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- カテゴリ:一般
- 発売日:2020/06/09
- 出版社: 白水社
- サイズ:20cm/289,109p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-09762-5
- 国内送料無料
紙の本
ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱
ヒトラーの権力掌握、一党独裁国家の確立、スペイン内戦、ユダヤ人絶滅政策…。ナチ・ドイツ史を追いながら、独裁者・ヒトラーが第三帝国の映画の中心に屹立していたことを検証する。...
ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱
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商品説明
ヒトラーの権力掌握、一党独裁国家の確立、スペイン内戦、ユダヤ人絶滅政策…。ナチ・ドイツ史を追いながら、独裁者・ヒトラーが第三帝国の映画の中心に屹立していたことを検証する。口絵写真、人名・映画作品名索引も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
ナチ興亡と映画史を辿り、その危うい癒着を検証
ヒトラーの権力掌握と一党独裁国家の確立、ベルリン・オリンピック、スペイン内戦、障害者「安楽死」政策、ユダヤ人絶滅政策など、ナチ・ドイツ史を追いながら、独裁者が第三帝国の映画の中心に屹立していたことを検証する。英国のドイツ現代史家による、定説に一石を投じる、画期的な論考。
ヒトラーは映画に関する「最終決定権」を握り、「映画大臣ゲッベルス」に劣らず、第三帝国の映画の中心に君臨していた。制作に資金を提供し、直々に命令を出し、検閲にかけ、レニ・リーフェンシュタール監督や銀幕スターとの複雑な関係に巻き込まれもした。また、ヒトラー自身が映画に登場し、自らを映画上の歴史的偉人に投影もした。映画を建築に匹敵する力強い芸術に昇華し、大衆に届けようと目論んだ、「総統の秘められた情熱」とは?
著者は英国ノッティンガム・トレント大学のドイツ現代史の教授。ナチズム、ヒトラー、第三帝国の記憶、東ドイツの歴史と記憶、現代ドイツ、20世紀ドイツの映画と文学、20、21世紀における回想と追悼を研究領域としている。
口絵写真、人名・映画作品名索引収録。【商品解説】
著者紹介
ビル・ニーヴン
- 略歴
- 〈ビル・ニーヴン〉英国ノッティンガム・トレント大学のドイツ現代史の教授。ナチズム、ヒトラー、第三帝国の記憶、東ドイツの歴史と記憶、現代ドイツ、20世紀ドイツの映画と文学などが研究領域。
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紙の本
ヒトラーは第三帝国銀幕の大スター、神のごとき才能であった
2021/02/15 13:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーの好んだ芸術は「建築」と「音楽」であったが、第三帝国の文化芸術政策の邦語書籍の中でこれらを扱ったものは少ない。中でも「建築」は、「ゲルマニア構想」を総統官邸の地下防空壕でもご執心であったほどなのに、体系的な書籍は見られない。これに対して「映画」関連書籍は多い。レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』と『オリンピア』は、彼女の伝記とともに取り上げられることが多い。また、ホロコーストとの関連で『ユダヤ人ジュース』と『永遠のユダヤ人』の映画論もある。さらに、ゲッベルスの映画政策を支えたウーファUfa社、第三帝国期の監督・俳優など映画関係者等々。戦後は、映画の中におけるナチスの扱われ方が、「表象論」として常に新たな視点で取り上げられている。
これまで第三帝国の映画政策は、「映画大臣ゲッベルス」を中心に記述されていた(『映画大臣-ゲッベルスとナチ時代の映画』フェーリクス・メラー著2009白水社)。これに対し本書の視点は、「全体として、ヒトラーが映画関連の最高決定者であり続け、ゲッベルスは、個々の映画をめぐる議論や一般的な映画政策に関する問題で、依然として彼に従っていた」ということを示している。
ナチス期の桂冠法学者カール・シュミットには映画検閲について論文を書いており、以前この論文を扱った『表現・集団・国家-カール・シュミットの映画検閲論をめぐる一考察』(阿部 和文、2019年信山社で書籍化された)についてブックレビューを書いた(2015-16年)。そこでは、シュミットは「国家以外の社会諸勢力の活動・衝突が意思決定を阻害し、ひいては国家を分裂させる事態を抑止し、そのための方策の一つとして、技術の発達による『新たな権力手段』を自らの手中に収める能力を有する」「質的全体国家」は、「技術の発達による『新たな権力手段』」の一つである「映画」の管理・独占をする必要性を説いている。また、『ヒトラー(上)1889-1936傲慢』(イアン・カーショー)は、「大衆の統制と動員のための比類なきメディア操作、…近代技術と「社会工学」の悪用」をヒトラー独裁の特質として挙げている。
権力のカオス状態が常態化していたナチ・レジームで「技術の発達による『新たな権力手段』」である「映画」分野は、ゲッベルスの支配体制が確立し、ローゼンベルクやヒムラーも干渉しなかった。このためゲッベルス一人が中心であったとすることも不思議ではない。一方でヒトラーが最終決定する「指導者原理」によれば、ゲッベルスとバーロヴァのスキャンダルの揉み消しといったような些事にわたることまで含め「映画関連の最高決定者であり続け」たことは当然であり、何も新しい発見ではないようにも思う。リーフェンシュタールについても目新しい事実はなかった。
ただ、1933年以降ヒトラーを目にすることに慣れきったドイツ国民は、スターリングラード敗戦以後ニュース映画にヒトラーが登場しなくなったため、「ヒトラーを精神とイデオロギーを堅持する拠り所としている国民の側に禁断症状」が見られたという。「多くのドイツ人がヒトラーのなすがままだったので、彼が登場しなくなって彼らを置き去りにした」と思われたのである。「ニュース映画を活用したナチのプロパガンダは、最終的に信頼性を失うことになった。ヒトラーがあまり登場しなくなったため、彼がもはやそれを信じていないと暗に示されたからである。」ヒトラーは「銀幕のスター」として、第三帝国の「技術の発達による『新たな権力手段』」である映画の中心に「屹立」し、ドイツ国民の精神とイデオロギーを堅持する拠り所となって「映画関連の最高決定者であり続け」たのだ。