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紙の本
満開の花の下で
2012/04/09 08:18
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
花といえば、古来より桜というのが一般的です。だから、俳句の世界では「花」は春の季語に分類されます。
といっても、花にはたくさんの種類があります。チューリップも花ですし、薔薇も花。花という言葉は実に多くの植物を包含しています。
「百年文庫」第67巻めの表題は「花」ですが、ここでは桜という意ではなく、植物全体を指す花といっていいでしょう。
収録されている3篇では、森茉莉の『薔薇くい姫』片山廣子の『ばらの花五つ』は文字通り薔薇ですし、城夏子の『つらつら椿』は椿です。
桜を扱った一篇がはいってもよかったのに、と少し残念ではありますが、こういう編集もありでしょう。
特に森鴎外の娘として有名な森茉莉自体が花そのもののような華やかさを持っています。
「花」と題されたこの巻の収録作家が三人とも女性というのも、花のもつ華やかさそして奥深い情緒を感じさせてくれます。
森茉莉の『薔薇くい姫』は、随筆のような小説です。著者自身であろう魔利という、明治の文豪を父にもった女性の視点で描かれています。
それは文壇裏話とも読むことができますが、「一人の大人として扱われない日常生活」を描いた、極めて個性的な作品でもあります。
書かれていることは個人的なことではありますが、なんとも艶やかな色彩を感じます。
これは森茉莉という作家の個性でしょう。もっともその個性を毛嫌いする人もいるだろうが、森茉莉はそういう批判さえあっけらんかんとかわしているように思います。
片山廣子の『ばらの花五つ』も小説というより随筆の色合いが濃い作品です。終戦後の生活に困窮する「私」が戦前に出逢った一人のばら園の主人との思い出を描いたものですが、ページ数にしてわずか6ページの小品ながら、人生の機微を描いた好篇です。
城夏子の『つらつら椿』は仕事の挫折した父のもとに訪ねてきた初恋の女性から、若い日の父がどれほどに素晴らしい青年であったかを聞いた「私」の心情を描いた作品。反発しながらも父への細やかな愛情は娘ならではの思いではないでしょうか。
いずれも花がもっている華やかさだけでなく、まるで雨にうたれながらもけなげに咲く花の強さのようなものを感じる作品です。