紙の本
読書の楽しみ方はいくつもある
2022/01/13 15:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:如月 弥生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を読もうとしてもなかなか読書が習慣化しない人への優しいエールで溢れているかと思いきや、読書慣れしていないと読めない本だと思いました。優しい章もあるのですが、何を伝えようとしているのか(オレオレ解釈になったとしても)考えなければ読み取れない難解な章もあります。正直、意識が飛びそうになった時がありました(^^) しかし全体として文章が心地良いです。文字を追うこと自体が楽しく感じます。自分の知らない読書の楽しみ方を教えてもらえた気がします。そして “読みたい本” も何冊か増えました。
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タイトル&ジャケ買い(緑と黄色の花のとりあわせがちょうど同じ時期の高楼方子の新刊「黄色い夏の日」とも似ていて…タイトルもなんだか意味深で)。
目次を見ると本のタイトルと同じ見出しに文庫版あとがきや解説のみ。章立てや改頁がまったくないが、巻末の初出一覧を見ると様々なところに発表されたエッセイをあつめたものとわかる。単行本は左右社2009年。
カバーデザイン:五十嵐哲夫
カバーイラスト:惣田紗希
解説:柴崎友香
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うわあ、読み切れなかった。教養不足ですね。また読みます。
「本はつねに流れの中にあり、すべての本はこの机に一時滞在するにすぎず」から
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読書にまつわるエッセイのようなもの。はじめに、読んだ本の記憶が失われていくことについて書かれる。結局読んだ本の大部分が読まないのと同じことになっている。本は冊という単位ではなく、つながっていて、水のように流れ沈む。本は記憶ではなく、本を読んでどのように自分が反響、生に吸収されるかが重要、だから本は読めないものだから心配するな、と語りかける。そこからいろんな書物の断片が引用と経験とともに紹介される。気楽に読めた。
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読んだ先から忘れることに安心できる本。見開きの左頁上部に、本文から抜粋された短い言葉があり、そこだけ読むのもまた一興。私は「読書は贅沢よりははるかに窮乏の原因であり、楽しみよりははるかにひどい苦痛をもたらす」(p.9)にグサッとやられ、「迷う必要はない、きみは詩を読めばいい」(p.51)からの「一行が、心を捕らえることもある。一行が、きみを変えることもある」(p.53)で、詩に対する劣等感のようなものが消えた。
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いわゆるエッセイ、であって紀行文でもある。著者は翻訳者で講師でもある。タイトル見て惹かれて、借りて読んだのだが、一旦読み進めたページをまた繰り返すと、あれこんなこと書いてあったんだ?みたいな感じでまた真剣に読むみたいな不思議な感覚を覚える本だった。自分もこの人のように、よせば良いのに、読み終わっていない本が、いや、読んでもいない本が数百冊本棚に収まっている状況にまた重ねるように、買ってきてしまう。後、多分読めても二十年から三十年だろうから、今のように年百冊ペースで読んで行ってもせいぜい数千冊なんだなあ。
今ある本は、いずれ読んでも仕方ない状況に陥ってしまうだろうから、そうならないように一冊でも多く読まなきゃな。
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菅さんはよくわからない人だ。エッセイの中で語られる「僕」は少年のような素直な一面を見せたり、「わたし」は皮肉屋で海千山千を乗り越えた年相応のおっさんだったり、ロマンティストな一文を披露してみたり。人というのは簡単で単純な生き物ではありませんを現したような人でもある。その菅さんが「読書」について徒然と書き記したエッセイのようなブックガイドのような一冊。タイトルがすべてを表現している。だから読まなくていいではなくて、どんどん読めばいいと。
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書店でタイトルに惹かれて買った本
読み終わった感覚としては、良かった。
タイトルから想像する内容は、最初と最後を読めば良くて
あとは、著者の読書記録か、日記的なものか、
「これだけ書けるんだから、本を読めてるやん」とツッコミを入れたくなりました
評価はよくわからない
また読み返したら、星5かもしれない
途中、自分の理解力がなくてダラっと流して読んでた
文庫版あとがきに代えての著者の文章だけでも読む価値はあるかと、、
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親本刊行時に図書館で借りて読んでるのですが、文庫化を機に購入。12年ぶりに読んだテキストなのに、同じ箇所でページの上を目が滑り、同じ箇所に惹きつけられました。本書の中で詩集について語られている箇所にあるとおり、時間があまりない時(私の場合は通勤電車内で読みました)でもふと手にしてなんとなく開いたところを読んでまた閉じることができる、そんな散文集だと思います。
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本は読めないものだから心配するな。管 啓次郎先生の著書。本は読めないもの。本は読めなくてもいいし本を読めたと言えなくてもいい。本は読めないものだから本が読めなくても他人から批判されることも馬鹿にされることもないし自信満々でいい。本は読めないものだから本を読めない人を高飛車に批判したり馬鹿にするのもおかしなこと。本は気軽に読めばそれでいい。読書好き人間、読書中毒人間、読書依存症人間への応援歌みたい。
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どこを切り取っても文章が美しい。紹介される本が全て読みたくなる。おかげで、寄り道しまくりで、立ち止まったり、戻ったりして、なかなか読み進まない。略歴に詩人とあり、さもありなんと納得した。
例えば142-143ページの理解とはつねに自分勝手な暴力 のくだり。
ある話が出てくるのは風に果実が落ちるような僥倖にすぎない。あるひとつの共同体でなく、たったひとりの人間を相手にしたときでさえ、その記憶は途方もない広がりをもっている。その中のごくいくつかの細部が、あるとき特定の誰かを相手にぽろりと話に出て、聞き手の記憶に転送される。聞き手は聞き手でその話を整理し、そんなつもりがなくても自分の理解に合わせて切り取り、文字に記す。こうして降り積もるアーカイヴが、さらなる編集を経て本にまとめられる。その本を読んだ人間は、ふたたび勝手に自分の趣味・志向・問題意識などにしたがって、本を再断片化し、理解にひきこむ。
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なんだか予想以上にとても読みづらく、読めないかな。と諦めパラパラと流し見した。
そしたらあとがきに「左側の上部にページごとに違う言葉が書かれている」とあり「あ、たしかに」と何の気なしに最初のページから左上の言葉だけを読んでみる。
すると気になる言葉がとても多い。
そのページからその言葉が使われている文章を探して読んでみる。
すると、なんだかとても美しい文章で、とても刺さる言葉にたくさん出会えた。
最初読んだ時は全然読めなかったのに、気になる一文からその前後を読むことでとても刺さる。
結局そのままその日のうちにその読み方で2回も読んでしまった。
「一行が、心を捕らえることもある。
一行が、きみを変えることもある。」
本書にあった言葉だが、まさしくである。
この著者のように絶対的平等である「言葉」を自分の頭でしっかりと組み立て、美しい日本語を使える人になりたいと思えた。
また何年か後に手に取りパラパラとめくったら、その時に栄養になりそうな言葉に出会えそうで、意外にも手元に残したい本になった。
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本を読める人が書いた本なので結構難しかった。
本を読めない人のための本と言うよりは筆者がどんな風に本を読みたいか読んでいるか、が書いてある印象だった。
もっと賢くなってから読みたいな…
引用が沢山あり、色々な人の言葉を読めて面白かった。
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タイトル買い。平積でタイトルに気付かなければ多分出会わなかったと思う。
タイトルから思い描いた内容とはかけ離れていたけれど、結果的には良い出会いだった。時に手を取りパラパラと上の散文を見ながら、気になった部分を読み返すことになりそう。
好みは分かれそう。今時の論旨、構成、結論が丁寧に仕上がった本が好みな人には合わないと思う。
本の楽しみ方の自由さを再認識しました。
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自分も本を読んだ後に、なんとなく面白かったみたいな感覚はぼんやりと残っているのに、内容を全く思い出せないことが良くあり、それは自分の欠損のようなものだとずっと思っていました。
それだけに本書の序盤の方で語られること、またこの「本は読めないものだから心配するな」というタイトルには勇気をもらえました。
特に好きな一節は終盤の以下のところです。
『読書の目的は内容の記憶ではない。そのときその場で本との接合面に生じた一回きりのよろこびを、これからやってくる未来の別のよろこび(読書によるものとはかぎらない、生のいろいろな局面でのよろこび)へとつなげてゆくことだ。』