「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
読割 50
紙の本
ブッダという男 初期仏典を読みとく (ちくま新書)
著者 清水 俊史 (著)
ブッダは本当に差別を否定し万人の平等を唱えた平和主義者だったのか。ブッダの真の偉大さはどこにあるのか。これまでのブッダ理解を批判的に検証し、初期仏典を丹念に読みとくことで...
ブッダという男 初期仏典を読みとく (ちくま新書)
ブッダという男 ――初期仏典を読みとく
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
ブッダは本当に差別を否定し万人の平等を唱えた平和主義者だったのか。ブッダの真の偉大さはどこにあるのか。これまでのブッダ理解を批判的に検証し、初期仏典を丹念に読みとくことでその先駆性を導き出す革新的ブッダ論。【「TRC MARC」の商品解説】
ブッダは平和主義者でもなければ万人の平等を唱えたわけでもなかった?! これまでの解釈を斥け、初期仏典の丹念な読解からその先駆性に迫る革新的ブッダ論。
万人の平等を唱えた平和主義者ブッダは、
人々の期待が生んだ神話に過ぎない――
誤謬と偏見を排し、その実像に迫る!
ブッダは本当に差別を否定し、万人の平等を唱えた平和論者だったのか? 近代の仏教研究は仏典から神話的装飾を取り除くことで、ブッダを平和主義者で、階級差別や男女差別を批判し、業や輪廻を否定した先駆的人物として描き出してきた。だがそれは近代的価値観を当てはめ、本来の内容を曲解したものにすぎない。では、ブッダの真の偉大さは一体どこにあるのか。これまでの理解を批判的に検証し、初期仏典を丹念に読みとくことでその先駆性を導き出す革新的ブッダ論。【商品解説】
ブッダとは何者で、その偉大さはどこにあるのか? 従来のブッダ理解を批判的に検証し、初期仏典の丹念な読解からその実像に迫る。【本の内容】
目次
- はじめに
- 第一部 ブッダを知る方法
- 第1章 ブッダとは何者だったのか(「歴史のブッダ」を問い直す/「神話のブッダ」を問い直す/これからの「ブッダ」を問い直す)
- 第2章 初期仏典をどう読むか(初期仏典とは何か/批判的に読むということ/先入観なく読むということ/傲慢なブッダ、謙遜するブッダ/韻文優先説と人間ブッダ)
- 第二部 ブッダを疑う
- 第3章 ブッダは平和主義者だったのか(「善なる殺人」は肯定されるのか/暴力や戦争はどのように否定されるのか/征服を助言するブッダ/ブッダの生命観/殺人鬼アングリマーラ/父殺しの王アジャータサットゥ/解釈としての平和主義)
- 第4章 ブッダは業と輪廻を否定したのか(神話を事実である「かのやうに」捉える/無我と縁起/無記と輪廻/中道と輪廻/ブッダの輪廻観)
- 第5章 ブッダは階級差別を否定したのか(ブッダの近代性・合理性/平等を説く資料と、差別を容認する資料/沙門宗教という文脈/聖と俗の平等/理想と現実/アンベードカルの社会改革)
- 第6章 ブッダは男女平等を主張したのか(仏教と女性差別/女性を蔑視するブッダ/女性の〝本性?/平等の限界と現実/ブッダの男女観)
- 第7章 ブッダという男をどう見るか(現代人ブッダ論/イエス研究との奇妙な類似点/「歴史のブッダ」と「神話のブッダ」)
著者紹介
清水 俊史
- 略歴
- 〈清水俊史〉佛教大学大学院博士課程修了。同大学総合研究所特別研究員。日本学術振興会特別研究員PD。博士(文学)。著書に「阿毘達磨仏教における業論の研究」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
電子書籍
画期的な仏教書
2023/12/10 20:22
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブッダについて平和主義者であったとか平等主義者であったというような評価を目にすることが多い。それらの評価は仏典の都合のいいところだけを抽出しており、不都合なところは全て後世の弟子による改変であると述べている学者が多かったが本書ではそういった現代人による願望をブッダに投影するのをやめて仏典から読み取れる素直なブッダ像を提示しており面白い。単にブッダが現代的視点では相入れないようなことも言っていた(それ自体は古代インドという時代背景を考えれば当たり前で非難には当たらない)ということだけでなくブッダの思想のどこに先駆性があったのかをバラモン教や他の沙門宗教と比較し業報輪廻を前提としながらも無我説を解いたこと縁起の逆観で煩悩を滅することで業を消すことができることを「発見」したことが提示されている。
紙の本
誰でも自分の持つ視点から逃れられない
2024/04/08 22:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
書名は田川建三の「イエスという男」に習ったらしい。田川建三を含めて自分が取り上げる対象を自分が持つ思想や宗教の立場や認識で見てしまうものだ。論者が取り上げる対象が生きた時代の文脈で論じる意味を認識した。
真宗で言うところの「戦時教学」を批判した個所で今のミャンマーの仏教界のあり方を取り上げている。その時代では「正しい」と言われていても時代が変われば違うあり方が「正しい」と見なされるとしても過去の文脈まで特定の「正しい」あり方を引き延ばして「正しい仏教(キリスト教など)」を論じて悪いのは「天皇制国家」や「国家神道」など悪玉だと言っているのが結構いる。
人文主義の「原点に従う」から始まった宗教改革の「聖書のみ」という読み方がカトリックのあり方を批判する事自体は正しいにしても「聖書が書かれている事は全て真実」で聖書の記述が相互矛盾していても無理矢理こじつけて「一言一句全てが真実だ」という福音派のあり方は中世のカトリック式無謬論に戻ってしまう。聖書の奇跡物語を否定して論じるあり方と仏典の奇跡や神通力などを否定して「真実のブッダ」を探し出すのは結局同じなのだろう。