紙の本
夫で作家の武田泰淳氏を様々に支えてこられた妻百合子氏の夫と過ごした富士山麗の13年間の日記です!
2020/07/24 11:51
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、作家の武田泰淳氏の妻として、取材旅行の運転や口述筆記など様々な面で武田氏の仕事を助けた武田百合子氏が綴った夫と一緒に富士山麓での過ごした13年間の日記です。同書は、夫の武田泰淳氏が亡くなった後に出版されたもので、中公文庫からは上中下の3巻シリーズで刊行されています。同書下巻は、忙しくてくたびれて日記を付けられなかった2年間を経て、ふたたび丹念に綴られる最後の1年間の日記が収録されています。時で言えば、昭和44年7月から51年9月までです。同書は、田村俊子賞を受賞された感動の一冊でもあります。ぜひ、心温まる武田百合子氏の思いを感じてみてください。
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完結したので全3巻纏め読み。
日々の出来事であったり、家計簿代わりのメモであったり、日記文学としても、また、昭和40年代の日常生活の資料としても第一級のものだと思う。現代から考えると色々なことが大らかで、事故っても警察を呼ばずに済ませたり、飲酒運転がバレなかったり、今、こんなことを公に発信したら大炎上するような内容がサラッと書いてあるw
また、本書は昭和39年から記されているが、昭和42年の中央道開通、翌昭和43年の東名高速開通に伴い、富士の山荘へのアクセスが飛躍的に改善した様子も見てとれる。何気ない内容ではあるが、本邦のモータリゼーション黎明期の貴重な資料でもあるのでは。
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季節のうつろい、そして夫の病。山荘でともに過ごした最後の日々を綴る。昭和四十四年七月から五十一年九月までを収めた最終巻。〈巻末エッセイ〉武田 花
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小川洋子さんが「死の床に着いた時、枕元には富士日記を置きたい」と紹介されていたので読んだ。私にとっても宝物になった。上中下巻をエンドレスループで読み返しています。今は3周目。
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長い時間をかけて、少しずつ少しずつ読んできて、とうとう読み終えてしまった。
よく食べ、よく怒り、よく笑いながら、自分で自分の機嫌をとりながら、人は老いていく。
2階が蝙蝠たちに乗っ取られるなんて大変なことだけれど、思わず笑ってしまうのは、これが、三人が暮らした家だったからだろう。
一年かけて日記を書き写すという喪の仕事。
「武田が生きて傍にいるように思えましたから。」
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読み終わってしまった。読み終わりたくなかった。私も一緒に山小屋で日々を送っているみたいだった。描写が生き生きとしているわけでもないのに、本当に不思議。読むこと自体が人生みたいだ。いつか終わりが来ることを知りながら、そんなこと知らないかのように日々を一頁ずつめくり、やっぱり終わりは来てしまって、私はずっとここに、この中にいたかったと思う。ずっと著者たちに山に通ってきていてほしかったと思う。でも読み終わってみると逆に、終わっていないことがわかる。日記の中で、日記を読んだ人たちの中で、著者たちがいつまでもこうやって生きているとわかる。
この本のよさはうまく言葉にできない、本当に。
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読み終わった、上・中・下の3巻
僕の経験としては、「魔の山」以来だろうか
富士日記を読もうと思ったきっかけは「読書の日記」である。
日記っていいな。
武田さんと百合子さんのやり取りの中で、同じ話を何度されようとも何度でも聞いてやると言ったようなものがある。
それだけで、素晴らしい関係だなと思う。
時々クスッと笑えるような描写、ほっこりするところもあって、楽しく読めました。
長い旅路だったな。
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富士日記もこれで最後。泰淳さんの病気や死も書かれているのだろうと手にするのに躊躇していた。いい加減、カタを付けようと読む。
忘備録的な日記は変わらない。朝、昼、晩の献立や管理所で買った食材や酒、煙草の金額などが上編、中編と変わらず書かれている。不思議と馴染んで、ゆっくり読み進める。
大岡昇平夫妻や大工や植木屋、隣の家守の老夫婦に人々との交流の合間に、ふっと息を飲む一文が挟まれる。
(引用)
九時、山に戻る。灯りという灯りを全部つけた。谷底に浮かんだ盆灯籠のような家に向って、わたしは庭を駆け下る。むろあじを焼いて冷たい御飯を食べた。主人は生干しのいかを焼いて、それだけ食べた。食べながら、今日見てきたことや、あったことをしゃべった。帰ってくる家があって嬉しい。その家に中に、話を聞いてくれる男がいて嬉しい。
終盤で泰淳さんの病気が顕かになってくる。大岡昇平との病人談義が変に可笑しい。くどくどしくなく、最低限のことしか書いてないが、胸に刺さっってくる。
巻末は泰淳さんの短かな文章。そして、娘の花さんの山荘の顛末と両親の位牌の触れた一文で終わる。
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季節は単に循環するように見えるが、人も確実に死に向かって進んでいる。
富士日記、全三巻ついに読了。
終盤は夫の武田泰淳の老いが顕著で切ないこと切ないこと。死に行く人もつらいが看取る立場も実に切ない。
富士山麓の別荘。何気ない日常を描く。変わりゆく季節。そしてまた訪れる四季。それが本作の何よりの魅力だった。
読み終えた今、気づいたのは二つの死。愛犬ポコと夫の泰淳。突然の死と衰弱する死。対象的な両者。そして遺された妻の百合子。
フィクションでは決して描くことのできない冷徹な視点が偶然ながらここにはある。
昭和39年から51年まで、長い夫婦の別荘での生活日記。夫の死をきっかけに出版された本作。人に読まれることを想定せず打算のない冷酷な視点が何よりの魅力。
創作を否定するわけではないが、事実は時に決して人には思いもよらない意表をついた展開を用意する。単調な中に時に浮かび上がる冷徹な事実。日記文学の醍醐味なのだろう。
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私は泰淳没後の百合子さんの随筆も何冊か読んでみたけど、彼女の良さが一番「生きて」いるのはやっぱりこの『富士日記』と『犬が星見た』の日記においてだと思う。
この2冊においては、文章のキレ・表現の新鮮さ・着眼点の独特さにおいて、他の一切の追随を許さない。こんな文を書く人がいたのかと、読んでいて何度も信じられない気持ちになった。
今まで本を読んでいて、自分が好きな本ですら、その著書を生まれつきの天才だと感じたことは一度もなかったけど、武田百合子さんはその例外でした。彼女はマジモンです。
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夫武田泰淳と過ごした富士山麓での十三年間の一瞬一瞬の生を、澄明な眼と無垢の心で克明にとらえ天衣無縫の文体でうつし出す、思索的文学者と天性の芸術社とのめずらしい組み合わせのユニークな日記。昭和52年度田村俊子賞受賞作(第1巻紹介文)
昭和39年7月から始まり、昭和51年9月までの日記が上中下3巻に収められている。作家武田泰淳氏の妻百合子氏の日記だが、時々泰淳氏の文章や、娘花さんの文章も挟み込まれている。
百合子氏の文章は、その生き方そのものと同じように天衣無縫。泰淳氏の文章は、さすが小説家という表現があったりするが日記の中で読むには違和感を感じる。娘の花さんは当時13歳ころと思われるが、両親のセンスを共に受け継ぎながらも自分としての表現をされていてすごいなと感じた(カメラマンになられたらしい)。
他人の「日記」というものに関心がわき、読みだした。富士山麓での生活とはどういうものか。
作家の生活とはどういうものか。
作家夫人というのはどういうものか。
そんな興味で読み始めたが、それらのことを、普段の生活日記の中から肌で感じ取ることができる。
作家夫人の日記といえど、今日あったこと、ご近所さんとのコミュニケーション、買い出しの様子、富士五湖で水泳を楽しむ様子、ペットを含めた家族団らんの様子、朝昼夕のメニュー紹介、時々時事という普通の日記の感じ。であるけれども、やぱり百合子氏独特の個性が表現されている。意外とうんこ話がお好き。
毎日欠かすことなく、朝昼夕の食事の内容が紹介されているが、お金持ちのご様子でたぶん「節約」という感覚は不要で、感性のままに買い出しをされて、感性でその日のメニュー考えて作られているように思う。
しかしこれが、意外と時代を経てもセンスが感じられ、たぶん当時としてはハイカラな食事だったんではないかと思われる。出版当時はレシピ参考本としても読まれたのではないか。
文庫本(古本)で読んだが、各巻400ページ超の量で、上巻だけでだいたいの興味に応えてくれる内容が出てきて、中巻も下巻もその書きくちは変わらない(日記なので)ので、上巻読んでほぼお腹いっぱいになってくる。従って、中巻、下巻はキーワードを見つけてからその周辺を読むという走り読みに変更。
やはり時代が感じられる。中巻では1968年(昭和43年)の日記で「チェコ事件(ソ連がチェコに突入)」の報道について書かれていたり、「メキシコオリンピック」の開幕式のことが書かれていたり。
下巻にはいって、昭和44年のアポロ11号月面着陸や、昭和45年大阪万博(アポロ11号が持ち帰った月の石が展示されてた~)のこと、雫石での自衛隊機と全日空の衝突事件、三島由紀夫の割腹自殺のことなど、登場する。
なんかこの頃の出来事はすさまじいなと感じながら、自分はその頃何歳だったのかとかを照合しながら読む自分がいる。
ともかく日記の中にも交通事故の話がたくさん出てくる。交通事故で亡くなる人も多い。一人の日記にこれだけの事故の記述があるということは、全国でものすごい数であったことが想像される。光化学スモ��グや公害という言葉、エコノミックアニマルという言葉も登場する。「私の城下町」や「フォーリーブス」も登場する。読みながら一昔前へのタイムスリップができる。
下巻最後、夫泰淳氏が病気と闘いながら生を全うするまで、妻としてつきそう日々の様子が描かれて、日記は終わっている。
「日記」文学の面白さ、もう少し広げていってみてもいいかなと思う。
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読み終わっちゃった
山荘の日々が優しくて温かくて寂しかった
毎日の食事が美味しそうで読んでて幸せだった
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上、中、より日記の間隔が空くようになり生活がだんだん小さく、消えて行ってしまうのではないかと思わせるところもあり寂しい気持ちになった。
ただ作者の感情はさらに濃く表わされている。
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武田泰淳が亡くなる前の記録。下巻は病と死の予感が孕む。糖尿病からの脳血栓、胃癌転移の肝臓癌。医療者からみるとハラハラしてしまう食事や生活。業務で生活指導をするが、暮らしの中の家族の愛や魂の孤高さを痛いほどに教えられた。視点によって愚かかもしれない。でも、その人物史は誰が何と言おうとも、その人の全てでできあがっていて、正しいも過ちもない、かけがえのないものだ。死後、世に出る予定ではない日記を清書し出版された経緯は、奇跡的でありがたい。おいしいものは、ぜんぶ、毒なのかなあ。でも、おいしいってしあわせだよな。
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途中で主人(武田泰淳)の病気及び死後の話が出てきたり、日記の中断が出てきたりしていた。
ネコの話が出てきてさらに主人の病気の悪化で山荘の日記ではなく、東京でのことが書かれるようになってきた。主人の死の記載で終わるかと思っていたら、入院前の記載で終わってしまった。しかし、あくまで陽気な話として持っていきたかったのであろう。