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紙の本
長篠の戦いから本能寺まで.
2000/08/30 00:27
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投稿者:(格) - この投稿者のレビュー一覧を見る
天王寺砦の戦いあたりから信長に微妙な変化が始まる。まず、勝ちを六分で治めるという余裕ができはじめ、それが、部下の弛緩、危機の醸成に繋がっていく。そして、それに気づき、譜代の部下をも処断していく。突然、過去の業績を理由に処断したというのが今までの解釈であったが、ここでは、それ相応の腐敗があったと推測し、それを処断するため、そして、敵に隙を見せないために、過去を理由に処断したという。合理的な解釈である。
そして、秀吉。信長の方針が見えないことから誤解し、いっそう働く。それが、信長の秀吉観に影響し、ついに自分の後継者には向かないと決断させる。このあたり、現代から考えればまあ、正しそうに思えるが、だからといって、その時代にほんとうに信長がここまで考えたか。誰にもわかりはしまい。まして、光秀ならどんな世を作り得たか。信長の判断が正しかったかどうか。
次に宣教師を通した徹底した西洋史の勉強。このあたり、記録に残っていないとしながら、ここまではっきり書くのは、以後の推測への伏線だ。上巻では、信長の天下統一後のビジョンは残っていないと言っていたのが、ここではっきりと著者は記述する。記録にないのだから、著者の推測にすぎないのだが、それにしても大胆。まあ、天才信長。このくらいのことは考えたか。周りは当然、そのことの意義、価値を理解できるはずもない。そして、それを知る秀吉の思惑。ここまでは理解できなくはない。もしかしたら、そういうことだったのかもしれない。しかし、だから、本能寺というのは、ちょっと飛躍。論理に無理がある。たしかに斬新な解釈ではある。
著者の推測が秀吉の思惑までは正しかったとして、光秀がもっと合理的思考をしていたとしたら、いったい、世の中はどうなったか、と考えるのは楽しい。
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