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目次

    目次 2
    はじめに 6
    各時代の亡命の波 9
    オーストリア=ハンガリー二重君主国地図 12
    旧ハンガリー王国都市解説 16
    年表 20

    第一章 ハンガリー建国~オスマン帝国支配~ハプスブルク帝国支配(1000年〜1867年) 25

    オーストリアに反旗を翻しトランシルヴァニア公名乗るも敗北、オスマン亡命
     ラーコーツィ・フェレンツ二世 II.Rákóczi Ferenc 36
    コラム オスマン帝国のハンガリー人亡命者コミュニティーがあった街 42
    コラム 1848 年革命の敗北―第一の亡命の波 44
    1848年革命で敗北後、アメリカで人気に。後に「ドナウ連邦構想」まとめる
     コッシュート・ラヨシュ Kossuth Lajos 50
    1848 年革命恩赦で帰国、二重君主国外相としてベルリン会議でボスニアまで取得
     アンドラーシ・ジュラ Andrássy Gyula 55
    1848 革命後、死刑宣告、伊ガリバリディ参加、恩赦で国立博物館館長就任
     プルスキー・フェレンツ Cselfalvi és lubóczi Pulszky Ferenc Aurél Emánuel 58
    「強いハンガリー」論提唱、アウスグライヒも支持し、宗教・教育大臣就任した作家
     エトヴェシュ・ヨージェフ Eötvös József 61
    1848 年革命後、ブラームスと演奏旅行、ヴィクトリア女王のお抱えヴァイオリニストにも
     レメーニ・エデ Reményi Ede 64
    1848 年革命、フランクフルト国民議会ハンガリー代表、帰国後は科学アカデミー議長
     サライ・ラースロー Kéméndi Szalay László 66
    メンデルスゾーンに師事、ブラームスと意気投合、リストとワーグナーに反対宣言
     ヨアヒム・ヨージェフ Joachim József 68
    コラム ハンガリー王国のユダヤ人コミュニティー:シュバイア・ケッヒロート 70


    第二章 オーストリア=ハンガリー二重君主国時代
        (1867年~1918年) 71

    パリ・コミューンに参加した第二インターナショナル創始者の一人
     フランケル・レオー Frankel Leó 81
    ペテルブルグで「皇帝のソリスト」得るもロシア革命で渡米ジュリアード音楽院教鞭
     レオポルト・フォン・アウアー Leopold von Auer 84
    少数民族自治認める「東のスイス」構想抱いたハンガリー少数民族担当大臣
     ヤーシ・オスカール Jászi Oszkár 88
    ユダヤ人独立国家建設目指し、「世界シオニスト協会」設立、死ぬまで議長の座に
     ヘルツル・テオドール Herzl Theodor 91
    コラム アウスグライヒから崩壊まで─オーストリア=ハンガリー二重君主国からの亡命 94
    第三章 ハンガリー第一共和国~ハンガリー・ソヴィエト時代
        (1918年〜1919年) 99

    「アスター革命」でハンガリー共和国初代首相、第二次大戦後凱旋帰国後再度亡命
     カーロイ・ミハーイ Nagykárolyi Károlyi Mihály Ádám György Miklós 108
    ハンガリー・ルーマニア戦争後、ソヴィエト政権の後始末を任された社民内閣首脳
     ペイドル・ジュラ Peidl Gyula 111
    ロシアに続く世界第二の赤色革命政権ハンガリー・ソヴィエト共和国の指導者
     クン・ベーラ Kun Béla 113
    ハンガリー・ソヴィエト共和国で革命評議会議長を務めた社会民主主義者
     ガルバイ・シャーンドル Garbai Sándor 116
    ハンガリー・ソヴィエト政権で財務大臣就任、後にソ連を代表する経済学者に
     ヴァルガ・イェネー Varga Jenő 118
    貴族出身でありながら反戦運動・ソヴィエト政権に参加、カール・ポランニーと結婚
     ドゥチンスカ・イロナ Duczyńska Ilona 122
    赤色テロルの理論家、赤軍指揮官から『歴史と階級意識』で東欧代表する思想家へ
     ルカーチ・ジェルジュ Szegedi Lukács György Bernát 124
    エイゼンシュタインにも影響を与えた映画理論家・脚本家
     バラージュ・ベーラ Balázs Béla 128
    コラム 大学名変遷 131


    第四章 ハンガリー王国時代(1920年〜1946年) 133

    一節 政治家・学者 147
    海軍提督からハンガリー王国摂政に就任し、ナチス・ドイツから圧力受けつつ連合国と和平探る
     ホルティ・ミクローシュ Vitéz Nagybányai Horthy Miklós 148
    コラム トリアノン条約によるハンガリーの損失 154
    伊傀儡ピンドス・マケドニア公国元首に祭り上げられた反共・反ナチ・親ユダヤの貴公子
     チェスネキ・ジュラ Vitéz cseszneki és milványi gróf Cseszneky Gyula 156
    ナチスから「騎士鉄十字章」を授与されるもユダヤ人移送停止、和平交渉模索
     ラカトシュ・ゲーザ Vitéz csíkszentsimonyi Lakatos Géza 158
    オーストロ・ファシズムから英亡命、『大転換』で社会経済学者として世界的名声
     カール・ポランニー Karl Polanyi 160
    科学哲学「暗黙知」概念提唱、実兄カール・ポランニーと疎遠に
     マイケル・ポランニー Michael Polanyi 164
    大衆社会論に影響を与えた『イデオロギーとユートピア』が知識社会学の基盤に
     カール・マンハイム Karl Mannheim 167
    コラム トリアノン条約とハンガリー系少数民族たち 169

    二節 芸術家 173
    コダーイと共に『ハンガリー民謡集』出版、「音楽人民委員」でもあった民族音楽学の祖
     バルトーク・ベーラ Bartók Béla Viktor János 174
    戦時下英BBC からプロパガンダ放送、1956革命後、英再亡命し「亡命作家同盟」主宰
     イグノトゥス・パール Ignotus Pál 178
    陶器製造でドイツ・ソ連・アメリカで活躍したポランニー兄弟の姪
     エヴァ・ザイゼル Eva Striker-Zeisel 180
    「第一次反ユダヤ法」でアルゼンチンに逃れたボールペンの発明者
     ビーロー・ラースロー Bíró László József 184
    「水中のスイマー」で「歪み」を追求、『パリの日』で米で大成功を収めた写真家
     ケルテース・アンドル Kertész Andor 186
    『パリの夜』で国際的名声を勝ち得、MoMa個展、二度のフランス芸術文化勲章受賞
     ブラッシャイ Brassai 190
    国際写真家グループ「マグナム・フォト」結成した世界最高のフォト・ジャーナリスト
     ロバート・キャパ Robert Capa 192
    『ライフ』誌のケネディ大統領選挙キャンペーンで知られるロバート・キャパの弟
     コーネル・キャパ Cornell Capa 196
    フランス・レジスタンスで活躍したユダヤ系ハンガリー人写真家
     マルトン・エルヴィン Marton Ervin 198
    コラム ハンガリーにおけるホロコースト 200

    三節 物理学者・逃亡者(「戦争犯罪人」) 207
    人類史上最高のIQ300 頭脳を持ち、マンハッタン計画にも参加した数・物理学者
     ジョン・フォン・ノイマン John von Neumann 208
    コラム 原子爆弾開発に関わったユダヤ系ハンガリー人 亡命学者たち 211
     大統領への嘆願書提出、マンハッタン計画から外され、戦後は核抑止論者に転じた
      レオ・シラード Leo Szilard 213
     米政府機関要職にも在籍し、ノーベル物理学賞含む数々の賞を受賞するも晩年哲学に傾倒
      ユージン・ポール・ウィグナー Eugene Paul Wigner 220
     オッペンハイマーとも対立し、イグノーベル賞を受賞した事もある「水爆の父」
      エドワード・テラー Edward Teller 224
    ナチスの後押しを受けホルティ摂政を引きずり落とし権力の座に就いた矢十字党の党首
     サーラシ・フェレンツ Szálasi Ferenc 228
    ユダヤ人虐殺関与、カナダで美術商等営み67 年間逃亡、最高裁一時停止直後死亡
     チャターリ・ラースロー Csatári László Lajos 232
    大量虐殺に関与するとされるも、証拠不十分で無罪確定した一ヶ月後の97 歳で死亡
     ケーピーロー・シャーンドル Képíró Sándor 234
    コラム 第二次大戦におけるスウェーデンの立場とラウル・ワレンバーグの活躍 236


    第五章 ハンガリー第二共和国時代(1946年~1949年) 243

    戦後初の連立内閣で第一党、独立小農業者党の代表として第二共和国初代首相に選出
     ナジ・フェレンツ Nagy Ferenc 250
    アイヒマンと交渉した事で告発され、暗殺されるも名誉回復されたシオニスト
     カストナー・ルドルフ Kasztner Rudolf 253
    ビタミンC 発見し、ノーベル生理学医学賞受賞、連合国との和平の密使としても奔走
     セント=ジェルジ・アルベルト Nagyrápolti Szent-Györgyi Albert 258

    第六章 ハンガリー人民共和国時代(1949年〜1989年) 263

    政敵ライクを反ティトー運動で処刑しミニスターリン化するもスターリン批判で失脚
     ラーコシ・マーチャーシュ Rákosi Mátyás 275
    ラーコシ失脚後、ユーゴとの和解に呼び出され、帰国直後にハンガリー「革命」勃発
     ゲレー・エルネー Gerő Ernő 280
    ハンガリー「革命」ソ連軍侵攻から15 年間、アメリカ大使館に匿われた枢機卿
     ミンツェンティ・ヨージェフ Mindszenty József 283
    「なんの強要もありません」─ライク事件連座の文学的自白回想録が歴史資料に
     サース・ベーラ Szász Béla 287
    コラム 国に残った1956 年「革命」の立役者、偉大な政治哲学者
     ビボー・イシュトヴァーン Bibó István 289
    ライク事件で駐仏カーロイ・ミハーイ大使と共にハンガリーとの関わり絶った東欧研究の祖
     フランソワ・フェイトー François Fejtő 294
    スターリニズム批判や『真昼の暗黒』で知られ、各地を放浪、女性遍歴多数で最後は自殺
     アーサー・ケストラー Arthur Koestler 297
    ノリリスクやクラスノヤルスクなどの僻地に送られた「ハンガリーのソルジェニーツィン」
     レンジェル・ヨージェフ Lengyel József 302
    ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで「反証可能性」科学哲学を深める
     ラカトシュ・イムレ Lakatos Imre 306
    「1956 革命」のフィルムが米CBS で放送、アメリカン・ニューシネマの旗手となる
     コヴァーチ・ラースロー Kovács László 309
    「1956 革命」のフィルムをアメリカに持ち出し、カメラマンとして大成
     ジグモンド・ヴィルモシュ Zsigmond Vilmos 311
    世界各地の名門交響楽団の指揮者に就任するも、43 歳の若さでイスラエルで溺死
     ケルテース・イシュトヴァーン Kertész István 313
    稀代の投機家、ポパー提唱「開かれた社会」実践するもオルバーンから睨まれる
     ジョージ・ソロス György Soros 315
    1956「革命」時にスペインからの帰国命令を拒否した歴史に名を残す名サッカー選手
     プシュカーシュ・フェレンツ Puskás Ferenc 319
    フランスに出国後、日本に定住したユダヤ系数学者兼大道芸人
     ピーター・フランクル Péter Frankl 323

    第七章 民主化以降 325

    2015年夏:ハンガリーに押し寄せる難民たちとハンガリー政府の対応 329
    参考文献 339
    あとがき 351
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