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一般に評価されるのはずっと後かも知れないねぇ~Ⅰお金は記帳を起源に始まりました。そしてお金の定義は,譲渡可能な(外部化された)信用であると言うことです。また社会性と個性を軸とする人間によって,効率的な社会的取引のためにこのお金というのは重要な発明でした。お金の本質に戻った時,それは信用であると言うことであり,「お金は稼ぐのではなく,実は“創るもの”である」ということです。21世紀で大事なことは,人(や国家)がつくた二次的な生産物であるお金をもらう,というスタンスではなく,自分が自らお金(信用)を創り出すと言うことなのです。この世界に万能のスーパーマンは存在しませんし,存在してはならない。人間は個性と社会性の二つをもって分業し合うことで繁栄することを生存戦略とした生物種だからです。人生の早いタイミングで自分の個性(天才)を見つけ,伸ばしていきましょう。その自分固有の能力を人と分かち合い互いに分業しましょう。この世にはコモディティ(一般的)な人間など一人もいないのです。Ⅱお金を構成するのは「信用」と「汎用」です。信用とは「価値について説明がいらないこと」であり,価値=(専門性+確実性+親和性)/利己心で成立します。信用は価値の積み上げで形成されます。汎用とは,信用の適応範囲でアリ,広さ×深さで成り立っています。信用と汎用を高めていこう。具体的には貢献を通して価値を創造し,ネットワーク(業界)を横断してつながりを創っていく。すべてが記帳されていく21世紀では隠し事は出来ません。信用を創るのは10年,失うのは10分。やるべきはネットワークを広げ,その中に信用を編み込んでいくことなのです。Ⅲ国力の低下によって信用の母体が国家から個人へと変化し,技術に関してはブロックチェーンによって個人の取引と信用が記載されるようになります。経済は,人々の欲求が生存欲求から社会的欲求に変化することで財の形態がモノからコトへと変化していく。社会はタテ社会からヨコ社会へと変化しつつある。必要なのはタテ社会(貨幣・権威)と,ヨコ社会(信用・ネットワーク)を両立させて生きていく術を身につけることです。両者を融合してはいけない。タテ社会の大企業相手に契約や報酬を怠ってはならないし,ヨコ社会において安易に信用をお金に換えてはならない。二つの世界は隔離して適応していきましょう。クラウドファンディングなどのまねたライズツールが浸透すると社会的信用をためる方が有効だが,21世紀,人々が欲しがるものはモノから承認(社会的信用)に移ってしまい,承認はお金で直接は買えず,承認はすぐにお金に換えられる。しかし賢い人は,このお金をうまくつかってまた新たな信用を創り出すのです。Ⅳ欲求と仕組みの二軸で見ると,社会的な欲求を時間というお金で満たすのが時間主義経済,衣(医)食住など生存欲求を信用という直接的な方法で満たすのが記帳式経済です。20世紀までは人々が欲しがるのがお金であり,それをやりとりするツールもお金であるという不思議な世界だった。手段が目的に化していた。21世紀の半ばから終わりには求めるモノが信用であり,それを求める手段も信用という統一が起こるのです。そこにきて���金もなくなります。人々が求めているものが承認やつながりへとシフトしてゆき,中間物であるお金などが少ないほど純度が高まる。つまりお金と社会的な欲求はトレードオフの関係にあるからです。今十代から三十代の人は完全な信用主義時代の前にやってくる時間主義経済と記帳主義経済の生き方を学ばなくてはならない。空間は制覇しつつあるので,時間は意識が追いついていかないので,自らの時間単価価値を意識して生きていく必要があるでしょうし,記帳主義では人を外見・主張・行動で評価されるので,一貫性を持ちましょう~ふーん,そうかぁ…なるほど・なるほど
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お金に関する話だけでなく、価値を創るとはどういうことか、とか、これまでとこれからのビジネスのあり方とか、今まではお金中心に回っていたことがどう変わっていくのか、が分かって面白かった。
信用やつながり、っていうキーワードはよく言われているけど、その基準というかベースそのものがこれから変わっていくのかな、と。
コミュニティデザインとかの分野で言われていることを、経済学の視点から書かれているような、そんなイメージの本だった。
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モノカネの資本経済、コト時間の時間経済、モノ信用の記帳経済そしてコト信用の信用経済へ。21世紀のビジネスは多様化、個別化、肯定化。プリーマーなのに(だから?)レベル高い。
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2018年7月10日読了。我々が日常的に利用している「お金」とはそもそも何なのか、お金は過去から今どう変わろうとしているのか、そして未来のお金とはどのようなものなのか…。Cakesの連載で読んでいたものを新書で読了。そもそもは物々交換から始まっていた取引を、「信用の外部化」して便利さのために生まれたのがお金、ということか…。お金は非常に便利なものだから今ももちろん使われているわけだが、お金がカバーできない価値もあり、お金を使った取引の際に感じるうっすらした不納得感はこれが原因だったのか、と腑に落ちるところもあり。信用が可視化される、中国のような社会が「新しい時代」になるのか…?
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お金の歴史、仕組み、そして未来。ちくまプリマー新書ということでの読みやすい文章で、貨幣の本質から現代社会の分析、そして有り得る未来へと客観的な分析と適度な煽りも盛り込んだ良書。フィンテックだビットコインだ信用経済だのキーワードはやりで同じような言論は溢れているが、何が違うのかこの本が一番説得力あると思う。
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著者の修論を発展させた一冊とのこと。
ただ、経済学部の院だったら正直この内容では厳しいのではなかろうかと思った。
しかし情報学環の修士ということで納得。
図解による大雑把な分類は多分にコンサル的でわかりやすいが、本質を切り取っているとは限らない。
それは、既存の院であれば学術論文を書く際、一番はじめに指導されるところだが、軽やかに無視されている。
無論、それはこの本の内容が面白くないとかいう話ではないので、自分の指摘は本質的では無いといえば無いのだが、論の進め方が仮説を立ててはそれを検証していくという学術論文の体裁とは相容れないので、論文発表の席でも教授陣と議論が噛み合わないことが多々あったんじゃないかな、という気がした。
研究室内での発表会などでも、まわりは「この人はコンサル出身で自分で起業もしてその会社を売却もして、そういうすごい人だから」みたいな感じで遠目で取り巻いて、プレゼンも一方通行気味だったりしたかなーと。
著者は、自身の会社を売却した後、海外の大学も渡り歩いた末、自身の会社を買い戻しビジネスの現場に戻ってきたとのこと。
著者自身の自分探しの旅が一区切りついた中での著書で、なぜ学術の世界で居場所を見つけられなかったのかについての回答は、著者によっても説明が為されているが、それ以外にもあるということが、よく読むと分かるという意味でも面白い本。
理論と実践は違う、というのとも違う。強いて言うなら、学者と哲学者は違う、ということか。
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価値を想像しても、箱(器)がないと譲渡出来ない=金にならない
時間経済は過渡期と言うか、生産性もしくは誰が、が評価できない。
VALUは進んでいるが、信用(貨幣とは独立すべきだが、数値にならざるを得ないのでは)を交換する事の、妥当性、効用はどうやって判断する?
有名人人と一般人は結局対等になりえないのでは
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貨幣の存在の本質について語った名著。
メモ
・お金とは譲渡可能な信用。お金は稼ぐのではなく、創るもの。人間は個性と社会性の2つを分業して繁栄することを生存戦略とした生物。
・価値は文脈を保全するが、貨幣は文脈は引き継げない。貨幣の本質的な課題は格差ではなく、文脈の毀損なのでは。
・世界はネットワーク、企業、国家の3層構造。
もはや一部国家より企業の方が経済的に大きくなっている。
・信用母体の変化。国家から企業や個人へ。
・インターネットは移動する、ブロックチェーンは世界を上書きする。時間を刻む。インターネットは空間を広げる
・標準化画一化習慣化のビジネスから、多様化個別化肯定化のビジネスへ
・これまでの需要と共有で決まる価値から
個人の文脈によって決まる価値へ。
・社会的欲求は憧れ、承認、つながり。
・幸福の本質は一体性。周りの人や自分の期待値の一致性。幸福とは解釈から生まれる。自分がどう思うか。
・タテ社会からヨコ社会へ(ネットワーク社会)
・人々の欲望が生存から、社会的欲求にシフトすると、お金で購入できなくなる。得るためには、お金でなく、時間が必要になる。
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いやぁ、20世紀に成功した先進国が、21世紀の経済に一番乗り遅れる、的なことを聞いたことがあるが、まさにx21世紀の経済はこうだ、と思わされることがたくさん書かれている。
まず、
そもそも「お金」とは何かから紐解いていく。
最後はお金の起源の話から、今世紀後半にかけてのお金の変遷まで、幅広く描く。
仮想通貨に使われている記帳のブロックチェーン技術の日々の進歩を見ていると、お金を介在させない「時間主義経済」や「記帳主義経済」の可能性も無くはないな、と思える。
完全にそうなるのかどうかは、例えば「所有」という概念1つとっても、現在の既得権益からすると面白くないことがあるだろうし、国家権力が権威を持ち、それに伴う制度と相反することになるのではないか(そこに摩擦があるし、著者のいう「信用」をベースにした「人間をやめる」段階にほぼ全員がなるってのはちょっと今の政治状況を見ているとかなり難しい世代間の問題もある気がする。)
とは言うものの、理想の形も理解できるし、あとがきにも書かれているように、もはや資本主義とか社会主義って言う状況でも無いし、資本に対して抵抗して諦めモードに入っちゃうのでは無く、それを受け入れて(資本によって有機物を無機物にしながら)、その上で有機物を創造すると言うのは、これからの時代に本当に世界で生き残って行く上で非常に大切なことだと思う。
この本を読むと、正直、若干難しいところも出て来る。でも、それ以上に、得られるものが大きいのでは無いでしょうか。
一読の価値あり。
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まず資源として投入するものの中心は健康(余裕)です。健康が時間を生み、時間が知識と信用、ネットワークを作ります。それを通して、財ができ財を継続的に生み出すしくみ、すなわち事業が創造されます。事業は可視化されたエネルギーであるお金を生みます。お金は予防医学や先端医療、食材や良好な人間関係という形で健康の資源となります。健康はミッション/パッションを生み、それは継続的な価値を産み出す仕組みである事業の源泉です。
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本書はお金の歴史を振り返るところから始まる。
驚いたのは、近年の研究ではお金の起源が、物々交換ではなく、信用と記帳のシステムであったと説明されているとのことだ。
(なんだが、「今は鎌倉幕府成立は1192年じゃないんだってね」と言われた気分。)
ヤップ島の巨石貨幣フェイは、持ち運ぶのではなく、そこに取引したものを刻み込んで記帳した。
これが貨幣の起源の一つだというのだ。
つまり、ビットコインのような形態が、すでに古代社会にあったということになる。
お金の「信用」を保証するのが、君主から国家に移り、やがて企業や個人になっていく。
このあたりは経済がグローバル化し、国家がすでにそれを統制できなくなっている現状、ビットコインをはじめとする仮想通貨が出てきた流れと符合する。
この十数年来、私たちが目にしてきたものだ。
しかし、筆者は、仮想通貨も過渡期の形態で、いずれはなくなると考えている。
その代わりになるのは、「時間通貨」なるものだという。
21世紀になり、人々は物質にではなく、承認に価値をおくようになった。
モノからコトへ、財の形態が変わり、人々が時間を資源として経済活動をするようになる、というのだ。
そして、記帳技術の発展で、やりとりにお金が不要になり、人々が求めるものでもある信用をツールに取引するようになる、ということらしい。
が、このあたりからが、若干飲み込みにくい。
こちらの頭が、現状のシステムに凝り固まっているせいもあるのだろうが。
筆者の、資本主義が貨幣の力で世の中のあらゆるものを文脈から切り離し、均質化したことへの批判意識は共感できる。
そのアンチテーゼとして、すべての人に与えられている時間を価値とすると考えたいのも、受け入れてみたい気もする。
(ただ、筆者の言うように時間がすべての人に平等に与えられているとは思えない。)
2017年の刊行時に本書を読んだなら、もっと共感したかもしれない。
でも、その後、パンデミックの世の中になった。
そして、ウクライナ侵攻を見ていると、人間の生存に物質が必要で、それを軽視することはできないことを再確認させられる。
筆者に言わせれば、それすら、一時的な揺り戻しなのか?
刑務所でタバコが通貨となるように、今のウクライナでも人々のつながりで経済が動いている、のか?
理想的な形で時間経済を享受できる人と、資本主義経済の世界に取り残される人に二極化していくのではないか、と考えるのはあまりにも悲観的すぎるのだろうか。
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資本経済から時間、記帳、信用と進化していく。これまでの働き方の価値観が変わると知った。ちょうど吉本問題の渦中も、芸能人の在り方の転換点だとうなづく。より、個人の活躍が重要。
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そういう可能性もあるなと思いつつ、細かなところはよくわからない。信用を中国みたいにある企業や国家が数値化しだすのだろうか。信用と承認はそんなにイコールだろうか。
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お金の本質は信用×汎用。お金は国が補償し(信頼)、カウントできる(汎用性)から浸透したが、これからの時代はどうなるか。お金は便利ではあるものの、金という無機質な仲介が入り込むせいで、価値ある文脈が途絶えてしまう。モノからコトに時代が変わり、国から個人に主役が移る中で、貨幣を介さない「信頼」×「時間」が価値を持つ時代にシフトするって話はとても興味深かった。
お金とは何ぞ?の本質と未来展望の大枠をつかみたい方にオススメな一冊。
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新しいことをいろいろ言っているようで、実はあまり何も言っていないような気がする。著者の言う、時間主義経済、記帳主義経済の具体的なイメージがつかめない。もっとそこを丁寧に論じるべきだろう。議論が上滑りで雑な印象。