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阪神・淡路大震災と神戸の自動殺傷事件をめぐっての
「報道」について書かれたノンフィクション。
不安になっている被災者たちに対し、メディアは積極的に安心情報を伝える必要があるということ。
放送機関は防災機関でもあるということ。
報道の自由と言っても、何をしてもよいというわけではないこと。
メディアのあり方について問う、わかりやすくて的確な本です。
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[ 内容 ]
阪神淡路大震災、神戸須磨区の連続児童殺傷事件。
この衝撃的な災害と事件を、報道の現場で体験した著者。
被災者や、事件がおきた地域の住民にとって、本当に必要な報道とは何だろうか?
ただ「大変だ!」と騒ぎたてるだけの報道、興味本位で演出過剰な不安をあおる報道に何の意味があるのか?
地域報道キャスターならではの視点で、現在もいろいろな形で繰りひろげられる“報道合戦”の是非を問い、「安心報道」とメディア・リテラシーの重要性を熱く説く。
[ 目次 ]
第1章 大震災発生…全国・世界に発信
第2章 被災者のための放送を
第3章 「安心報道」と「心の救援」
第4章 神戸・連続児童殺傷事件
第5章 市民のためのメディアに
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「bad newsはgood news」とあるように社会にとっても不幸なニュースほど歓迎されやすいのが新聞・放送業界の実情である。「大変だ!」と騒ぎたて、演出過剰に不安をあおる報道に何の意味があるのか?
阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件での報道を振り返り、報道の真の意味を探る。
若干古い本になるが、再びの震災の今に改めて考えなおさなければならない報道の目的と意味。視聴者に不安や悲劇を増幅させるばかりでなく、そこから希望や信頼に繋がる価値を作り出す報道もまた重要なのではないか。