商品説明
後半から面白い作品は、そこまで誰も読み進めてはくれません。数ヶ月、数年かかった力作、大切な作品だからこそ書き出しで読者に見限られたくない。そんな不安を払拭させてくれる必読書です。
―― 肥前文俊 (ライトノベル作家/「書き出し祭り」主催)
はじまりよければ全てよし!
小説の「書き出し」に特化した唯一無二の物語執筆術、ここに登場!
名作に共通する揺るぎない事実、それは「書き出し」がすぐれている点です。やっとの思いで書き上げた作品なのに、文学賞に応募しても審査を通過しない、小説投稿サイトでアクセスが伸びない、同人誌を作ったものの手にとってもらえない……もしかしたら大多数の読者や編集者は、最初の数行で読むことを止めてしまっているのかもしれません。
本書では、オープニングシーンを構成する10の要素を細かく分析し、レイモンド・カーヴァーやガブリエル・ガルシア?マルケスといった一流の作家たちによる多種多彩な作品を例に、その書き出しのどこがどのようにすぐれ、なぜ読者を惹きつけるのかを具体的に解説していきます。また、きっかけとなる出来事を作りあげるための詳細な手順や、バックストーリーを詰めこみすぎるといったよくある失敗を避けるコツ、オープニングシーンの適切な長さや場面転換の方法、登場人物の紹介や伏線の張り方に加え、多数の出版エージェントや編集者からのアドバイスも聞くことができます。
名作の書き出しのみを集めた書籍や特集などはあるものの、具体的に何をどう書けば良い作品になるのか、オープニングがどれほど重要な意味を持つのかを詳細に説いた書籍はこれまでありませんでした。本書では、読者が思わず唸る物語の書き出し方について指南する、唯一無二にして絶対的な一冊と言えるでしょう。
書き出しの一文から読者を引き込み、思わず最後まで読んでしまう物語の書き方を伝授した、ありそうでなかった「はじまり」の書き方指南書です。
著者紹介
レス・エジャートン
- 略歴
- アメリカ生まれ。作家。短編小説や長編小説だけでなく、エッセイや脚本なども執筆。
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技法という名目で書き殴った著者の感想文のような内容
2022/03/06 20:44
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:lila - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は同出版社のアメリカの技法書から得た技法を基準に、こうした本を読んでいます。
その視点から見ると、この本は文学小説寄りであり、著者の感覚的な説明を書き殴っているだけという印象で、具体的手法も論理的・客観的視点もありません。また大半が引用作品の分析や称賛の感想で占められています。
まず原書出版年(コピーライト)は2007年と古く、書き出し表現の否定の基準が「昔々あるところに…」という一昔前の始まり方になっています。またこの本で言う書き出しは、小説の最初の一文または複数段落だけを指しているようで、その辺りの「文章表現の仕方」ばかりです。
書き出しの構成要素は10個提示され、うち4つがどの物語にも必要なもの、残り6つが二次的なものとしていますが、4つは構成上の出来事、6つのほとんどは4つを描くための設定に当たるものと言え、4つの出来事の中で6つの要素を描くと言う方が適切です。しかし「どう描くのか」という具体的な解説はないですし、これらは書き出しに「含むべき要素」という扱いで、どれだけ描くかは書き手次第としています。
共感を呼ぶための主人公の問題の考え方についても客観性に欠けますし、「依存症は多くの読者を共感させる」とありますが、一般人に通じるでしょうか。またそれを物語としてどう発展させていくのかという手法もありません。
全体の構成に関しては、「多くの作家が構成の組み方すら知らない」「古典文学は参考にならない」と言いながら「アリストテレスから変わらない」と言うだけです。アウトラインとして短く箇条書きされてはいますが、「アクションを起こすたびに新たな表層の問題が発生し、核心の問題が明確になっていく」と繰り返しているだけですし、物語の結末の在り方やシーンなどの、物語における他の要素の説明も大雑把です。
メロドラマも誇張表現される事全般を指していて、銃撃やカーチェイスなどの表面的な描写も含むとしており、適切でないです。それに関連して「銃を持っている見知らぬ男より、ヘアアイロンを持って近づいてくる母親の方が怖い」という例を出して、あくまで主人公にとって恐怖となる問題を扱うように書かれており、また多くの引用で出来事に対する主人公の内面の描写が長々と書かれている事から、この本は文学寄りだと分かります。しかしいざドラマ的なシーンの考え方になると「コミュニケーションという形が存在するあらゆるものに目を向けましょう」という雑な説明だけです。
引用作品の多くは、私見では私小説のようなものばかりで、「見せて」おらず「語っている」だけで発展性がありません。そうした引用に対する著者の分析と称賛が長々と書かれている部分が多く、解説がこじつけくさく論理性がない上に、著者自身は使うなと言っている「素晴らしい」といった言葉を自分で繰り返していて、辟易します。
また『テルマ&ルイーズ』の銃殺のシーンを、多くで「きっかけとなる出来事」とされるのは誤りだと著者は言いますが、脚本技法上ではプロット・ポイントとして扱われるもので、そもそも映画を文学小説の視点で分析するのが誤りです。その違いが書かれていない事から著者に脚本技法の知識がない事が窺えますし、作品の解釈の仕方も違っています。しかも銃殺シーンをメロドラマだと言い、「まあ映画ですしね」と映画の表現を見下すような言い回しもあります。
既存作品の分析が多く流し読みしたため見落としている事があるかもしれませんが、全体の構成を踏まえた上で解説されるべき事ばかりですし、結局この本が言いたい事は「既存作品をお手本にしろ」という事に集約されると思います。