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商品説明
平清経、毛利勝永、佐々木小次郎…。豊前国はその歴史の中で、数多の敗者を生み出してきた。そのほとんどが、歴史の闇に埋もれかけている名も無き人物たち。12人の敗者の物語から、豊前国史の実相を浮かび上がらせる。【「TRC MARC」の商品解説】
豊前国はその歴史の中で、数多の敗者を生み出してきた。そのほとんどが、歴史の闇に埋もれかけている名も無き人物たち。本書で紹介する12人の敗者たちの負け方は一様ではない。華々しく散った者もいれば、無様な最期を遂げた者もいる。豊前国で生まれた者、死んだ者、豊前国を通過した者。12の物語は時代を超えて繋がり、豊前国史の実相が浮かび上がる。
【第一話 藤原広嗣】天然痘ウイルスに翻弄され、左遷の地で反乱を起こした不比等の孫。
【第二話 平 清経】源氏との戦を待たずに、フライング入水した平家の公達。
【第三話 杉 重良】かつての領地・豊前国に戻って、主君・毛利輝元に反旗を掲げた旧松山城主。
【第四話 宇都宮鎮房】豊臣秀吉の「転勤命令」を拒んだため、黒田長政に謀殺された「根生い」の武士。
【第五話 後藤又兵衛】主君・黒田長政との確執で出奔、流浪の末に大坂の陣で討ち死にした猛将。
【第六話 毛利勝永】関ヶ原の戦いに敗れて小倉城を追われ、大坂の陣では徳川家康を追い詰めた勇将。
【第七話 細川興秋】父・忠興に反抗して大坂の陣に参戦するも、逃亡の末に父の命で切腹させられた若君。
【第八話 佐々木小次郎】宮本武蔵に敗れたという以外、すべてが謎に包まれた剣士。
【第九話 犬甘兵庫】曽根干拓プロジェクトを推進しながら、歌舞伎の世界で悪役となった小倉藩家老。
【第十話 小宮民部】小倉城を焼いたことだけが喧伝される、苦難続きの幕末小倉藩を支えた家老。
【第十一話 郡 長正】父が斬首されたうえに姓も奪われ、留学先の豊津で切腹した旧会津藩士。
【第十二話 杉生十郎】旧秋月藩士と萩をめざす約束をするも、軟禁されて断念した旧豊津藩士。【商品解説】
著者紹介
小野 剛史
- 略歴
- 〈小野剛史〉1956年福岡県生まれ。熊本大学卒業。苅田町職員となり、長い間広報を担当。美夜古郷土史学校、かんだ郷土史研究会、苅田山城研究会の会員。著書に「小倉藩の逆襲」など。
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紙の本
敗者となった十二名の生きざまを笑えるか・・・
2022/12/16 19:44
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は豊前国を舞台に、敗者となった十二名を取り上げている。豊前国とは、瀬戸内海に面した現在の福岡県、大分県域にあたる。物語の始まりは天平九年(七三七)のウイルス感染症蔓延が要因となって敗者となった藤原広嗣から始まる。以下、平清経、杉重良、宇都宮鎮房、後藤又兵衛、毛利勝永、細川興秋、佐々木小次郎、犬甘兵庫、小宮民部と続き、明治初年の郡長正、杉生十郎である。およそ一千年余にわたる敗者列伝ともいうべきか。
この十二名の中で、小宮民部、郡長正については拙著『維新秘話福岡』でも扱った人物だけに、新たな事実が発見できるのではと思い、関心をもって読み進んだ。幕末、長州藩との戦いにおいて小倉城を自焼した指揮官が小宮民部だが、後世、城が再建されて観光名所になるなど、想像できただろうか。維新によって会津藩は賊軍の汚名を蒙り、その残された子弟は苦渋の生活を強いられた。そんな中、故郷から遠く離れた豊前の豊津に留学し、自刃した郡長正など、ただただ、哀れに思えて仕方がなかった。地元豊前の方々によって、墓碑が整備されていることが救いだった。
本書の6ページに、「豊前国略図」が示されている。古くからの豊前国の版図を示しているが、豊前といえば福岡県、豊後といえば大分県と思ってしまう。しかし、大分県宇佐市には「豊前」を冠する駅名が残っており、隣接して豊後高田市があり、ややこしい。この複雑に入り組んだ地図に勝者と敗者の力関係が如実に表れている。本書をもって一千年余にわたる人間模様を俯瞰すると、人間の本質に何ら変化がないことが見て取れる。裏切り、謀略、報復という権力闘争の成れの果てが本書の十二名である。
「あとがき」を読了する。本書の読者である我々も敗者であることに気づかされる。新型コロナウイルスの登場により、闇に塗り込められた問題点が表に登場し、政府、マスコミの発する報道に縦横無尽に翻弄された。まさに日本全体が敗者そのものとなったのだ。その敗者の姿を記録することは、現世から後世の人々に人間の本質を提示する啓蒙書となりえる。その一つの試みが本書である。そう考えると、郷土史ではなく日本国史として本書は扱わねばならないと考えたのだった。