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自分の精神状態が不安定な時期に読んだらもの凄く気分が落ち込んだ記憶が....。引き込まれる感じの作品。
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主人公が無茶な凶行・思いなど普通発想できない!!。村上龍さんのすごさをあらためて実感した作品でした。
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一言で言えば引きこもりが殺人を犯す話。でも重い主題が裏にあるような気がする。生物系のくだりはわからないけれど印象的だった。
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主人公があんまりひきこもりっぽくない。目標をあっさり見つけて、その途端元気になる。その過程や山でキャンプする描写は村上龍らしく身体感覚的で楽しい。[2006年読了]
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ひきこもり心をくすぐるようなくすぐらないような…村上龍!って話。
最初のうちのひきこもりが感じる怯え描写なんかはああ解ってるかもと思わないでもないけれど、やっぱり特殊事例にしてしまう語り。
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村上龍の文章は、つまらない所を乗り越えての開放感・・・という快楽が大きい。 その快楽を求めてしまう麻薬のような作用こそ、この人の文章の凄い所だと毎回思う。 引きこもりの少年がネットでの1つの繋がり、つまり“リンク”を通じて覚醒されていく話。タイトルにもなっている『共生虫』は殺戮を求める寄生虫と文ではされていますが、ネット自体が共生虫。つまり、誰かと情報を通じて楽しみたい通じ合いたいというのが『共生虫』なのではないだろうか。無知というのはこれほど人を変えさせる。1つの繋がりから、どんどん外の世界へと向かう主人公。それがラストに見えるラインなのではないだろうか・・・と、ネットをやってる人間として色々考えさせられ、勉強になる作品です^^
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引きこもり青年ウエハラ君が、インターネットで他人と交流して、外の世界に出て行くようになる物語です……と言えばそうなんだけど、やっぱりウエハラ君みたいな更生の仕方はだめだよね。長さは普通の小説だけど、物語の舞台も時間もよく考えればかなり狭い。一見ムダな(理解できない)文章を書くということで、インターネット世界を表現しているんだなぁと思った。この小説の単行本化は2000年。あとがきで、村上龍さんは「未来」と「希望」について考えてます。2007年の私も、ちょっとだけそのことを考えてみました。
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まず言えるのは秀逸である
「主人公の男の世界」を書いたものであるということ
語られるもの
見えるもの
通ずるもの
それが全てであって全てではないのだ
著書は時節表現上で生々しい言葉がみられるが
これはあくまで「主人公の男の世界」なのである
もし、このレビューを見て読む方がいたら
全く別の角度から見る事が出来るので実に羨ましい
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僕をインターネット世界に引き込んだ小説。なんでも出来そうな万能感があって、ちと薄暗くて、スーパーハカーがいて、という当時のネットの雰囲気がよく出ています。社会問題化し始めていた引篭もりな主人公も加わって非常に鬱々とした話。ただ、当時の雰囲気で読まないと面白く無いと思う。
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最終章〜あとがきがすべてだなと感じた。
希望というものはネガティブな状況下で生まれるものだが、現代の日本は現実を把握できていないと作者は言う。
正しい矢印に沿って歩いていれば良い。矢印から外れてはならない。という、用意された偽りの希望に引きこもりたちは抗っているのではないだろうか。
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久しぶりに読書再開。
社会と自分の関係を見つめなおすと、私は主人公の彼と同じなのではないか。
ひきこもりがいいという訳じゃない。
だけど、普通に生活し、それに気づかない人間を蔑んでみている私はやっぱり彼に共感できる。
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・98年頃にネットや引きこもりって新しい素材について村上龍なりになんか書いてみたよ、という小説。所々刺激はあるけど、おもしろくない。エンターテイメントとしても成立してない。救いも無い。爽快感も無い。読まなくてもよかった。
(市民センター図書室にて借りる)
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ひきこもりの主人公と、ネット社会の中での人間関係。
メーリングリストなど、ITが小説のツールにもなっている。
これも、いかにも村上龍の作品だという感じがする。
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ウエハラは、中学二年生のときに引きこもりになった。
身体が重くて、朝ベッドから起き上がれなくなったのだ。
鬱病と診断されてからも、
父と兄はウエハラのことを怠け者と言った。
あるとき、ウエハラは、ネットで興味深いページを見つけた。
そこで、インターバイオという組織と出会う。
ネット上でやり取りをする中で、
共生虫を飼う人間は選ばれた人間で、人を殺してもいいということを
ウエハラは知る。
ウエハラは、今までに起こった暴力的な衝動はすべて
自分の中にいる共生虫が原因だったのだと気づき、
自分の中に力がみなぎるのを感じるのだった。…
ウエハラはこの後、何人かを本当に殺してしまいます。
インターバイオが「偽の組織」だったことに気づいても、
ウエハラの中は何も変わらない。
特に印象的だった文章は二つ。
「それらはすべて一連の流れだったのだ。雑木林の中の、あの小さな谷の清水の流れと同じだ。真実はいつも細い谷を静かに流れていて、その流れが絶えることはないが、その流れそのものを見つけることが非常にむずかしい。はっきりとした目的を持った人間だけが偶然の助けを借りてその流れに出会う。一度そのようなものを捉えることができれば、あとは進むべき方向を見失うことはない。」
「(幼い頃持っていた鉱物標本の話で)ケースがなくなってから標本は一個ずつ失くなっていった。誰かにプレゼントしたわけでも、盗まれたわけでも捨てたわけでもないのだが、確実に標本の数は少なくなっていった。石は収まる場所を失ったのだとウエハラは思った。収まる場所を失うと、モノはいずれ消える運命にある。」
ウエハラは、「狂った」人間なのかもしれない。
「まともに」学校に行って、「まともに」働くのが、「まっとうな」人間なのかもしれない。
…本当に、それが「まとも」なのか?
私はいつも、それを疑問に思います。
まともな人も狂っている人も、
自分が思う「真実の流れ」に乗ってるだけで、
自分が思う「収まる場所」に収まってるだけで、
それが本当の「流れ」や「場所」じゃないんじゃないのだろうか、と。
私は、それで良いんじゃないかと思うけれど、
まともだという人ほど、
それが「本物」だと信じて止まないような気がします。
まぁ、信念は人それぞれだから良いんですけど←どっちやねん
時々、というか頻繁に、
こういう世界に嫌気が差すんですよね。
「まとも」とか
「狂人」とか
その勝手な線引きが、
そもそもまともじゃないような気がして…
どうでも良いですね。
少々熱っぽいんで頭がくらくらしてまいりました。
明日からハードなのに大丈��だろうか…(;´▽`A``
ちなみに『共生虫』、
古代の生け贄の描写がでてくるんですが、
なんともリアルでグロテスクでしたヽ(;´ω`)ノ
夢に出てきそう~(>_<)
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引きこもりの話。
一度引きこもりと会話したが、
救いようのないタイプって実際いて、私もどうしたらいいかわからない。
この本にそのヒントが書いてあるかといったら逆だし、ひたすら絶望。
もう一回読めと言われたら、悩む。
これは漫画化とか、映像化したら逆に面白くなりそうだと思う。