同じ。
右翼とか左翼とかの政治的団体って、どこにあるの?という感じで、いまいちつかめなかった第一章。
この時代には手軽に存在していたのだろうか。
第二章 政治なんてまっぴら? 自己責任の社会がやってきた
この章の最初は団塊世代の上野さんの左翼団体経験から始まる。学生闘争で大学は学生の管理をしっかりするようになった。で、次の世代は『政治禁止』となった。
文芸系サークルでさえ政治宗教の話が禁止だったのはもしかして、このせいか?と思った。その理由として『政治宗教の話題は、争いになりやすいから』という事だった。
けど、別にこのサークルだけじゃなくて、確か高校でも『政治宗教の話は問題になりやすいからやめておけ』みたいな話を先生から聞いたような気がする。とにかく、あちこちでそんな風なことを聞いた。
本の中では、上野さんが「誰に聞かれるの?」と聞いて、雨宮さんが「学校と親。そんなことを考えたらろくな大人にならないといわれた」とある。
それは、私は言われたことがない。ただ『お互いの主張をぶつけ合って、争いになりやすい話題』と言われただけ。
「他人に迷惑をかけるな」もよく聞いたし、自分でできることがいい事だと思っていた。
いじめられても不登校(当時は登校拒否)にならない話は、それ、私も同じだったなと思った。ただこれは『道から外れてはいけない』ではなくて、休むという意識がそもそも存在しなかった。『学校は(死んでも)行くもの』だった。毎日、用水に飛び込みたいな、ベランダから落ちたいなと思いながら通ったな。
障がい者が戦う話に『自分たちもつらい』と感想を寄せる大学生が多くいたという話を読みながら、『ごんぎつねは自業自得』という感想を書いた子供がいたのを思い出した。ごんぎつねが感動話にならないのも自己責任でみんなが苦しくなっているからなのかもしれない。
ウィークネス・フォビア弱さ嫌悪というものだと書かれていた。
第三章 正社員も非正規層も追いつめられる時代
男女雇用機会均等法は女性を分断しただけだったという話から始まる。猛烈に働く女性と、働いても働いても稼げない女性との分断。
さらに労働者派遣法の規制緩和が進んだ。
私が大人になった時にはすっかり『派遣で仕事を探す』が当たり前の世界だった。むしろ、そっちの方が探しやすかった。ただそれも、35までだという情報もしっかり出ていた。
『先日も女子会で老後の話になり、いかに人を傷つけずに、長期間、刑務所に入れるか、という話題になりました』p90
そんなドラマをこの間見た。『一橋桐子の犯罪日誌』
コメディっぽくしているけど、ある意味ではリアルだなと思うし、誰もがそれを妄想しそうな世の中ではあると思う。
第四章 第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのか
戦後はみんなつがって子供を産んだという話から始まる。
戦時中は『産めよ増やせよ』と言っても増えなかったのに、戦争が終わるとみんな産んだと。
で、なぜ団塊ジュニアは産まなかったのかと上野さんが質問する。それに『雇用破壊』が原因の一つとして雨宮さんが挙げている。
私は、これはもっと単純なんじゃないかと思う。
戦時中は男たちがみんな戦争に行っていなかったから、増えようがなかったのだろう。戦争が終わると、男たちが戻ってきて男女が出会うから増える。
という、単なる『性行為の機会の増減』
ここに団塊ジュニアが増えなかったというのは、もう一つの生物的理由。
『危機的状況時に生物は子供を育てようとはしない』
ということなのではないかなと。
これ、本当に野生の生き物ならば環境の変化しか考慮に入れられないけど、もっと言えば『生き物が危機的状況だと思った時には』だと思う。
人間の場合、『経済の停滞・衰退』は『危機的状況だと判断する』には十分な材料なわけで。
不景気が続いている時期に人口が増えたかどうかという統計ってないのかな……。ただ、この『不景気』の概念自体が近代的なものかなとも思うので、影響はわからない。
教育水準が上がると人口が減るのも、教育水準が上がることで『危機的状況の判断材料が増える』からではないのかなと思う。
人間的に言うなら、『社会が要求する子育て水準が上がる』なのかもしれない。
これが団塊ジュニアでも起きているのだろうし、それが『雇用破壊により子育て水準に届かないと判断した人たちが生まない選択をした』のかなと。
上野さんは戦火や難民キャンプでも子供は生まれるというけど、出生率としてみると平常時と比べての変化はどうなのだろう。子どもが生まれることと、���生率が上がってみんなが生むようになるのとはずいぶん違う。レイプされて医療もなくて『産むしかない』状況でも子供は増える。
その後は結婚観の話へと移っている。
社会は変わっても、男は稼ぎ、女は家事育児をするという価値観は変わってないという話。
「メキシコのフェミニストがDVをどれだけ問題にしようとしても、女がそもそも共感してくれないと嘆いていました。なぜかというと、殴ってもくれないなんて、私を愛していないのねという女性が多いと。」p129
所有されることが女の価値になる。と続いているけど、ネット小説読んでると恋愛ものがそれ系っぽいのちらほらある。価値観的には現代日本もたぶん変わらないのでは?と思ってしまう。
第五章 団塊世代は年老いた
団塊世代の親は仕事も結婚も娘に押し付けるという話から始まっている。親のプレッシャーが重いという話が続いている。
「父親の不在は暴力」p150
金さえ家に持ってくればいいだろという父親の話からそうなっているが、これはうちも一緒だった。父親は不在だった。それで歪んでるなとはっきりわかるのは下の妹と弟。弟にとっては『父親像の消失』で、下の妹は『年上の恋人を父親代わり』にしていた。
「(介護問題で困ったら)地域包括支援センターに相談することです」p156
と上野さんが提案したのに対して、雨宮さんは「私たちの世代はそれを知らない」と返してる。うん。私も知らなかった。そんなセンターが存在することは知っているけど、相談するという発想にはつながらない。そこ、高齢者のための相談場所だよね。
最後に娘に介護してもらうのが団塊世代の親の夢とある。うちの親もまさしくそれなので、介護になったら殺す覚悟で挑もうと思っている。介護してあげようともしたいとも思わない。刑務所に入るか一緒に死ぬかの二択。親と一緒に死んであげた方がうちの親は喜びそう。
第六章 フェミニズムはなぜ継承されなかったのか
アグネス論争から始まっている。乳児を収録現場に連れて行ったという話らしい。似たような話を10年ほど前に聞いたような気がする。アグネス論争は1987年なのに40年たっても同じ話題が出ている。
フェミニズムと言えば『田嶋陽子』という話へ。
私はそれをテレビで見た記憶がない。たぶん子供でわかってなかったんだろうな。なので、『そうなんだ』という気分。フェミニズムといえばこれというものは思いつかない。
その後もフェミニズムのあれこれが書いてある。女性雑誌にも載っていたとあるけど……そんな雑誌は見たことがない。と思ったら後から『時代が進むと消えて行って、占いやファッションへと変わった』となっていた。
最後の『女の幸せを知らないからそんなことを言うんだ』というものには、どう対処したらいいかという話題。
『「あんたのほうが女に依存している価値観だ」と言い返せばいいんですね」p210
女に依存しているのは男のほうという話だったけど、もっと簡単に『人の幸せを勝手に決めることができると思���ているなんて不幸な人間ですね』で充分では?
第七章 「みんなが弱者」の時代にわたしたちができること
三つの質問が投げかけられる。
一つ目『長く政治に対する冷笑的な態度が続いたのはなぜ』
社会のせいにすると『社会のせいにするな』と言われてきたから。火炎瓶の作り方も知らない。闘い方も知らない。と続く。
政治の話は遠すぎたというのは私も実感している。火炎瓶の作り方は知らなくていい。
二つ目『若者とフェミニズムが共闘できなかったのはなぜ』
男を立てて生きる社会だというメッセージを受け取ってきたから。
学校教育が平等でも社会は違うし、結局男たちは『自分の優位』を手放したくないし、女たちは『諦めて従う』しかなかった。
すごい。よくわかる。私、化粧が嫌いで意地でもしなかったけど、それでも言われた。『した方がいいよ』
おしろいならわかる。紫外線予防に。それ以上は意味が分からないし、なんなら『男受けがいいからスカートは短くした方がいい』とかいうおばさんまでいた。(当時私は20。相手は30代)
諦めるしかない社会が転がってることに変わりはない。
三つ目『団塊ジュニアからどんな政治的求心力が生まれるか』
難しい。
その後、障害者運動やみんなが老いて弱者になる社会をどう変えるかという話になる。
地方政治から変えるのがいいという話で終わっている。
いろいろ盛りだくさんな話で、面白かった。
そして、私が大人になった時の雇用状況は結構最悪な状況だったんだなと。正社員で入った従姉妹や妹は三年以内にクビにされたり、会社がつぶれていたりしたし。未来に希望なんてどこにもない状況が当たり前だった。
だから私も、正社員なんて目指す気になれなかった。
厳密にいえば就職氷河期のラストのはずだけど、見ていた世界が『氷河期』なのでそれ以外を知らない。正社員になってもクビ、サービス残業当たり前。
今もさほど変わらないのかもしれないけど。
普通の世界がどんなものなのか知らないなと思った。