紙の本
ランニング
2024/03/11 16:54
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
エチオピアの人は本当に早い印象があったので、なんでなのかが解決してすっきりしました。おもしろかったです。
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ランニング王国を生きる マイケル・クローリー著 走って解くアフリカの強さ
2021/10/2付日本経済新聞 朝刊
世界のマラソン競技は、エチオピア、ケニアのアフリカ勢が上位を独占している。その要因に彼らが高地民族特有の身体能力の高さを持っているからという俗説も強い。本当にそうだろうか。
本書はイギリスの文化人類学者が、エチオピアに1年以上滞在し、彼らと寝食共にして猛練習を積み、強さの秘訣を科学的に証明するノンフィクションである。
エチオピアの選手は、常に集団で走り結束力を大事にする。そして標高3千メートル以上の高地を走ることで肺活量を強くし、次に森の悪路でジグザグに走り、足腰を鍛え、障害物を避ける敏捷(びんしょう)性もマスターする。仕上げにアスファルトの道で、スピードを磨くというプログラムで訓練する。
集団で走ることは、自分のストライドを相手のリズムに合わせることを意味する。十数人の彼らは走っているのが一人であるように、足の着地音が一糸乱れず、同じ音、同じフォームに見えるという。それは仲間とのエネルギーを分かち合うことにもつながる。
速く、遅くのペースを保つことで、遅く走ることにも長(た)け、レースでの緩急を生かす判断力を養成し、勝負強さを生みだすのだ。
これらの練習方法の根幹には、長年の経験と知恵に裏打ちされた賢さがある。それがエチオピア選手の「計り知れない神秘的な力」であると著者は信じる。
伝説の名ランナーで取材時に92歳のワミ・ビラツの、今の選手は現代の文明の快適さに甘えるなという指摘は耳に留めておきたい。
著者は帰国後、エチオピアで学んだ練習方法で、初のフルマラソン大会に挑戦する。その成果はぜひ本書から知って欲しい。
著者は強さの秘訣を分析する。
〈世界トップレベルのランニングは、計測や規律だけでなく、互いの足を追いかけ、手本を示し、実験しながら学ぶランナーたちの好奇心や冒険心によっても支えられているのだ〉
今スポーツは資本が絡み、利潤を生む構造になっているが、私たちは何のために走るのか問われる時期にある。自然や人と共生するランナーが、一流になれるというエチオピアの事例は、現代への痛烈な皮肉であり、悪路とも言えるコロナ禍を我々はどう走るかという問いにも通じている。
《評》ノンフィクション作家 澤宮 優
原題=OUT OF THIN AIR(児島修訳、2420円・青土社)
▼著者はフルマラソン2時間20分53秒の記録を持つ人類学者。
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著者は人類学者で自身もフルマラソンを走るランナーである。本書は、そんな著者がエチオピアに滞在し、現地のランナーたちと一緒に時間を過ごした記録である。
たしかに、エチオピアを始めとする東アフリカのランナーに対するイメージは、幼いころから高地で過ごし、学校も遠距離で走って登校していたため長距離が得意、というものであったと思う。
そんなイメージがいかに表層的であるかを本書は教えてくれる。現地のランナーたちの言葉は時に哲学的で独特の感性をもっており、読みながらふと立ち止まることもしばしばあった。科学的な練習をしっかり取り入れつつも、独自の哲学を持っており、大変興味深い。GPSひとつとっても、我々の想像する使い方とは変わってくる。
今後、テレビでエチオピアのランナーをみたら、そのランナーがどんな風に過ごしてきたのか、どんな気持ちでレースに臨んでいるのか、想いを馳せずにいられないと思う。
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いろいろなことを知れたけど、少し難しかった。ゆっくりじっくり読むことで見えてくると思う。
エチオピアで走るランナーの生き様が見えた。
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男子は2時間8分切り、私はエチオピアで知り合ったアスリートが(マラソンで人生を変える)と語っていた時に目指していた数字だ。
アルコールは禁止だ。それから彼女や彼氏も必要ない。
ある程度の経済力がなければランニングには打ち込めない。
誰と走るかと同じ位重要なのがどこを走るかだ。
1人で走るのは健康のため。
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イギリス人の人類学者で、フルマラソンを2時間20分で走る本格的なランナーでもある著者が、エチオピアに1年3ヵ月にわたって滞在し、ランナーたちに密着しながら、この国のランニング文化に肉薄するという内容。一緒に練習し、生活をともにしながら、ランナーたちの強さの秘密に迫っていくのが面白い。
Running is Life(走ることは生きること)、でやっぱり走りたくなった。数ヶ月ぶりに。
高地で猛練習、才能があるから、などのステレオタイプとは違う世界があった。神を信じるキリスト教徒、集団での練習、クラブによるサポート、国を挙げてのしっかりした組織。そして「賢く走る」ことが重視され、距離を伸ばすだけの練習ではない。森の中をジグザグに走ったり、坂道を上ったり。ロードでの練習は、かなり少ないらしい。
訳者あとがきが秀逸。的確に、端的に内容をまとめている。
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文化人類学者のマイケル・クローリー。
フルマラソン 2時間20分ぐらいのランナーでもある。
エチオピアのランナーの練習に入ってランニング文化を知る、考察する。
標高3,200m
考えただけでも息苦しい!
17
“走ることはたしかに苦しいが、他のスポーツでは味わえない、自分の中にある深いものを掘り起こしてくれるような感覚”
19
“成功するのは、足を動かす前に、目で見て、頭で考えるランナーだ。感情だけで走る者は成功しない”
ハードな練習をたくさんやっても、楽にはならない、速くなるだけだ…
速くなるためのトレーニングだから、いつまでたっても楽になることはない。
エチオピアの人は成功して大金を得るために、お金のために走る。
森の中、自然の中で、自然からの力を得て走る。
非科学的なものも信じ、走る。
練習する環境を与えられたものだけが練習できる。
練習すれば勝てると思っている。
仲間と走ることは重要。
“走ることは生きること”
エチオピア選手のようにハードなことはできないけど、走ることは生きることを実感する様々な要素が詰まってるから、やめようと思わないんだろうなぁ。
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昨日、「五感もまた計算するために働いているが、美しい絵画を見たり、好きな音楽を聴く時、我々の感覚は明らかに計算から外れている。統合された情報が生み出す創発現象か」と書いた(偶然の一致が人生を開く扉/『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ)。運動やスポーツの原点は狩猟である。ここで求められるのは「計算する力」だ。
https://sessendo.blogspot.com/2022/01/blog-post_11.html
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アフリカのアスリートの見方が変わる本です。
ただ走っているだけでなく科学的な部分も取り入れつつ経験的な部分の練習もやっており、ただやみくもにやってあの成績が出ているわけではない事を知れました。弛まぬ努力がある。そして、1人じゃなくやはり仲間で競い合っていかなければならないこと、走る事に夢があることなど色々と気づかせてもらいました。
そして、ここに出てくるエチオピアのランナーのタイムは速いですね。私は到底一緒に走れません。
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仕事で十数年ぶりにエチオピアに本格的に関わるようになり、そのタイミングで定期購読しているランニング雑誌にこの本が紹介されていて、偶然、すぐに手に入る状況に恵まれたので、買って一気に読了。
フルマラソン2時間20分台の文化人類学者であるイギリス人の著者が、エチオピアで1年以上、エチオピア人ランナーと過ごして間近で彼らを観察し、一緒に走ることで、エチオピア人にとっての「走ること」の意味や動機をリアルに伝えている。
「お金が無くて靴が買えない」「片道数時間の道のりを走って学校に通う子ども」といった偏見は、本書では一蹴されている。世界のマラソン大会で鎬を削るエチオピア人は実際のところ、ある程度の経済的な余裕がなければその舞台まで辿り着けないようである。
また、世界トップクラスに速いランナーだからこそ、「足場の悪い場所を遅く走る」ことが重視されているところなどは、ファルトレクやトレイルランの効果を裏付けているようで、同じくランナーの端くれとしては、こういう情報が取れるだけでも面白い。この本を読んでから、普段のランニングで芝生や未舗装の道を探して距離を踏むようになった。
そして、トップクラスのランナーたちは孤独に走ることはせず、必ず誰かと一緒に走ることや、ペースメーカーを交代して務めて「集団として速く走る」ことを当然としているというのも、面白い発見だった。速いからこそ孤独に走るのかと思いきや、真実は逆。周りと協力するからこそ個人としても全体としても速くなる、というのは、最高峰のマラソン大会のトップ争いを見ていると納得できる。
エチオピア人ランナーにとって、世界規模のマラソン大会に出場し、勝つことは文字通り人生を大逆転させ、親族も含めて富裕層の仲間入りをするための必須条件。ただし、うまく走れるかどうかは努力の積み重ねの結果というよりも、「自分が勝つと定められたかどうか」といった、ある種の霊的な考え方があるらしい。
多額の賞金が出るような世界規模の大会であっても、30キロあたりでトップ集団にいられなかった時は意外なほどにアッサリとレースを止めるランナーがエチオピア人に多いのは、そういう「今回は自分の番ではなかった」という考え方が根底にあるからなのかもしれない。五輪も含めて、大きな大会で途中棄権するランナーが多いことが前々から不思議だったが、この本のおかげで、少しだけその謎が解けた気がする。
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エチオピアにきたイギリス人文化人類学者が1年3ヶ月に渡って現地のランナーと一緒に、ランニングを研究した記録
エチオピア人にとってはランニングは人生であり、フィジカルだけを鍛えるのではなく、スピリチュアルな観点も合わせてメンタルを鍛える。それをコンディションと呼んでいる。
誰しも生まれ持ってランニングに興じ、朝6時ごろから練習に励む。
その姿勢を貫いてコンディションを上げ続ける者だけが、海外の大会で活躍できる。
ただし、それは必然ではなく、偶然でもあり、当人たちもうまくいかなかったことに対してもけろっとしていることが一つの秘訣なのかと思った。
以下、印象に残った文章
「成功するランナーは、足を動かす前に目で見て頭で考えるランナーである。」
「才能や生まれつきの能力ではなく、成功するランナーは練習をうまく計画して、管理する能力に長けているランナー」
「練習では主に仲間と一緒に走る。これはエネルギーを分かち合うことである、ペースメーカーを努めることは誰かの重荷を背負う行為である。」
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エチオピアのランナーはどのような生活をし、練習をしているのか。人類学者で、自らもフルマラソンを2時間20分で走る著者が、エチオピアのランニングクラブのメンバーと1年3か月の間、生活を共にした記録です。
・レースで賞金をもらうことで人生を変えたいと願うランナーたちの走ることに対する姿勢は真剣そのもの
・シューズが買え、クラブに入れるようなある程度経済力のある人しかランナーにはなれない
・練習は集団で一定のペースで走る。前のランナーの足を見て、同じリズムで走る。一人で走ることはあまりない(夜中にハイエナに襲われる危険があるからという理由もある)
・森の中、トラックで走るのが基本。アスファルトで走るのは週に1回だけ
エチオピアのランナーが大切にしているのは、仲間との絆、自然との共生、自分を信じること、夢にチャレンジすること。速くて強いランナーが次々と出てくる理由がわかる気がします。
いつかそのうち、森の中や草の上を自由に走れる環境に住み、走ってみたいものです。
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自分でも2時間20分程度でフルマラソン走ることができる文化人類学者が参与観察という手法でエチオピアのランナーたちと走り発見したことを表現している。アフリカのランナーたちをステレオタイプで見てしまっていたのだなということを感じさせられるようなこともあり、みなさんが個性あふれる個々のランナーだということを改めて思った。そういうランナーの集団を束ね、才能を発掘するには個々が争うだけではダメで集団の中で自己犠牲を厭わない規律のある練習(しかもバラエティにあふれた)が必要なのだと認識した。個人的にも最近いろんな練習会に出て普段よりも速いペースで長く走れてきていることを感じていたので納得感があった。
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悪い本じゃないけど、ランしようというモチベを上げるものじゃなかった(あまりにもすごすぎて)。
というか、むしろ、そういう内容じゃなく、エチオピアという国に、いかにマラソンが文化として — スポーツという枠をはるかに超えて — 国民の生活に強く結びついているかを解き明かす、現地に入り込んで体験してきたルポルタージュだ。
また、アフリカ諸国のランナーが一様に速いことに関して、「人種的身体能力」や「日々、走ってるから」、あるいは「貧しいから」というステレオタイプな認識を改めてもくれる。
これはエチオピアの国民性なのかどうかは分からないが、彼らはけっして身体能力に任せて走りまくって強くなったのではないということも良く分かる。
「成功するランナーは、足を動かす前に目で見て頭で考えるランナーである。」
「才能や生まれつきの能力ではなく、成功するランナーは練習をうまく計画して、管理する能力に長けているランナー」
マラソンは斯様に、思索的であり、ある意味、近代的な管理能力も問われる極めて高度なスポーツであるということも認識させられる。なにより「賢く走る」ことが求められるのがマラソンなのだ。
このレポが成功したのは、なにより著者自身が2:20:53でフルマラソンを走れる超エリートランナー兼学者(文化人類学)だったということだろう。そんな彼でも集団走にまともにはついていけないながらも、共に走り、彼らと密に過ごしたことで導き出された結論は、実に説得力があった。「参与観察」という調査手法らしいが、この著者をして初めて成し遂げられたことだろう。 異邦人としてではなく、同じランナー仲間と徐々に認められるクダリは印象深い。
かつての宗主国から来て、上から目線で、研究対象としてエチオピアのランニング文化を眺めていただけれでは得られなかった貴重な体験と気づきは、この著者をしてでしか無しえなかった成果だったろうと思う。
「練習では主に仲間と一緒に走る。これはエネルギーを分かち合うことである。」
彼らは決して1人では練習はしない。それは「健康のために走る人がやること」だという。ではなぜ集団で走るのか? それは「自分を変えるため」。
うーん、なんかものすごい教訓が含まれていそうだ。確かに、部活の集団走には意味があったなと、思い出される。それで、人生を変える、ってことはなかったけど、それがエチオピアではあり得るのだ。
エチオピア文化に根ざす集団性、その中での切磋琢磨、そして理知的な思考と人生観。あれこれメカラウロコの好著。
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テレビで見るマラソン大会や世界陸上で見るエチオピアの選手の背景を知る事ができ、面白かった。ランニングは個人競技なのに、普段はチームとして、互いに切磋琢磨しながら集団で練習し、協調性を重視していることを初めて知った。
また、エチオピアには才能や遺伝という概念がなく、然るべき規範に従って正しく行動すれば誰もが偉大な存在になる→適切な練習をすれば誰もがその可能性がある。努力をすれば神が卓越したパフォーマンスを与えてくれる。走れないのは個人の努力の欠如であると考えられているのも驚きだった。
アフリカのランナーは貧しいからこそ成功を掴めるという、メディアの伝える姿は真実ではない。エチオピアやケニアのランナーは最貧困層ではない。ランニングに打ち込むには時間、練習環境などの費用捻出が必要であり、家族の支援も必要となる。
今までエチオピアという国をほとんど知らなかったが、もっと知ってみたいと思わせる1冊だった。