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まったくイメージが浮かんで、そのイメージが立体的で動いている・ズームアップしてさらにそこがまた立体的に動いている、というとらえ方のできるもの(たとえばエンジンとか)と、たとえば法律のように文章で、その理屈みたいなところを追い込んでいくものと、ありますよね。なんか考え方というよりは得意な対象が違うんじゃないか、という気もしたり。ただ、確かに前者が得意な人は評価されにくい、という面はあるように思う。特に日本は目に見えないものが評価されない(テストでいい点を取るとか、受け答えがはっきりしているとかが評価され、ものをすぐ直すことができるとか改良できるというようなことが評価されない)傾向がとてもあると感じる。それを変える一石となるといいと思う。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12821112583.html
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何を持って物体資格思考者や空間比較思考者と分類するのかのロジックに納得がいかないので、後半の偉人の例やIT業界で活躍する人の例がヒビかない。
xxという特徴がある人を、〇〇といいます。すごい才能があります。
以上の情報を得られた気がしない。
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この本では視覚思考者(ビジュアル・シンカー)と言語思考者を対比させているが、個人的にはもっと色々な分類がある気がする。
聴覚思考者、臭覚思考者、触覚思考者、味覚思考者、という具合に。
当然、私は触覚思考者。
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『#ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界』
ほぼ日書評 Day714
タイトル、どうせなら(本文中でも用いられている)「視覚思考者の脳…」として欲しかった。が、原題が"Visual Thinking"であることを考慮すると、よくやった方か?(そのまま、ビジュアル・シンキングだと、クリシンとかデザシンみたいなコンサル本に誤解される危険大)。
とまれ、ひじょうに面白い!!
副題にあるように"「絵」で考える人"が、言語で考える人と、(比喩ではなく)文字通り、どのように「考え方が違うのか?」を、一冊を通じて徹底的に解き明かそうと試みる。
この視覚思考者にも2種類あるそうだ。
物体視覚思考者、手で考える技術屋。略図を描く必要もなく、全て頭の中で考えただけで、どんなものでも組み立ててしまう。
一方、空間視覚思考者は、抽象的に考えるエンジニアタイプ。
前者は、日本語で言うところの「職人気質」な人達だろう。実際、著者も"物体視覚思考の世界での成功者は、一風変わった、現代であれば何らかの「精神医学書に出ている診断名」が付くような人が多い"と指摘する。
ところが、現代の米国では(だけではないかもしれないが)、この物体視覚思考者がきわめて軽んじられているという。
「物体視覚思考者なら、ずさんな仕事が目に飛び込んでくる。言語思考者にとっての誤字脱字と文法間違いだらけの文章のようなもので、意味が通らず、修正すべきものとして映る…ことで、想定される危険を未然に防ぐことも可能になる」にもかかわらず、そうした扱いを受けることで、担い手が減り、結果、米国の社会インフラの劣化が著しく進んでいる。
デジタルツイン等の試みも進んではいるが、まだまだ、そうした「職人技」を絶やしてはいけないはずである。
https://amzn.to/459JVfB
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VAKになぞらえられる、視覚、聴覚、体感覚の三分類だけではなく、また別の視点を持つことができる本。STEAM教育に関心のある人は読んでみても良いかも。ただ、4.5章は少し間延びした気がする。筆者の言いたいことは一貫しているが、整理されているわけでもない。
そんな、この本の書き方こそが筆者自身の物体視覚思考者の特徴なのだろうか。。。
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人間の思考方法は、言語だけではない。
一般論として、それは受け入れられる。
だが、ではそれ以外の方法はどんなものなのか、それこそイメージができない。
そこで、本書を読むことにした。
著者は動物行動学者で、家畜の施設などの設計にも携わってきた人。
ご自身もビジュアル・シンカーで、かつASDの当事者でもある。
本書は、多くの研究を引用しながら書かれているが、当事者研究の様相を帯びる。
特に物体資格志向の人の考え方がどのようかというのを、言葉で伝えようとしているのが私は貴重だと思う。
さて、本書の問題意識は、アメリカのものづくりの衰退にある。
産業構造の変化で、製造の拠点は今やすべて海外に移ってしまった。
そのため、アメリカ国内では、ものづくりや修理のスキルを持った人もどんどん減っていて、新たに育てられることもない。
その結果、アメリカ全国で保守点検ができなくなっている。
特にインフラの老朽化については深刻だ。
2022年に起きたカリフォルニアの大規模な山火事も、本書によれば、電力会社の送電線の保守不全が原因だったとのこと。
ん?
これはアメリカのこと?
日本でも、現在進行形で同じことが起きているのでは?
さて、本書のテーマの視覚思考のこと。
言語思考と視覚思考があり、さらに後者は「物体視覚思考」と「空間視覚志向」がある。
これらは脳の特性であり、スペクトラム状なのだそうだ。
だから、複数のタイプの混成型というのもありうるらしい。
物体視覚志向とは、世界を写真のように見る人のこと。
画家、デザイナーの他、建築家、発明家、商売人などに多いという。
一方、空間視覚志向とは、世界をパターン化したり、コード化したりして、抽象化する力が強い人。
数学者、プログラマーなどがこれに該当する。
筆者は物体視覚思考者で、ある機構がどのようにはたらくか、どう壊れるかが、映像を見るようにわかるという。
もっとも、それは、これまでにいろいろな物を手にし、設計図などの資料と粘り強く結びつけるなどの学習あってのこと。
そして、これまでに学んできたものが頭の中に蓄積し、役立てられるようになっていくのだそうだ。
いかに物体視覚思考の特性があっても、何もしないでこのような考え方ができるわけではない。
そこでやはり重要になるのは教育。
学校や現代社会では、言語と抽象思考に価値が置かれ、本書でいう物体視覚思考者は、早い段階で落ちこぼれてしまうことが多い、という。
筆者は自分の経験から、このタイプの人には、社会見学や、実物をふれ、手を動かしながら学ぶ、実践的な教育が望ましいと述べている。
この辺りは、日本も同じだろうと思われ、アメリカの状況を述べているとはとても思えない話だった。
また、異なる思考タイプの人が協力することで、良い成果が上がるとも言っている。
その例として、GoogleChromeのユーザー・インターフェイスの話があった。
プログラマは空間思考タイプの人が多く、美しいコード���プログラミングを書くことに情熱を注ぐことがある。
しかし、それだけではいいアプリにはならない。
白い画面に検索窓がひとつだけあるGoogleの画面は、使う人がそこに入力すればよいことを、一目で伝えている。
これは、ユーザーがどう行動するかを目に見えるように想定できる物体視覚思考者がいたためだ、と筆者は考えている(実際にいたかどうかはわからない)。
物体視覚というのは、物理的な物だけに働くものではないのか、と驚く。
と同時に、それなら某MS社には、きっと物体視覚思考者が少ないのかも、なんて思ったりする。
(なぜTeamsはあんなにめんどくさいんだろう?)
IT関連では、サイバー攻撃への備えについても提言していた。
コンピュータで完結するシステムを作らないことの重要性は、技術音痴の自分にもよくわかった。
例えば、水道に化学物質を加えるシステムをコンピュータに制御させるにも、バルブそのものの口径を小さくしておけば、万が一ハッカーに乗っ取られても、被害を小さくすることができる。
致命的な障害につながりかねない部分は、旧来型の、物理的に動かさないといけない制御方法を残すということだ。
すべてがブラックボックスに入っている現代社会のもろさを考えさせられる。
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これはなかなかおもしろかった。
人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。
自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。
小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼ほど強い傾向ではない。
https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_2954/
他にもアートディレクターの中島英樹氏も映像で考えると言っていた。
これは本人にお会いした時に聞いた。「変なことを聞くんだな」と思われたかもしれないが、きちんと答えてくれた。
本作には、逆に文字だけで考える人というのも出てくる。
そういう人は頭の中に文字が浮かぶのだろうか。それだとテキストという映像を思い浮かべていることになる。そうだとすると、頭の中に音声が響くのかもしれない。その場合は「音声で考える」ということになるのではないか。
そういう時は、自分の声が頭の中に聴こえるのか、他人の声なのか、といった興味もわいてくる。また、友だちとの会話を思い出すときは、友だちの声なのだろうか。
自分に引き寄せた感想を書き連ねてしまったが、自分が追いかけているトピックなので、非常に興味深く読めた。
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言語ではなく画像で物事を思考する視覚思考者(ビジュアルシンカー)の脳の仕組みや特徴について論じた本。言語思考と視覚思考の間のスペクトラムという尺度を提示することで、多様性とは何か?社会とはどうあるべきか?を考えるヒントを与えてくれる。
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「ゆる言語学ラジオ」で言及があり、手に取ってみた。
世の中の人々を3類型に分けている。まず文字情報に頼った思考者。そして頭の中で具体的なイメージを操作する「物体視覚思考者」、抽象的なパターンや概念で物事を捉える「空間視覚思考者」があるという。
理解はしたが単純化しすぎているきらいはある。実際は3者のグラデーションなのだと思う。私は文字情報に相当ウェートを置いている自覚はあるが、軸足を移して仕事をしてみるときっかけになる。YouTube大好きな息子、映像的な説明が好きな会社の後輩らとの接し方にも参考になる。
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うーん、明確なことは言えないんだけど、それぞれの思考者は次のような形なのかな。
・言語思考者:文字/論理で考えるのが得意
・物体視覚思考者:絵で考える…というより、写真や2次元での理解を好む
・空間視覚思考者:空間把握、パターン把握が得意。3次元的な考えを好む
自分は「言語思考者」なので他2つはよく分からないけど、筆者が「違いがすぐ分かる」なんて語ったのは、写真として見比べた時に(間違い探しを見つけるように)違和感を見つけられた、ということだろう。まぁ自分も細かく思い出す時は写真のように思い出すから分からなくもないが…。
思考を言葉にすることが難しいというのは理解できるが、もう少し言語化してくれても良いのになぁ。「ビジュアルシンカーはすごい」を色々なものから引用されても、読者が知りたいのはその思考の流れだと思うんだよね。
まぁ自分と違う思考の流れを知るのはいい機会になったかも。
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の中で、盲目の人が坂道を山の一部と(空間的に)捉えたように、僕らが当たり前と思った世界の見方は全く当たり前ではない…のかもしれない。
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視覚思考者の脳のプロセスを詳しく解説してくれるものと思って読んだが、実際には成功者の自閉スペクトラム症の紹介や失敗例の列挙に終始しており、思っていたのとの相違があった。
世界中の成功者の自閉スペクトラム症の紹介や、失敗例をビジュアルシンカーならどう捉えるかという事例が多く含まれていた。これらの内容は、特性を理解する上での具体的なプロセスやメカニズムの解説には乏しかった。
また、成功者の一部が自閉スペクトラム症であることを強調する部分や、失敗例の改善点をビジュアルシンカーの視点から述べる部分が多く見られた。しかし、これらの内容は冷静に俯瞰できる状況であれば誰でも言えることであり、特にビジュアルシンカーだからこその視点や洞察が感じられなかった。また、ASD成功者の紹介に関しても、作者自身またはASDを輝かせるための要素に過ぎず、私にとってはあまり意味のない情報に感じられた。「エジソン、ジョブズ、マスクが自分と同じ症状かもしれない!誇らしい!」とはならない。
ビジュアルシンカーの脳のプロセスや特性についての詳細な図解などでの解説を期待していた私にとっては、期待外れの内容であった。
あと、これは個人的なものだが、「イェール大学人気講義 天才 ~その「隠れた習慣」を解き明かす」と平行して読んでいたためどちらも「天才」を取り扱っていたので内容がリンクしてて少し興味深かった。
その意味でも「ビジュアルシンカーは天才が多いんだぜ!」みたいなアピールに余計に思えたのかもしれない。
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2024-05-31
何だか少し期待と違った。読みたかったのは、ヴィジュアルシンカーが物事をどのように捉え、どう発想するかだったのだが、その説明は「図で/イメージで捉え発想する」が繰り返されるばかり。そして、その重要性が強調されるばかりで、なぜ重要なのかは功利的な事象の羅列にとどまる。
著者がヴィジュアルシンカーだから、そうとしか説明出来ないということだろうが、どうにも自分は人とは違う重要な存在であると叫んでいるようにしか聞こえない。
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【脳の多様性を考える】
動物科学者として活躍する著者が、自身の体験も基に、脳の多様性を伝える本。
著者自身は、4歳まで言葉が出ない子どもだったという。今では自閉スペクトラム症(ASD)と診断されるけれど、それが脳のしくみとして何を意味しているのか、
とても興味深い視点でした。
ノーム・チョムスキーは、言語は、とくに文法は、人間に生まれつき備わっている、としたが、
生後数年間言葉を話せなかった著者には、そうとは思えない。
今日の人間社会の主要コミュニケーションツールは言語であるけれども、
実はそれ以外もあるということに迫ります。
・脳の多様性、Neurodiveristyについて。
著者は、思考時の脳の使い方を、言語思考、視覚思考、と大きく分類し、
資格志向についてさらに、
物質視覚、と空間視覚、二分類しています。
これらは白黒別れるというよりもグラデーションです。
イメージで考える右脳タイプ、言葉で考える左脳タイプ、という話はよくありますが、
イメージ思考の中も分類できる、という視点は初でした。
そして皆、もともと言語を習得する5歳ぐらいまでは、言語思考よりも視覚思考が強いと考えられ、成長の過程で、言葉がイメージを覆い隠していく、ともいえると。
一般的な質問や抽象的な考え方が得意な空間視覚思考者に対し、
具体的なもののイメージを思い浮かべて考える物体思考。
前者は 音楽、数学、プログラミング系に長ける人が多いそうですが、
後者はデザイナーや工学士、職人などモノづくり派。
前者がトップダウンの演繹的なとらえ方が得意である一方、
後者はボトムダウンで、具体例から帰納的に理解する。
読者自身も、読んでいて自分の思考の仕方をあらためて考えさせられるかと思います。
言語思考に秀でている人は
ビジネス、売込みなどに長けている人ともいえます。
動物科学者の著者は、
動物の思考についても触れています。
言語は使わなくても、お互いにコミュニケーションをとっている動物も多くいます。
非言語思考の脳を持つ人間は、非言語思考の動物界について理解を深めることにも長けています。
・時代・社会について
言語化能力がかなり重要視される時代・社会で、非言語的思考の人が、障害、としてレッテルを貼られる社会。
国境や領域を超えたつながりの中で個々人が自分をどう伝えていくかが自分の存在意義にもかかわるような社会で、
言語はとても強いと改めて思いました。
著者はまず、教育の場においても物体視覚思考者の居場所がなくなっている点を指摘します。
多重知能理論を唱えたハワード・ガートナーは、
今日の教育制度は、強みがテストの方法に合わない人にとって不利になる、と論じていて、
より複雑な代数の理解を求められる高校数学でつまずき、ふるい落とされてしまう若者が多くいる現状から、アンドリュー・ハッカーは2012年に「代数は必要か」という論��を出しました。
働く場、産業においても、偏重があるとのことです。
ユージーン・S・ファーガソンは1977年に、「設計者の創造的思考は、大半が非言語」であると論じ、2002年には「技術が数学的に表現できない知識」からかけ離れてしまったことを述べています。
たしかに、計算機の発展が進む今日。
プログラミング思考、パターン化の思考が、
言語化に加えて重要スキルとされる。
著者は、非言語の創造的思考が、アメリカで軽視されていることこそが、の製造業の危機に警鐘を鳴らしています。
製造の海外外注は、技術屋の能力の空洞化、という人のレベルでも起こっていることなのだと知る。
また、インフラや設備といった、物理的なもののリスクマネジメントにも、
物質視覚思考者が果たす役割は無視できないとします。
なぜなら、物質視覚思考者にとって、災難は抽象的ではないから。
津波で非常用ディーゼル発電機が1台を除き破壊され、冷却装置の機能不全になった福島第一原発にも触れられています。
最近また、いくつかの原発に20年使用延長の承認が下りたようですが、
これは抽象論ではなく、実際の技術専門家が判断していることを祈ります。
サイバー攻撃のリスクについても述べられていて、デジタルや抽象的な議論への依存に警鐘を鳴らしています。
脳の多様性を尊重する社会を作り、技術の空洞化を防ぐにはどうすればいいか。
教育、職業訓練・育成制度の改革、
それに加え、
一流企業が率先して、多様な脳を持つ人材を採用することも推奨していました。
・偉業・天才について。
過去の発明家が視覚思考の脳を持っていたこと。そして、
これまでの偉業が複数の脳のコラボレーションで生まれていることが紹介されていました。
建築物、ヒエログリフの解読、NASAアポロミッションに必須だった開発、などなど、
異なる脳が互いに関わり合い、受け入れあうことで多くの可能性が広がる。
そして企業も組織も多様な脳を集めて取り組むことは強みになる。
天才自身も脳の多様性とかかわる。
とくに、複数の視覚思考に秀でている人はまれで、
物質思考と空間志向の双方に抜きんでていたと考えられる天才たちが紹介されていました。
ミケランジェロ、スピルバーグ ピカソ ディスクレシア、エジソン、ゲイツ、マスク、アインシュタイン…
中退するのにも意味があったのですね。
ちなみにスティーブ・ジョブズは、言語思考にも長けていたようですが、
ちょっと分類が複雑ですね。
生まれ可育ちか、と問うと、主に生まれつき、の話をしているようにも感じますが、
著者は、環境に影響を受けやすい脳の機能もある、と言っています。
脳の動き方は人によりばらつきがあること、各々が自分の脳について理解することで自分に合った役割を果たせる可能性が感じられました。
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ニューロティピカルや定型発達の話題に関しては最近触れたばかりなのもあって
内容としては読み込みやすく、序盤の「視覚思考」という概念提示に関しては、筆者の体験談にあるように然様なものが存在するのかと考えを改めさせられる感はあった。
後半に至るにつれ、思考形式の違いを受け入れたうえでの教育の在り方や人材の活用法というった部分については、提言に過ぎないとはいえ理想主義的で手前味噌にも思える。