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紙の本
これもまた、ブックガイドじゃないか
2005/12/04 12:26
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学時代に読んでおくとよい本がリストアップされていると思った。だから、ブックリストにはさして文句はないが、どうして、それほどまでに「もてる・もてない」に固執するのか理解に苦しむ。これは、勢古だけでなく、小谷野敦や小浜逸郎などの著作にも言える。
いまの時代、男が男であるのは大切なことだし難しくもある。男女同権とユニセックスやフェミニズムとは明らかに違うのだか、混沌とし損ランされている。上野千鶴子や田嶋陽子は、男に生まれていれば女性の進出を絶対に許さないタイプであり、単なるルサンチマンの塊でしかないと思うが、立派な人間は、男女を問わず存在する。よい男がいるように、よい女もいる。男を肯定するために、女を否定する必要はない。
柴門ふみが『自分にとって、生涯もう二度と巡り会えないくらいの男と恋に落ちたら、どんなに汚い手を使っても自分のものにすべきである』と言うのに対する『そんなことしてはいけない。「どんなに汚い手を使っても」はよくない。あなたは、その「生涯もう二度と会えないくらいの男」から、かならず嫌われる。「いい男」が欲しいために、あなたは最低の女になってしまう』という作者の言には、まったく同感である。
白洲次郎のような人生を送れたら、というあこがれも分かる。スケールが違いすぎるが、私も目標としている。
言わなくても、年齢を重ねれば分かるとはいうものの、「美はあらゆる価値のなかのひとつの価値でしかない。大きな価値ではあるが、それでもひとつのうつろいやすい価値にすぎない。」と、私も今の若者に言ってあげたい。
しかし、「中間の女」がいいという意見には与しない。これは、カテゴリーで語るべきことではない。巨乳にもよい人がいるし、貧乳にもよい人がいるのは、ハゲにもよい人がいて、EDでもよい人がいるのと同じである。中間ならよいという問題ではない。このあたり、作者の中心的主張である「中間性」(普通であること)が理想を結論としたいがためのためにする議論になっているように感じられる。さらに「中間の女」の例として、たぶん直接知り合いでもない岸本加世子、渡辺満里奈、田中裕子の名前を出すのは、単に個人的な外見の好みの押しつけであり、私が女ならば「男は見かけじゃないと散々言っておいて、女は結局見た目なの?」と怒るだろう。
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