紙の本
どうするのが正解なのか私にはわからない
2021/11/01 22:29
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
リヒャルトは古典文献学の名誉教授、大学を退官したばかりで、妻を5年前に亡くしている。アフリカからの難民が近所に収容されていると聞いて、彼らに関心を持ち始めドイツ語やピアノを教え始める。彼らの多くはドイツに留まることができず、初めに流れ着いたイタリアに送り返されることになる、その時、リヒャルトは・・・、という話なのだがこの小説のすばらしいことは、リヒャルトがスーパーマンではないこと、リヒャルトが資材を投げうって彼らを助けるということはなく、彼らと一緒になってこれからどうすればいいのかと悩む、留守中に空き巣に入ったのは懇意にしていたアフリカ人の一人はないかと悩む、難民を受け入れるのは義務だと言いながら自身は難民のいない高級住宅街に住む富裕層(なぜか筑紫哲也の顔を思い浮かべてしまった)を尻目に彼は努力を続ける
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浅井晶子訳は今のところハズレなし、なのだけれど、これも例に漏れず。退職した教授がアフリカ難民に興味を持ち、だんだん近づいていくのが、ちょっと滑稽で軽妙で笑ってしまったりもするのだが、読んでいくうちに、難民の1人1人に苦しくつらい過去や重たい人生やかなえられるのか心もとない希望があることがわかってくる。この教授も単なる軽妙ないい人ではなくて、なんだか訳ありな過去があることも。どんな人も、いいだけじゃないし、わるいだけでもない。湖がいつまでも心に残る。
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私は、さっきまでの私ではない。
何かを知ってしまった時、
もう知らなかった私には戻れない。
新しい私の意志に身を任せるのだ。
古い私の観念にこだわってはいけない。
そうやって日々、私を更新するのだ。
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摩擦、文化、宗教、生活様式、価値観、搾取、善意、偽善、傲慢、援助、制度、法律、極右、人権、命。
難民という問題を考えたとき、たくさんの言葉が浮かんでくる中、読者は主人公の元老教授とともに、彼らが、「難民」という大きな言葉ではない様々な背景を持つ一人の人間であることを知り、その姿に私たちはいっそう考えざる得ない。
難民認定がほぼゼロの世界の片隅、日本から。
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国とは何なのか。
国を追われ、または逃れ、流れ着いた場所では恐れられ疎ましがられ差別される人々。
かたや祖国がある日突然消失するという経験。
翻弄される運命と交錯する人生を、切実な難民問題を主軸に置いているのに意外にもおかしみさえ漂わせながら描かれる老教授とアフリカ系難民との交流。
登場人物の個性が粒立っていて、目の前に現れそうなほどの描写力。
湖に沈む死体が象徴することについて考える。考えていく。
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主人公リヒャルトのモノローグのような文章で物語は進む。その淡々としたトーンにドイツが舞台なのにフランス映画を見ているような読書だった。時折描写される難民たちの肌の色(黒)への言及もそのイメージを強くさせる。しかしリヒャルトの難民たちへのかかわりが強くなるのにつれてそのイメージの一部に色彩が浮かぶ。難民たちが燃やす炎の色、故郷の思い出の語りの中で出てくる布地の青、小さな裏切りのような出来事の後リヒャルトと地元の友人たちと難民たちがが行きついたところでリヒャルトの過去についての真実が明るみにされ、そこに浮かぶ血の色。それらの色が出てくるまでに語られるそれぞれの過去ー東独の時代、アフリカの故郷の暮らし、リビア内戦やシャリーア紛争と思しき描写、故郷を逃れてからのの体験(海を渡る人々、ランペデゥーサ島、オラニエン広場)ドイツでの難民受け入れと排斥のせめぎあいと右翼の台頭等々。アラブの春以降アフリカと欧州で起きていることを思い出させてくれた物語。何か国の言葉が出てきただろう。時折挟み込まれるギリシャ神話やシェークスピアなど古典の一説がリズムを作る。そして繰り返されるドイツ語の動詞の活用Gehen,ging,gegangen。「どこへ行けばいいかわからないとき、人はどこへ行くのだろう?」(pp.321,322)。湖の底に沈んだ男は難民に関わる前のリヒャルトを意味してるようにも、どこにも行けない難民たちでもあるように思った。
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退官した独り身のベルリン郊外に住む大学教授が、アフリカ難民に興味を抱きインタビューしながらも手を貸し親交を深めていく話。現実のドイツでの難民問題が背景にあり、紛争や飢餓に苦しむ地域が未だに多く存在している。物語の中で、『自分が、関わる現実を選び取ることのできる、この世界で数少ない人間のひとりであることを、リヒャトルは自覚している』とある。本当にその通り。持っているものを自覚し、厳しい状況に置かれている人を支えていきたい。
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gehen ging gegangen
ドイツ語は分かっても、難民が沢山いる事をニュースなどで見知っても、アフリカから命がけでやってくる人々についてはあまりに知らなすぎました。
物語の初めは、この調子で最後まで続くのかな、っとちょっと退屈を予感してしまったのですが、もちろんそんな事は無くて、しっかり後半揺すぶってきます。
翻訳の本は、どうしても世界観に浸りにくいものですが、(と言うか、何故英語に訳す?)
何だかんだと結局結末が知りたくて読み切りました。
それどころか、派生したお話もあったらいいのにとか思っちゃいました。
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先日、死刑についてのルポを読んで、死刑制度について考えた。そして、本書を読んで難民問題について考えた。日本にいると、ヨーロッパには難民が多数押し寄せていて社会問題になっているということをニュースでは見聞きしたことはあっても、よりリアルなものとして感じることはない。こういうテーマを扱った小説を通じて初めて身近に感じるのだと気付かされた。
主人公は旧東ベルリンに住む定年退官したばかりの大学教授。ベルリンにやってきたアフリカ難民の抗議活動でその存在に気付き、興味を持って接するうちに支援者となっていく。難民となってやってきた者たちの苦難の真の姿を知り、彼らに同情し、助力するとともに、一部の市民の難民に対する敵意や無関心にも心を痛めていく。そして、難民たちの消された過去を思うと同時に、自らの過去についても振り返ることになる。
難民たちは、未来が見えない中で、困窮の中で、必死に生きていく。主人公ならずとも彼らに心を寄せるのは自然なことだろう。
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文学ラジオ空飛び猫たち第64回紹介本。 社会派なテーマを扱う小説ですが、ユーモアある魅力的な登場人物がいて、物語の展開もよく、おもしろく読めました。難民に対する予備知識がなくても読んでいけると思います。難民の人たちとの交流を通じて、国や境界について、また自分自身についてなど、多くのことに考えを巡らせます。この小説を読むと、難民について、自分が知らなかったことについて考えてしまいます。 ラジオはこちらから→https://anchor.fm/lajv6cf1ikg/episodes/64-e1at3tl
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いきなり今年ベストワン候補。
アフリカからヨーロッパへの移民問題についての小説。めちゃくちゃテーマが重いのに、とても読みやすかった。帰省前に大垣書店で購入し、実質ほぼ3日で読んだ。
主人公は退官した大学教授リヒャルト。ベルリンに暮らす。妻に先立たれ孤独であるが、社会的名声や経済的な安定は得ている。
退職後の、予想された平坦な日々は訪れず、アレクサンダー広場でハンガーストライキをやっているアフリカからの難民とかかわるようになる。
リヒャルトは東ドイツの市民であったがベルリンの壁崩壊を体験し、西ドイツ=新ドイツ連邦共和国の一員となった背景がある。
リヒャルトはアフリカ難民を気に掛ける心優しい市民であるが、愛人のいた過去があり、ドイツ語を難民達に教える女性の教師に思いを寄せたりする、なんというか良い言葉で言うと人間くさく、悪く言うと、負の側面を抱える人物である。
ビアノを弾きたいという願いを叶えるための約束を難民の一人が忘れてたりすると内心腹を立てたりもする。
リヒャルトのそのようなところがリアリティを感じさせ、この本を読み進めさせる原動力なのかもしれない。
ドイツ語の学習がなかなか進まないという教師に、リヒャルトは発音も耳慣れないだろうし、(ドイツ語の)不規則動詞がね、と言うが教師はこう返す。
「それが理由じゃありません。あの人たちの生活は、あまりにも不安定なんですよ。だから、頭のなかに新しい単語を覚えるための余裕なんかないのです。(略)なんの役に立つのかわからないまま、言葉を学ぶというのは大変なことなんです。」
相手の立場に立つというのは何と難しいことだろう。
「自分たちがこれほど恵まれた暮らしをしているのが自分たち自身の功績でないならば、同様に、難民たちがあれほど恵まれない暮らしをしているのも彼ら自身の責任ではない」
「自分が、関わる現実を選び取ることのできる、この世界で数少ない人間のひとりであることを、リヒャルトは自覚している」
自己責任とか自助とか、寝ぼけた話だと思う。
そして一方、自分はどうすれば良いのか、とも。
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退職後のリヒャルトが送るおひとりさま生活(諸事情あり)に妙な憧れを抱きつつも、それを取り巻く不穏な空気にいつしか意識が傾いていた。
恐らく現役時代から活動的な人ではなくて、使う言葉もあまりアップデートされていないのかな。差別用語と分かっていてもいつまでも記憶に残る「ネーガー」のワードに、東ドイツ時代に培われたと見られるロシア語。
名誉教授リヒャルトの専門は古典文献学であるから途中ゲーテやらの(全く守備範囲外の)言い回しが矢継ぎ早に飛び出してくる。ある程度本題に関わりはするものの気を取られさえしなければ、やがて霧が晴れるように核心が"visible"になっていく。
色んな意味でクラシカルな彼が(本当に沸いて出たような)好奇心からアフリカ難民達と交流、時にはドイツ語も教える。(普段は彼らが理解できる英語かイタリア語、時々ドイツ語で意思疎通を図っている) この活動が報道されてもボランティアかと流すだろうけど、物語にしてしまうと奇妙なコントラストに映るから不思議だ。
「天国に行く権利さえもが労働するかどうかにかかっているようなこの国で、あの男達はなぜ、働く権利を拒否されるのだろう?」
アフリカから文字通り海を渡ってヨーロッパに逃げ場を求める難民の話は聞いたことがある、だけだった。ここで目の当たりにするのは追い立てられるように国を出る前後の、もっと詳しい話。無事に流れ着いても遂には自分が何者なのか分からなくなるという、想像を絶する体験談。「戦争中には戦争が見え、戦争以外はなにも見えない」
何か劇的な展開が待っているのかと思いきやそうでもない。それどころか、僅かな晴れ間さえ拝むことができないストーリーラインに若干イラつくことも…政治色も濃厚めで、現に政府がどのような支援や対策を進めているのか知らないのもあって読み辛さはあったが、理想通りに運んでいないであろうことはよく伝わってきた。
読後、意識は近所に向いていた。遠くない将来、迎えるに留まらず彼らの人生・未来は"visible"なのだと思ってもらえるのだろうか。
「楽じゃないよ(イッツ・ノット・イージー)」
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久しぶりに翻訳小説を読みました。「行く、行った、行ってしまった」という、この作品の題名に、なんだこれ?思って読み始めたのですが、エルペンベックという作家が1967年に東ベルリンで生まれた人だということが、作品の内容とその不思議な題名とに 強く結びついていたことに納得して読み終えました。
題名は動詞の時勢変化ですが、時間とともに空間もまた変化せざるを得ない「行く」という動詞を使った結果、当然、浮かんでくる「来る」というイメージが引き起こす現実を描いたところが卓抜だと思いました。
個人的な好みの問題に過ぎないのかもしれませんが、国家であるとか宗教であるとかいう、共同的な大きなものに疑いの眼差しを持つことを促す作品が好きですが、現代のヨーロッパ社会が政治的、宗教的な理由を抱えた難民や移民の問題を「真面目に」考えざるを得ないのでしょうね、小説でも映画でも作品のテーマとしてよく出てきますが、この作品も、そこを一つの主題として描かれていることに強く惹かれました。
ブログにもあれこれ書きました。覗いてやってくださいね(笑)。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202209230000/
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ここ数年全然小説を読んでなかったんだけれど、これは読んでよかった〜〜となっている とにかくいろんな視点を与えてくれる感じとか、脳内にあった色々を整理されていく感じが心地よかった 「ケニアの同性愛者万歳」のくだりだけ、どのように取っていいのか分からない棘のようにウグッときているけど…あれどういう話…? 難民というものについて、特権というものについてぐつぐつ考えたい考えている人におすすめ
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難民の人々がドイツにたどり着くまでのストーリーは強烈で、ただの物語ではなく、実際にも起こっていることだと思うと、やるせなくなった。
国内・外という狭い枠ではなく、今ある国は「世界という国」の中の「州・県」みたいな感覚になったら、もう少し互いに手を差し伸べる体制ができてくるのだろうか。
難民たちのおかげで、時間を持て余していた退官後も活力を取り戻したリヒャルト。何も解決してはいないけれど、人と人との繋がりの温かさを感じた。
国、立場、年齢などのバックグランドが違っても、私たちは同じ人間であることを示唆する終わり方もとても素敵だと思った。