紙の本
魔力を持つトランペット
2023/04/01 21:43
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公の山峰はふとしたことから戦時中に魔力をもっていたといわれるトランペットを手にする、そのことによってBという怪しい男につきまとわれ、挙句の果てには命も狙われる、「一週間後、君が生きている確率は4%だ」と。また新興宗教団体もトランペットを狙っているようだ。話はレイシストにより殺されたヴェトナム人の恋人、アインの遠い先祖の話、明治の隠れキリシタンの話、戦時中の「鈴木」の手記、という話を挟みながら進行して言う、山際がBに「君が最もなりたくない人間に、なってもらう」か「死んでもらう」と宣告されてしまうが、はたしてどちらが楽なのだろうか、アインを奪った人種差別主義者としてしか生きていけない山際、それは死よりも非情なことに思える
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最も印象に残ったのは、鈴木が戦争で疲弊した仲間を見ながら思ったこと。(p496)
「私達はずっと間違い、今も間違い続けている。今後もだろう。」
彼の絶望でもあり、現在に生きている私達への問いのように感じた。
そう考えながら、教団Xでのセリフも思い出された。(p441)
「例えばカミカゼ、つまり特攻隊の人達の手記は涙なしではとても読めない。だか彼らの魂の純粋さを、あの戦争が正しかったような印象操作に利用するのは死者に対して失礼だろ?あの魂をそのように利用しかつ金儲けの手段にしてる奴までいる始末だ。」
まだ間違っている道にいるのでないか、強く感じた。
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「世界との和解」
「銃」「遮光」など個人と社会の不和を描いていた中村文則は、「教団X」「R帝国」「その道の先に消える」など、「この世界は生きるに/愛するに値するのか」というテーマへと変質してきている。それはこの国の底が抜け始めていることに/とっくに抜けていることに気がついたから。それらの結実としての、まさしく中村文則の到達点にこの作品はあると思う。
キリシタン弾圧、第二次世界大戦、ヴェトナムの抵抗の歴史、国内外で繰り返されるヘイトスピーチ、増殖する無思考と無責任を体現した「言論人」、「悪」と呼ぶにはあまりに凡庸極まりない排外主義者たち。
それでもこの世界を肯定できるのか。
大きな物語による抑圧の歴史を小さな人間の抵抗の歴史と読み替えたとき、世界は鮮やかに反転する。
「共に生きましょう」といういつもの後書きが今回はさらに印象深く残った。
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狙いかもしれないが、唐突に軽くなるところがある。
ポケモンとかワンピースとか、文学では初めて出会った単語かも
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不慮の死を遂げた恋人と自分を結ぶトランペットを持ち、逃亡するジャーナリストの山峰。彼が偏愛するそれは、第二次大戦中のある作戦で伝説となり、“悪魔の楽器”と呼ばれていた。ゆえに欲する者達が世界中にいるという。その中の一人、“B”。正体も狙いも不穏な男。突如始まった逃亡の日々で、山峰はこの世界の理不尽な真実を突きつけられる…。(e-honより)
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設定は非常に面白くのめり込める内容だった。
が、そこから先に突き抜けることが出来ないまま終わってしまった印象。
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「蓮は泥より出て泥に染まらず」
相変わらず社会への解像度の高い絶望的な目線のお話だ。
トランペットに纏わる物語と、運命的な男女の物語。
中村文則自身と今の社会の話。
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なぜか手にしてしまう中村文則さんの小説たち。その中で570ページにも及ぶ彼の長編を読んだのは初めてでした。とにかく長かった。だが中弛みしてると感じた部分が全くなかった。ミステリーと思わせながら、急に恋愛小説になり、ここぞというところでノンフィクション風になる。それぞれをつなぐのは伏線をばら撒いて次々と現れる登場人物たち。その登場人物たちは各々の物語や歴史の筋で繋がっていた。繋げられていた。テーマを貫かさせるための謎の登場人物だけを別にして。そしてその謎の人物が希望とは呼べないもので物語を綴ることを作者に選ばせていました。この設定がとにかく格好いい小説です。
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ほんための紹介を見て。
様々な要素が折り重なる壮大なストーリーだった。
Bの存在や、鈴木のストーリーの逸話と実際の話の乖離が良かった。
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汚くても、歪んでも、生きること。
命を使って、自分の物語を描くこと。
足をつけているこの大地は、これまでの歴史の体積。
これまでの人が生きた悲しみや美しさが自分へと繋がり、そしてそれに帰結する。
人生は、物語のようで、
本は物語を内包して、でも、実体はをもっている。
人間は荼毘にふされると、実体はなくなる。
でも思い出が残る。人の記憶の中に。もしその記憶をもっている人がいなくなっても、
この世界にデータとして残り続ける。
記憶。
そうして生きて、人はタイルになる。
あるいはステンドグラスに。
モザイク画のように人の生が犇めき合って、そうやって世界を形作る。
ではこの、私がいま、生きているこの生とは?
そのこたえは主人公からのジョマルへのセリフに込められていると私は信じたい。
気休めでも、それはすごいことなんだと、私も声を揃えたい。
中村文則の伝える想いはままならぬことを踏み越えた先に普遍的にある何かかもしれない。
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リベラルと保守
キリスト教徒の迫害
第二次世界大戦
知らない事が多くて、史実に基づいていると思えない位にエグい。
Bの存在は怖いけどどこか魅力的で
「殺さない代わりに自分が最も忌み嫌う人生を歩んでもらう」という提案が気持ち悪かった。
ダラダラ読まないで、一気読みしたかった〜
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なんか凄いもん読んじゃったなというのが率直な最初の感想。中村文則のスケールに呆然ともしている。読書が趣味で自分は幸福だと思えた。感謝。
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戦時下の人々の描写、特に精神的にも肉体的にも追い詰められたニンゲンたちが狂気を帯びていく姿、そしてそのニンゲンたちによって追い詰められていく人々の姿に恐怖と悲哀を感じた。
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ー あなたは他人と自分の間に壁を置き過ぎるとは言わなかった。あなたは自分が正しいと思っているけど他者からすればそうではないとも言わなかった。みんなが社会問題に目を向けられるわけではないしみんなも忙しいし社会のことに目を向けるより自分の生活で精一杯の人もいるとも言わなかった。それに世の中には絶対に社会問題について考えたくないと思う人間が一定数いることくらい知っておけこの馬鹿がとも言わなかった。というかあなたも全ての問題に通じているわけではないのだから偉そうなことを言うなとも言わなかった。あなたのようにうっとうしい倫理を説く者を説教臭いと感じる人もいるからそういう人達に対しても届く言葉をもっともっと考えろとも言わなかった。あなたの独善的でわかってます的な感じが嫌いで嫌いで仕方なかったとも言わなかった。 ー
『R帝国』『その先の道に消える』と続けて『逃亡者』を読んだ。
前2作は少し物足りなかったけど、『逃亡者』で完全に満たされた。前2作は『逃亡者』の為の習作だったのかな。完成度高すぎ。面白かった。
国家と宗教と戦争と愛の物語。つまり、人類の物語。
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第二次大戦のフィリピンで、日本兵を駆り立て、天皇のために命を捨てる兵を鼓舞したトランペットが見つかった。右傾化した現代日本でそのトランペットが政治に利用されるのを防ぐため、僕ことジャーナリスト山峰健次は、左派の五十嵐が盗んだトランペットを持って出国するが、謎の危険人物、Bに跡をつけられ…
現政権に批判的な左派の山峰はネトウヨに叩かれ、ヴェトナム人留学生である恋人のアインは、デモでぶつかった右翼の男に押されて転倒し命を落とす。差別主義や歪んだ愛国主義、戦争を英雄視しややもすればそこへの回帰を夢見る、"美しい国"の標榜者政権への批判が結構はっきり語られていて、この本もっと読まれてほしい。今の右傾化日本、極右な日本の現状を改めて目にするようで暗澹たる気持ちになった。
公正世界仮説。山峰の著作はネトウヨたちに「知りたくなかった」として叩かれる。愚かな人々は、自分の見たいものだけ見、聞きたいものだけ聞くことを望む。自分と異なる意見、自分と異なる人々を排斥し、非難する。それは悪ははっきりした悪として自分から切り離し、自分は免罪符を持って悪とは無縁だと思おうとするずるい心理だ。山峰や鈴木はよく「罪悪感」という言葉を使う。自分も目の前で起こっている悪と無関係ではいられない。何かしら後ろ暗いものを持っている。悪とはそんなにわかりやすいものじゃなくて、私たちの生活それ自体、あるいは私たちが生きようとすればそれと表裏一体に結びついてしまっている悪もあるから。だから、悪を自分とは異なる他者、外国人とか違う主義主張の人々とか、そういう人たちにだけ負わせて無責任に生きるのは間違っている。自分もその十字架を負わなければいけないのに、今の人々は、そうした都合の悪い事実から目を背け、ネットで無責任で無根拠な発言を垂れ流しながら、のうのうと他人の不幸を眺めている。山峰や鈴木のいう罪悪感はだからこの世界を自分とつながるものとして真摯に受け止めている証左といえるし、だからこの世界に期待してないだとか、滅べばいいと思ってるとか、全くもって正常。最後に山峰の小説の帯文を書くN、おそらくは中村文則その人が、希望、という言葉を書きかけて斜線で消すように、歴史を持つ人々、一人ひとりの人生と出会いの先に希望は見出し難い。この世界はどうなっていくのか、山峰のような人間はどうなってしまったのか、不透明なまま。
Bの登場シーンは川があるか、体が濡れていると後書きにあった。桃太郎も川から来る。村人たちはよそ者の桃太郎が勝手に鬼を退治するのを見ているだけで責任を負わない。公正世界仮説で、自分とは違うからと切り離されるところの悪。自分たちを免罪するための異分子。それが桃太郎でありBなのだとしたら、純粋に悪であるBはやはり存在しないと言えるかもしれない。悪を切り離しておきたいと思う人々の意識こそがBか。
Bが提案する、拷問からの死か、幸福な時に殺すか、自分が最もなりたくなかった者になるか、という三択は、考えてみれば浦上をはじめとする禁教下のクリスチャンの運命と同じだ。そう考えるとBは政権や権力であり、政権の位置に純粋な悪そのもののBを置くのはうまい批判だなと思う。こんな社会への絶望、そこで生きていくことへの絶望を嫌というほど描きながら、山峰の叔父のように、岩永マキのように、生きろというメッセージも強く感じる作品。