紙の本
オタクについてよくわかった
2015/02/24 17:29
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投稿者:Tom - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代のオタクについて詳しくわかるとてもいい一冊だと思う。途中私にはわからない箇所もあったが、面白かった。鉄道オタクの所では他のオタクに通ずる所などわかりやすく私には一番良かった。
最近では少なくなってきたが、まだまだオタクに対する偏見などがあるのでこの本を読んで理解して欲しいと思う。また、そんなことがなくても知らないことはたくさんあるのでおすすめできる本である。
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各論者による14章を、歴史(第一部)、空間(第二部)、交流(第三部)に分け収録。「動物化するポストモダン」「嗤う日本のナショナリズム」は抄録。
一章一章が短く、内容が多岐にわたるためつまみ読みに適するか。米国でのオタク事情について振れているのが印象に残った。
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オタクを分かりやすく分析している章もあれば、オタク文化を難しい置き換えにより説明している章もある。
オタクの全体像を俯瞰することは、なかなか無いので、知識としては参考になったが、残念ながらそれぞれの洞察を受け入れるまでには至っていない。
第二章の鉄道オタクの話は分かり易く、面白い。鉄道が「想像力のメディア」であるとは気が付かなかった。発展していくもの、勢いがあるものの進化を先取りして夢見るのがオクタクの一側面であると理解した。オタクはサブカルであり、サブカルとは時代に先行するものである。
第4章の「嗤う日本のナショナリズム」、第6章の「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」も分かり易い。
それぞれの引用元を読み込んで、オタク文化の理解を深めたいと思う。
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オタク趣味が表している現代の特徴は、大きな物語や隠された物語を求めることではなく、データベース消費である。かつては隠されたアウラ(目に見えない物語の深さ)を背景にあったが、現在のオタクに象徴される「萌え」は、表層の戯れであるという指摘。これを読んで友人の腐女子の嗜好がよく理解できた。私からみれば脈絡がないものが大好きで、自虐的な解釈が大好きで、ストーリー性も歴史的背景の深みもなくて理解不能で苦痛だったが、オタク(腐女子)は〈社会的文脈の無関連化機能〉にこそ価値を置いているんだと。
オタクがアメリカと日本では異なった様相であり、日本が戦前から「周辺的存在にこそ力が降りる」という意識があることに対し、アメリカには一切ないという点も面白かった。
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個人的に一番面白いと思ったのはp100
動物かするポストモダンーオタクから見た日本社会
で語られている二次創作についての価値観?の話。ボードリヤールの「シュミラークル」っていう概念をもとにオリジナルとコピーの区別がなくなってる話をしている。
56p
音楽の脱表現化と「みんなが知ってるから」っていう消費財への変化について書かれているけど、こういうのみんながそう考えてるという意味ではないのは分かってるけどエクスキューズほしいよな…って思った。
成増図書館361.5
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p45
現実をいじるより虚構をいじるほうが安上がりなので「虚構を現実よりも劣る」との観念が強くないのであれば「リソースとして虚構が現実と並ぶ価値を持つ」と見るのが合理的。オウムは自己秩序ホメオタスタシスを目標とする点において元祖セカイ系だった。一次現実をいじろうとして派手に失敗したオウムの入れ替わりに、九十五年秋のエヴァンゲリオンにつながる。
p49
自分の謎の解決がセカイの謎の解決に直結がセカイ系
正義を用いた自己のホメオスタシスがバトルロワイヤル系
オタク系=虚構の現実化=異世界化→セカイ系
ナンパ系=現実の虚構化=演出化→バトルロワイヤル系
p73
1954年の敗戦で日本には陸軍も海軍もなくなり…そして残ったのが鉄道というわけである。
p79
低成長期には空間的な広がりはもとより、未来に向けての時間的な広がりすらも失われ始めたのである。想像力の広がりを虚構に向けて方向転換していった
p101
オタクたちがグッズをヤドカリの移動さながらどこにでも持ち歩くのは、自我の殻、すなわち帰属集団の幻想そのものを持ち歩かなければ精神的に安定しないからだ
p106
大きな物語とは設定や世界観を意味する。個々の作品は大きな物語の入り口の機能を果たしているに過ぎない。消費者が真に評価し買うのは今や設定や世界観なのだ。実際には設定や世界観をそのまま売る事は難しいので断片である小さな物語が作品として売られると言う二重戦略が有効になる。大塚はこの状況を「物語消費」と名付けた。二次創作というシミュラークルの氾濫はその当然の結果に過ぎない。だが1980年代にはこのツリー型の世界像は崩壊した
p108
インターネット等のデータベース型世界では表層は深層だけでは決定されず「私」の読み込み次第でいくらでも異なった表情を表す。一度設定を手に入れてしまえば消費者はそこから原作と異なった二次創作をいくらでも作り出すことができる「データベース消費」
p118
90年代は原作とは無関係にその断片であるイラストや設定だけが単独で消費される(デジキャラット等の属性に見られるように)キャラ萌えが増えた。(だからこそオタクは萌えの対象を次々と変えることができた)
p255
アメリカにおけるオタクはむしろ社交的であり、なおかつネットワーク化していてオンライン/オフライン双方の関係性において強くつながっているのがわかる
p484
オタク的コミュニケーションは当初ウンチク競争だった。宗教社会学で宗教の重要な機能を地位代替機能にもとめるのと同じ。
p489
クールジャパンのクールの本質は「社会的文脈の無関連化機能」によるバリアフリーな浸透性
p490
1983年に中森明夫が命名したのが、「世直しの営み」に代わって「性愛の営み」が輝く世の現実の中で、現実と渡り合えず現実の重さに耐え切れないヘタレが漫画やアニメのうんちく競争ごときでかろうじて肯定的自己像を維持してるという、「オタク」
p491
現実の方が虚構よりも価値があるという自明性が、90年代に崩れた。最初のエ���ックは92年のアウラの喪失。カラオケBOX化、エロの文章→絵もの化、AVの企画化、売春の援交化が同時期に生じる。共通性は「目に見えるものの背後に不可視の物語がある」と言う深さ(アウラ)の消失。事情や思いが真に消えたか否かでなく「意味論から削除された」と言う事実は、ますます社会的文脈の無関連化機能をブーストした。
p494
ユダヤは移民であり続け、中国はジェノサイドの歴史があるから場所に関係ない絆による相互扶助と言う社会装置を発明した。(日本や韓国の)郷土の祝祭は土地にへばりついた農耕民のもので、それゆえアニミズム的要素に満ちている。自然物のみならず人工物にも魂が宿り、人格神はパンテオンを作る。
p500
オタク魂のうち〈人工物に魂が宿る感覚〉(鉄オタ)より〈周辺的存在に力が降りる〉(ポカホンタス伝説)感覚の方が米国人に理解されやすい
p509
自分はダメと言う意識とオタク的コンテンツは親和的。今後グローバル化と資本移動の自由化により先進国や中国でも中間層が崩壊し、ますます主観的ダメ意識が量産されるのでオタク的コンテンツにとって追い風が続く。オタクと、スマホやfacebookを使い回して現実をそこそこ生きていくことは相容れないと考えることはナンセンス。96年以降にダメ意識なきオタク的戯れが一般化し、オタク的コンテンツの享受者は増えるものの、コンテンツ提供者は減少化するか低レベル化する。
p515
革命によって本来性を引き寄せることはできない。革命で〈ここではないどこか〉を〈ここ〉に引き寄せた途端、理性が必ず新たな〈ここではないどこか〉を夢想をさせるからです。理想を追求したところで現実は…といった態度は間違っている。それを言うなら所詮は死ぬのだからすべては無意味であって今すぐ死んだほうがよくなる。つまり不可能な本来性を意思するのが正しい生き方。
p520
社会はクソ、おれもクソ、お前もクソ、当たり前。互いそれをわきまえた上で「クソな〈ここ〉の詮ない、永久に到達できない〈ここではないどこか〉を重ね焼きにして生きよう」という作法がオタク的コンテンツ享受のルールだった