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あらすじ
1942年 第15回アカデミー賞 ドキュメンタリー長編賞受賞作品
「PACIFIC WAR」STORY
「ミッドウェー大海戦」1942年度作品・カラー・17分
1942年6月5日、ハワイ沖1.000マイルの海上に浮かぶミッドウェー島において戦われた、第二次世界大戦中最も激しく壮絶を極めた日米海空戦の実録映画。監督ジョン・フォード。ミッドウェー海戦は、熾烈な奇襲作戦の攻防が広大な海と空で24時間に及び、日本軍3.060名、アメリカ軍363名の尊い若者の生命が海の藻屑と化した壮絶なものであった。しかし、アメリカ側にとってはパールハーバーでの雪辱を果たし、勝利に向けての重大なターニングポイントとなった戦いである。この記録映画を撮るべく参加した、かの有名な「駅馬車」のジョン・フォード監督も、この激戦の模様を撮影中重傷を負った。
■「硫黄島の岸辺をめざして」1945年度作品・カラー・19分
この映画は、1945年2月から3月にかけて日本軍太平洋上最後の砦である硫黄島を攻撃し、将兵21.000名の多大な犠牲を出したアメリカ海兵隊の壮絶な戦いの記録である。1945年度アカデミー賞最優秀記録映画賞ノミネート作品。
■「ペリリュー、アウンガル島の死闘」1944年度作品・モノクロ・27分
フィリピンから800キロの西南諸島に位置するペリリュー島とアウンガル島。そこは、アメリカ軍にとってフィリピン進攻と日本軍の補給路を絶つために必要な島であった。アメリカ海兵隊とアメリカ陸軍が共同で戦った水陸共同作戦の激闘の記録である。撮影中9名の写真班が死亡した。
「KAMIKAZE WAR」STORY
1941年12月、米国政府との交渉打切りを期に、日本連合艦隊は米国太平洋艦隊撃滅のため、ハワイ・オアフ島真珠湾に集結中の同艦隊に奇襲攻撃をかけた。奇襲は大成功を収め、日本海軍は太平洋の主導権を握った。そしてその勢いに乗り日本は半年でアジア一帯の500万平方キロを制したのである。
が、1943年、最強の防衛体制を整えた米国新太平洋艦隊が反撃を開始した。狙いは、中部太平洋に延びる日本軍基地の壊滅と日本本土を爆撃するための新鋭爆撃機「B-29」の飛行場建設であった。1945年、ついにB-29の日本本土への爆撃が始まった。爆撃を受けた日本の都市はパニックに陥り、米軍の底力を嫌というほど味わった。
そこで日本軍は米軍に反撃するため、ついにカミカゼ攻撃を決行するのである。若いパイロット達はたった一日だけの訓練で、旧式の戦闘機に爆薬と片道分の燃料を積んで、次々に米国艦隊へと突っ込んで行った。その数、約1900機。沖縄決戦に於ける82日間に及ぶこの攻撃により、米国は多数の艦船が撃沈され約1万人の死傷者を出したのである。
この時点で日本にはまだ5千人のカミカゼ要員が残っており、その上、本土決戦に望みをかける日本陸軍200万人がいる。それを知った米国側は、損害をこれ以上大きくするのを避けると同時に、この戦争に終止符を打つため、ついに原子爆弾の使用を決意するに到った。
そして、同年8月。部隊名「509」のB-29が広島と長崎を襲った・・・。
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