紙の本
哲学、心理学、教育学
2021/04/03 08:56
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投稿者:うえありひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
のほほんと読める子育て本を求める人には向かないけれど、学齢期の子どもと関わる大人には読んでもらいたい一冊。
育児書というよりは哲学、心理学、教育学の本と言えそう。著者の体験から生まれた言葉で書かれており、一人ひとりの子ども、保護者と真摯に向き合う姿から学ぶことは多い。
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親が子と関わるのに参考になる内容だが、塾の先生である著者が生徒の保護者に向ける視線がなかなか辛辣で冷淡なのでヒヤヒヤした。
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ふせんはりまくっててバカみたい、どこが大事かわからない、でもそのときにいいなと思ったら迷わずふせんをはる、そしてラインも引くし、書き込みもする、それでええ、日付も記すから後々読み返すときにいつ、どんなことを感じていたのかがわかる、日記みたいなものだな
子に対する父の気持ちはわかるが、母の気持ちはわからない。いつか母に愛がないと言ったことを後悔しているが、どれだけ考えても私の思う愛ではない、と今でも思う。転ばないようにずっと手を繋いでくれるようなものだからだ。転んでも一人で立てるようになったほうがいいとは思わないのだろうか。
それでも今は、母なりの愛があるんだ、かわいいなー、ありがたいなー、うれしいなーと思うので、まあまあ大人になった。
母としては子どもが失敗すると、自分が失敗したような気持ちになってしまうのだろうな。でも、そこを分けて考えろってほうが無理なのかもしれない。世界中のお母さんにきいてまわりたいな。
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長年様々な親子に向き合ってきた著者。
親の よかれ から出る言葉が、子供に消しようのない呪詛の言葉にもなる。
元は子供だったのに、いつの間にかその心を忘れてしまっている親は少なくないだろう。
そこに強烈に気づかせてくれる。
親も子供に育てられるって本当だ。
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話題が多岐にわたっていて、子どもとの関わりの実感に溢れている内容。本がたちまち付箋だらけに。親が子どもから聞き出せないことを、ここぞとばかりに聞いてくれていて、目からうろこが多すぎてショックで涙が出てくる。子どものことが書かれた本としては、ブレイディみかこの『ぼくはイエロー…』と双璧では?日本のいまを伝える内容と深さという意味で、類書がないと思う。大人が子どもに学ぶということを理屈ではなく具体的に教えてくれる。言葉への考察が深く、対話のしかたがそのまま学べる本。
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思いがけずオープンダイアローグ(精神科ケアの介入手法の一つ)が紹介されていた。曖昧な状態を受け入れ対話を続けていくことは親子関係でも鍵になるよう。今の時代に人と人の心を繋ぐ基礎になることなのだと思う。対話も曖昧さに慣れることもすぐにはできないから、小さい頃からそのような環境に身を置くか、あるいは意識してトレーニングして身につけていく必要があると思った。あえて白黒をつけない、曖昧な状態でいることに自分ではまだ居心地の悪さを感じるので今後も考えを深めたい。
人との関係性は出会い方にある、という見方がすとーんと腑に落ちた。
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子育て、というよりも親と子という関係のあり方を考えさせられた。
良い子育て、なんて気負わずに、
目の前で起こること、自分の子の状況をそのまま受け入れる、肯定する。
子どもに触れて、感応して、その存在をどんどん新しく更新していこう。
子育ての本ってなんかつまらなそうで、読んだことなかったけど、たのしい読書だった〜!
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図書館で借りた本。
私には子供はいないけれど、色々と考えるところがあった。自分の中にまだいる、子供な私を受け止められる日は、来るのだろうか。
“子供はたまたまそういう状態であるだけ”という言葉があったけれど、これ、大人にも当てはめていいのだろうか。こんな眼差しで他人と接することが出来たら、ずいぶん楽になるように思うのだけども。
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またひとつ素晴らしい本を知ることができて本当によかった。。。
自分は中学生くらいのとき、人間関係とか家のことで結構悩んでいたというかもやもやしていた時期があって(別に病んでたとかではない)、いまも割とあの時どうすればよかったのかなとかあの時の先生の対応は最悪だったなとか色々思い返すんだけど、そういうもやもやを解消できればいいなと思って読んでみた
本の中では大人と子どもの関わり方みたいなのが主に書かれてるんだけど、親子関係のなかにみる人生の哲学みたいなものも結構書かれててそこがすごくよかった
教育って子どもに対して良い人間になってもらうために行うものだと思うんだけど、そのためには何が「良く」て何が「悪い」のかを定義する必要があって、本当はそういう良いとか悪いってそもそも存在しなくて、あらゆるものはただ今そうなっている「現象」だけがある っていう捉え方がすごくしっくり来て、自分も常にそういう捉え方をしたいなぁと思ったりした
ここからは本書関係ないけど、最近教育と洗脳の違いって何だろうって考えることがあって、多分どちらも本質的な違いはないんだけど、教育っていうのはその組織や集団の中で「良い」とされていることを教えるのが教育と呼ばれていて、正しくない考えを「良いこと」として教えることが洗脳と呼ばれているんだなと自分は思ったのよ
でもこれって結局どちらも「良い」か「悪い」かを判断する人が必要なので、結局すべての教育は洗脳なのかなぁと思った
で、何を言いたかったのかというと、世の中のほとんどのことに良いこととか悪いことってのは存在しないから、何が自分にとって良くて何が悪いのかは自分で判断していくしかないんだよってこと
最近このことを自分のなかで「自分だけの宗教を持つ」と呼ぶことにしている
自分のなかだけで「これは良い」「これはだめ」っていうのを「教義」として蓄積していって、自分はそれを信じて従うだけでオッケーなんだってことに最近気づきつつある
そして、他の人の中にある「宗教」を批判したりせずにちゃんと尊重しようねってこと
私たちは一人ひとりが独立した宗教だという考え方ですね
このことに気づかずに、国とか社会みたいな大いなる存在が設定した価値観の中で生きていくと、生産性とか合理性みたいなものさしでしか考えられなくなって、そこから外れる人たちのことを排除するような思想が生まれてしまうのかなと思った
生産性とか合理性という客観的で定量的なものですら、数あるものさしの中の一つでしかないんだよっていうのは忘れないようにしたいですね
多様な価値観の中で生きていくのって幸せなようでいて信じるものが決められなくてかなり辛いから私は本書のような素晴らしい本を通して自分の拠り所となる考え方を一つでも多く身につけたいと思っているのです
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変わっていく「関係性」に目を向けることと、ネガティブケイパビリティの大切さ。
矛盾も曖昧さもそのままにしておく、「わからない」ということへの不安ごと引き受ける。親の「わかったつもり」や過剰な「わかりたい」は、子どもにとっての枷や呪いになる。
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子どもが5歳、10歳、15歳になる度に読み返したい。ここに入塾してほしいし、それよりも自分が入りたくなった。エピソードがふんだんにあり、説教臭くないのもいいな。
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一気読み。思春期の子を持つ親としては、耳が痛いところがたくさん。脅してみたり、上から目線で説教したり、自分の価値観を押し付けてることは分かっているし、それが自分の安心のためであることもうっすらと感じているんだけど、止められないんだよなあ。
今を生きてる子ども達と、その時期を通り過ぎた私たちは、同じものを見ていない可能性があるっていうくだりは、なるほどーと思った。そして、それは嘆くことではなくて、だから「あなたにはどのように見えているの?」という態度が必要で。
著者の子供たちに対するフラットな態度は、本当にすごいなあと思う。
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細切れに読んだこともあり、読後に全体について覚えていたかというとそうでもないのだけれど、「親はしばしば子どもに呪いをかける」という言葉が残った。
自分の親が悪い奴らだと思ったこともないけれど、思い返すと呪いになっているなと思うこともある。
自分にも子どもが産まれて、これからたくさんのやりとりが生じると思うが、たまに思い出しながら、彼に向き合いたい。
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心に残ったフレーズを、今後の育児に生かせるように備忘録として記します。
★子育てというのは、親が方法論や良し悪しという価値観からできるだけ離れることからしか始まらないかもしれません。良い子育てをしようなんて思わずに、日々目の前で繰り広げられる出来事をそのまま肯定する。自分のたよりなさに幾度となく揺れながらも、子供に触れ、感応することを通して、その存在を新たに肯定し直す、その繰り返しが子育てだと思う。
★思春期とは、子供の成長によって親と子供の間の関係性が変化したにすぎないと考えることが、親の心に余裕を持たせるためとヒントになる。
★親が子供の意志を言質にとって子供に頑張る責任と義務を押し付けることは問題である。子供と対話しながら子供自身から意志のようなものが立ち上がってくるものをみる。この時、子供はようやく自らの欲望を肯定的な意志として認識する。
★言葉で伝わると思っていること自体が一種の思い込み。言葉が伝わらないことを受け入れるのは、自分の声を聞いてそれをそのまま自分で引き受けるということにつながる。まずは、親が自身を認めてあげることから始めなくてはうまくいかない。
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こどもたちに 謝った
自分の"後悔"を 押し付けてゴメン
君たちの行動を 評価してゴメン
全ての行動は、関係性の中から「立ち現れる」もので、こどもたちが家族に見せる姿は、わたしを含む家族が作り出している。
ならば"評価"することは出来ないはずだ。
ただ語り合えばいい。こどもの葛藤、わたしの弱さ。素直に語り合い、そのまま受け止める。
"おや"という呪いから解放された。