目次
- 序章 研究の課題と方法
- 1.研究の意義と課題
- 2.先行論文の検討
- 3.本書の構成と叙述について
- 4.史料及び参考文献について
- 5.訳語について
- 第1章 ドイツ3月革命期以後の地方体操祭の状況
- 第1節 ドイツ3月革命期以前の体操活動の展開(1810〜1847)
- 第2節 ドイツ3月革命期の体操家の状況
- 策3節 結社法の制定と体操クラブ活動の停滞(1849〜1855)
- 第4節 自由主義運動の興隆と地方体操祭の再開
- 第5節 全国組織結成及び全国体操祭開催をめぐる動向(1858〜1859)
- 第6節 ドイツ体操同盟本部からの「回状」(1859)
- 結び
- 第2章 祖国統一運動の興隆と第1回ドイツ青年=体操祭の開催(1860)
- 第1節 ドイツにおける祖国統一運動の興隆と第1回ドイツ青年=体操祭
- 第2節 第1回ドイツ青年=体操祭開催に至るまでの経緯
- 第3節 第1回ドイツ青年=体操祭の概要
- 第4節 プログラムからみた第1回ドイツ青年=体操祭の特色−懸賞競技の否定
- 第5節 国民統合装置としての第1回ドイツ青年=体操祭の開催
- 結び
- 第3章 ヤーン記念碑建設運動と第2回ドイツ体操祭の開催(1861)
- 第1節 ヤーン記念碑建設運動の展開
- 第2節 第2回ドイツ体操祭開催に至るまでの経緯
- 第3節 第2回ドイツ体操祭の概要
- 第4節 第2回ドイツ体操祭と国民化の推進
- 第5節 皇太子ヴィルヘルムからの手紙の送付
- 結び
- 第4章 祖国統一運動の頂点としての第3回ドイツ体操祭の開催(1863)
- 第1節 「諸国民解放戦争」50周年とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題の再燃にともなう祖国統一意識の高揚
- 第2節 第3回ドイツ体操祭開催に至るまでの経緯
- 第3節 第3回ドイツ体操祭の経過
- 第4節 第3回ドイツ体操祭と国民化の推進
- 結び
- 第5章 体操家の防衛・政治問題に対する姿勢
- 第1節 体操クラブの非武装化と政治的運動からの離反表明
- 第2節 体操クラブにおける武器訓練に対する消極的姿勢
- 第3節 「ドイツ体操新聞」紙上での防衛論議の展開とその終結
- 第4節 兵役の準備教育としての隊列秩序運動=集団徒手体操の奨励
- 第5節 隊列秩序運動=集団徒手体操の導入にともなう兵役年限の短縮要求
- 結び
- 第6章 第4回ドイツ体操クラブ総会の開催とドイツ体操連盟の結成
- 第1節 第1回ドイツ体操クラブ総会における全国組織結成の躊躇(1860)
- 第2節 委員会の結成とドイツ体操クラブ総会規則の制定
- 第3節 体操「大管区」(Kreis)区分の提示とその定着
- 第4節 体操「大管区」における体操クラブの連合化状況(1867)
- 第5節 オーストリア体操「大管区」からのドイツ体操連盟の結成へ向けての働きかけ
- 第6節 第4回ドイツ体操クラブ総会におけるドイツ体操連盟会則の採択
- 結び
- 第7章 第4回ドイツ体操祭(ドイツ帝国体操祭)の開催(1872)
- 第1節 ドイツ帝国議会における結社法の採択とその内容
- 第2節 第4回ドイツ体操祭開催に至るまでの経過
- 第3節 第4回ドイツ体操祭の概要
- 第4節 ドイツ帝国における国民化の必要性
- 第5節 第4回ドイツ体操祭とドイツ帝国「臣民」の育成
- 第6節 ドイツ体操祭をとおしたオーストリアとの友好関係の構築
- 結び
- 第8章 ドイツ体操連盟による「体操祭実施規程」と「徒手体操実施規則」の制定(1878〜1879)
- 第1節 ドイツ体操連盟委員会での「体操祭実施規程」骨子の決定(1877)
- 第2節 ドイツ体操連盟委員会による「体操祭実施規程」の提示とそれに対する修正提案
- 第3節 第7回ドイツ体操クラブ総会における「体操祭実施規程」の採択(1879)
- 第4節 「体操祭実施規程」にみられる祭典運営・実施面での特色
- 第5節 「体操祭実施規程」の一部を構成する「ドイツ競技体操規程」の先駆形態
- 第6節 ドイツ体操連盟委員会による「徒手体操実施規則」の制定(1878)
- 結び
- 第9章 体操祭実施規程と徒手体操実施規則に基づく第5回ドイツ体操祭の開催(1880)
- 第1節 第5回ドイツ体操祭開催に至るまでの経過
- 第2節 第5回ドイツ体操祭の実際
- 第3節 体操祭実施規程と徒手体操実施規則に基づく第5回ドイツ体操祭の開催
- 結び
- 第10章 第5回ドイツ体操祭とドイツ帝国「臣民」の育成
- 第1節 帝国の発展を担う祭典としての特色
- 第2節 祭典演説にみられるドイツ皇帝の称賛と祖国愛の強調
- 結び
- 結章 まとめと今後の課題
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